灯《ともしび》は真《まこと》の中で
ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
雪女篇
第1訓 冷たき来訪者Ⅰ
日本には、普通の人間に見えない妖たちが多く潜んでいる。彼らは山や草原、街角などあらゆるところに生息している。
彼らの中には、人間に害を及ぶ
目の前にいるのに見えない者にはただの悪寒や気のせいで、何事もなかったかのように通り過ぎていく。
「ねぇ、ねぇ、あの人間面白い顔をしているよ」
「面白いね、面白いね」
と、はっきりとこの耳に聞こえる。
のどかな空気が流れているこの街は、この県の中では三番目の都市である。田んぼや農場が広がっており、大きな工場が街の中央に建てられている。
小さな道を歩き、次の道を左に曲がるとどこにでもある普通の一軒家が見えてくる。そこが自分の家だ。
鍵を開け、扉を横にスライドさせると、白い着物を着た少女が玄関で正座をしながら待っていたのだ。
「お帰りなさい、
「はぁ……。
「そうはいきません! 私には私の意志で動いているんですから」
彼女は灯真の鞄を受け取ると、そのまま台所へと向かい、姿を消した。
灯真は、溜息をつきながら洗面所に向かった。帰ってきたら手洗いうがいは、いつもの日課である。しっかりと泡タイプの石鹸をつけて、手を細目に洗い、水に流す。自分専用のコップに水を注ぎ、ガラガラと音を立てながらうがいをして口から吐き出す。
鏡に映る自分の顔は、どこか寂しそうな表情をしていた。
「灯真様、今日のおやつは私の特製団子ですよ! 今日はすごく自信あるんで食べてください!」
着物の彼女は、それは嬉しそうに話しかけてきた。灯真が帰ってくるまで、一日中暇だったのだろう。自分が作った手料理を食べてもらえるとなるとワクワクする。
桜が咲くこの春の季節に白い着物に青色のマフラーを装着している少女は、普通は絶対にいない。
体に触れると体は冷たく、こっちまで冷え切ってしまいそうだ。
「雪、まさかとは思うけど……それって凍っているとかじゃないよね?」
「……凍ってなんかいませんよ。何勘違いしているんですか?」
少女は灯真と目を合わせずに視線を逸らし、しどろもどろに言った。
「なんで、こっちを向いて言わない! 絶対にそれ、作った後に誤って凍らしてしまったんだろ!」
「そんなわけある訳ないじゃないですか! だったらすぐに来てくださいよ」
と、灯真の手を繋いですぐに台所へと連れて行く。
やはり、人間よりも冷たい手。この温もりが誰よりも温かく感じる。そう思ってしまうのだ。
テーブルの上の置いてあった皿の中には、串に四個の
「見た目は団子そのものだな? 凍ってもいなさそうだし食べられそうだが……」
「そうでしょ! 私が灯真様のために一生懸命作ったんですから美味しく食べてくださいね♡」
「雪ちゃん、あなたのために作ったんだから食べてあげなさい、灯真」
「母さん、いたのか」
キッチンで夕食の準備をしていた灯真の母・
「本当に害はないんだな?」
「はい」
少女は、はっきりと返事をした。疑いようのないその返事に灯真は、恐る恐る手を伸ばし、串の持つところを手に取る。
タレもしっかりとかけてある。どこからどう見ても団子そのもの。融けている様子もなく気体も発生していない。そのまま団子を口の中へ持っていき、一個味見してみる。
だが、思った通りだった。
見た目は団子だが、団子ではない。カモフラージュされたシャーベット状の団子だ。シャキシャキ感とモチモチが混ざったこの世で食べられるようなものではないほどの珍味だ。微妙にタレが合っていない。これならハチミツやジャムの方が合っている。
歯に冷たさが伝わり、全身に広がっていく。
「冷たっ! 雪! これ団子じゃないぞ! 見た目は本物だが、シャーベット状になっているぞ!」
「私のせいにするんですか! 息を吐くとき、間違って冷気出してしまっただけですよ!」
「それがダメだって言っているんだろうが! 大体、一度は自分で味見してみろよ」
「味見はしましたよ! 美味しかったですよ」
「雪の舌じゃ、俺の舌に合うわけがないだろ? 母さんに頼めばおいしいかどうかわかるだろ?」
「そうしてみたんですが、『作った相手に対して込められた料理は食べられないわ。もったいない』と言われました」
「逃げたな……」
その言葉を聞いて、無視しながら鼻歌を歌っている美咲を見た。彼女はこちらを一度も振り返らず野菜を切っているが、呼吸の回数が少し乱れていることにすぐ気が付いた。
少女は、涙目になりそうで顔をうつむき、反省している様子で椅子に座っていた。
灯真は仕方なく残り三個を少しずつ噛み砕いて、口の中へ入れていく。これを残り三つだと思うと、明日、自分の体調がどうなっているのかが怖い。お腹を壊しているのか、
食べるたびに
残り一個になると突然、灯真は食べるのをやめた。
「どうしたのですか?」
「あ、ああ……。最後の一つはお前が食べろ。それくらいはお互い様だろ?」
「……仕方ないですね? まあ、主の命令なら仕方ないですけど」
ちょっと怒っている仕草が可愛かった。
彼女は、残った団子を一口で食べ終えると自ら流し台に持っていき、皿を洗い始めた。
灯真はその後姿を見て、どこか懐かしく思った。
彼女の皿洗いが終わると、灯真は立ち上がって鞄を持ち、二階にある自分の部屋に向かった。
「待ってくださいよ、灯真様~!」
後ろから少女が追いかけてくる。灯真は、足を止めずに自分の部屋に入り鞄を放り投げると、窓を開けて、オレンジ色に染まりだした空を見つめながら、その場に腰を下ろした。少女もまた、目の前に正座をして微笑みながらこちらを見る。
「何笑っているんだよ? そんなに俺の顔がおかしいか?」
「いえ、そんな事はありませんよ。それにしても春はもうすぐ終わりを迎えるのに美しいですよね。この街は……」
「そうだな。この夕焼けを見ると、あの日のことを思い出さないか?」
「そうですね。あの日は、私にとって忘れることのできない思い出です。だって、灯真様ったら
手を頬に当てながら、嬉しそうに激しく妄想をしていた。
あまり中身の内容を知りたくない。
絶対に百パーセント自分じゃない別人が出来上がっているからである。
「大胆は大げさだろ? むしろお前の方が大胆というか恐ろしかったけどな」
「そうでしたっけ? 私、その時の記憶なんて覚えていませんよ」
「いいや、今よりも性格、その他もろもろ全て違っていたぞ」
「灯真様、私を怒らせたいのですか?」
その笑顔を笑っていなかった。口調は変わらない。これは本気で言っている。やろうと思えば、灯真を殺すことだってできるだろう。
灯真と少女の出会いは、今から四か月前の十二月下旬に遡る————
× × ×
中学三年の最後の冬————
毎年、年越し前になると母親の実家である
この地方には昔から言い伝えがある。これが嘘か、真かは分からないが昔おばあちゃんに話してもらったことがあった。
男の所に美しい女が訪ね、女は自ら望んで男の嫁になるが、嫁が嫌がるのを無理に風呂に入れると姿が無くなり、男が切り落とした細い氷柱の欠片だけが浮いていた。と、おばあちゃんは少し、悲しそうに話しているのを今でも覚えている。
灯真は、そんな昔のことを思い出して目を開けると、雪一色の風景が一面広がっていた。車は目的地へと近づいていき、数キロ程度で着く予定である。
「あら、おはよう。ずいぶん寝ていたわね」
美咲がハンドルを握りながら前を向いて車を運転していた。
色とりどりの道路も真っ白になってどこが道になっているのか分かりにくい。唯一、前の車が通ったのであろうタイヤの跡が頼りである。
「母さん、あとどれくらいで着くの?」
「そうね。この雪だと後三十分くらいかな? スピードを出したいけど出せないしね……」
「ふーん。ここって電波が通っているはずだよね?」
「ここの地域は大丈夫なはずよ」
「いや、圏外になっているんだけど……」
灯真は、スマホの画面の左上を見る。微動たりとも圏外から電波受信中に変化しない。
十二月三十日、大晦日前日。後、二日も経てば年を越し、一月一日、元旦になる。一日の午後にはほかの地方からの親戚が集まり、共にご飯を食べる。だから、毎年、一日の午後になると居心地が悪くなるのだ。親戚が集まると、色々と自分のことについてお構いなしに訊いてくる。血筋が繋がっていると言ったからって、イライラしてしまうのだ。自分の家に帰るのは、四日である。
早く、一秒でも帰りたいと今年も思っていた。
持ってきた荷物の中には、高校入試対策問題集や冬課題、推理小説などの暇つぶしに時間を潰せるアイテムばかりである。衣類や食べ物は。母親と共通の大型バックに詰め込んでいる。
車の速度は、時速三十キロ前後を行ったり来たりして、なかなかスピードを出すことが出来ない。
雪は車の屋根の上や車体の窓の隙間に降り積もる。
外に出たらマイナス何度の世界が広がっているのだろうか。
山間部にある家は、これ以上に生活が大変なはずだ。
そう思いながら頭をぼーっとしているといつの間にか時間は過ぎていき、三十分後には母親の実家に着いていた。
ドアを開けると、凄まじい冷気が流れ込み、一瞬にして体温を低下させる。
息を吐くと、白い煙が出て、すぐに消える。
コートを
古い大きな家は、雪に包まれて外見が全く分からない。人が入る玄関だけは雪掻きがしてあり、荷物を持って玄関の前まで行くと、美咲がカギを開けて先に家の中へと入っていく。その後ろを何も言わずにただついていくだけ。
家の中は暖かく、コートやマフラーは不要だ。
靴を脱ぎ、奥の部屋へと歩き出す。近づくたびにテレビの音が徐々に大きくなってくる。
扉を開けると、奥の台所で老婆が料理をしていた。
髪の毛は黒より白の方が多く。しわが多くなった手を冷たい水で洗い流している。
「お母さん、ただいま。今、帰ったよ」
「美咲、お帰り。あら、灯真君もこんなに大きくなって、また背が伸びたんじゃない?」
「あ、どうも……。そうですか? 今年は三センチしか伸びませんでしたよ」
美咲の母親、つまり、灯真からするとおばあちゃんということになる。彼女の名は、
この家は百年以上前の造りになっており、所々老朽化が進んでいるが、現在の最新技術で補強を行っている。この台所と繋がっている小さな部屋は、コタツとテレビ、ストーブ、小さな棚が置いてある。これくらいのスペースが一番居心地がいい。
「美咲、帰ってきて悪いけど、お正月の準備をするのに手伝ってもらえないかしら?」
「分かっているわよ。それで、まずは何をするの?」
「そうね。毎年、私が作っているおせち料理の手伝いをしてちょうだい。今日中に数の子を漬けておかないといけないのよ」
「はい、分かりましたよ。灯真、露天風呂の掃除をしてきなさい。終わったら先に入っていていいから」
バックを部屋の隅に置き、その上に脱いだコートをかぶせた。
灯真は、面倒くさそうに小さな溜息をつき、自分の荷物を置くと扉を開けた。
「ごめんね、灯真君。露天風呂は、好きに使っていいから……。あ、それと近所の温泉の無料券あげるから明日、明後日にでも行くといいよ」
部屋を出て行くときに言われた。
この家は普通の家とは違って、何故か露天風呂がある。近くには開かずの間の倉庫があり、いつも鍵がかかっている。その中に何が置いてあるのかは分からない。
廊下に出ると、右に曲がり、奥へ、奥へと歩いていく。薄暗い奥の部屋の手前をまた、右に曲がり、ガラス張りの襖を横にスライドさせると、脱衣所がある。
ズボンの裾を膝までまくり上げ、扉を開け、外に出た。
冷たい石が足の裏から伝わってくる。目の前には小さな露天風呂があり、掃除するのはその周りだけという状態になっていた。
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