バタフライ効果(物理)

 とまれ、目についたならどうしても確認が必要となるわけで、責任者の女性は指を指しながら布を被った生き物に命令をした。


「おい、そこの布を頭に被った娘。顔を見せろ!」

「うぅん? ……あー……ちょっとそれは勘弁してもらっても良いかなぁ?」

「なんだ? 何かやましいことでもあるのか? ……もしやDV「それ以上下らねぇこと言ったらこの場で裁くぞ」は、ひゃい……っ」


 さらりと激情を表に出す閻魔。閻魔から魔力は感じられないのだが、それよりもさらに根源的な何かから女性達は恐怖を感じた。それはいわゆる“本能”と言われるもので、世の中の生物の魂を構成する【正の力】と【負の力】から生じているのだが、一介の役人でしかない彼女達にはわかるはずも無い。


「あぁうん……ちょっと今嫁の機嫌よくないもんで……一般人に極力これ使いたくないんだけど……悪いねぇ」


 ようやく天照がビクビクと震えていることに気が付いた閻魔は恐怖心で硬直してしまっている女性に向けて片手を伸ばし、その額に人差し指を当てた。自分の額に向けられた指を見て「ひっ」と小さく声を漏らした。


「そんなに怖がられるとちょっと傷付くんだけどねぇ……とか言って。まぁすまないね。ちょっとこのままだと現世で大混乱が起こっちゃうからさ」


 閻魔がそう言い終わると女性はふっと糸が切れたように気を失って、椅子にもたれ突様にして倒れ込んだ。流石にこの状況を見れば警備員達も腰の剣に手をかけ、今にも抜剣せんと睨みを利かせる。つもりでいたのだが、次の瞬間には視界が暗転していた。


「うーん……しかしどうしようかなぁ。このまま逃げるべき?」


 なんとなく審判者としての権能を用いて【正の力】と【負の力】を操ることで気絶させたものの、行った後になって困る閻魔である。閻魔を貶めた兄弟はうつ伏せの姿勢でぐったりしていたが、閻魔が困りながら何気なく兄弟の方を見るといつの間にか爆睡していたためその眉間に深々と皺が寄った。


「……クッソ、あのバーロー共絶対に牢屋に送ってやるからな。暗示を使えば確実に僕の方が勝つからな馬鹿野郎共……牢屋で後悔しやがれ」


 閻魔がそう悪態をつきつつ、自分の腰にしがみついたままの天照を見た。なんとか宥める為にどう接しようか考えていたところで、ふと脳内に勝手に別の考えが浮かんでくる。考えというよりも文章なのだが、それを紙などに書きだすとこういう内容であった。


『ねぇ休暇中なのに仕事用の力使うってどんな気持ち? ねぇどんな気持ち? やっぱりえんまくんは仕事熱心なんだね! 現世旅行なんかして問題起こさないかと心配だったから試してあげたけど旅行中でも仕事の力を使いたくなるぐらい仕事が好きなんだね! 凄いなぁ! 感心するなぁ!!』


 無論、これは閻魔の考えではない。一部の例外を除いた現世の生物全てを凌駕し、圧倒的な能力を行使できる閻魔に容易く干渉出来る存在などただ一つ。


「死ねや創造神んんん!! やっぱテメェの仕業かゴラァァァ!! 毎度毎度要らねぇことばっか……降りてこい精神異常者のクサレボケがぶっ殺してやる!!」


 一瞬で怒りが頂点に達し、大地を震わせるような怒鳴り声をあげる閻魔。が、その声に驚いて天照が肩を竦ませたことに気が付き、急速に落ち着きを取り戻しながら「やべっ……」と声を漏らした。


「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」


 天照の目から大粒の涙がこぼれた。

 そしてその瞬間、言葉通り世界から光が消えた。


 ◆◇◆◇


「魔王様の角が折れたぁ!? 馬鹿なこと言うんじゃないよ、どうやったら折れるんだい」

「いや僕だって驚いたさ。聞く前に追い出されちゃったもんだから……」

「どうせ神経逆なでするような行動でもしたんだろう、あんたの事だもの!」


 ファンファンロの話を途中まで聞き、ナターシャは急に駆け足でマーキュリーの下へと向かい始めた。アランが自身の角をかなり大事に扱っていることを知っているからである。走りながら自分が笑ったことでさらに気分を悪くしたのかもしれないと思い至ったファンファンロは、隣を走る女性から目を逸らした。


「……はぁ……これだからあんたは……なんであんたは生命の恩人相手にも問題のある行為ばっかり出来るんだい……!」

「初めて喋った時に笑っちゃうよって忠告してたと思うんだけどなぁ……」


 頭を掻きながらも廊下の角を曲がり、最上級看護室の一室。つまりはマーキュリーが静養している部屋の前にたどり着いた。


「姫様! 居ますか!」

「な、何よ……どうしたの?」


 勢いよく開け放たれたドアに驚き、ファンファンロとナターシャが一緒に来ていたことで二度驚いたフェアが、目を丸くしながら部屋の入口を見やる。高級なベッドの上にはマーキュリーが仰向けに寝ながらアランの角を大事そうに抱えており、フェアはそんなベットの傍に椅子を持ってきて座っていた。


「何よも何も、その角ですよ! 魔王様の! それ持って行かれるとボクの身が持た……ファッ!?」

「ちょ……何よ! 何も見えないじゃない!」

「暗いの……得意なはず、なのに……全然何も、見えない……です」

「ファンファンロ、二人の周囲に居な! 何かしらの刺客かもしれない!」

「そ、そう言われても暗すぎて何も見えないって、目を布で塞がれてる気分だ……」


 いつも飄々としているファンファンロが彼らしからぬ言動で狼狽えた。魔法の気配を感じたならば幾らでも対処出来ようものなのだが、知らない魔法を使われた気配も無いのだ。

 ファンファンロはアランの部下の中でも一、二を争う程に強いのだが、それは魔法を非常に得意としているのが主な要因である。元の姿が全身が燃え盛る羽毛で覆われた不死鳥という姿であるため火属性の魔法を最も得意をするのだが、他の属性の魔法も生半可な魔法使いよりも扱える。生物の格としては当たり前の範疇に入る能力なのかもしれないが。

 故に、魔法であるはずなのに魔法の気配を感じないという現在の事象に、酷く混乱していた。


 ファンファンロは何も見えず、バランス感覚を欠いているためかどこかフラフラとしながら歩いていたが、やがてベッドの縁に手をつけられるとホッと安堵する。


「マーキュリーだいじょぶ? 姫様も」

「大、丈夫……です……きゃっ!」

「なんだい!?」


 ファンファンロが二人の位置を探ろうと手を前方に振っているとふと片手が何か柔らかいものに当たり、これはなんだろうと一瞬訝しげに考えた瞬間、世界が光を取り戻した。


 ファンファンロが突然の明るさに驚いて一度目を瞑り、回復したためにもう一度目を開いく。するとそこには自身の手がマーキュリーの小さな胸の上に乗っており、色白なマーキュリーの顔が真っ赤に染まっていた。ファンファンロは体を強張らせて両手をゆっくりと上げる。


「……あ、あー……その、マーキュリーごめ」


 何かの気配を感じてファンファンロが右前方を向くと、ナターシャの美しい足で放たれる回し膝蹴りが腹に、白金のネックレスの効果を発揮させたフェアの拳が眼前に迫っていた。


 ☆


 アランが頭の重さのバランスが悪いことに苛立ちつつ、最初から最後まで自分で書かなければならない面倒くさい形式の書類を書き上げようとしていた。アランほどの速筆でも三十分はかかる大変さである。

 そこに襲い来る暗闇。


「……なんだ? 魔法か? 感知が出来ん……どういうことだ。もしやまたテロ組織の……? くっ、しかしこの暗さでは何も出来ないではないか! “ヒート”……熱は感じるが光が見えん……どういう原理の魔法だ……? 該当するような魔法は記憶にないが……」


 アランは何日も徹夜をして微妙に疲れている頭で困惑しながら手のひらに発生させていた炎を消すために軽く手を振った。すると服の袖に何かが当たった感覚があり、アランは体を強張らせる。

 ところで魔族領において一般的な筆記用具と言えば羽ペンである。羽の先にインクをつけて字を書くものだ。値段は羽の状態によってピンからキリなのだが、良い物のほうが当然長持ちもするため節約家じみたアランも流石に良い物を使っている。

 また値段の差があるのは文字を書くのに必要不可欠なインクも同じなのだが、インクの素材などによって質などは変わるものの、昔からの壺や最近発明されたというガラス瓶という上部に大きな穴の開いた容器に入っているのは変わらない。


 つまり、世界が光を取り戻した瞬間にアランの目に飛び込んできたのは、


「うぐ……あぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!! インクがああぁぁぁぁぁぁ!! また最初から書き直しではないかクッソォォォォォォォ!!!」

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