巴×蒼衣さんクロスオーバーパラレル2

歌峰由子

迷子の蒼衣さんと宮澤君1


 天竺蒼衣という人物の第一印象は、「優しそうな王子様系イケメンパティシエさん」だった。

 奇妙な縁で美郷から手渡すこととなった「魔力含有食材」を検分する様子はとても真剣で、催し物会場の店先とは思えぬ没入ぶりや遠慮がちな言動は、いかにも繊細な職人肌といった風情だ。洋菓子の優美で愛らしい飾りつけも、食材が含むほんのささやかな魔力を扱うのも、なるほどこういう人がやるのか、と妙に感心したのを覚えている。

 ――そんな彼を怪異封じの現場に呼ぶ話になった時点で、多少嫌な予感はしたのだ。

「うーん、予感的中……」

 わざわざ愛知から招いた魔法菓子職人が消えた、と騒然とするイベントホールの片隅。鼠色のポロシャツにいかにもな「イベント実行委員会」の法被を羽織った巴市役所職員、宮澤美郷は腕組みをした。ホールに集まって明日の準備や打ち合わせをしていたのは、イベントに出店する関係者と美郷ら「特自災害係」――巴市役所の怪異対策係の職員数名、それから表向きイベント主催者となる商工観光課や商工会議所の面々である。

「宮澤君? なんか予感があったん?」

 呟きを聞きつけ振り返ったのは、美郷の指導係を務める先輩職員の辻本だ。常に温和な表情と口調を崩さない、「食えない人物」の代表格のような三十半ばの男性職員である。

「あっ、ええと……はい、実は。なんて言いますか――天竺さん、凄く『引っ張られやすい』タイプに見えたんで」

 分かっていて連れてきた、と思われたのではバツが悪い。居心地悪く括った長い髪をいじりながら、美郷はへらりと笑った。対する辻本も、ああ、と微妙な反応をする。

「それは確かに僕も思ったけど。一応、結界を張っとるはずなんじゃけどね……誰か壊したんかなぁ。宮澤君、分かる?」

 問われて、美郷は意識を研いだ。大人数の出入りするホールの空気は雑然としていて、広さも手伝って美郷でもすぐには分からない。首を振った美郷に、そうか、と辻本も肩を落とした。

「ほんまはウチが主催のはずなんじゃけど、やっぱり手綱を取るのは難しいねぇ」

 珍しく嘆き節の辻本に、美郷は深く頷いた。このたびのイベント「夏の妖怪フェスティバル」は表向き、巴市の観光資源である「稲生もののけ」をテーマに昨今の妖怪ブームに乗った夏祭り。しかして真の目的は、大規模な施餓鬼会である。元々は美郷ら、怪異を封じる特自災害が発案企画したものなのだが、いつの間にやら商工観光課と商工会議所に主導権が渡っていた。

 古来より山霊の気配が濃いまち、巴市を護る呪術組織――のはずの特自災害も、市の経済を握る人間には勝てない。そもそも、市議会でおおっぴらに予算を説明出来ない特自災害は常に日陰者である。辛い。

「ですね……。御守りみたいな人が一緒にいるから大丈夫かなって油断しました。護符を用意しとくべきでした。すみません」

「御守り? ああ、あの店長さん?」

 そう言って辻本が視線を向ける先では、スマホを握ったスーツ姿の男性が、金髪グラサンのチンピラと何やら話し込んでいる。

「うーん、眩しいねぇ」

「ですねぇ」

 金髪の方ではない。アレは美郷の大家で同業者のチンピラ山伏だ。話相手の黒縁眼鏡の男性が東八代、今回天竺蒼衣と共に招いた「魔法菓子店・ピロート」の店長である。名古屋近郊で魔法菓子店を営む彼らを今回、魔法菓子が珍しい片田舎の巴に招けたのは、あの東店長とチンピラ――美郷の大家兼友人・狩野怜路の縁だった。SNSを介して知り合ったらしい。

「あれくらい陽の気が強い人も珍しいねぇ。スカウトできたらええのに」

 あっはっは、と冗談だか本気だか分からない口調で辻本が言う。

「でも、あれくらい振り切ってる人は、大抵かなり感度が低いですよ」

 ははは、と軽く肩を竦めて美郷も返した。美郷は他にも一人、感度ゼロの天然バリア人間を知っているが、大変マイペースな人物だった。そして何故か大抵、ああいう超の付くような陽キャの隣には、太陽に寄り添う月のような感度の高い人物がいる。何か補完し合うものがあるのだろう。

「それじゃあ、僕は結界を確認してくるけえ。宮澤君は天竺さんの救出をお願いできるかね? あっ、良かったらこれも持って行きんさい」

 そう言って、去り際の辻本が美郷に持たせたのはブース出店している和菓子店の饅頭だ。なんでも、全国区で有名になった老舗のものらしいが美郷は甘いものが苦手で、和菓子――特に餡子が食べられない。出店者が挨拶と共に皆に配ったものだが、美郷の分はとうにチンピラ大家の腹の中だった。

「饅頭……?」

 美郷の甘い物嫌いをよくよく知っている辻本のことだ、何か意図があるだろう。小首を傾げながら饅頭を胸ポケットに仕舞い、ああ、と美郷は思い至った。

(饅頭は元々は供物……人柱の代わりだっけ)

 仏教行事である施餓鬼は、飢え彷徨っている餓鬼たちに施しをすることで徳を積み、彼らを供養して災厄を鎮める法会というのが一般的な解釈だ。

 しかし、実際には六道輪廻など存在しない。人々が餓鬼と呼ぶモノは、様々な人間が生きていく中で、この世に焼き付けてしまった「満たされぬ執着」の残滓だ。ただただ、何かに餓えて世を恨む想念だけが台風のような渦を巻き、陰の気を凝らせて彷徨っている。それらを解き散らす作法として、飢えに応える供物を用意し、慰撫するための経を唱えるのだ。

 ――小豆餡の饅頭は「供物」としてとても優秀な物であるうえ「身代わり」の意味も持つ。

「なるほど、さすが辻本さん」

 ポケットの上から軽くポンと饅頭を叩き、その名の通り蒼い月光のように繊細な、美貌のパティシエの気配を探る。十中八九、彼――天竺蒼衣を引っ張ったのは供養を待ちきれぬ飢え果てた餓鬼だ。感受性が高く、魔力と洋菓子の甘い気配を含んだ人間などおあつらえ向きに過ぎる。

「もしかして……いやまさかね……」

 いくら探れど見つからぬ気配に、美郷は長い一つ結びの尻尾を引っ張って天を仰いだ。



 美郷の大家のチンピラ山伏殿は、もののけの仕掛ける「間違い探し」を当てるのが得意である。現世に天竺蒼衣の気配がないと諦めた美郷は、東八代店長と直接懇意なその大家に、蒼衣を取り込んだ異界の入り口を探してもらうことにした。

「――この先だな。携帯のコール音が聞こえる。しっかし、蒼衣サンが引っ張られやすいのくれェお前も分かってただろうが。職務怠慢だぜ公務員」

「あーはいはい、お説教はあとでゆっくり拝聴いたします」

 チンピラのお小言を右から左に流しつつ、美郷は示された倉庫のドアに手を掛ける。鍵の壊れた廃倉庫のはずが、ドアはどれだけ押しても引いてもびくともしない。辺りは暗く、湿気て黴臭い空気が澱んでいた。耳を澄ませば幽かに遠く、携帯電話の着信音が聞こえてくる。東から蒼衣に電話をかけ続けてもらっているのだ。

「ここだな。怜路、こっちはもう大丈夫だから、辻本さんを手伝いに行ってくれ」

「おめー、俺ァ市役所の人間じゃねえぞ。日当くらい出ンだろうな」

 彼の本職はフリーランスの拝み屋、副業は居酒屋店員。今日は本来、ピロートの面々に挨拶に来ただけである。金髪を引っ掻きながら口元を歪める怜路に、大丈夫、と美郷は軽く頷いた。

「そこはご心配なく。ボランティア用の日当は予算付いてるから」

 結局ボランティアじゃねーか! と反駁するチンピラを、東京五輪ネタを出して来ない間に追い返し、ドアの前に正対した美郷はひとつ息を整えた。目を閉じ、意識を集中する。

「神火清明、神水清明、神風清明、急々如律令!」

 ぱんっ!

 高らかに柏手を鳴らすと、黴臭い空気が吹き払われる。ドアノブを回せば廃倉庫の戸は、風圧に押されて勢いよく開いた。

「蒼衣さん!」

 飛び込んだ美郷の目に映ったのは、呆然と立ち尽くす蒼衣の姿だった。背景には、何故かピカピカの立派な厨房が広がっている。

「……美郷くん、どうしてここが?」

 悪い夢から目覚めたように、はっと美郷に焦点を合わせが蒼衣が目を瞬く。ひとまず安心させるように軽く頷き、美郷は蒼衣を背後に庇った。

「説明は後で。ここはおれがなんとかします」

 厨房の奥に、黒い気配が複数たぐまっている。一匹の大きな餓鬼に小物が引き寄せられて、複合体になっているようだ。周りの小物だけでも先に散らしておきたい。

「臨兵闘者皆陣烈在前!」

 右手の人差し指と中指を立て、刀を観じた印で空間を斬り払う。小さな気配はあっさり散って宙に掻き消えた。明日まで待てば、丁寧に供養してやれたモノたちだ。だが、フライングで悪さをした以上は滅するしかない。

「あと一日待ってくれたらよかったのに」

 溜息交じりに呟いて、美郷は辻本から預かった饅頭を手のひらに転がした。残るは、異界をこしらえて人を取り込めるような大物だ。力ずくで滅するよりは、供物で満足させて散らすほうが早い。

『邪魔ヲすルナ……ソの人間をヨこセ……!』

 砂の軋むような耳障りな音が、人間の声を紡ぐ。元々、今年はやたらに餓鬼が多いと大きな施餓鬼会を催すことにしたが、人語を繰るような厄介なモノまでいただろうか。眉を顰め、美郷はゆっくりと首を振った。

「断る。この人はウチの大事なお客さんだ」

 怒気を孕んだ、駄々っ子のような気配に言い放つ。

「専属パティシエを抱え込もうなんて強欲が過ぎるよ。コイツで満足しろ――オン カカカ ビサンマエイ ソワカ!」

 地蔵菩薩の咒と共に、美郷は饅頭を餓鬼へと放った。

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