異世界人として生きるのは
琴張 海
第1章 異なる現実
1.初めから選択肢はなかった/神685-4(Pri)-1
異世界というのは一種の夢である。
辛い現実から逃げたいという願望の現れこそが異世界という夢の世界だ。
この世界では現実ではありえないものが起こる。
人間とは違う種族が存在して、剣と魔法があり、ロマンがある。
世界を脅かす魔王とそれに対峙する勇者という定番の物語から、無双の力を持ち全ての不条理をぶち壊す物語まで。
夢に見る異世界はその起源通り、あらゆる夢に満ち溢れている。
しかし、全ての夢がそうであるように、夢が叶った瞬間、夢はもう夢ではなくなる。
ただのお伽噺感覚で聞いていたその《ロマン》とも呼ばれる要素は、そのまま現実の脅威となってしまう。
いや、時には今の現実よりもっと残酷な状況に陥ることだってあるのだ。
「――」
閉じていた瞼を開いて、周りを見渡す。
石で出来た明かりのない部屋。目の前には鉄格子――つまるところ監獄だ。
眠る前に自分が着ていた寝間着も相当汚くなっている。
なぜこんなことになったのか。
覚えているのは自分の部屋で寝たことと、起きたときには既に見知らぬ場所だったこと。
そして、その場で何かしらの取引をしていた連中に捕まり、ここに連れてこられたことだけだ。
当然ながら靴も履いてないから足も汚い。
「……状況分析なんかしても、何かが変わるわけではないけど」
ため息を吐きながらそれでもと思い、倒れていた身を起こしては壁を後ろに座る。
鉄格子の外にも壁しか見当たらず、看守のような人すらも見えなかった。
「誰かいてくれても良かったんだが――」
『――うるさい』
「ん?」
突然聞こえてくるのは女性の声。
多分、私の後ろから――お隣同士かと思う。
声からして歳はそんなに多くない。
いや、逆に幼く感じる声だった。
でも誰でも良かった。
こんな状況でただ一人でいるのは精神衛生的にも宜しくない。
というか私の場合、間違いなく悪い方向に考えが進むと断言できる。
《とにかく色々と話してみようか》と思い、見えないお隣さんに話しかける。
「ああ、すまない。
で、すまないついでに頼みがあるんだが、名前を教えてくれないか」
『――』
「私の名前は……そうだな、アユムとだけ言っておこう」
『――』
「ふむ、だんまりか。
まあ良い、よければ色々話を聞かせてほしいのだが」
『――だからうるさいと言ったでしょ、何でそんなに元気なの』
これは粘り勝ちと言っても良いのだろうか。
我慢できなかったのか結局は会話に参加してくれた。
相変わらず力のない声ではあるが、反応してくれるんなら何でも良い。
「知らないことは薬でもあり毒でもある、つまりはそういうことだ」
『は?』
「状況がわからないから元気だということだ、目覚めたらここだったものでね」
『あっそう。
ここは奴隷商人の地下牢であんたと私はその商品、もうわかった?』
「簡潔かつ分かりやすい説明ありがとう、しかし奴隷商人なんて……未だそれで商売ができるのか」
『さあ、売られるのは人間以外の種族のみと聞いてるから、お偉いさんたちにはそこそこで売れるんじゃない?』
「人間、以外」
Q.私の種族は何でしょう?
聞くまでもなく人間である。
そもそも現代に人間以外の知性体はいない。
ということはやっぱりここは異世界ということか。
あちらが嘘を言っているという可能性もあるけど、こんな嘘に何の意味もない。
何も知らない以上は、とりあえずは真実として受け入れるべきだ。
ただ、いまいち現実感のわかない真実ではある。
ドッキリだと言われたらやっぱりかと返すだろう。
でも、もし真実なら何で私はここに捕まってるのか。
――まあ、先程の言葉からしたら、思い当たる節なんて一つしかないのだが。
目覚めた時、最初見たあの光景しかない。
恐らくだが、あれは奴隷販売に関わる商談のようなものだったのだろう。
それを見られて《許さん、牢獄に打ち込んでやる》な感じではないかと思う。
しかしおかしい。
口封じとかのためなら殺してしまったほうが良いだろうに。
何で私を生かしてここに入れたのか。
――もしかして私をここに入れたのは売るためではないのか。
理由なんて見当もつかないが、まあ可能性の一つということでも良いか。
まあ、とりあえずはこの位で良いだろう。
最低限の状況は把握できた。
ここからはお隣同士のコミュニケーションと行くとしよう。
「なるほど……で、君の名は?」
『知ってどうするの。それと君って、見ず知らずの相手に無礼ね』
「いや、こう言ったら反応してくれるかと思っただけだ、他意はないよ。
それに、こういう時こそ希望を持つべきではないかな?」
『随分おめでたいわね』
「自分でもそう思うよ――本当、おめでたい想定だ」
異世界。
まあ、現実感はまだないけど間違いないと思う。
人間以外の種族という言葉が普通に出てくる世界に住んではいないし。
見覚えのないところで目が覚めた時点で選択肢なんて限られてる。
そこで一番非現実的なやつが当たりぽいってのは、自分の感性を疑うが。
どっちにしろ、ここが異世界なら私が救われる可能性は、まあゼロだろう。
私という人間を知ってる人はいない。
そもそもここは私が生きていた痕跡すらないところだ。
会話を交わした相手もこのお隣さん以外にない。
そんなにも夢見てた異世界という場所は、初手から詰んでいる。
一体何でこんなことになっているのか、考えても答えは出ないし、このまま考えるのを続けても自虐にしかならない。
だからだろうか、敢えてでも明るい方に会話を進めたくなるのは。
普段なら真っ先に除外する考えだろうに。
「あああ、やっぱ駄目だ。
やめろよせっかく鬱な雰囲気にしないよう頑張ってるのに」
『なんだ、空元気だったの』
「悪いか、人が生きていくには時に空元気も必要なものだ。覚えておけ」
『知らない、そもそもこんな底辺で元気なんか出したって……』
元気のない声が聞こえる。
そっくりそのまま私が言いたいセリフを向こう側が代わりに言っていた。
……これでは泣き言も言えないじゃないか。
そもそも、私なんかより希望があるだろうに。
「――はあ、だからってわざわざ落ち込んでる理由もない。
それに、お前はここから脱出できるかもしれないだろう?」
『無責任なことを、何を根拠にそんなことを言うの』
「根拠なき可能性の話だ――私は無理だろうが」
『――え?』
初めて驚く声を聞いたような気がする。
顔は見えなかったが、幼いながらも愛嬌が感じられる声のおかげで、頭の中でその可愛い姿を少し想像できた。
多分、この子も頭で物を考えるタイプだろう。
冷たく見えるけどその性根のところは優しさが隠れている。
他人を信じられないけど、無意識で信じようとする。
まあ、こんなところでどこの馬の骨かもわからないやつに売られるのは勿体無い。
何も出来ないが、そんなことを思った。
それから暫くの沈黙が続いた。
何か喋るべきか、と思って適当に話題を考えていると外が騒がしくなり始める。
そして壊れん勢いでドアを開いて入ってきた人は、何と耳が長かった。
入ったその人は牢の中にいる誰かを探してる様子。
周りを見て回った彼女は、私の隣の牢でその動きを止めた。
「エレミア様、こちらにおいででしたか! お迎えに上がりました!」
『あなたは……レインさん!』
「はい、国境監視団の団長、レインと申します――――ハッ!」
レインと呼ばれたエルフの気合と共に重い衝撃音が聞こえ、鉄格子がころりと切られて転がった。
すごいな、あの剣で鉄格子を切ったのか。
見たところただの鉄の剣だけど剣技かなにかが?
どちらにしろすごいものだ、相当な実力者なのだろう。
「さあ、時間がありません、早くそこを出てください!」
『はい、感謝します――確かに、意味はあったわね』
「は?」
「確か、アユムと言ってたっけ」
最早壁越しではなく鉄格子越しになった彼女。
彼女は立ったまま、私は相も変わらず壁に背を当てて座ったままでの会話。
服とかは彼女もあまり良い状態ではなかったが、顔には既に希望が生まれていた。
それと、思ったとおりの可愛い子でもあった。
想像よりは背が大きかったけど、エルフだったのは流石に少し驚いた。
予め異世界というのを真実として受け止めていたとはいえ、こうもはっきりと見せられては否定することも出来ない。
けど、とりあえず顔には出さないでおこう。
どうせもう見ることもないだろうが、せめてもの意地だ。
「そうだよお隣さん。いや、もうお隣さんではないか」
「そうなるね――あんたは、人間なの」
「多分そうなんだろう、わからないけど」
「――わからない?」
「まあ、どっちにしろ最早この会話を続ける必要はないだろ? 早く行ってくれ」
興味がないという意思表明で視線を鉄格子から壁に戻し、目を閉じる。
私も連れてってとかは、流石に言わないし言えない。
今ここで彼女に助けられても、私にはその恩を返せる手段がない。
ここがファンタジー世界なら当然に存在する怪物などに立ち向かう術がないのだ。
何より、例えここから抜け出したところで行く宛なんてない。
つまり、ここから出してくれというのは私という荷物の世話も頼むということだ。
それも今知ったばかりの彼女に。
そんなのを知った上で頼めるほど、私の面の皮は厚くないんだ。
そこまで他人に縋りたくもないしな。
勝手に期待して裏切られるのは嫌だ。
「エレミア様! 時間がありません、さあ早く!」
「――レインさん、この人も頼めますか」
「こいつは人間です!
それに本人も私たちに頼りたくない様子、必要性を感じません」
「そうそう、早く行ってくれ」
「……本人がそれを言うか、あんたは助かりたくないの?」
「助かっても行く宛なんかない、生きていく術すらわからない。
ここで君に助けられる?
君は行く宛のない人を助けてそのままどこにでも行けって手放すのか?
違うだろう? そこまで世話になってもこっちは返せるものなんてない。
誰でもこんなお荷物ごめんだ、私だってごめんだ、だから行け、目の毒だ」
「――――」
目を開けず、思ってたことをそのまま口にしてしまった。
――強がりも流石に精一杯、もう行ってくれ。
結局強がりながら弱音まで一緒に入っちまったじゃないか。
こう言ってはつまるところ【助けてほしい、ついでに無償で住むところも提供してくれ】と言ったようなものだ。
行く宛がないとか言って同情心までつかもうとしやがった。
いや、でもこんなお荷物誰も拾わないのは事実だろう。
それに先程のレインとかいうエルフの反応を見ろ。
種族の間もそうよろしくないようだ、益々拾う意味がない。
そう思い、未練を捨てるという意味で横になって背中でも向けようと思った時。
聞き覚えのある衝撃音が耳に入った。
驚いて目を開けてみると、そこには不満そうな顔で鉄格子を切った例のエルフ。
そしてお隣さんが私を見ていた。
「――お隣さん、さっきの話聞いた? お荷物と言ったよね?」
「言ってたね」
「このまま助けられても行く宛なんかないよ?」
「私と一緒に来れば問題ないわ」
「返せるものもない、そもそもこの世界のこと何も知らないぞ?」
「それは追々考えましょうか」
「――はあ」
少し笑っているようにも見えるが暗くてよく分からない。
ただ、このお人好しが全て覚悟して私を助けたのだけは伝わった。
ここまでされたら、こっちに選択肢なんかない。
そもそも選べる権利はないにも等しかった。
「降参だ、ありがとう、助かった。
煮るなり焼くなり好きにやらされることにするよ」
「中々斬新なお礼ね。
まあ、細かい話は後にしますか」
「そうしましょう。
そこの人間も、こうなった以上こちらの指示には従ってもらうぞ」
「了解しました、団長さん」
文句も言わずそのまま頭を下げたのに、なぜか団長さんの反応が妙だ。
何か言いたげな表情をしていたが、急に聞こえる叫び声でそれも消える。
そのまま言葉を飲み込んでは階段を上っていった。
私とお隣さんもその背中を追って階段を登り始める。
何もわからない異世界で、寝間着のまま素足で走り出す。
足の痛みは敢えて無視しながら走っていく。
なぜこの世界に来てしまったのか。
元の世界には帰れるのか。
そもそもこの世界はどんな世界なのか、疑問は尽きない。
そんな私にはわかるはずもなかった。
私が既に取り返しがつかない選択をしてしまったことを。
この夢のような異世界は、より最悪な現実でしかないということを。
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