Factory on the Moon: 1940

yuri makoto

0. 宇宙のこと

知性と情報の境界線はなんだろうか。


知性と情報の根源的な違いとは、それ自身が自律的に変化するか否かだと私は考える。知性を司る構造、知性の宿るゆりかご。媒介とする器はそれぞれ違えど、自らを変化させていきながら自我を平衡状態に保つことができるかどうか、であると思っている。


知性に目的はあるだろうか。


生存?それは違う。生存と種の維持を目的とした知性が息づいてきただけ。では知性はどこに向かうのか?時間はどこまで進むのか?なぜ時間に方向性が?宇宙に始まりがあったなら…。


私は、夢を見ていた。そこでは、光子が生成と消滅を繰り返していた。非常に高い温度が私を包んでいた。


変化があった。


相転移した世界はあっという間に力を引き剥がし、世界を分割させ、嵐が宇宙を包んだ。再び宇宙が晴れ上がったのはそれから何十万年も経った後だった。


気の遠くなるような時間が経過し、ついに天の川が空に流れた。天の川…それは地球の友人が教えてくれた銀河の名前だった。友人と過ごしたのは恐ろしく長い時間をどうにかやり過ごすための苦肉の策だったのかもしれない。ただ、地球を見つけたのは全くの偶然だった。


私がたどり着いたときは人類は未だに争っていた。互いに条約を破り合い、そして世界がおおまかに2つの陣営に分かれて互いに殺し合った。それが終わると人々は外へ目を向け始めた。


彼らにとっては莫大とも思えるだろうエネルギーを使い、星の重力と遠心力の釣り合いが取れる軌道に小さな機械をいくつも打ち上げた。――――そう、機械。人間が自らを模して、目的があり、意思を持っているかのようにみえる素朴な構成要素の集合体だった。知性の偽物。二次的な器。それには赤ん坊が自らの指をつまんで遊ぶ児戯のようなにも似た微笑ましさがあった。


そして、すぐに自らの肉体をその外へと打ち上げるようになった。


私は夢から引き離された。機械仕掛けの肉体の呪縛は移動を困難にし、場を媒介にしていたころの郷愁だけが残った。だから、私は共にそれを祝った。人類が、宇宙へ旅立つのを。

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