第3話 栄子先輩の活躍
その日、俺は緊張していた。
これから俺は、美緒の父親に会いに行く。そして
「娘さんを下さい」
と言わなければならない。
美緒の実家は宮崎市の中央から少し離れた山沿いにあった。それは立派な屋敷構えで、美緒が良家の出身である事が分かる。聞いた所によれば、美緒は三人姉妹の末っ子だそうで、二人の姉はすで両方とも結婚しているとの事。また、美緒の父親も建設業の社長で、一代で会社を築き上げた筋金入り。東京の美緒の働く会社もコネで入社させてもらったらしい。父親からすれば、大事な末娘を嫁にやると言うのはどんな気持ちなのだろう。
「ただいま〜」
美緒が家の玄関を開けると同時に、俺は襟を正す。最初に俺達を迎え入れたのは美緒の母親だった。
「初めまして。美緒さんとお付き合いさせて頂いている藤崎茂と申します。これはつまらない物ですがどうぞお受け取り下さい」
「まあまあ、遠路はるばるようお越し下さいました。お気遣いありがとうございます。さ、どうぞお上がり下さい」
「茂、こっちよ、こっち。パパ〜、帰ったよ〜!」
美緒は屋敷の立派な和作りの廊下をずんずんと進むと、奥の方の襖をズシャっと開けた。
「パパ〜、久しぶり〜。元気してた〜?」
「おう、美緒も相変わらずじゃなあ」
「パパ、今日は美緒のダーリン連れて来たよ。茂、何してるの?早く入りなよ?」
入れと言われたが、この空気感である。とても入りづらい。俺は襖の前に正座して一礼し、
「失礼します」
と言うと、おずおずと応接間の中に足を踏み入れた。美緒の父親は
「うむ」
と一言だけ発すると、眉間にしわを寄せて黙りこくってしまった。俺は美緒の父親の正面に座って正座をする。美緒の母親がお茶と俺が静岡から持って来た和菓子を出してくれる。
「まあまあ、長旅でお疲れでしょう。どうぞ足をお崩し下さい」
美緒の母親が気を遣ってはくれるが、ここは早期決戦が吉と見た俺は再び背すじをピンと伸ばして自己紹介すると、深々と土下座をし、
「この度は、美緒さんと結婚する許可を頂きたくやって参りました。私達は誰よりも深い愛で結ばれています。どうかこの私に美緒さんをお嫁さんとして迎えさせては頂けませんでしょうか?」
俺は土下座したまま美緒の父親の返事を待つ。長い沈黙が流れる。
「パパ?」
「それは、ならん!」
思いもよらぬ言葉に俺は頭を上げた。美緒の父親は口をへの字に曲げて俺の目を睨みつけている。
「パパ? どうして?」
「美緒は黙っとらんね。藤崎さん、じゃったな? あんたには申し訳なかが、東京の興信所ばつこうてあんたの事を調べさせてもろうたんよ。そしたらもう美緒と一緒に暮らしてるそうやなかとか? あんたは嫁入り前の娘をどげん思ってらっしゃるんかね?」
「それは、お互いにもう責任ある大人ですし、守るべき事はしっかり守っているつもりです」
「ふん。それにあんたの仕事や。広告代理店やらなんや知らんが、そげな軽々しい商売の男に娘はやれん。俺は土建屋や。しっかりと大地に根付いたモノを売って生きちょる。大体あんたは何を売って生きちょるゆうんですか?」
「広告代理店の仕事は、人の心を動かす事です。普段はモノを買わない様な人に興味を持たせ、心を動かして買ってもらう。それが私の仕事であり、誇りでもあります」
「ほう、そしたらあんたは俺が売れん物でも売れるっちゅうんか?」
「売れます。それが仕事ですから」
「面白い。そしたらウチの物件で手に余ってしょうがない物があってな、これが売れたらあんたを男として認めて、娘との結婚を考えてやらんでもない」
「いいでしょう。是非やらせて下さい」
「詳しい事は、後日俺の会社の者から連絡させるよってに、娘との事は保留やぞ」
「承知しました」
大見得切ったは良いが、どんな不良物件を任されるか冷や汗モノだ。宮崎での初詣で仕事の成功を美緒と一緒に祈り、そそくさと東京へ退散する。広告代理店へ初出社した俺に宮崎の安藤建設からかかってきた電話の内容は、とんでもないものだった。
「宮崎サン・リゾートだとぉ!?」
部長が声を荒げる。
「藤崎、お前あの物件がどう言う経緯を持つか調べもしないで引き受けて来たのか?」
「はあ、実は込み入った事情がありまして」
「あれはな、バブル経済の遺産と言われている物件なんだよ。オープン当時はタワーホテルに世界最大の屋内プール、ゴルフ場、コンベンションセンター、ウェディング場など、高級ながら手近なリゾート地としてもてはやされたが、バブル崩壊後は経営が行き詰まって、今や閑古鳥が鳴いているんだ。大体この円高で海外に手軽に行ける時代に、誰が好き好んでド田舎の宮崎なんかに行きたがる物かね?」
「それをなんとかするのが広告代理店の仕事では?」
「なんとか出来るにも程がある! とにかくこの案件はウチの社では無理だ!」
そこに聞き耳を立てていた栄子先輩が助け舟を出してくれた。
「部長、考え方を変えてみれば、これってすごくオイシイ案件じゃありません? もし成功すれば巨大な報酬が入るんですよ? それに旅行代理店や鉄道会社、飛行機会社、地元の特産品企業とかともタイアップすれば行けそうな気がするんですけど」
部長はしばらく頭をひねっていたが、
「佐々木君がそこまで言うなら、藤崎とチームを組んでこの案件に取り組みたまえ。ただし期限は3ヶ月までとする、いいな?」
「ありがとうございます!」
俺は部長に深々とお辞儀をし、部長は自分のセクションに戻って行った。
「さすが敏腕の栄子先輩です。たった数秒間でよくそこまでのアイディアを思いつけられましたね?」
「ダテに10年広告代理店勤めてるワケじゃないわよ。それより藤崎、あんた正月に安藤さんと宮崎行くって言ってたけど、それとこれ関係あんでしょ?」
「ず、図星です。実はかくかくしかじかで……」
そのかくかくしかじかとは、前述の美緒の父親の件と、安藤建設がサン・リゾートの大株主であると言う物だったのだ。
「そんな事だろうと思ったわ。まったく世話の焼ける後輩ね。ま、こうなったらとことんやりましょ」
「お世話になります!」
部長が言った通り、宮崎サン・リゾートの経営は惨憺たる状況だった。経営陣の中には施設を取り壊して更地にするなんて言い出してる者もいるらしく、事態は紛糾している様だ。ここは早急に手を打たねばなるまい。
まずは栄子先輩と現地に赴いて現状の確認。バブル期に建てられたとだけあって、所々に老朽化が見られる。ホテル内の内装もどこか古めかしい。
「これは完全なリフォームが必要ですね」
「肝心なのはそのお金をどこから引き出して来るかよ。まずはこのサン・リゾートのオーナーに復活計画を見せてやる気を起こさせなきゃ」
「地道にタイアップ先を尋ねて回りますか」
「それが先決ね」
広告代理店の仕事は
「人の心を動かす事」
だと俺は言ったが、それは同時に
「人の心を騙す事」
でもある。如何にまことしやかにそれが魅力的な物の様であるかの様に思わせ、誘惑する。ここが広告のマジックなのだ。
地元の人々へのプレゼン用に、リニューアル後の宮崎サン・リゾートのイメージ図を手持ちのCADソフトで作成する。本来ならプロに頼みたい所だが、そんな予算は無い。作成したファイルを宮崎市内の出力センターでプリントし、小冊子にしてタイアップ先にアポイントを取る。最初はサン・リゾートの名前を出しただけで門前払いを喰らいそうになったが、押し売り同然で押し掛け、小冊子を見せながら栄子先輩と共に口八丁手八丁で説明して行ったら、それなりの手応えを得る事が出来た。サン・リゾートに人が集まれば地元にも金が落ちる。なんだかんだ言いながら、皆サン・リゾートには淡い夢を抱いていたのだ。
こうして集めた宮崎サン・リゾート復活計画の嘆願署名書を手に、東京のオーナーの元へ向かう。だが、オーナーは、これまた一癖も二癖もある人物だった。
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