第十八話 平助、迷走する
街頭に照らされた、僅かな明るさのもとで。かがりさんは僕に問う。それはもはや、尋問だった。
「なぜ動転した」
「あまりに恐ろしい姿だったので」
彼女は僕に顔を近づけ、威圧してくる。心臓が、ばくんばくんとうるさい。今日は厄日か。違う。僕が、選択を間違えた。その報いだ。
「貴様は何度かあの姿を見ているだろう」
「それでもです。改めて外から見た時、僕は」
そこで言葉を切った。違う、言えなかった。「怖かった」。「おぞましかった」。浮かんだものはいくつもあるけど。それを言ってしまえば。
「僕は? 言え。今なら私の胸の内に秘めておく」
「言えません」
更なる威圧。しかし突っぱねる。たった一言なのに、なぜか引っかかる。
「言え!」
かがりさんの声が、絶叫じみてくる。だけど。全身に力を入れて。
「言いません!」
言い返す。引っかかる以上は、絶対に言わない。目に力を込め、歯を食いしばった。冬なのに、体が熱い。
にらみ合いは、しばらく続いた。しかし唐突に。かがりさんが間合いをとった。
「お嬢様を起こす訳にはいかない。また別の機会に」
僕に背を向けながら、彼女はそう言った。無論、その表情はわからない。
「はい。その。ひとつだけ。」
僕は、少しだけ考えて。その背中に呼びかける。
「なんだ。言え」
かがりさんの声は、低いままだ。仕方ない。けど。
「それでも僕は、佐久場さんとの縁を。切りたくないんです」
ワガママだけは伝えたかった。確かにあの時、僕は怖かった。今まで見て来たはずの姿が、別のものに見えた。思い出して、怖くなって。逃げ出した。
ここまでのやりとりは。全てが僕のワガママだ。縁が切れるのだけは。違う気がするんだ。
僕の放った言葉の後。場は長いこと静かになった。一分が、十分にも思える静けさ。その果てに場を動かしたのは、またしてもかがりさんだった。
「その言葉が聞けただけで良しとする。ただし」
そこで彼女は言葉を切る。次の言葉を、よく聞け。そんな声なき声が、聞こえて。
「下手に義務感を匂わせるようなような付き合い方をしたら。お嬢様を泣かせるような真似をしたら。その時は全てを断ち切る」
次の瞬間。彼女が、顔だけをわずかに。こちらへ向けた。夜の闇を切り裂く、鋭い刃のような視線。そこには確かに。殺意があった。
「…………はい」
僕はその言葉に、即答できなかった。残せたのは小さな返事だけで。その間に、メイドさんは消えていた。僕の身体に流れる冷汗だけが、彼女の存在を証明していた。
そうしてどこかぎくしゃくとしたまま、半月が過ぎて。僕は未だにモヤモヤしていて。それでも、義務感と嘘だけはひた隠し続けていた。
机の上で、一人カレーパンを食べる僕。何回か続けていたはずの四人飯だったのに、いつの間にかその機会はなくなっていた。佐久場さんは昼休みになるとどこかへ消えるし、雅紀もいない。もっとも、雅紀についてはだいたい想像がつくのだが。
周りの生徒達のガヤガヤした話し声が、嫌に響く。うるさい。だけど場を離れた所で、なにがあるというのか。ぼっち飯は苦じゃないし、誰かに咎められる理由もない。
僕は席を立ち、トイレに向かう。誰もこちらは気にしない。そりゃそうだ。僕はずっと不器用だった。一人に慣れ過ぎていた。佐久場さんが来てからがおかしくて。また元に、戻っただけだ。
用を足して、クラスに戻る。それだけの行為に、何分も使うことはない。ただ、この日だけは違った。僕と、ほぼ同時に。弁当箱を持って、女子トイレから出て来る彼女を。見てしまったのだ。
一瞬の空白。直後。佐久場さんはロケットスタートで、背中の三つ編みを揺らして遠ざかって。僕はそれを、追い掛けて。人通りの少ない階段に差し掛かり。
「あっ」
「いっ」
どちらが先に転んだのか分からないけど。とにかくつまづいて。気が付けば、僕が佐久場さんの下敷きになっていた。
互いに目を合わせたままの、硬直。人が見たら、「組み伏せている」とでも思われるのだろうか。
「い、今下りますから」
佐久場さんが慌てて言う。顔は真っ赤で、そこに真紅の瞳は欠片もなかった。呼吸は荒く、上気している。
「ちょっと待って」
僕は引き止めていた。自分でも分からない。あの日の姿と、ただ比べておきたかっただけかもしれない。顔から身体から、舐め回すように。ひたすらに見つめていた。エロい。だが、今はそうじゃなくて。
「な、なにを」
佐久場さんが、身をよじる。その姿は、どことなく。聖像にも見えた。だとしたら僕は、許されざる罪人だけど。
そのまま一分は見つめていただろうか。予鈴の音で、僕達は我に返って。だけど一度も、あの日の光景は見えなかった。
「失礼しました」
ようやく佐久場さんに下りてもらって、僕は謝罪する。しかし、全てを語るには時間がない。だから、提案をすることにした。
「僕には。貴女に謝りたいことが、他にもあります。またあのS・Cで。話し合えませんか?」
果たして、提案の答えはイエスだった。ただし、佐久場さんの案内無しでたどり着くことが条件だったけど。まさかサキュバスの案内がないとたどり着けない場所なんてことはないだろう……って。
「あるのかよ」
そのまさか、ありました。前回あったはずの場所に、S・Cがないんです。階段は残ってるし、不自然な行き止まりもあったのに。ドアだけがなかったんです。
イージーミッションがウルトラハードミッションに跳ね上がったんですけど。どうしてくれるんですか、これ。
途方に暮れる僕。日も暮れていく。カラスが遠くで鳴いている。いやいや、どうしろってんですか。サキュバス見付けないといけないの? それなんて無理ゲ?
「あら? この間のお兄さん。奇遇じゃなーい」
いつぞや聞いた声が、僕の背中を叩いた。いやいや。世の中に偶然はそんなにないはず。多分きっと、声の似た別人……。
赤みがかった黒のショートヘアー。腿のあたりまでスカートを折り畳んだ、セーラー服の上下。白の靴下に黒のローファー。
本人だ。どう見ても本人だよこれ。ちょっと待て、どういうこと? なんでこの子、もとい翼ちゃんがここに?
「お兄さんもここに用? ダメだよ。招待か案内がないと、S・Cにはたどり着けないよ」
やはりか。翼ちゃんの問いかけが、僕に確信を与えた。いや、待て。
「なぜS・Cを探してると分かった?」
「だって、ここで戸惑う人は大抵そうだし? そもそもS・Cってアレよ? サキュバス・コンクリーブ。『サキュバスの集会場』って意味だよ?」
翼先生、追撃はやめてください。なんでそんな事実を知ってるんですか。まさか……。
「そこまで知ってるって。君も、サキュバス」
「ご想像に任せるけど? まあボクはここに呼ばれて来てるから、S・Cのシステム上お兄さんも排除されないよ? 先に入っちゃえばー?」
サキュバス疑惑の少女に促され、僕はもう一度薄暗い階段を下りることにした。先の事件も踏まえ、一歩一歩慎重に下りていく。すると、あった。木造りのドア。掛けられた看板。あの日見た姿が、そのままに。僕は恐る恐る、ドアを開けた。
「いらっしゃいませ。澄子様から、お話は伺っております」
ドアの先に見えたのは。あの日と変わらない、礼儀正しいマスターの姿。僕はホッとした。ただし、話を聞いていたということは。アレだよね。グル。
「澄子様は先日と同じ席にてお待ちでございます」
マスターに促され、僕はゆっくりと歩く。怒りは覚えるが、指示をしたのは佐久場さんだ。僕は佐久場さんに聞けばいいし、当人は目の前だ。胸を張れ。一歩も引くな。
「予想通り、幸運に恵まれたようですね」
「恵まれなかったらどうするつもりだったので?」
僕達の会話は、今までになかったやり取りから始まった。
「他の機会を探したと思います」
嘘だ。僕は直感した。なんらかの確信があって、佐久場さんは無茶振りをしたのだ。
「僕の謝罪を、受けたくないので?」
一歩踏み込む。佐久場さんの意図が、全く読めない。
「いいえ。実は先客がございました。既にここで会うことが決していて。貴方が、運さえあれば。その前後どちらかで、私と会談を持てる。そういう賭けをしたのです」
先客。なるほど。全てが繋がった。僕があの日、翼ちゃんと顔を合わせたのは偶然としても。佐久場さんが、翼ちゃんをここに呼びつけたのは事実で。その事実から思い浮かべられるのは。
「先日は逃げ出して申し訳ありませんでした。帰ります」
「えっ」
佐久場さんが、驚いた顔をする。関係ない。どうせ芝居だ。僕は用済みで、翼ちゃんと契約の相談をするのだろう。
「頂いたお金はかがりさんとお話して、何年かけてでも返します。それでは」
「ちょっと、ま……」
佐久場さんの言葉を聞かず、僕は早足でS・Cを出て行った。マスターも驚いただろう。だけど、もう関係ない。
「ありゃ? もう出て来たのお兄さん」
「ええ。どうぞ」
外で待機していた翼ちゃんの言葉も、半分聞き流した。翼ちゃんが見えなくなってから、僕は走り出した。一度も振り返らずに走り続け、そのまま自室に飛び込んだ。
この日。僕は泣いて一夜を明かした。
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