第二十二話 平助、手を伸ばす

 サッと部屋を片付けて。軽く鍋の残りを食べて。それからようやく、洗濯物に取り掛かり。


「お布団、干してもいいですよ」

「承知しました」

 ボロアパートの狭いベランダ。そのフェンスに、ガムテーブで応急処置をした布団を引っ掛ける。ただでさえ薄い布団が、また薄くなってしまった。

 しかし春先の、徐々に温かさを増した日の光は。そんな事とは関係なく、ギラギラと布団に降り注ぐ。母さん、日当たりは気にしてたもんなあ。


「なんか申し訳ありません。片付けに洗濯に、色々やってもらっちゃって」

 僕は思いっ切り深く、頭を下げる。本当は、こんなにやってもらうつもりはなかった。ちなみに。腰は軽くマッサージしてもらったら、少し落ち着いた。助かる。


「構いませんよ。お嫁さんには、この手の作業は定番ですし」

「本当に、夢なんですね。『いいお嫁さん』」

 ですよ? なんて、佐久場さんは目を細めて返すけど。きっと彼女の夢は。家庭環境が生み出したのだろう。つがいにも、性の扱いにも厳しい環境で。彼女なりに、自分の未来を夢見たのだろう。


「私の家族、女系なんです。母さんは家を嫌って飛び出して、お祖母様に育てられて。お金と身分だけは凄い事になっていたので、色々と厳しかったんですよ」

 佐久場さんは、更に告白する。淡々とした中に、苦笑いが混じっていた。


「あはは。こんな話されても、困りますよね。今日はどうかしてるみたいです」

 打ち消すように、彼女はそう言って。話を打ち切ろうとしたけど。

「あの」

 自分から彼女に手を伸ばして、僕は口を開いた。なにが突き動かしたのかは分からない。でも、そうしないといけない気がした。


「先程。貴女は『僕と相性がいい』。そう言いましたね」

「ええ。サキュバスはだいたい、啜った相手の記憶を奪って行きます。しかし相性が良い場合。記憶操作が上手く掛からないのです」

 佐久場さんから、冷静な解説が帰ってくる。さっき思った、僕の考え。そこに、心はあるのか。聞いてみたい。僕は、言葉を振り絞って。


「あの。多分、ですけど。相性の良さってのは、身体のことですよね?」

途切れがちな言葉が、口から溢れる。佐久場さんは、小さく頷いた。それを受けて、もう一つ。


「その。佐久場さんの、心は。あった、のでしょうか?」

 質問。ダメだ。言葉が途切れがちだ。精一杯の言葉を出したのに、全然ハッキリしていない。でも、僕は。気になったんだ。


 佐久場さんは、すぐには答えなかった。無言で作業を終え、部屋に戻る。ちゃぶ台に座って。呼吸を一つして。それから。

「正直に言いましょう。多分、最初は。性処理感覚だったと思います」

「なるほど」

 ようやく、口を開いた。僕はうなずく。その先が、知りたい。


「でも。転校した日の時点で、わかったのです。こう、身体だけじゃないなにかが。強く反応していたんだって」

 彼女は、そこで言葉を切った。そうだ。僕だって。唐突に童貞ハジメテを奪われて。よく分からない経緯で性的処理をすることになって。

 だけど当の本人は真面目で。美しくて。今の自分を越えようとしていて。どういういきさつであれ、夢に向かっていて。


 だからこそ。僕は。廃屋での姿を見てしまってもなお。縁切りだけは否定したのだろう。佐久場さんの助けに、なりたかったのだろう。

 だからこそ。S・Cでの一件が心に突き刺さったのだろう。絶望し、引きこもろうとしたのだろう。ああ。ようやく、整理がついた。


「私は、翼くんを受け入れることができそうにありません。それが例え、お祖母様からの命令であっても」

 佐久場さんは、姿勢を正していた。姿そのものが。彼女の語る、言葉の重要性を示していた。


「なぜなら。私は貴方と出会ってしまった。今まで、場に流されて生きて来ました。先日も襲われて。防衛本能から逆に襲ってしまいました」

 ああ、なるほど。防衛本能だったのか。ならば、僕もそうだ。今なら分かる。あの日、僕は。佐久場さんの乱れる姿を、受け止められなかったのだ。

 受け止められないまま、童貞泥棒のことを思い出して。認められずに。逃げ出したのだ。


「貴方に逃げられて。でも、かがりが話をしてくれて。それに甘えて、自分からはなにもせず。無責任に翼くんと話を持とうとして。貴方からの話を。その前後どちらかに据えようとして」

 気がつけば、佐久場さんは目から涙を流していた。サファイアの瞳から、水が溢れていた。


「こんなっ、わたしがっ。まだ、貴方と繋がっていたいっ。なんてっ。おかしいっ、ですよねっ?」

 しゃくるように、泣きながら。佐久場さんは言う。その言葉は、僕のそれよりも。遥かにたどたどしくて。分かりにくくて。でも、心がこもっていた。


 どうする。確かに、佐久場さんとは離れたくない。だから。答えてしまえばよい。それで、全てが終わるのに。言葉が出てこなかった。なぜ。


 考える。なぜだ。彼女がここまで言ってくれたのに、なぜ受け止めようとしない。必死に考えて。気付けば僕も、頬になにかが伝っていて。


 無言のまま、姿勢を正す。そうだ。僕も、全てを伝えなくちゃならない。佐久場さんや、サキュバスだけに話をさせておいて。自分だけが、なにも話さずに済ませようなんて。あっちゃいけない。


「佐久場さん、落ち着いて下さい」

 優しく声を掛ける。そして、手を伸ばした。僕から佐久場さんに手を伸ばしたのは。さっきの問いかけが始めてだったか。僕も泣いているのに、彼女の涙を止めたくて。雫を、指ですくう。


「あっ」

「構いません。僕も、全てをお話したいのです」

 タオルを取って自分の涙を拭き、もう一枚を佐久場さんに渡した。互いのグシュグシュする音を聞き合った後。僕は、改めて口を開いた。


 僕の打ち明け話は、長いものになった。なぜなら、全てを話したからだ。一人暮らしのこと。出会った時のこと。転校してきた日のこと。四人飯のこと。サキュバスとのこと。廃屋の事件のこと。翼くんと出会った時のこと。S・Cでのこと。


 その時々に、なにを感じたのか。なにを思ったのか。結論は、どうだったのか。思い出せる限りの全てを。伝えていった。僕にとって、必要だったからだ。


 その間。佐久場さんは。頷いて。相槌を挟んで。長い話だったのに。飽きた素振りも見せずに、聞き続けてくれて。



 そうして、全てを話し終えた頃。時計は夕方四時を指していた。

「あちゃ。長々と話して、申し訳ありません。いま飲み物を用意します」

 あまりにも長い時間を取らせてしまったことを反省しつつ、僕は席を立とうとする。だけど。


「待って下さい」

 凛とした声が、僕を撃ち抜く。背中越しに、振り向く僕。その眼差しは、鋭く僕を見ていて。

「話は、確かにお聞きしました。松本さんのお気持ちも、よく分かりました。ですが。私の問いに、答えてませんよね?」

 青い瞳が、光る。そうだった。僕は、佐久場さんに問われていた。「まだ貴方と繋がっていたい」と。でも、答えなんて。一つしかなかった。


「その答えは、一つ。です」

 まず。心を込めてそれを告げ。

「僕も、貴女と……」

 その時。部屋に着信音が響いた。僕の音ではない。とすれば。


「もしもし、私。どうしたの?」

「どうしたの? じゃあありませんよ!」

 やはり、佐久場さんのスマートフォンだった。それも、僕より二世代ほど新しい奴だ。後、かがりさん。声が大きすぎます。


「遅すぎるって、ようやく話が佳境なのに……。え、翼くんが? ああ、もう。分かったわ。今から帰るから。じゃ、切るわね!」

 佐久場さんは珍しく乱暴にスマートフォンを切り、僕に向き直る。

「ごめんなさい。最後まで答えを、聞きたかったのですけど。でも、なんとなく分かりました」

 佐久場さんは笑顔だった。きっと、想いが伝わった。そう信じたい。


「ありがとうございました」

 互いに礼を言い合って、佐久場さんは自宅へと帰っていく。この時、僕達はまだ。迫る暗雲に、気付いてさえもいなかった。

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