鬱乃森椿はつながりたくない
天宮暁
1
登校すると、クラスに誰もいなかった。
「ぐ、ま、マジかよ……」
顔から血の気が引き、目の前が真っ暗になった。
胸のあたりが苦しくなり、俺は思わずうずくまる。
「ハッ、はぁっ、はぁっ……」
い、息ができない!
喉を両手で押さえる俺の脳裏に、なぜかこれまでの人生がフラッシュバックする。
まわりからハブられた幼稚園時代。
女子にいじめられた小学校時代。
カースト下位に陥りながらもなんとか目立たずやり過ごした中学校時代。
高校デビューでがんばって、まずまず安定したポジションが取れたこの数ヶ月。
そんな、どこにでもいそうな、たいした面白みもない高校一年男子の生涯だ。
(まさか……走馬灯って奴? や、やばいかも……)
俺、死ぬのか?
こんなわけのわからない状況で?
(なんで俺、いきなり朝の教室で死にかけてんの?)
俺の疑問に答えるように、頭に昨日の出来事が浮かんできた。
昨日、俺のスマホが壊れた。
そのせいで、ゆうべはクラスのグルチャが見られなかった。
未読スルーしてないか。何か重要な情報が流れてないか。俺の噂話が出て、悪口を言われてないか。
不安で不安で、昨日はろくに眠れなかった。
明け方に意識がもうろうとしてきて、ベッドに倒れ込んだのは覚えてる。
次に意識が目覚めたのは、いつもならとっくに起きている時間だった。
スマホが壊れているから、アラームアプリも鳴らなかったのだ。
俺はあわてて制服に着替え、学校に向かって駆け出した。
さいわい、家から学校は徒歩圏内だ。
十五分の全力疾走を経て、俺は一限目の開始直前に教室へと飛び込んだ。
だが、教室には誰もいなかった。
グルチャで、教室移動が流れていたに違いない。
見逃した! 置いて行かれた!
今頃みんなは、俺のことを噂してるだろう。
馬鹿にしているかもしれない。
俺抜きのグルチャを作って、今日からはそっちで俺の悪口を言い合うことになったかもしれない。
想像が悪い方へ悪い方へとふくらんで――
俺は、息ができなくなっていた。
「い、き、が……」
苦しい。
手足がしびれる。
視界がどんどん暗くなる。
教室には誰もいない。
クラスメイトに助けを求めることもできない。
(スマホがあれば……)
友達にメッセージを送れるのに。
なすすべなく俺はその場にうずくまる。
突然、俺の背後でドアが開く音がした。
「
女子の声とともに、俺に駆け寄る小さな足音。
俺の背中に手が置かれ、長い黒髪が俺の視界に垂れてくる。
苦しむ俺は、女子の方を見ることすらできない。
「……過呼吸ね。落ち着いて」
女子の指示は冷静だった。
俺は苦しさに顔をしかめたまま小さくうなずく。
「まずは息を吐いて。ゆっくり……そうよ。酸素は足りてるから、呼吸は浅くていいの。時間が経てば収まるから、あわてないで」
女子が、呼吸に合わせて背中をさすってくれる。
その手の温かさに、俺は落ち着きを取り戻していく。
まだ苦しいが、耐えられるようになった。
俺は、俺のわきにかがみこんだ女子に顔を向ける。
「……っ」
息を呑んだ。
そこにいたのは、日本人形みたいな女子だった。
綺麗に揃えられた長い黒髪。雪のように白い肌。頬や鼻はやわらかくふっくらしているが、全体的には細く整っている。
とんでもない美少女がそこにいた。
それも、今時滅多に見かけないような、純和風の美少女だ。
しかし、大和撫子にありがちな弱々しさは微塵もない。
よく光る黒い瞳が俺をじっと見つめている。俺を観察し、過呼吸が収まったかどうか、見極めようとしている。
そこには、目の前で起きたことに対し、自分で判断し、自分の責任で正しいと思える方法を取ろうというはっきりとした意志があった。
そのことも印象的だったのだが、俺は同時にべつのことにもひっかかっていた。
すなわち、
(こんな女子……いたっけ?)
こんな目立つ女子なんて、学校中を探してもほとんどいないと思う。
いたとしたら、必ず噂になっているはずだ。
男子のグルチャではしょっちゅう女子の人気投票が行われている。
グルチャには匿名アンケートを取るシステムがあるから、誰が誰に投票したかわからない形で人気投票ができるのだ。
その人気投票の中に、目の前の彼女らしき女子が入っていたことはない……と思う。
と思う、といったのは、目の前の彼女の名前がわからなかったからだ。
だが、それはとんでもない異常事態だった。
(クラスメイトの名前がわからないだって?)
そんなことは絶対にありえない。
クラス全員が参加するグルチャがあって、最初にみんなが自己紹介をしている。
俺はその自己紹介を何度となく読み、名前と内容、顔写真を一致させた。
もし一致してなかったら、クラス活動で気まずい思いをするかもしれないからな。
俺に限らず、みんながやってることだと思う。
人の顔を覚えるのがあまり得意じゃない俺は、とくに念入りにやっている。
だから、こんな女子はいなかったと断言できる。
「と、隣のクラスの……女子、か?」
俺はかろうじてそんな可能性を思いつく。
今俺のクラスは移動教室をしているはずだ。
だから、俺のクラスの女子がここに来るはずがない。
隣のクラスの女子が、何かの用事でこっちのクラスに来て、俺の様子に気づいたのだろう。
そう思ったのだが、
「違うわ。それより、話して大丈夫なの? じっとしてなさい」
女子は俺の言葉をひとことで否定した。
目の前の女子は何者なのか。
俺は強い疑問を覚えたが、女子の言うことはその通りだった。
俺はしゃがんだまま、十分近くかけて息を整えた。
謎の女子は、俺の背中をさすりながら、その間ずっと付き添ってくれていた。
途中で、始業を知らせるチャイムが鳴ったにもかかわらず。
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