幕間
軽井沢かがりは成し遂げる
既に夜も半ばになっていた。片付けの後、私も巻き込んで行われた突発の二次会。すっかり場の状況はグダグダになっていた。例の店、その二階にある畳の広間は。空き瓶に空き缶、おつまみの余りが散乱していた。
「かがりさん! もう一回乾杯しよか!」
「アンタ! もうやめてあげなさいよ!」
「なーに言ってんだカカア! 平がめでてえってのに、俺達が祝わねえでどうすんだ!」
大将と女将さんが、顔を真っ赤にして漫才を繰り広げる。私を挟んでのやり取りだが、苦にならない。ただ一個の情報を、待ちわびているからだ。
「これが決まれば、お嬢様は当面無事になるはずだ」
口の中で、独り言を吐く。私とて、食事目当てで宴会に切り替えた訳ではないのだ。むしろお嬢様の自然な表情を、たっぷりと盗撮した。犯罪? 知るか、私には必勝の策略があったのだ。
今回盗み撮りしたお嬢様の画像を、事前に
「お主には迷惑をかける事になる。済まない」
「構いませんよ。直接は止められませんし」
少し前のやり取りを思い出す。あの丸坊主の男は、実直かつ厳しい。だが。主君を第一に置いて考える者でもある。そんな彼なら、どこかで折り合いを付けてくれる。私はそう信じたのだ。
ピピッ。
短い着信音。メールの通知。慣れた操作なら、画面を見ずとも可能。指は素早く、滑らかに動いて。
「やはり」
また口の中でつぶやいた。
「翼様は澄子様のお屋敷へ向かうとのこと。お急ぎ故、短文失敬」
短い癖にやたら丁寧な文面は、間違いなく丸坊主のものだ。事実なら、急を要する。だが、私は動かないと決めていた。そのために、半ばわざとらしい真似までしたのだ。
なぜなら、自分はこれから。間違いなく失恋する。
あの二人がどういう結論を出すにせよ。今までの関係よりは、確実に進展する。私はそれを、誰よりも確信していた。それぐらい、お嬢様は変化したのだ。
「かがり! なんで松本さんまで不用意に連れて来たのよ!」
廃屋での出来事。彼に見られたことを知った、お嬢様の怒り。今まで、静かにさとされことはあった。しかし狂乱し、物に当たるような怒りを示されたのは。全く初めてだった。
「あああああ! もう! あんな姿を晒したら! もう!」
長い髪を振り乱し、美しいお顔を歪めて悶え苦しむ。常の私だったら、劣情を催していただろう。だが、この時ばかりは関係なかった。お嬢様を守る方に、意識を集中させていた。その結果。
「下手に義務感を匂わせるようなような付き合い方をしたら。お嬢様を泣かせるような真似をしたら。その時は全てを断ち切る」
私は松本平助を暗中にて襲い、後に脅した。例え金の出処を維持するためにせよ、義務感の為に関わるにせよ。それを表に出すなと言った。無論、応急処置だ。しかし、ひとまず事は収まった。
もしも彼が。お嬢様をおぞましいだの、怖いだのと言っていたら? その時はどうしていただろうか。殺していたかもしれない。ただし、自分も死ぬ覚悟でだ。お嬢様なくして、この身は生きられない。勝手に動くとは、そういうことだ。
ともかく。あの時はそれでよかった。後は時の流れ次第だと。新月になれば、覚醒が起こる。他人の私が動くより、一心同体であるサキュバスの方が上手だろうと。
しかし、計画は崩壊した。全ての発端は、伊那村翼からお嬢様へかかって来た電話。それが思惑を秘めていたのは、電話を切った時の。お嬢様のお顔からも察せられたのに。
彼がお嬢様に、少なからぬ想いを抱いている。かねてから、分かっていたのに。
お嬢様の判断力も、一連の事態で鈍っていたのだろう。その後起きたS・Cにおける事件は、想定の外にして最悪と言えた。
ご帰宅されたお嬢様が、私の顔を見るなり飛びついて。その時の柔らかい感触やほのかな香り、涙の冷たさは。どうあがこうと忘れられない。
「……ぐひょっ」
おっと、思わず声に出てしまった。いや。アレほど間近で、お嬢様の全てを感じたのは。実に久方ぶりだったのだ。故に声に出ても関係ない。
「どーしたかがりさん。酔っちまったかい?」
大将が気安く肩を叩いて来る。普段だったら、睨みの一つでもくれてやるところだ。しかし、今回はスルーだ。泥酔で変態が隠せるのなら、それで十分だ。
「そうですね。少し、外の風に当たって来ます」
いずれにせよ、そろそろ次の連絡が来てもいい。ならば、場を離れてしまおう。
「体を冷やさないようにねえ?」
女将さんの声を背にしつつ、私は店の裏口から抜け出して。寒風をまともに浴びる。
「寒い」
声を漏らしつつ、私の思考は再び過去へと遡る。近く、深く。
抱き着いてきたお嬢様が、ひとしきり泣き切って。全てのあらましを語った直後。家を飛び出さんとした私は、動き出す前に止められた。
「かがり、これは私の責任です。貴女が彼を消すのは、間違っています」
お嬢様の説得は確かに正しい。しかし、正しいだけだった。怒れる私に理詰めを説いても。なにも変わらない。
「間違い。そうですね。しかし彼を消さねば、秘密を保てない恐れがあります。なにより。貴女を泣かせた、彼が憎いのです。彼を殺して、私は消えます」
私はこの時、ほとんど初めてお嬢様に反発した。お嬢様は、しばし口を噤んだ後。
「承知しました。ならば。私が寝ずに、貴女を見張ります。彼には死んで欲しくありません。貴女に消えられるのも、お断りです。私は、貴女も好きですから」
好き。同じ言葉でも恐らく、彼と私でその意味は違う。だけど。
「……かしこまりました」
お嬢様は、ズルい。そんなことを言われたら、私は止まるしかない。だけど。脅しは必要で。
故に、新月の翌朝。ほとんど本気で、
正直に言う。あの枕がなければ、私は彼を殺し得た。ともかく脅しは成功し、私はお嬢様に追い出され。その後、伊那村翼から連絡が来た。
お嬢様が回答を保留にしていた、同居の依頼。奴はそれを、「監視役」という形で強行しようとしたのだ。慌ててお嬢様を呼び戻し、言葉だけは受け取った。しかしこのままでは。
「お祖母様に抗議しても、きっと取り合ってくれません。一応抗議はしますが、それよりも本人の心を折るべきでしょう」
「どうするのです?」
「あの人に。松本さんに助けを求めます。私が選んだ人。私に向き合ってくれる人。……私が今。『最もつがいになりたい』人」
最後の言葉が突き刺さる。お嬢様も、すぐには本人に言わないだろう。だが、お嬢様の気持ちは。確実に。
「私と彼の心が通じ合うのなら、きっと翼くんも一度は引くでしょう。これは賭けです」
お嬢様が言い切る。しかしその策は、酷く危ういものだった。良心に頼っていた。ならば。
敢えて挑発する。
それが、あの瞬間の結論だった。どういう訳かパーティー会場にされてしまった店内。しかし最後のピースが、カチリとハマった。
恐らく奴は、強引にでも松本平助に手を引かせようとするだろう。それを乗り切り、お嬢様が意志を示せば。
そう考えた時、再び通知が鳴った。
「翼様を一度引かせます。お手数をお掛けしました」
そう書かれた画面を見た瞬間、私の指は動く。
「こちらこそ。感謝します」
ほんの数文字。短い文面。それでいい。恐らく今後も、奴は立ちはだかるだろうから。
ともあれ。今は、成し遂げたことだけを。小さく喜ぼう。
「……よし!」
小さく一声を上げ、私は店へと戻っていく。店も、自分の気持ちも。少しでも片付けておくために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます