しんせんぐみ♡義狼伝

KOKUYØ

第零話


 地獄もかくやと思われるほどに四方八方が燃え盛っている。屋敷が崩れ落ちるのも時間の問題だろう。先程まで聞こえていた高笑いは消え去り、今では塀の外からかろうじて怒号のようなものが響いてくるだけだ。


 ――どこだ、どこにいるんだ。


 林信太郎は大和屋の敷地内を駆け回る。


 彼が探している人物はただ一人、新撰組筆頭局長・芹沢鴨せりざわかもその人である。


 連絡を受けて壬生の駐屯ちゅうとんから急行した。その時にはもう屋敷中に火柱が上がっており、周りを平隊士たちが囲んでいた。近づこうとする火消したちを抜き身の刀で威嚇いかくし、


「ここをまかり通ることは許さん!」


 と、叫んでいた。


 だが林が「入る!」と一喝したとき、平隊士たちは何も意見など言えなかった。芹沢に押し付けられたような形でなった調役並監察ちょうやくなみかんさつという役職も、こういう場面では虎の威となる。


 友人の山崎烝やまざきすすむが必至で止めようとしたが、それを振り払って水をかぶって走り出した。


 その水もとうの昔に乾いてしまった。肌がチリチリと熱く、息を吸い込む度に 喉の奥が焼け付くようだ。こんな場所で芹沢さんはいったい何をしているのか――林には分からなかった。


 まさかあの人は死のうとしているのではないだろうか。


 そう思うと気持ちばかりがはやり、広い屋敷の庭を必至で走った。


 やがて特徴的な長い金髪の後ろ姿を発見した。芹沢だ。まるで燃え盛る屋敷と心中するように庭の隅で膝を抱えて座り込んでいる。俯いたその表情はまったく伺えない。


「芹沢局長!」


 林が叫ぶと、芹沢は気だるそうにゆっくりと顔をあげた。


「あら、林さん……」


 その手には大きな貧乏徳利びんぼうとっくりが握られていた。


 まだ少し距離があるというのに酒臭い。間違いなく酔っている。


「芹沢局長、早く出ましょう。このままじゃ焼け死んじゃいます」


 おほほ、とどこかわざとらしく笑って、芹沢はぐいっと酒を呑んだ。


「林さんったら、局長だなんて他人行儀な言い方はやめてくださいまし。カモちゃんと呼んでくださいまし」


「ふざけてる場合ですか!」


 はやく行きますよ、と芹沢の華奢な腕を林が掴んだ。しかしどこにそんな力があるのか、芹沢はぴくりとも動かない。


「カモちゃん。そう呼んでくださるまでテコでも動きませんわ。おっほっほ」


 力ない笑いが虚しくこだました。


「分かりましたから! カモちゃん! これで良いんでしょ!」


「よろしくってよ。それにしても熱いわねえ、林さん」


「当たり前じゃないですか! 焼き討ちしたのは誰ですか!」


「さあ、誰だったかしら」


 芹沢は虚空を見つめるように屋敷を見つめた。宝石のように綺麗な青い瞳に、ゆらゆらと揺れる炎の光彩が映り込む。


 芹沢の目は据わっていた。いつもそうだ。酒さえ飲まなければ誰にでも優しくて、ユーモアのセンスもあって、押しも押されもせぬ美女だというのに。一度酒が入れば酒乱という言葉がこれほど似合う女性もいない。


 今回の焼き討ちだって正当な理由は確かにあるかもしれない。大和屋は京都の町中から嫌われていた豪家だ。米の値上がりを裏で操りカルテルまがいの事をしていた。だがそうだとしても芹沢の今回の奇行はまるっきりの思いつきである。


 押し借りを断られ、腹の虫が収まらなかったから屋敷に火を付けたのだ。


「ああ……綺麗ね。ねえ林さん。貴方もここに座って一緒に風流しない?」


「なにが風流なもんですか」


 行きますよ、と林は今度こそ芹沢を立ち上がらせた。芹沢はその場でよろけて、林の肩に抱きつくように腕を回した。


「あるけませんわ……」


「わがまま言わないで!」


「ねえ、林さん……」


「なんですか!」


 芹沢は殆んどの体重を林に預けている。こうなったらもう背負ったほうが楽だと林は体制を変えて芹沢を背中で担いだ。むにゅり、と豊満な胸が背中に当たるがそんな事を気にしている余裕もない。


「ねえ林さん……」


「だからなんですって!」


 耳元で芹沢のしおらしい声が囁きかけてくる。


「このまま一緒に死んでくださる?」


 林はその質問を聞こえないふりをしてやり過ごした。


「ねえ? 林さん」


 芹沢は哀願するようにもう一度林の名を呼んだ。


「局長」と、林は強い口調で言う。「貴女がそんな事を言ってどうするんですか。貴女がいなければ誰が新撰組を率いていくんですか」


 それが答えだとばかりに、林は歩みを早めた。


 芹沢はもう何も答えなかった。と、思ったら酔いつぶれて寝たようだ。すやすやと寝息が聞こえてきた。だがその小さな寝息も屋敷が爆ぜるパチパチという音にかき消される。


 火の勢いは強さを増していた。もう屋敷の門すら火だるまになっている。

 こんな場所で死ぬなんてまっぴらだ。


 林は獣のように吠えながら、業火の中に突っ込んでいった――。


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