アルキューレの心臓

高柳神羅

第1話 カムサヤの火花

 日が暮れかけ、一面茜色に染まった世界。

 その上空を、大量の鋼鉄の塊が飛んでいた。

 垂直になったぼうふらに小さな四枚の薄羽が付いており、その羽を羽ばたかせて空を飛んでいる、見た目はそんな感じの代物だ。直径二メートルもない、乗り物にしては細すぎる機体には辛うじて人一人が乗れるかどうかといった程度の足場が付いており、そこに軍服と銃で武装した若い兵士が一人、乗っている。

 前面に二列に並べて付けられたボタンときちっとした立ち襟、肩章といった宮廷服を思わせる装飾が特徴の黒い軍服だ。階級が上になると袖口や襟元に金糸でラインの刺繍が施されたものを着用するようになるのだが、色味が何もないのは軍の中で最下級の兵士である二等兵の証であると言えた。

 功績を挙げれば上の階級に昇進できるのが軍というものであるが、今此処にいる彼らに限っては、その制度は適用されなかった。

 何故なら──彼らは、特攻兵だからである。

 ログリス国軍飛行兵団所属特攻隊、通称『カムサヤの火花』。カムサヤの花のように美しい花を大空に咲かせて華々しく散れるようにと願われて名付けられた名前らしい。通常兵器の弾にすら耐えられない極薄の装甲を備えてただ高速で飛行することのみを追及されたこの小型艇『ウィングロッド』に乗り、敵陣に突っ込んで一個だけ持たされた爆弾で自爆する、そのためだけに作られた部隊である。

 一応任務を果たして戦死した後は軍からその功績を讃えられて二階級昇進という恩賞が与えられることになっているが、死んでしまった身には階級も名誉も不要なもの、家族もいない自分にとっては何の意味もない報酬だと彼は思っていた。

 彼は小さく溜め息をついた。

 と。耳元で小さく電子音が鳴ったことに気が付き、彼は左耳に装着していた小型無線機のスイッチを入れる。

 銅製の耳当てのような形をしたそれから、聞き慣れた若者の声が聞こえてきた。

『──よお、まだ生きてるか? ネロ』

 こんな状況下に身を置いているというのに、相変わらずこの男はご機嫌な様子で笑っている。

 名を呼ばれた彼は、微苦笑して左耳に手を添えながらそれに応えた。

「お陰様で、まだ無事に飛んでるよ。レグルス」

『はは、だろうな。こうして俺たちが会話できているのが何よりの証拠だ』

 そうだ。自分たちは特攻兵。敵国の中心を穿つために発射された、人の形をした砲弾。

 目的地に到着すること。それはすなわち、火花と化して散ることを意味する。

 そして……その時が来るまで、もう幾分もない。

 遥か前方にうっすらと見えてきた都市の輪郭を見据えながら、ネロは言った。

「……お前の声を聞くのもこれが最後かと思うと、淋しいよ」

『……なあ、ネロ』

 同じ部隊に所属する唯一無二の親友は、先程までの弾んだ声音を低く落として、静かに語り始めた。

『お前……わざわざ特攻兵に志願しなくたって、普通に一般国民として生きていくことだってできたはずだろ? 青薔薇ロサとしてログリスで五本の指に入る人気を誇ってたお前なら……裕福な貴族に妾として買われて、一生幸せに暮らすこともできたはずだ。まだ十六だってのに……これから幾らでも幸せになれたのに。それを、全部、捨てちまうなんて』

「……その話はやめてくれよ」

 ネロは溜め息をついた。

「おれは、我が物顔で地上をのさばってるアルガリアの連中と、自分のことを唯一無二の救世神とかぬかしてやがるアルガリア皇帝が許せない。あいつらがいる限り、おれたちの未来に幸せなんてないんだ。誰かが、戦わなきゃいけないんだよ。だからおれはそのためにこの船に乗ったんだ」


 アルガリア帝国。

 機械文明が浸透したこの世界において、機械に魔術を融合させた独自の技術より生み出された『新世界文明』を元に築き上げられた一大軍事国家である。

 魔術──御伽噺や神話の中にしか存在し得ないとされてきた、神の力。

 アルガリア帝国は、その『空想の力』でしかなかった魔術を実現させ、その力によって様々なものを生み出した。

 魔術の力を自在に操る能力を持った人間、魔術師。

 機械文明では主流とされてきた石炭や石油、蒸気の力を用いる代わりに魔術の力を動力源として稼動する機械たち。

 そして、男性しか存在しないこの世界にて、新たな子供を作り産み落とすことを可能とした『マーテル』と呼ばれる存在。

 アルガリア帝国は、魔術の力とこの世界で唯一子孫を産むことができる母の存在を独占し、それをちらつかせながら諸外国に対してこう要求したのだ。

 我が属州となれ。従う者には恩恵を与えるが、逆らうならば滅ぼす。と。

 これに対して諸外国は猛反発し、アルガリア帝国打倒のための連合軍を結成、世界大戦が勃発した。

 四カ国からなる連合軍が有する兵力はおよそ一千万。諸国から有能な若き人材が集められ、多額の資金を投資して開発された機械兵器などが次々と投入された。

 対する帝国軍の兵力はおよそ五十万。

 単純な数のみで言うならば、連合軍の方が圧倒的な戦力を有していた。

 だが、それでも。連合軍が優勢であるとは、言えなかった。

 帝国軍が有しているものは──人の常識では計り知れないほどの、最低最悪の『災禍』だったのだ。


 総勢三十名余りの『カムサヤの火花』がアルガリア帝国上空へと到達した時。

 彼らの目の前に立ち塞がるようにして現れる、ひとつの存在があった。

 それは、白と赤を基調にしたドレスのようなローブを纏った若い男だった。

 腰まで長く伸ばしたストレートの金の髪。唇に紫のルージュを引き、目元をピンクと紫のグラデーションとラメが入ったアイシャドウで華やかに飾っている。右の目尻には、三つのハートが連なった形の赤い刺青を入れている。そんな美丈夫だ。基本的に男性しか存在していないこの世界ではあるが、その容姿はどう見ても女性のように美しかった。

 角のような形をした髪飾りに、首を飾るゴルゲット。耳を彩るピアス。左右の指に填められた指輪。それらの地金はどれも金で、形も種類の様々の宝石がふんだんにあしらわれている。そんなにもごてごてと全身を宝飾で飾っているのに、不思議とけばさや厚かましさは感じない。まるであの宝飾自体が男の体の一部分であるかのように、宝石としての存在感を主張していないのだ。

 背に光り輝く大きな六枚の翼をはためかせ、男は自分の周囲を飛び回るウィングロッドの群れを見つめている。

 ネロの耳元で、小型無線機がうるさく電子音を慣らした。

 これは、通信中に別の仲間からの通信が割り込んできた時の傍受音だ。

『総員、散開! 奴が現れた! 帝国魔術師、シャーリーン・フリウスだ! 固まっていると的にされるぞ!』

「あらあら……アタシの姿を見て逃げるなんて、つれないじゃないの。可愛い小鳥ちゃんたち、アタシと一緒に遊んでちょうだいよ!」

 にぃ、と唇を半月型に形作り、魔術師が右手を水平に持ち上げながらすいっとその場を一回転する。

 翼が眩く輝き、数多の羽根を弾丸のように撃ち出す!

 辛うじて目視できる、それほどのスピードで宙を飛んだ羽根の群れは、手近な位置を飛んでいたウィングロッドを次々と貫き、破壊していく。

 ある機体はエンジンを射抜かれ、ある機体は翼をもがれ、派手に火の粉を散らしながら地上へと落ちていく。地に着く前に爆発して鉄屑と化し、皆の視界の中から消えていった。

「アッハハハハハ! ほらほら、踊りなさ~い? ひよこみたいにぴよぴよ可愛らしく鳴きながら、お尻を振って一生懸命に逃げるのよォ? ……あら、ひよこちゃんは飛べない雛鳥ちゃんだったかしら? まァ、いいわ。一匹たりとも逃がさないから、せいぜいアタシを楽しませなさいよォ?」

 女のように身をくねらせながら、目につく獲物を次々と撃ち落としていく魔術師。

 無線の向こうで、親友が舌打ちする音が聞こえた。

『畜生、目的地までもう少しだってのに! このままじゃ全員無駄死にだ! ……ネロ、俺が奴に突っ込んで時間を稼ぐから、その間にお前は行け! 何としても皇帝に一撃かましてやるんだ! いいな!』

「……待て、レグルス!」

 一機のウィングロッドが空中で優雅に翼を広げている魔術師へと突っ込んでいく。

 親友が搭乗しているウィングロッドだ。

『皇帝に尻尾振る最低の犬野郎が! 俺が相手だ! その余裕すかしてる顔面に風穴空けてやるから覚悟しやがれ!』

 足場の上で、親友が手にした何かを思い切り振りかぶっている。

 あれは──目的地に突撃した時に爆発させる予定だった、爆弾だ。一メートル厚の鋼鉄の板すら余裕でぶち抜くほどの破壊力を秘めた、自分たちカムサヤの火花の最終兵器。至近距離で破裂したら、人間の体など形すら残さずに吹き飛ぶ。

 親友は、魔術師を道連れに自爆するつもりなのだ。

『行け、ネロ! 皇帝の城に! 早く!』

「レグルス!」

『……ネロ。俺は、お前のことが好きだ……愛してた。もしも俺が貴族だったら、お前のことを一生をかけて幸せにするって誓えたくらい、大事に想ってた。だから……俺は、お前を守るよ。こんな場所で目的も果たせないまま、お前を死なせたりなんてしない。お前を羽ばたかせるための、翼になってやる。なってやりたいんだ』

「…………!」

『じゃあな。俺は先に逝く。もしも天国でまた逢うことができたら……その時に、俺の告白に対するお前の答え、聞かせてくれよな』

 ぷつん、と無線機が沈黙し、親友の声が聞こえなくなる。

 そして。

「うふふっ、いいわ、いいわよォ、元気な子は大好きよ! 元気がある方が殺し甲斐があるもの! さあ、ショーターイム! きゃははははっ!」

 魔術師の哄笑が響き渡る。

 親友を乗せたウィングロッドと魔術師が激突する。茜色の光が生まれ、花咲き、炎と爆風を周囲に撒き散らした!

 予想以上に強烈な爆発の力は、そこに存在していた全てのものを吹き飛ばす。

 装甲の薄いウィングロッドは風に煽られてバランスを崩し、回転しながら遠くへと飛ばされていく。

 ネロは慌てて操縦室に駆け込み、操縦桿を握った。

 だが、制御できない。流される力が強すぎて全く言うことを聞かない。

 ネロを乗せたウィングロッドは魔術師のいる区域から離脱し、そのまま彼自身何処へ行くのかも分からないまま、姿を消した。

 残されたウィングロッドは一機残らず魔術師の放つ魔術によって撃墜され、その名の通り色鮮やかな火花へ姿を変えて散っていった。

 この日──アルガリア帝国が擁するたった一人の魔術師によって、カムサヤの火花は全滅したのだった。

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