“経済大臣”ナターシャ・スフレ

経済大臣室の中では一人の女性が机に向かっていた。夏も間近という時期には似つかわしくない袖と襟の長いロングドレスを着ている、露出している肌は顔と手だけだ。とはいえ、そんな服を着ていても魅惑的なその肢体と顔つきは羨望や嫉妬の対象となりそうである。


「……」


 もくもくと机に向かって書類にサインをする女性。すると、疲れたのか眼鏡を頭の蛇ではずして伸びをした。その後、脱力した体で壁を見るとだらしなくにへっと笑った。壁にかかっていたのは、男性の描かれた巨大な肖像画。


 女性がにやけていると、ドアをノックする音が室内に響いた。女性は気を取り直すと澄ました表情で「どうぞ」と促す。


「ちーす、ナターシャ。ちょっとにやけてるとこお邪魔するよー」

「失礼する……うぅ……」

「あんた達だったのね……それで、あたいに何の用?」


 女性、ナターシャは足と腕を組んで二人を見た。ナターシャに見詰められたライアーは体を少しばかり硬直させた後、ファンファンロとナターシャを交互に見て駆け出し、物陰に隠れた。


「……別に取って食いやしないよ……。出てきなよライアー」

「そうそう」

「あ、頭ではわかってても本能的に怖いんだから仕方ないだろ」

「……ごめん、何言ってるかわかんない」

「ちくしょう! ……俺はいいから続けてくれ」


 書棚の影から頭を覗かせながらライアーが言う。ファンファンロは友人のそんな姿を見て軽く溜息を吐くと、封筒からもう一つの封筒を取り出した。黒、赤、緑、黄の四色に染められたその封筒を見たライアーは耳をピンと立て、ナターシャは頭の蛇達を逆立たせた。ライアーは急いで魔法を唱える。


「『絶対消音化壁ウォールズ・サイレンス』。……なるほど、確かにファンファンロが動くだけのことだ」

「差出人は?」


 ファンファンロは封筒の裏面を見た。そして、そこに書いてある指名を読む。


「大統領……」

「……あそこがなんの用事で……ナターシャ、何かわかる?」

「あたいも知らないねぇ。そんな情報は入ってないね」

「僕も同じく」


 三人は悩ましげに溜息を吐く。


「物流とか移民とかで何かあったとか……?」

「……少なくとも魔族国内ではそういったことは起きてないね。」


 ナターシャがファンファンロの問いに答える。


「そうかぁー……やっぱり魔王様に渡すしかないかなぁ……」

「あたい達が開けるわけにもいかないからね。問題は姫様だけど……」

「姫様……? ……あ、フェア様か。誰かに気を引いといてもらうしか無いでしょ」

「クロノスは?」

「あいつには先に相談して、これを囮につけまわってる奴がいたら捕まえるようにしてもらってる」


 二人の大臣は納得したように頷く。


「んで……ナターシャはあとどれくらい仕事かかりそう?」

「えーと……二時間くらいだね……」

「了解……。先に行っとくよ?」

「良いよ、別にあたいはそんな事気にしないってば」

「ういうい。そんじゃね。……そういや、夫の絵を見てデレデレするの止めたほうがいいよ?」

「う、うるさいね! さっさと行きなよ!! って、なんで知ってるの!?」


 顔を赤くして反論するナターシャである。そんな彼女を反応を見て苦笑しながらドアを開けて出ていくファンファンロ。


「『絶対消音化壁ウォールズ・サイレンス解除アンロック。そ、それじゃ、後でなナターシャ」


 ファンファンロの後を、ナターシャから慌てて逃げるようにライアーが追う。そんなライアーを横目に見ながらナターシャは再び書類に目を通し始めた。



 ◆◇◆◇


一方その頃、山奥の屋敷の一階リビング。アランはフェアの影響で部下から向けられたロリコン疑惑を晴らそうとしていた。


「だから……お嬢様! この二人に何を言ったのですか!!」

「別にぃ?」

「……魔王様。良いんですよ…」

「やめろメイル! そ、そんな目を我に向けるな……!! お嬢様の言う事など信じるでない!」

「ちょっと……それはひどいんじゃない?」


 チラリとフェアがアランを一瞥する。アランはそんなフェアの目に


(それ以上何か言ったら、一度殺してさらにいろんな疑惑つけるわよ……?)


 という考えを見た。アランは掻き毟るように顔を覆う。怒りで荒くなる息を整えるため、深呼吸をする。そして顔を上げ、ゆっくりとフェアの方を見た。


「お嬢様」

「……どうしたの下僕?」


 下を向いて本に意識を集中しながら、フェアが答える。


「まぁ……これについては時間が経てば疑惑が晴れると願いましょう」

「ふーん」


 本のページをめくりながらフェアが頷く。


「えー……実はです「へー」ね……我の部下た「ほー」がここに来るこ「なるほど。死亡フラグね……」すが………」


 意図的に完全にスル―されるアランの言葉。


「姫様?」

「何? どうしたの? メイル?」


 見かねたメイルの声に顔を上げ、にこやかに答えるフェア。アランの方はと言えば血管が浮き出るのを隠せていない。


「……えーと……私の同僚が来るらしいのですが……この屋敷の中に居てもよろしいですか…?」

「物を壊したりしなければいいわよ。あと、身長がどこかの馬鹿より大きかったりするのも駄目よ」

「……どこかの馬鹿とは誰のことでしょうか……お嬢様……」


 アランが質問すると、「何なんだこいつ、こんなこともわからないのかよ……」と言った感じの憐みの目でフェアが彼を見る。アラン、ストレスが雷光の如き速さで溜まっていく。


「……大丈夫……で、す……。そ、そういうのは一応いないです、し……?」


 あたかも何故怒っていないのかわかっていない様子だが、今にも怒り出しそうなアランにメイルとマーキュリーは怯える。


「そう、じゃあ良いわよ。……どんなのが来るの?」


 その質問に答えようとアランが口を開いた瞬間、リビングに魔法が展開した。


「……来ましたね」


 さすがのフェアもアランのその声に反応し、本をたたんで魔法の方を見る。視線の先に展開されている魔法は赤と黒が混ざった渦巻のようである。


「……なにこれ」

「転移魔法ですよ。お嬢様」

「いや……それは知ってるわよ……ただ、こんな色のゲート見たこと無いわよ……?」

「『空間転移門ワープゲート』の最上位魔法、『超距空間転移大門ワールド・ワイド・ワープゲート』。ですからね」

「……? そんな魔法聞いたこと無いわよ?」

「我が重臣にしか教えておりませんので」


 フェアはアランの言い方に訝しげに眉を顰める。と、そうこうしているうちに渦巻から三人……二人と一匹と言うべきか……が姿を現した。

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