番外4.初めての経験、初めての体験

 本は、作者の世界を間接的に体験できる媒体だ。

 文章や内容からその人の性格、価値観、考え方まで滲み出る。

 それを確認できるという点でも、多くの本を読むというのは様々な人の気持ちを一方通行で味わえる行為に他ならない。


 しかし、ここで重要になるのはこれがあくまでも間接体験だということ。

 自分の体で体験じたことではないから、どうしても他人の感想になる。

 その意味でも、本だけの知識は完全な自分の知識とは言い難い。


「そんな意味で、行きますよアユムさん」


「どういう意味かはわからないけど、まあ、約束したから良いよ。

 バーストさんたちも、よろしくお願いします」


「なぁに、おごるって約束もしたし良いってことよ!

 私たち《燃ゆる栄光》がきっちりこの都市を案内してやるよ!」


「そうそう、冒険者――いや、私たちほどこの都市に詳しい人間はいないっ!」


 メンバーは私ごとエリアとアユムさん。

 そしてギルドの冒険者で、前回の事件で一役買ってくれた《燃ゆる栄光》の二人。

 大きな男はバースト、妙に露出度が高い女性のほうはリューネというらしい。


「まあ、ギルドとしても今後はエルフと協力関係で行きたいと思ってる。

 そんな意味でもかわいいエルフのお嬢さんからの依頼となっちゃ断れねぇな」


 そう、今回の依頼は私が正式にギルドへと依頼したものだ。

 内容は都市の案内、あくまでも観光目的での案内だと釘を刺しておいた。

 もっとも、体格のせいもあって誰もそこは疑わなかったのだが。

 それで少し傷ついたのは内緒だ。


「――だけど、本当に報酬無しで良いのですか?」


「良いさ、さっきも言ったろがおごりって。

 どうしても気が引けるんなら、前回の事件の埋め合わせとでも思ってくれ。

 それにこっちも遊ぶからな!」


「そうそう、今日は観光、それもこっちのお兄さんとの逢引きでしょ?

 私たちは場所と雰囲気だけ準備するからごゆっくり――」


「余計な誤解を招く発言はご遠慮ください」


 まあ、こんなわけで相当ふざけた空気が流れている。

 主に流れさせてるのはギルドからの冒険者二人だけだが、それでも半分。

 こういう雰囲気に慣れてない私は、どうも疲れを覚えていた。


 ――だけど、今回はむしろ良いかもしれない。

 雰囲気は悪くないから、後は彼らと私の働き次第だろう。


「そんなことより、案内をお願いします。時は金なり、なのです」


「おっとそうだったな、とりあえず動くか。リューネ、どっから行く?」


「そうだねーエルフだけでは入りにくい場所とかも紹介したいな」


「……と言ったら、あそこしかないのでは?」


「そうだな……出て早々で悪いが戻ってみるか!」


 あそこ、とアユムさんが言ってバーストという大男が受ける。

 冒険者の男とアユムさんが通じ合えそうな場所。

 それに戻ると言う言葉――遊べる場所かはともかくとして、場所は一カ所だけだ。


「確かに前回の自分は建物すら見てませんね、よろしくお願いします」


「おおっ、これだけでわかったの!?

 やっぱり天才肌かなこの子もうかわいいな!」


「苦しいので離してください」


 リューネという女性にそのまま抱っこされては、ほっぺをすりすりされる。

 私の苦情は無視されたが、悪意がないからただ聞こえなかっただけなようだ。

 アユムさんはアユムさんで微笑ましく見ているだけで、助ける気はない模様。


 そして私は抱っこされたまま、恐らくギルド方向へと運ばれる。

 心の奥でため息を垂らしながら抵抗を諦め、せめて手元の本だけ離さないように注意するのであった。


********


 ギルドを始めとして、都市内の色んなところを巡った。

 流行りの飲食店、都市中央にある教会周りの公園、商店街。

 そして、エルフとして一番入りづらい兵士たちの駐屯地まで見物した。

 さすがに兵士たちにはいい目をされなかったけど、それだけ。

 例の事件よりは横にいるアユムさんに恐縮してる印象だったが。


 実際に都市内の他の場所ではどこでも歓迎された。

 都市内の飲食店や商店の人間たちはもちろん、ギルドの冒険者にまでもだ。

 因みに私の首に刃物を押し付けたあの人はさすがに見当たらなかった。

 本件以外の余罪も多いので免許停止処分はもちろんだが、追加の罰もあるらしい。


 そして今はバーストさんとリューネさんが愛用するという食堂に来ている。

 うるさすぎるのが少し難点だったけど、料理の値段も味も良いところだ。


「くっふぅ! やっぱ夕食と一緒に飲む酒は別格だぜ!

 どうだいあんちゃん、一杯いくか!?」


「遠慮しておきます」


「今日は悪乗りやめなよバーストさん、エリアちゃんもいるんだから」


「私も飲みませんが、そこまで子供でもありません」


 別に厳しい運動はしていないはずだが、今日のはさすがに疲れる。

 もうすっかりちゃん付けが定着してしまった私の呼び名にもようやく慣れてきた。

 ここまで純粋な善意のみで振り回されたのは多分初めてではないだろうか。


 疲れたまま少し周りを見てみると、何人かがこちらを見ている。

 何かを言いたいわけではないが気にはなる、という感じの視線。

 今日はこういう視線にずっとさらされっぱなしであった。


 その視線の原因が私ではないというのは断言できる。

 そもそも好奇の視線というのはそれ相応の珍しい存在に当てられるものだ。

 エルフとはいえど、この都市には監視団が存在している。

 何よりも、好奇の《好》に値する対象ではない。


 そうなれば答えは簡単だ。

 エルフを――いや、神の使徒を歓迎している。

 同じ人間で、神の総愛を受けているアユムさんがその原因だ。


「……どうかしたか? 私の顔をそんなに見て」


「いえ、なんか疲れてるように見えたので」


「まあ、私は元から体力がないからな」


「ふむ、それはいかん、男としていざという時に好きな女性を守れないと!

 どうだ、明日からでも俺が鍛えてあげようか!?」


「誰かに教えてもらえるほどのレベルにすら達していないので遠慮します」


 アユムさんの言葉を適当に誤魔化したらそのままバーストさんが食いつく。

 そっけない態度のアユムさんに、それを無視して入ってくるバーストさん。

 態度こそああだが、アユムさんも嫌ってるようには見えなかった。


――――神の使徒、か


 アユムさん本人は何一つ変わっていない。

 あの時、村の真ん中で自分を貫いた馬鹿な人は今回も同じだった。

 自分は自分だと、人間ではないアユムという一人の存在だと。

 そう啖呵を切って見せたあの人は、果たして今どんな気持ちだろうか。


「大丈夫大丈夫、誰しもがそんなもんだ!

 うちの魔術師たちの基礎訓練も付き合ってるから、アンちゃんも行けるって!」


「その魔術師たちが当時、ひぃひぃ言いながら私に助けを求めたのは内緒です」


「あっこら、そう言っちまったら内緒でもなんでもねぇーよ!」


「検討はしましょう、検討だけですが」


 今日、アユムさんも連れてこの場所を回ったのは他に理由がある。

 ここに残る私なりの思い出づくりと、現状確認が目的だった。

 この都市の人たちの反応が首都に行ったところで変わるとは思えない。

 それを政治的に利用することが公爵家の提案だし、ひどくなる可能性も高い。


「――ところでですが」


「どうしたの、エリアちゃん」


「この国の首都――ベルバというのはどんなところですか?」


 考えた末に出した結論はこの質問だった。

 私がどれだけ思い悩んだところで、一緒にいかない私はどうにもできない。

 なら行き先の情報、それを少しでも知りたい。

 そしてアユムさんにも知ってもらいたい。

 そういう気持ちを向こうは知るわけもなく、気軽に返ってきた。


「そうだな、まあとにかくでかいところだ。

 住んでる人間も貴族の関係者がほとんどでギルドの本部もそこにある。

 有名なところといえば――まあ、やっぱり図書館だな」


「図書館、ですか」


「そうだね、うちの国の王立図書館は有名だよ?

 蔵書の数はもちろんだけど、何よりも大事なのは無料での一般公開。

 身分に関係なく、誰でも本を読んだり借りたりできるの」


「――それはすごいですね、ぜひとも行ってみたい」


 ここ一番の食い付きを見せるアユムさん。

 その気持ちは私も同じだった。

 人間の施設だから流石にエルフは無理だろうと思うけど、気にはなる。


「たださっきも言ったように首都付近は貴族の関係者が多い。

 そのせいで一般庶民の利用数は多くはないが、入ってしまえばそこから平等だ。

 例え何者であろうと無理は通せない、そういう場所だよ」

 

 そう言ってバーストさんは何かを懐かしむように遠くを見た。

 妙な雰囲気に口を出せずにいると、すぐさま顔を変えては言葉を投げてきた。


「しかしそうか、アンちゃんはベルバに行って、依頼主の嬢ちゃんはいかないのか」


「えっ」


 まさしく奇襲と言っても過言ではない言葉だった。

 匂わせる何かを喋った覚えはないし、アユムさんも自分から語る人じゃない。

 いきなりの言葉に慌ててるとバーストさんとリューネさんはおかしそうに笑った。


「さっきから様子が変だったからな。そこでそんな質問されたらピンとくるさ」


「そうそう、冒険者というのはいろいろな人を見るからね。

 それくらいは年月が重なれば自然とできることだよ、そうでしょお兄さん?」


 そう問われたアユムさんはしばし間を置き、ため息をついた。

 もしかしたらここでそれを言うつもりはなかったのだろうか。

 余計なことをしたのかと少し申し訳ない気持ちになったけど、アユムさんは気にせず言葉を返した。


「否定はしませんが、それも一つの才能です。

 そして仰る通り、そう遠くないうちに自分は首都に行くことになるでしょう。

 ――それで、どう思いますか。私という人間が首都に行くのに対して」


「それは神の使徒としての質問で良いのか?」


「お好きなように」


「へっ、本当に素直じゃないな」


 自分の目の前に注がれてる酒を一気飲みしては、自酌するバーストさん。

 すぐに言葉が続かないバーストさんの代わりにリューネさんが先に口を開いた。


「まあ、今日回ってみてわかったと思うけど、神の使徒の名前は結構広まってる。

 私達は少しでも先にお兄さんたちを知ってたからまだ良いけどね。

 行くのだったらその辺りは覚悟したほうが良いと思うよ」


「なぁに、その代わりアンちゃんは安全になるさ。

 名前が広まれば広まるほど、神の使徒を襲う不届き者も減るだろうよ」


「そうですね、肝に銘じておきましょう」


 その話題はそこで終わった。

 どちらかというとアユムさんがそれ以上の言葉を交わさず、自然に切られた。


 そして、その場は適当に雑談をしながら夕食を済ませることで終わる。

 二人は自分たちの住処に帰り、私たちも《宿り木》へとゆっくり足を進ませた。


 そんな中、私はどうしても先程の続きが気になった。

 使なんて言葉、その場の誰も納得しなかっただろう。

 だって、アユムさんが拉致られた原因の一つはまさしくそれなんだから。

 裏の事情を知っている人と当事者が、その当たり前を敢えて無視したのだ。

 それに私は、いや、そんなことより――


「――先程の会話が気になるのか?」


 そこで歩みを止め、視線を私に向けて聞いてくるアユムさん。

 気を利かせてくれたのだろうけど、私は逆にもどかしくなった。

 だけど、エルフとして嘘は許されない。


「……はい、気にならないといえば嘘になります」


「まあ、大したことじゃないよ。首都で利用されるであろうことは知ってる。

 それにバーストさんのあれは一般論で、誰でも考えていることだ。

 公共の場だし、当たり障りのないところで互いが口をつぐんだだけさ」


「そうだったんですね――っじゃなくて!」


 本当は、もっと色んなことをやりたかった。

 どれだけ知識があっても、どれだけ本を読んでも、それは私の経験じゃない。

 行ってしまうアユムさんに、私との思い出を作っておきたかった。

 何よりも、いつも無茶ばかりするアユムさんが心配だった。


 でも何もかもが初めてで、どうしたら良いかわからない。

 率直に言うのは違う気がする、何かを一緒にやれば思い出が作れるのだろうか。

 何をやれば、何を言えば思い出も、私の気持ちも伝わるのだろうか。


 いろんなことがごっちゃ混ぜになって、うまく表現できない。

 胸の奥では何かが重く伸し掛かっている。

 なんでこんなにも不安になってるのだろうか。

 そこで、戸惑いながら驚いた顔で私を見るアユムさんと目があった。


――――ああ、そうか。

    私は、アユムさんの目的が叶った後の事を心配してるんだ。


「――アユムさん」


「……なんだろうか」


「本当は、今日は思い出作りのためにあなたを連れ回しました。

 もちろん、見て回るという目的も嘘ではありません。

 でも、それよりも私は、あなたが私という存在を覚えていてほしかったのですよ」


「覚えていてって、まるで――ああ、そういうことか」


 賢いアユムさんのことだ、それだけでも私の言いたいことは伝わったはず。

 私は戻ってくる言葉を待たずにそのまま胸の奥を吐き出す。


「色んな事をやりたいと思ったけど、結局何もうまくいきませんでした。

 何をどうするべきかすらも、情報だけの知識は何の力もなりませんでした。

 だから例えあやふやでも、伝えずに別れるのだけは嫌だったのです」


「――」


「あなたのことが心配です、いつも自分自身を削ぐあなたが心配です。

 前回も、今回も、そしてこれからもあなたはそうするでしょう。

 そこに付いていかず、ここに残ることを選んだ私です。

 そんな自分に、あなたを心配する権利はないかもしれませんが――」


「――人が、人を心配するのに理由なんかいらないだろ」


 そう言って、アユムさんは膝をつき私の目の高さを合わせる。

 アユムさんは、アユムさんにしては珍しく私の目を真っ直ぐ見ながら語りかけた。


「確かに、私も向こうで何が起こるかはわからない。

 そして君は、君の心配を取り除ける安易な約束を信じないだろう。

 だから、もしものときでも、もう一度君を――君たちに会えるように努力しよう」


「努力だけですか? 約束ではなく?」


「努力するという約束はできるが、会いに来るという確約はできない。

 私がこの世界から戻されるのも、私の意思が関係しない可能性がある。

 そして私には、世界の壁を超えられるような能力は存在しないからね」


 そうだ、それを最初に突きつけたのは他ならぬ自分だ。

 それを私が知らないはずがない。

 その可能性を知っているから私はこんなにも不安なのだ。


 それはアユムさんとてどうしようもないこと。

 もしこのまま何もしないで過ごしたら大丈夫かもしれない。

 しかし、それだと村の教会にいた頃と何も変わらない。

 アユムさんの今までは全てが無駄になる。

 何より――そこまでのことを求めながら止めるなんて、私にはできない。


――――だったら、せめてもの約束をかわそう。

    何の力にもならないんだとしても、意味はきっとあるはずだ。


「だったら、約束してください。絶対に途中で諦めずに、最後まで努力すると」


「――わかった、約束しよう。

 私はもしもの瞬間が来ても、もう一度の再会を諦めないで最後まで努力すると」


 真っ直ぐ見つめる瞳はどこまでも揺るぎない。

 その瞳と声を感じて、揺らいでいた私の心も落ち着きを取り戻していた。

 でも、このまま終わるのは、流石にいやだ。

 アユムさんだけに約束を強いるのは、エルフとしての面目にも関わる。

 だから、私は深呼吸を一つして彼に、そっと近づく。


「ありがとうございます――では」


「ん……!?」


 唇に伝わる温かい唇の感触。

 そっと近づき、そっと離れて見たアユムさんの顔は珍しくもおかしくなっていた。

 アユムさんのこんな顔を見たのはエレミアお姉さんもないのではなかろうか。

 それくらいに、アユムさんは普段からは考えられないくらいに赤くなっていた。

 多分、私の頬も同じく赤く火照っているのだろうけど、気にせずに笑ってみせた。


「ふふっ、面白い顔になっていますね。もしかしてこういうのは初めてですか?」


「おまっ、そういうのをいきなりしたら、何を考えて……!」


「あげたのではありません、貸したのです。

 私も初めてだったんですから、ちゃんと次に会った時は返してください」


「こういうのに貸すも何もないだろう、どうやって返せって言うんだ」


「それは……ま、まあ、お、同じようにやれば良いのでは?」


「なれないことはやらなくてもいいよ、もう……」


 やばい、自分でもわかるほど顔が熱い。

 恐らく私も目の前のアユムさんのような顔になってるのだろう。


「い、言いたいことはそれだけです! なのでお先に失礼します!」


 我慢しきれなかった私は、先に足を動かす。

 後からはの足音は少し間をおいて、少し離れたところでゆったりと聞こえてきた。

 少し気にはなったけど、敢えて振り向かない。


 言いたいことは言った。

 ここから先は、お姉さんたちに任せる。

 私はここで、もしもの時を待ちながら、もしもの時を備えよう。


――――静まった道に、均一に刻まれる足音だけが響いた。

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