72 王女さまは疑っているようです
ティオが俺の入った鞄を持って、竜騎士クラスに入ると、教室に緊張が走った。十数人の若者の視線が一斉にこちらに集中する。
思わず立ち止まるティオ。
しかし、教室の中央で一人の女子生徒が立ち上がった。
「おはようございます。ローリエのラティオ王子」
凛々しい表情で出迎えたのはなんと、フレイヤ王女だった。
他の生徒たちが唖然としている。
ティオも少し呆然としたが、俺が鼻先でちょんちょんと頬を突くと我に返った。
「おはようございます、フレイヤさま」
ちゃんと挨拶できたな、偉い偉い。
ティオはフレイヤ王女に歩み寄って言った。
「どうか僕……私の事は気軽にティオとお呼びください」
「よろしいのですか? でしたら私もフレイヤと呼び捨てに」
「いいえ! 高貴なエスペランサの姫を呼び捨てなんて、恐れ多い!」
ぶんぶんと首を横に振るティオ。
ここは断って正解だ。エスペランサの貴族と思われる他の生徒の目があるからな。
幸い、フレイヤは呼び名の話題にこだわらなかった。
彼女は教室に入ってからこちら、ずっと俺をガン見している。
「そうですか。ところでその白い子犬は……?」
「連れてきてはまずかったでしょうか。私から離れないもので」
「いえ、全く問題ありません!」
フレイヤは大声で言った。
お姫様が断言したので、教室に入りかけた先生や、他の生徒が「ペット持ち込み禁止とは言えないな」という顔になっている。
「その子をずっと探していたのです。後で是非、触らせて下さい」
彼女がそう言った後、他の生徒が何人か遠慮がちに手を上げた。
「あのー、私も」
「撫でさせてもらっていいですか?」
お前ら、どれだけモフモフに飢えてるんだよっ?!
フレイヤが席に座ったので、ティオは少し間を開けて、彼女の隣に座った。周囲の男子どもが嫉妬の視線を焼き殺さんばかりに送っている。
王女らしく周りの気配に無頓着なフレイヤは、ティオに親しげに話し掛けた。
「ティオ、あなたの騎士は今日は来ていないのですか?」
「え?」
「セイル・クレールさまです」
俺とティオは同時に「ぎくっ」と硬直した。
「セ、セイルは風邪で寝込んでて」
「まあ!」
ティオの苦しい言い訳を真に受けたのか、フレイヤは心配そうな顔をした。
「大変ですね……私、お見舞いに伺ってもよろしいですか?」
「ええっ?!」
フレイヤの提案に、ティオの声が裏返る。
鞄の中で俺は冷や汗をダラダラ流した。
「王女にご足労頂くのは……」
ティオは割りとまともな断り文句をひねり出す。
侍女のミカの教育が活きている。
「セイル殿には以前、助けて頂いたので、お礼を申し上げたいのです」
「姫に病が移ってはいけませんし」
「ラティオ王子」
フレイヤ王女の笑顔が怖い。
彼女はいきなり戦姫モードに入った。
ティオは威圧感に無意識に反応して姿勢を正す。
「何か私が伺うとまずいことでも?」
「いいえ!」
「では本日の夕方に伺います」
退路を封じられて、ティオは二つ返事で了承するしかない。
泣きそうな顔でティオは、教室の外に控えている近衛騎士のロキに目で合図を送った。主の合図を受けたロキは軽く頭を下げると、その場を離れる。俺の不在を誤魔化すための偽装工作をしに行くのだろう……。
それにしても何でフレイヤ王女は、俺の顔なんて見たがるのかなあ。
ちなみに休み時間、普通の白い犬を演じた俺は、生徒たちに遠慮なく撫で回された。フレイヤ王女は物問いたげな様子だったが、人前でしゃべる訳にはいかず、俺は黙秘を貫いた。
授業が終わった後、俺たちは急いで領事館に帰った。
王女が来るまでに偽装工作を完了しなければならない。
「……とりあえずフェンリルくんの偽物を用意した」
ロキが偽物を紹介する。
背格好は人間の時の俺と似ているが、金髪で顔にはいっぱいソバカスが散っている。その辺にいる田舎の子供みたいな雰囲気だ。
「近くの雑貨屋の息子のマックくんだ」
「よろしくっす!」
「……」
不安しかない。
「病気を移さないためと理由を付けて、ベッドをカーテンで隠そう。そうすれば顔が見えないからバレないだろう」
マックくんにベッドに入ってもらい、敷居を作ってカーテンを引いた。カーテンの外側では少年の影だけが見える状態だ。ロキが用意した台詞の
そしていよいよフレイヤ王女がやってくる。
学校では軍服のようなデザインの堅苦しい服を着ていた彼女だが、自宅で着替えたのか淡い空色のワンピース姿だった。きっちり結い上げた金髪を下ろして、おしとやかな印象だ。
「お見舞いに、タバッキエラという果物を持ってきました」
フレイヤの侍女が、控えていたミカに果物の入った
平べったい小ぶりの白桃がいくつか入っていた。
美味しそうだ。
「ゼフィ、ばたばたしないで……ありがとうございます、フレイヤさま」
ティオがひきつった表情で礼を言う。
ちょっとくらい良いだろー、果物の香りがする、くんくん。
手土産を渡した後、フレイヤ王女は、カーテン越しに偽物の俺と対面した。
「セイルさま、お加減はいかがですか?」
「王女さま、ありがとうっす……ありがとうございます」
マックくんがつき焼き刃の敬語でたどたどしく返事をする。
語尾が駄目過ぎる!
「気のせいでしょうか。声が違うような……」
「セイルは風邪で喉をやられてて!」
慌ててティオがフォローに入った。
フレイヤ王女の目付きが心なしか剣呑になる。
「……あの時は、危ないところを救っていただきありがとうございました。私、お母様から頂いたネックレスを無くしたのは初めてで、動揺していて……」
突然、フレイヤは俺の知らない話を始める。
何の話だ? と一瞬思った。俺はあの時、邪神に味方したアールフェスの攻撃から、彼女を守ってあげたのだ。
なぜ嘘を言うのだろうと疑問に思い、次の瞬間に気付いた。
これは引っ掛けの誘導尋問だ!
「お言葉をたまわり、身にあまる光栄です、姫さま」
マックくん、台本を手に「今度は間違えずに言えた」と安心しているようだ。だがもう遅い。その答えは間違いなのだよ。
「……誰です?」
据わった目をしたフレイヤは、立ち上がってカーテンに歩み寄る。
カーテンを容赦なく引いた。
ポカンとしたマックくんの姿が
「これは偽物ではないですか! 私を
「ひっ」
「本物のセイルさまは、どこにいるのです?!」
あーあ、バレちゃった。
怒ったフレイヤは腰に剣があったら抜きそうな勢いだ。
ティオとロキは青ざめておろおろしている。
どうしよう。俺以外、ピンチなんだが。
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