第十三話 平助、夕食を交わす

 隣のボロアパートとは一線を画す、綺麗で広い二階建ての一軒家。そこに、佐久場さんは住んでいる。

 現在時刻、午後五時三十分過ぎ。かがりさんは、午後八時頃からがヤマだと言っていたけど。ともかく、招待されたことそのものは嬉しいのだ。付いてくる条件がメチャクチャしんどいだけで。


「ふう」

 一息吐いて、ゆっくりと呼び鈴を押す。やはり気が重い。

「はい、どちら様ですか?」

 インターホンから声。どうやら、侵入者対策は十分なようだ。そりゃセキュリティは大事だもんなあ。


「松本です。遅くなりました。申し訳ない」

 謝罪の意志を伝えつつ、声に応える。すると、タタタタタと駆けて来る音がした。


 ガチャリ。ドアが開けば、そこにはリブ生地のセーターと長めのスカート、白のエプロンに身を包んだ佐久場さんがいた。頭に三角巾をしているところを見ると、なんらかの作業中だったのだろうか。ともあれ、元気そうでなによりだった。


「よかった。もしかしたら、来てくださらないのかと」

「それだけはしませんよ」

 たとえ今夜死のうとも。その言葉だけは口の中で紡いで。玄関先で靴を脱ぎ、中に入る。すっかり常連になってしまったから、家の構造はだいたい把握していた。


「今、夕食を作ってまして」

 佐久場さんが先を行きながら現状を告げる。なるほど。三角巾の下がまとめ髪なのは、そういうことか。そういえば、米の香りが漂って来ている。こうなると人というのは現金なもので、とたんに空腹感がこみ上げてきた。しかし。


「とはいえ、もう少し時間がかかります。いつもの客間で、お待ちくださいませ」

 彼女はこちらを振り向くと、ニッコリとおあずけを告げた。ぐぬぬ、残念。



 もう何度も行為の後に放り込まれた部屋。そこの扉を、僕は静かに開けた。ある物はベッドと小さいテレビ。そしてちゃぶ台。決して広い部屋ではない。アパートにある自室の居間。それそのままぐらいの広さである。

 しかし僕は、妙にこの部屋を気に入っていた。住みたいとは言わないまでも、何故か落ち着くのだ。余計な家具もなく、勉学にも集中できる。テレビにのみ、意識を向けることもできる。


 荷物を適当に起き、ベッドに転がる。ホコリ一つない天井が見えた。僕の部屋ではこうもいかない。いくら払っても、蜘蛛の巣が沸いて出る。かがりさんの掃除、その素晴らしさがよく分かる光景である。


「あの人も属性モリモリだよなあ……。婚期は逃しそうだけど」

 馬鹿な発言が口から出る。こうして思考を回していないと、腹の虫が鳴り響きそうなのだ。ほら。こうやって。


 グゥウウウウ……。


 余韻たっぷりの腹の虫が、僕基準では十分な部屋に鳴り響く。これはもう、限界かな。そう思った瞬間だった、ドアがノックされて。

「お待たせしました。夕食ができましたので、リビングにどうぞ」

 幾度となく僕を撃ち殺したその声が、また僕を撃ち殺した。


 通された広いリビングの、これまた広いテーブル。そこに乗せられた夕食は、二人でも食べ切れるか分からないほどの量だった。


 鉄板の上でジュウジュウと音を立てる分厚いステーキ。そこに付け合わされたカキフライに野菜のソテー。

 具だくさんかつ赤・黄・緑と彩りにも優れたシーザーサラダ。

 静かに佇む色の澄んだコーンスープ。

 そして炊きたてかつ大盛りの白米。


「少々作り過ぎてしまったかもしれません……」

 テーブルの向こうで、佐久場さんはうつむいていた。確かに僕がここへ呼び出された時。だいたい翌日の朝食は、佐久場さんのお手製だった。いつもの食事がギリギリなこともあり、その時は結構ガッツリ食べていた。

 実際アレコレの後はお腹が空くし。その結果、最近体重を測ったら一キロ増えていた。

 でも、佐久場さんは悪くない。誰も悪くない。僕の節制は僕自身の問題で、佐久場さんが作り過ぎてしまうのは佐久場さんの問題だ。だから。


「いえ。このくらいなら十分いけます」

 僕は笑顔で言葉を返す。僕のお腹が、多少苦しくなるだけだから。わざとステーキを大きく切って、ガッツリいけますアピール。そこから大きく口を開け、肉塊にかぶりついて。


 がぶり。もぐもぐ。もぐもぐ……。

 うわ、美味しい。噛めば噛むほど肉汁が溢れて、それがソースと絡むと、また別の味になる。やっぱり佐久場さん、料理の腕が凄いや。これは食べる手が止まらなくなりそうだ。

 そのままサラダにも手を伸ばす。これも新鮮でシャキシャキしていた。普段なかなか摂れないビタミンが、身体の中に満ちていく。そんな錯覚すら覚えた。


 僕の快進撃は更に続く。フォークをスプーンに持ち替えてスープを啜り、再び持ち替えて白米をかき込む。ああ、これはいけない。料理漫画で、ぶっ飛んだ表現が多用される理由がわかった気がする。だって美味しいものを食べると、興奮がヤバいんだもの。

 カキフライも外はサクサクで中はプリッと、野菜のソテーもホクホクしていて。とにかく手が止まらないままに、夕食をどんどん消化していく。


「すごい……」

 僕の耳が声を拾い、僕の手がようやく止まる。フォークを下ろして顔を上げれば、佐久場さんがぽかんと口を空けていた。フォークにご飯を乗せたまま、その手は止まっていた。


「あっ」

 僕は固まった。一人で食事に夢中になって、佐久場さんを放ったらかしにしていたのだ。これはいけない。せめてもう少し会話を持つとか、なにかできなかったのか。取り敢えず、今できることは。


「すみません。あんまり美味しかったものですから」

 謝罪。これに尽きる。佐久場さんがどんな感情を抱いたのか、言葉にされなければ分からない。だから、まずは謝る。すると、佐久場さんも頭を下げた。

「あ。いえ。その。凄い食べっぷりだなあって、思って。あ、ありがとうございます!」

 そうされてしまっては僕も慌ててしまう。


「いや、これは。僕の問題で」

 しかし、佐久場さんも譲らない。

「いえ、今私が声を出さなければ。松本さんは気持ちよく食べ続けられましたから!」

 どうかそういうことにしてください。そんな意志が、言葉の端々に見えて。

「分かりました。せめて、お互い様ということにしましょう」

 結局僕は折れたのだった。


 その後は会話を適度に挟みつつ、食事はスムーズに行われた。佐久場さんが今日の出来事を聞き、僕はそれに答える。ついでに今日の欠席理由を聞いてみると、やっぱり不測の事態に備えるためだった。


「まあ基本夜までは発動しないんですから、行けばよかったんですけどね。かがりがうるさくて。少し疲れもありましたし、思い切っちゃいました」

「かがりさんらしいですねえ。でも、ちょっと羨ましいです」

 照れ臭そうに笑う佐久場さんに、僕は素直な思いを打ち明ける。すると、彼女は意外だという顔を見せた。


「羨ましいって言われましても、結構退屈なんですよ? 栄村さんにも松本さんにも飯田さんにも、その他の皆様にも全くお会いできませんし。退屈が過ぎてついつい晩御飯を張り切っちゃいましたし」

 しまった。これはいけない。バッドコミュニケーションだ。まったく、これだから僕は人付き合いに弱いんだ。リカバーしなくちゃ。


「あ、いや。嫌味でもなんでもなくてですね? ただただ率直、素直な気持ちがつい」

「つい、出てしまったのです?」

 ネタ潰しのように、差し込まれた言葉。蒼い瞳が、じいっと僕を見つめる。これでは嘘なんて吐けるわけがない。こんな綺麗な瞳に嘘を言う奴がいたら、そいつは僕が出て行ってぶっ倒す。そんな気持ちにさせられてしまう。だから。

「はい。出てしまいました」

 僕は素直に、罪を認めた。ああ、やっぱり情けない。だけど、返って来たのは。


「まあ、仕方ありませんよね。ですから」

 予想外にも、許容の声。僕は思わず、口をあんぐりとさせてしまい。そこに佐久場さんから、未だに熱を持ったカキフライが送り込まれて。


「熱ぅ!?」

 もごもご。はふはふ。鉄板で温まってるせいか、中が更に熱い! でもジューシー! 衣と中身のバランスがベストマッチ! でも舌が焼ける!


「ふふっ。これで許してあげます」

 佐久場さんはニコニコ笑ってそんな事を言う。ムッとはしたが、思いっ切り怒るには至らなかった。そんな感じがした。とはいえ……。


あふぅい熱い

 どうあがいても熱い事実は変わらないのであった。

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