引き受け屋

土芥 枝葉

引き受け屋

 先輩に描いてもらった地図を頼りに、繁華街の中でも特にいかがわしい一帯に足を踏み入れた。

 次々に声をかけてくる客引きを無視して、足早に目的地を目指す。女遊びをしに来たわけではないのだ。


 その店はとある飲食店の脇の階段を降りた地下にあった。表に看板は出ていなかったが、ドアに店名の入ったプレートが貼られているので間違いなさそうだ。

『引き受け屋』

 先輩の話によればなんでも引き受けてくれるということだが、オレはまだ半信半疑だった。身の危険が迫っていなければ実際に訪れることもなかっただろう。


 御用の方はインターホンを押してください、と書いてあるのでそうした。間をおいて、低い男の声で返事がある。

「はい」

 いかにも面倒臭そうな態度だった。

「あの……引き受けてもらいたいものがあって……」

「ああ、お客さんですか。今開けます」

 男は変わらぬ調子で言い、すぐに鍵の開く音がした。続いてドアが開き、小柄で髪がぼさぼさの男が現れた。瓶底のようなレンズの分厚いメガネが似合っている。

「どうぞ」

 薄暗く小汚い光景を勝手にイメージしていたが、店内は驚くほどこざっぱりしていた。三畳ほどの室内にはこの男が使っているのであろう机と椅子、机を挟んで反対側にパイプ椅子が一脚。机の上にはノートパソコンが置いてあるだけだ。その他には何も見当たらない。

 蛍光灯に照らされた室内は殺風景で、とても商売を営んでいるとは思えなかった。他に人はいないので、この男が店主なのだろう。

「先に言っておきますがね、うちは質屋じゃありませんよ。お客さんがどうしても捨てたいものを引き受ける代わりに料金をいただく。そういう店ですから」

 自分の椅子に腰掛けながら店主は説明した。そこまでは先輩から聞いた話のとおりだった。

「それで、何を引き受けてほしいんです?」

 あまり興味がなさそうな口ぶりだ。

「実は、昔付き合っていた彼女なんですが……」

 そのまま沈黙が続いた。本当にそんなものを引き受けてくれるのか未だに信じられなかったが、断られはしなかったし、先を促されているように感じたので事情を説明した。


 イクミとは大学時代に合コンで知り合った。正直なところタイプではなかったのだが、あぶれた者同士で話が盛り上がり、劣情を抑えきれず一夜を共にしたことで付き合いが始まった。

 しかしこれがとんでもなく嫉妬深い女で、オレが他の女と話をしただけでもぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるし、携帯も行動も四六時中監視されていた。別れ話をしようとして包丁を突きつけられたこともある。

 そんな調子だったので、卒業後の就職先は嘘をつき、夜逃げするように引越し、一方的な別れのメッセージを送って即ブロック。友達にも居場所を教えないよう頼み、完全に縁を切ったつもりだった。

 しかし、半年もしないうちにイクミがオレのアパートに現れた。敷地の前で待ち伏せしていたのだ。はっきりと顔を見たわけではなかったが、いつも被っていたつば広の帽子を見て彼女だと確信した。そのときは気づかれずにやり過ごしたものの、またいつ現れるかもわからないし、見張られていると考えた方が良さそうだった。イクミはストーカーと化してしまったのだろう。

 警察に相談してみたが、実際に何かされてからでないと動けないようだった。手を出されてからでは遅いかもしれないのに。

 そんな折、話を聞いた先輩がこの店を教えてくれた。気にくわないパートナーでもヤバいブツでも、なんでも有料で引き受けてくれるらしい。命の危険を感じていたオレは、藁にもすがる思いで訪ねてきたというわけだ。


 店主は「ああ」とか「うん」とか言い、ノートパソコンの画面とオレの顔を交互に見ながら話を聞いていた。本当に大丈夫なのだろうか。

「そのイクミって女を捨てたいということですね」

 店主の言葉に頷く。正確にはすでに別れている(とオレは思っている)ので、捨てるという表現が適切なのかはわからないが。

「それなら十万円ですね。お支払いは現金のみです」

 二十万は持っていけと言われて覚悟していたが、入社一年目の若造にはきつい金額だった。とはいえ、背に腹は代えられない。銀行の封筒から万札を十枚取り出し、店主に手渡す。

「ひぃふぅみぃ……これで契約成立です。引き受けましょう。それではこちらを書いてください」

 店主は引き出しから用紙とボールペンを取り出した。名前や電話番号などの記入欄がある。

「あの……具体的にはどうやって……?」

 記入を終えた用紙を返しながら聞いてみた。一体どうやってイクミを引き受けてくれるというのだろう。

「お客さんはそんなことを気にする必要はありません。あとはこちらでうまくやっておきます。もし効果がなければまた来てください。返金しますから」

 そう言われるとそれ以上聞けなかったが、店主の態度は「できて当たり前」とでも言わんばかりのものだったから、自信があるのだろう。

「さあ、もう結構ですよ」

 追い出されるように店を出た。キツネかタヌキに化かされたような気分だった。


 それからしばらくは不安を抱えながら過ごしていたが、一ヶ月、半年と経ってもイクミが現れる気配はなく、一年が過ぎる頃には本当にイクミを捨てられたのだと実感できるようになった。あの店主には感謝してもしきれない。


 *


 十年ほどの月日が流れる内に、オレは仕事の関係で知り合った女性と結婚し、娘を授かった。都心から少し離れたベッドタウンにマンションを購入し、家族三人仲良く暮らしている。つまり、それなりに順調な人生を送っているということだ。


 その日は祝日で、妻が夕飯の支度をしている間、オレは娘を膝に乗せてテレビアニメを見ていた。

 ふと、スマホから着信メロディが流れる。画面には非通知設定と表示されている。

「もしもし」

 オレは何の警戒もせず電話に出た。

「引き受け屋です。私のことを憶えていますか?」

 忘れるはずもない。恩人と言っても過言ではない人だ。

「ああ、その節はお世話になりました。おかげさまで……」

「急で悪いんですが、店を畳みましてね」

 店主はこちらの言葉を遮って本題に入った。

「は?」

「それで、こちらで引き受けたものの内、処分できなかったものについては手放すことになったんですよ」

 手放す? その言葉を胸の内で復唱し、意味を理解した途端、血の気が引いた。

「ちょっと……今更そんな、無責任な!」

「そうは言われましてもねえ。あなた、捨てたものがこの世から綺麗さっぱり消えるとでも思ってるんですか?」

 ピーンポーン。出し抜けにインターホンが鳴った。

「ごめん、ちょっと出てもらえる?」

 妻は揚げ物をしていて手が離せないようだ。こちらもそれどころではないが、手を挙げてわかったと合図する。

「……お願いです。お金なら払いますから、何とか今までの状態を維持して……」

 妻に聞こえないよう小声で話す。それが叶うのなら毎月の維持費を支払っても良かった。

「無理です。私の力も失われてしまいましたからね。……話は以上です。それでは」

 店主は用件を伝えると一方的に電話を切ってしまった。非通知なのでかけ直すこともできない。

 なんてこった。これから起こることを想像すると目の前が真っ暗になりそうだった。今はオレ一人じゃない。妻も娘もいるのに。

 ピーンポーン。もう一度インターホンが鳴る。

「どうしたの?」

「あ、ああ……」

 妻はオレがインターホンに対応しないのを不審に思っているようだ。動揺を隠しながら受信機の画面を確認する。

 玄関前には女が立っていた。うつむいているのか、つば広の帽子に隠れて顔は見えない。


 ピーンポーン。


 ピーンポーン。


 ピーンポーン……


「ねえ、なんで出ないの?」

 妻は不機嫌そうに言った。火を止めて自分で対応しそうな勢いだ。

 次第にガヤガヤと外が騒がしくなってきた。妻の顔がますます険しくなる。

「なに……女の声? うちの前みたいだけど……」

 恐る恐るインターホンの画面に目をやる。

 イクミ……カヨコ……ミホ……リョウコ……わが家の玄関先で女たちが言い争っている。オレは頭が真っ白になった。

「……どういうことか、説明してもらおうかしら」

 いつの間にか背後に妻が立っていた。ナイフの切っ先のような声がオレの心臓をチクチクと刺激する。


 どうして……

 どうしてオレが付き合う女は執念深いやつばっかりなんだよ!

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