第八話 平助、初仕事を終える
そうこうしている内に、朝も見たあの家へと到着した。佐久場さんが来る前から思っていたけど、ホント隣のボロアパートがアンバランスなんだよな。まあ、我が家なんだけどね。そのボロが。
「お嬢様、只今戻りました」
玄関先。かがりさんが先に入り、明かりの点いている家の中へ向けて呼びかける。しかし、待てど暮らせど返事はなく。
「お嬢様? 貴様はそこで待っていろ。逃げるなよ」
待ちきれなくなったかがりさんが、ヒールの低いレディースシューズを脱ぐ。家の中に入っていく。無論、念押しは忘れずにだ。階段を上がっていく音がしたので、佐久場さんの部屋は二階にあるのだろう。しかしそこそこ広い家なのに、住人は二人なのか。
ここで悪戯心が湧いてきた。かがりさんは「逃げるな」と言った。だが「付いて来るな」とか、「中に入るな」とは言っていない。つまり、中に入っても許される。
我ながら酷い理屈だ。だが、気になるものは気になるのだ。抜き足差し足忍び足で、僕は家の中に
「あっ! ううっ……」
途中からどうも妙な音が耳に入った。水音。そして色っぽい声。声の主は、もう何度も撃ち殺されたからよく分かる。佐久場さんだ。この二つから思い当たるものを考えて、首を振る。いやいや、まさかそんなことは。僕達が買っちゃいけない漫画の話じゃあるまいし。いくら
僕は取り止めのない現実逃避をしながら、必死に階段を上っていく。そうでもしないと、股間の鉄砲が今にも唸りを上げかねない。まだ欲望に身を任せる訳にはいかないのだ。実際喘ぎ声は大きくなっていたし、その声は容赦なく僕の劣情を煽ってくる。
「ちくしょう。こんな仕打ちはないぞ」
口の中でボヤきながら、どうにかこうにか無事に二階へとたどり着く。明かりは点いていなかったが、僅かに漏れる光が見えた。今やはっきりと聞こえる声も、そこから上がっている。僕は前かがみのまま、そっと歩を進めて。そして、見た。
「ああ、お嬢様。痴態でありながらもお美しい。はあ、はあ……!」
廊下に漏れる明かりの元凶。部屋をそっと開け、スマートフォンで中を録画する
「よし、帰ろう」
僕はこの酷い現実を前に、遂に思考を放棄してしまった。回れ右をし、階段へ向かおうとして……。
ゴツン。
暗がりのせいか、壁に頭をぶつけてしまった。
「何奴!」
かがりさんが反応する。僕は頭を押さえてよろめく。あっという間に僕は捕獲されてしまった。だが、同時に救いの声も飛んで来た。
「つれて、きたの?」
艶っぽくも僕を逃さない魔性の声。かがりさんが硬直する。僕はその隙に拘束を抜けるが、どうしたらいいか分からずにいた。僕を捕獲していた女を、見上げてしまう。その顔は、何かに苦しむような表情だった。
「行け」
搾り出すような、滲み出るような。そんな小さな声だった。思わずかがりさんを、もう一度見た。だが、目はそらされた。そして、搾り出すような声。
「行けと言っている。お嬢様は、お前からの補給を望んでおられる」
「っ!」
僕は、かがりさんから離れた。一歩、二歩。明かりの方へと歩んでいく。たった数歩の距離が、酷く遠く感じた。心臓の鼓動が、酷くうるさかった。階段を下りる音が聞こえる。そうだ。僕は。佐久場さんと。
契約の重みを。選択の意味を胸に刻みながら、やっとの思いでドアノブに指を掛ける。そっと開ければ、そこには。僕のボキャブラリーではとても言い表せない光景があった。
仰向けですらハリを失わない豊か過ぎる胸部が、呼吸と共に揺れていた。
既にたっぷり排出されている汗が、身体の上を艶かしく滑っていた。
彼女の感情を示す荒い呼吸。
恥ずかしさを隠すような、赤く染まった顔。
それは、確かに痴態だった。
それは、確かにエロスだった。
だけど、どこか神々しくて。
僕の股間は、痛むを感じるほどまで腫れ上がって。
「きて?」
それは、あの夜と同じ紅い瞳。この二日間、僕を捉え続けていたはずの青色が。今は紅く染まって。僕を絡め取りに来る。
「はい」
僕は無意識の内に返事をし、一歩を踏み出していた。恐らくはサキュバスの能力なのだろう。絡み付く紅色が、僕の意識をどんどん刈り取っていく。熱に浮かされるように進みながら、僕は服さえも脱ぎ捨てていき。
「ん……」
既に生まれたままの姿になっていた佐久場さんと、唇で熱を交わし合い。やがて身体を重ねて。そのまま僕は、彼女の素晴らしい肢体に導かれ。その身体の中で、天国へと上り。やがて意識は遠のいた。
朝の光を背に受けながら。鳥の音さえ聞こえずに。僕は寝言を吐いていた。
「むにゃむにゃ。かあさん……」
「松本。貴様、起きぬか」
色んな意味で夢心地の僕を、揺さぶる声。なんだよ。僕はまだ眠いんだ。せっかく母さんの胸に抱かれてたのに。
「まだねむいよぉ」
もぞもぞ。半分夢を見るように、僕は声のした方に手を伸ばす。
「お、おお!?」
驚いたような声が聞こえるが、僕には関係ない。「母」の方へと手を伸ばし、抱き寄せようとする。おお。フリルのスカート、逞しい太もも。ちょっといかついけど、これはこれで……。
「滅!」
「ごおっ!?」
低い声と、脳天への衝撃を感じた次の瞬間。おぼろげだった僕の意識が、黒に染まった。
午前七時二十五分。佐久場家の食卓には。ガウンを着せられていた僕と、メイド姿に戻っていたかがりさんがいた。
「なんだ、その。済まん」
「それは僕の方のセリフです。申し訳ありません」
平身低頭のかがりさんと、こちらも平謝りの僕。さっきの件は、これにてお互い様ということになった。いやあ。いくら母さんの夢を見ていたとはいえ、まさかああいう真似をしでかしてしまうとは。
「で、なんで僕は佐久場さんの家にいるんですかね? てっきりコトが済んだら、家にでも放置されてるのかと思ってたんですが」
「貴様でも一応は『客人』だからな。全てが終わった後、お嬢様が貴様を回復させた。そこから後は私がガウンを着せ、客間のベッドに寝かせたのだ。貴様が脱ぎ捨てた学生服も、きちんと処理しておいた。よって私に感謝するように」
なるほど。これで合点がいった。先日も多分激しく啜られたはずだろうに、日常に支障はなかった。つまり、翌日に影響が出ないようにしてくれているのだ。
「ありがとうございます」
今回は素直に頭を下げた。いくらなんでも、ここで頭を下げないのは人として良くないだろう。例えそれが、上から目線であったとしてもだ。
「うむ。なおこの食事はお嬢様お手製故、心して食せ。後、お嬢様は既にお出かけになられた。礼は学校で言うがいい」
ことん。お茶の入った湯呑を置いて、かがりさんは言う。僕の目の前には、ツヤツヤの白い炊きたてご飯。温かい上に豆腐や油揚げ、ネギまで入った味噌汁。湯気を立てている焼鮭、明らかに手の込んでいるだし巻き卵が並んでいた。オマケに、納豆と生卵までついている。若干卵と卵がかぶってしまってるけど、問題ないだろう。
いやいや。これがお手製って、あの人何時に起きたんですか。むしろあの人、そもそも料理できたんだ。メイドさんいるのに。で、もう登校済み。遠いとはいえ、ちょーっと早い気もするけど。
「お嬢様には夢があるからな。炊事に洗濯、掃除などなど。その手の作業はお手の物だ」
「はあ」
かがりさんの重ねる言葉に、僕は呆気にとられていた。だったらメイドさんいらないじゃないか。
「だが、だからこそ私を立ててくれるのが嬉しい。私に仕事を頼んで下さるのが嬉しい。お嬢様からの頼みは私にとって至上の喜びであり、お嬢様は私にとってのヴィーナスである。故に……」
あ、ヤバい。スイッチが入ってしまった。仕方ない。とにかく心して頂くとしよう。いただきます。
「ちなみにお嬢様のお手製故、残すような真似をしでかしたら……。分かっているな?」
「ゾンジテオリマス」
なんでスイッチ入っているのにそこは反応できるですか。まあこんな豪華な朝食、僕が残す訳はないのだけど。
「……ふうっ。ごちそうさまでした」
数分後。お茶の最後の一口を飲み干して。僕は全てを平らげた。当たり前だ。せっかくのごちそうである。残そうものなら罰当たりだ。手を合わせ、頭を下げる。
「見事に食べ切ったな。しかも。綺麗なものだ」
かがりさんが、ほうとため息を漏らした。こればかりは母さんに感謝しなければならない。飯粒を残すな、魚の骨はきちんと取れ。そういう教えは、常に受けていた。
「美味しかったですよ。後で佐久場さん本人にも、お礼を言っておきます」
僕は席を立つ。なにせ、今日も学校は待ってくれないのだ。授業の支度、一応のシャワー。するべきことは山ほどあった。
「おい。せめて三分ぐらいは休んでいけ」
「遠いので、遅刻しかねません。失礼します」
かがりさんの制止を頭を下げて断り、僕は自分の家へと戻る。その胸の中には、不思議と満たされた感覚があった。
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