第3章 真偽の裏表
24.たとえこの身が堕ちようとも ①/神685-5(Imt)-29
ゆったりと流れる外の景色。
リズミカルに揺れる自分の体とちょっとした雑音。
首都ベルバに向かう馬車の中、エリアが見繕ってくれた本を読んでいる。
しかし、ここまで揺れると本を読むのも楽じゃない。
読む以前に吐き気が先に込み上がってるくるからだ。
だから少し読んでは外の景色を見て、良くなったらまた読んでを繰り返してる。
馬車の中にはエレミアとレミアの二人のみ。
たまに会話もするけど、ずっと喋ってるわけにもいかない。
因みに兄貴族ことベルジュは別の馬車だ。
これから同じ船に乗るんだし、名前くらいは使ってあげることにした。
インルーを離れて、もう3日くらい経過している。
私の考えより遥かに早い出発だった。
少なくても6月まではかかると思っていたのだ。
しかしどうやら6月前、遅くとも6月1日までは戻る必要があるらしい。
詳しくは話してくれなかったが、エレミアたちは納得していた。
後から聞いた話だと、6月が家庭の月だからという理由らしい。
――――家庭、か。
家庭というのは厳密に言って家族を意味するのではない。
漢字をそのまま解けば《家の庭》、要は場所を意味する。
言葉を変えると、戻る場所とも解釈できるだろう。
正直なところ、この3日間ずっとその言葉が頭を離れなかった。
両親は今頃どうしてるのだろうか。
そもそも私がいなくなったことはあっちでどう処理されたのだろうか。
ファンタジーなんていう非現実的なことが現実になったんだ。
どこまで最悪を想定したって過ぎてるということはないだろう。
誰にも愛されなかった私だけど、親だけは恵まれた。
私が他の家で産まれていたら、今まで生きていなかっただろう。
そういう意味でも、もし帰れないとなった時、あの世界に残っているただ一つの未練とも言える。
この世界に、私が戻る場所はない。
エレミアはそんな私の居場所を見つけてくれると言ってくれてる。
それは素直に嬉しいけど、心の片隅には未だ穴が空いたままだ。
手元から全てが消え去った時。
私という人間を、私だからこそ無条件で受け入れてくれる場所。
肩書ではない、私個人を許してくれるただ一つの居場所は、ここにいない。
「――アユム」
「……どうした?」
「ここ最近、ずっと元気がないね」
「元からこんなんだっただろうに」
「違うでしょ、インルーを出るところから妙だったもの」
「そうだったか、もしかしたら疲れがまだ癒えてないのかもしれないな」
エレミアの質問を曖昧な答えでごまかす。
言ったところで、愚痴にしかならないものだ。
『本当に、このまま何も言わないおつもりですか』
そこで、ここ最近は声を聞けなかったフォレストの声が聞こえる。
フォレストなら先程までの私の考えを知ってるだろう。
本当に言わないつもりなのか、と聞かれても、そうとしか言えない。
私の口からこれをどう言えって言うのだ。
誰に言ったところで解消されない、本当に私自身だけの問題だ。
私はエレミアたちに罪悪感を抱かせたい気も、急かす気もない。
仮にフォレストからレミアに私の胸の内を明かされたとしても、私の口から真実は出ない。
『そう、ですか』
それっきりで、フォレストの声は聞こえなくなった。
しかし目の前には相変わらず気になるよっていう視線を送るエレミアがいる。
レミアは心配そうにこちらを見てるだけだ。
もしかしたら、本当にフォレストから聞かされたのかもしれない。
まあ、どうでもいいことだ。
これに対してどんな会話が交わされたって良い方向には転ばない。
私は気にせず、外の風景を眺めることにした。
窓から映る風景は木々の群れ、要は森の中である。
困ったことに面白いものはそう見えない。
馬車が通る道に動物たちが近寄るとも思えないし、来ても賊や魔物くらいだろう。
そういや、この世界に来てからそういう類のものを見たことがない。
異種族もエルフしか見たことがないけど、エルフ以外にもいるにはいると聞く。
まあ、どちらも人間との関係はよろしくなさそうだが。
――話題を変えるにはちょうどいいネタか。
「一つ気になったんだけど、ここは怪物とか魔族とかは居ないのか?」
「怪物と言っても……襲ってくるという意味では野獣や魔獣とかはあるよ。
魔族というのは初耳かな」
「そうなのか?」
「言葉からしてマナーや魔術を扱う種族なのでしょうか。
でもそれだと全ての種族がそうなりますね」
いやそうか、自然すぎて忘れてるけど《統一言語》の祝福が間にあるんだよな。
私の耳には日本語にしか聞こえないけど、向こう側は違って聞こえるのかも。
そもそもこの世界に存在しない言葉だから、それっぽい何かになってるのか。
そう考えると本当にデタラメな祝福だ。
言葉を訳すだけではなく、音声まで変換してるということになる。
いや、今はそれより魔族のことだ。
魔族がないとすると、悪魔はどうなるんだ?
代名詞で、《悪》と《魔》だからって悪い魔術というのは語弊がひどい。
「いや、種族のことではあるのですが……悪魔とかの類です」
「悪魔、ですか」
「それは――初耳だけど、似たようなものならいるよ」
いると答えたエレミアも、繰り返したレミアも良い表情ではない。
言いにくいのか、それとも説明しづらいのか――恐らく前者だろうな。
でも《魔族》という言葉がなかったのだ。
だったら《悪魔》という言葉の意味をもう一度、考え直す必要がある。
魔族と悪魔の定義はなんだろうか。
魔族というのは魔界に住む種族ということになる。
ここで言う魔界を単なる魔術からの《魔》と認識するとしてみよう。
そうすると確かに、魔族とはこの世界の全ての種族でも間違ってはいない。
だったら悪魔の定義はなんだろうか。
悪魔、天使の反対語。
天使とは神の僕にして神の部下、つまりはレミアのような神官たちが当てはまる。
だったら悪魔は神を背いた存在、神の膝下から落とされた存在ということか。
――この世界で?
あらゆる種族が神を祭り、協会を置いているこの世界でか?
自分の考えに少し戸惑っていると、なぜか妙な視線を感じた。
とっさに窓の外を見るもそこには何もない。
私の行動にはてなを浮かべるもエレミアは言葉を続けた。
「私たちエルフを含めた人間以外の種族には犯してはならない禁忌があるんだ。
エルフの場合、《交わした約束を自分から破ること》になる。
そしてこの禁忌を犯した場合、種族の神に見捨てられ堕ちてしまう」
「それは――そうか、エルフが人間を嫌う理由が何となく想像できた」
エルフは自分から約束を破れない。
でも人間は平気で嘘をつき、約束も破る。
全ての人間がそうとは言えないが、完全に否定できないほどにはよくあることだ。
異種族同士の約束事、そこで何かの問題が起こったのだろう。
漠然としか想像できないが、それで利益を取る方法はいくらでもある。
「恐らくはアユム様の想像通りです。
私も全てを知ってるわけではありませんが、前例はあります。
そして、その過程で皆を守るために禁忌を犯すエルフも存在します」
話す二人はどこかつらそうな雰囲気をしていた。
まあ、私がこの世界の人間ではないとしても人間なのは変わらない。
その前で人間の悪口を言うのも、同族の恥を晒すのも負担になるのだろう。
どんなに信頼してると言っても、認識というのはそう簡単に変わらない。
しかし――先程からどうも居心地が悪い。
私の勘違いでなければ誰かが外で私たちを見ている気がした。
一度馬車を止めてエレミアに確認をお願いしたほうが良いのかと思ってると、突然として馬車が動きを止めた。
そして馬車で御者をしていたメイドさんが扉を開いては謝罪する。
「申し訳ありません皆様、少しここで休憩をしていこうと思います」
「なにかあったのですか?」
「いえ、先程から誰かがこちらをずっと監視していました。
敵意はなかったので無視していましたが、どこまで進んでも追ってきています。
さすがに看過できないと判断し、こちらの独断で馬車を停止いたしました」
やはりか、と思いながら二人を見ると少し驚いた様子だった。
しかしそれも一瞬のこと、エレミアはすぐに回りを見渡し、レミアは目を閉じる。
そんな二人を確認して、メイドさんは言葉を続けた。
「エルフの方々は目利きが良いとお聞きしています。
もしかして、この視線の主を目視できるでしょうか?」
「視線も感じますし、方角もわかります。そして、どんな存在なのかも……」
「ええ……これも運命なのでしょうか」
エレミアの言葉に目を閉じていたレミアも同調した。
しかし二人とも歯切れが悪い。
まるで先程の禁忌の説明をしていたときのように、つらい空気になっていた。
「――もしかして?」
「多分、ね。すみません、少し三人で別行動を取りたいのですが」
エレミアの頼みを聞いてはメイドさんはしばし私を含めた三人の顔を確認する。
紅色の視線はそのまま森の方を一度確認しては、目をつむって了承した。
「……わかりました。自分は馬車周辺の警護に当たりましょう。
しかし、何かありましたらすぐにお知らせください」
「すみません、わがままを言ってしまって」
「何か事情がおありなのでしょう。こちらは大丈夫ですので、どうかお気をつけて」
私たちはメイドさんに感謝を述べたあと、そのまま森の中へと入った。
馬車から少し遠いけど、まだこちらから馬車の輪郭が見える。
馬車側からはこちらをはっきりと視認できないが遠くもない曖昧な距離。
そこにエレミアたちは止まる。
エレミアはレミアと視線を合わせてから、こちらに開き直った。
「アユム、今から私たちを追っているモノを呼んでみようと思っているよ」
「それは、そのモノが堕ちた種族――エルフだからか?」
「正解、こちらを追っている理由も解消しておいたほうがいいと思うし」
「……理由?」
まるでこちらを追っている理由をわかってるような言い草に少し戸惑うが、エレミアは私の言葉に頷くだけ。
次にエレミアの口から出たのは私に対する言葉ではなくその堕ちたエルフに対しての呼びかけだった。
『私はトレーフ領、フリュードの村のエルフ、エレミア!
こちらを追う嘗ての同胞よ、未だその胸に情愛が残っているのなら姿を表せ!』
エレミアの声が森の中に響き渡る。
馬車の方まで声が届くのではと思えるくらい力強く、鮮明に。
その木霊の返事は随分と早く聞こえた。
『情愛は残ってるが、あいにく君らに晒す体はしていない。
それに堕ちモノをそんな気軽に呼ばないでおくれ、神の御前じゃないか』
多少ハスキーだが、それでも良く通る声が聞こえる。
声を張ってるようには聞こえないので、この近くにいるのだろう。
「その神の祝福を得た者が、あなたのような存在を見たがっています。
強制はいたしませんが、姿を表してはいただけないでしょうか」
今のはレミアだ。
《神の御前》と表現した以上、フォレストを感じられると見ていいだろう。
この場でそれを一番色濃く出せてるのはレミアのはず。
そのレミアが他人を指すように祝福を得た者と言ったら、それは私しかいない。
そう、人間である、この私だ。
『――神官さんにそう言われちゃあ出るしかないか。
まあいいさ、心配してたことにはなってないようだし。
お目汚しになるがそのあたりは勘弁してくれ』
そう言いながら、恐らく木の上からこちらへと落ちてきた女性。
黒髪に茶褐色の肌、服装は監視団の服装に似てるけど色が仄暗く肌率も少し高い。
その姿は正しく、私の知っているダークエルフそのものであった。
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