第64話 樹導師という意義
「なんてヤツ……ぜんぶ自分のせいなのに。しておきます、なんて上から目線で」
空を見上げたポーズのままリオナは、吐き捨てるように呟く。そんな彼女の腹部をアリスは軽く叩いた。
「人の不幸でメシを食ってるような連中だ。あんなのにいちいち腹を立ててたら人生損するぞ。程よい関係で付き合えばいいんだよ。それよりも……」
言葉の途中でアリスは振り返り、未だ地面に蹲るヨネスを見下ろした。
「さて、ヨネス大導師殿?」
「……!」
呼ばれて、彼は静かに顔を上げる。元から皺だらけだった面容は、10歳老けたかの如くさらに深い皺に彩られていた。
そうしてアリスを睨みつけ、彼は搾り出すように言を吐く。
「お前さえ……! お前さえいなければ……!」
「おいおい。どういう考え方をすればそうなるのかは知らねえが、そりゃ逆恨みってもんだぜ?」
「黙れ! お前さえいなければ私は――」
「契りの木を育てることができずに面目を失って孤独な老後を迎えていただろうな」
「ぐっ……くっ、うぅうっ……」
ぐうの音も出ずに、ヨネスは再び俯いてしまった。
人生の酸いも甘いも噛み分けてきたはずの大老が、なぜに子ども相手に打ちひしがれる羽目になるのか。身から出た錆とはいえ、ここまで耄碌してしまう姿はさすがに哀れでならなかった。
一体、何がこの人をこうしてしまったんだろう。
ふと湧いた小さな疑問が、アリスの足を動かした。ヨネスに近づき、その真正面で腰を下ろしたアリスは、僅かに顔を上げた彼に言う。
「なあ、爺さん。俺はさ、
「……そうだ。来る日も来る日も修行修行修行。昔はまだ樹導師の修業体制も出来上がってなかったから、私たちは見習いですらない丁稚同然だった。師事する先生の身の回りの世話をしながら、十年以上も苦しい修行に耐えてきたのだ」
「しかも、アンタは『大導師』の称号まで与えられた樹導師だ。並大抵の苦労じゃなかったはずだ」
「当たり前だ! 私がこの地位まで上り詰めるのに、どれだけ苦労したか……! 当時の
地面に両拳を振り下ろし、ヨネスは力の限り叫ぶ。
「樹導師の力さえ失ってなければ!! なぜだ?! なぜ虚露木の声が聞き取れなくなった?! 姿を見ることができなくなった?! 答えろタマムシサクラよ! なぜ私ではなくこの小娘なんだ?! 私の何が悪いと言うのだ?!」
その挙句、怒りの矛先は契りの木に向けられて。
八つ当たりでしかないヨネスの行動。それを間近で見たアリスの胸に、一つの得心が落ちた。
「……なるほどな。なんとなくだけど分かったよ。アンタがどうして虚露木の声や姿が見えなくなったのか」
「なんだと?!」
ヨネスは血相を変えた顔で振り返る。
そんな彼を無視して、アリスは契りの木に近づき、その大きな根に手を当てた。
「こいつはな、ずっと呼びかけてたんだよ。アンタに。自分の望みを聞いてもらおうと。だけど、アンタにその声は届かなかった」
「私に、だと? デタラメを言うな。私こそずっとこの木の声に耳を傾けていた。応えてくれなかったのはこの木の方だ」
ヨネスはきっぱりと断言する。それは樹導師としての意地か、それともアリスに対する反抗心なのか。どちらにせよ、彼はアリスの見解を否定した。
だが、アリスは覚えている。この木の少女と初めて出会った時。地面に蹲って泣いていた彼女が、自分になんと言ったのか。
「こいつはいつもそこにいる。ただ、アンタが見えてないだけだ。いや、アンタは見ようともしてなかった。
「寂しい?」
「それすらも覚えてねえか。聞けばこの木はレインローズの緑豊かな場所に生えていたらしいじゃねえか。それが突然、こんな殺風景な場所に連れてこられたんだ。そりゃ植物だってホームシックを起こすってもんだ。その気持ちが分からなかった。二ヶ月もずっと傍にいたのにな」
「…………」
アリスはヨネスに顔を向ける。彼は悔しげに頬を引き攣らせ、目を逸らした。
露根の木肌を擦る手を離し、アリスは完全にヨネスへと向き返る。
「なあ、爺さん。教えてくれよ。アンタはなんのために樹導師を志したんだ? 修行仲間が次々といなくなっても諦めず、十年以上も耐え忍んだのは、アンタなりの正義や使命感があったからだ。それは一体、なんなんだ?」
「樹導師を志した、理由? それは……」
ヨネスは、少しだけ眉間に皺を寄せて考え、
「世界の平和のためだ」
と、臆することなく豪語した。
「エルフィリアにまだフェアリタが生っていた頃、人々はそれを平等に分け与え、平和に暮らしていた。しかし、争い続ける人間にエルフィリアは絶望し、実をつけなくなった。そして現代でも悲しみの連鎖は続いている。私は、その連鎖を断ち切りたいと思った。また人々が平和に、平等に果物を分け与えることができる時代がきっと来ると……」
「……だから、フェアリタを作る……虚露木を育成する樹導師の道を選んだ」
ヨネスは無言で頷く。
「樹導師として虚露木を育て、フェアリタを通して皆に伝えたかった。富とは独占するものではない、分け与えるものなのだと。権力者は決して驕らず、保身に走らず、貧しい者に施すこと。それが世界平和への道なのだと」
「……素晴らしい夢じゃねえか。その立派な志があったからこそ、アンタはヴェネロッテ最高の樹導師になれたってワケだ。さて、そんなアンタにぜひとも聞かせたい話がある。そこにいるリオナって女の身の上話だ」
アリスは歩き出し、リオナの横に立って彼女を親指で指し示す。
「こいつの親父はな、まぁサイテーのクソ野郎で、多額の借金作って妻と子ども2人を残して蒸発しちまったんだ。そのせいで母親は死に、こいつは幼い妹を連れて生まれ育った町を出る羽目になった。それから二年後、この国まで流れ着いた。だがな、そこで知り合ってしまったどうしようもない『馬鹿』のせいで、親父の借金取りに妹が連れ去られてしまったんだ」
「アリス……」
「……それからこいつは頑張った。妹を取り戻す金を工面するために、街中をボロボロになりながら毎日走り回った。その姿に心を打たれた仲間たちのサポートもあって、ついに妹を取り戻す算段が出来上がった。ところが、最後の最後でこいつは裏切られた。こいつやその仲間たちを下民と呼んで蔑み、自分の地位を守るために平気で約束を踏み躙る、1人の権力者にな!」
「――――っ」
ヨネスは息を呑んだ。リオナに視線を移し、未だ涙の余韻を残す彼女の泣き腫らした顔を見て、呆然と膝立ちで立ち竦む。自分が犯した罪の重さ。そのことにようやく気付いたようだ。
「アンタに聞こえるワケがねえんだよ。必死に縋り付いてくる女の子の手を容易く振り払い、傷つけ、大笑いするような人間が。どうやって助けを求める契りの木の気持ちを理解できるっていうんだよ」
「私は……わたしは、なんということを……!」
ヨネスは深く頭を垂らして項垂れる。自身の痩せた両手を強く握り締め、後悔の情を滲ませる。
「老いたからではない。怠惰な生活で衰えたからでもない。全ては、私の心だったのだ……! 権力に溺れ、羨望の受ける立場に慣れ、いつしか自分のことだけしか頭にない傲慢な人間に成り果てた。どうしてっ……私が目指した樹導師は……あぁ……っ」
両手で顔を覆い、それでも自責の声は止まらない。彼が本当に裏切ったのはリオナではない。彼は、過去の自分を裏切ってしまったのだ。誰もが平等で平和な未来を夢見て努力する、そんな若き自分が嫌悪していた大人の1人になってしまった。
「あの修行の日々を耐え忍んだのは、そんな人間になるためではないのに……どうしてこうなってしまった。若き頃の志を、情熱を。はじめて虚露木の声を聞くことができた時は、喜びのあまり叫びながら家中を走り回った。そのせいで先生に叱られたが、それもいい思い出だ。あの頃はただ、虚露木と心を通わせる……それだけで幸せだった。そのはずなのに……!」
「アンタはその幸せに慣れて、次の幸せを求め始めた。そうして手に入れた社会的地位。権威。経歴。金。自尊心。それを守るためなら、平気で人を傷つけられる人間になってしまった」
「……その通りだ。権力者は決して驕らず、保身に走らず、貧しい者に施すこと。ふはっ、はははっ。どの口でそれを言う? 何が大導師だ。ここまで無様な人間はそういないではないか! あはは! はははははははははははははは!!!」
ヨネスの、悲しい笑い声が響く。その魂の慟哭は、決して防音壁の向こうには伝わらないだろう。狂った笑顔も。流れる一筋の涙も。
国から称号を与えられ、国民から支持される、ヴェネロッテ最高の樹導師、ヨネス=フィットガルド。だが、その正体は他の人間と同じ、欲を持ち、功名心を抱き、手に入れたもの惜しさに自己保身に走る、そんな普遍的な男だった。
それでも彼は、純粋な想いを滾らせて樹導師を志していた。そんな彼を変えてしまったのは、周りからの重圧のせいなのかもしれない。自身が望まなくても、さらなる成果や実績を求める周囲の声が、彼を傲慢な人間に仕立て上げていったのだ。そう考えると、彼もまた、時代の被害者なのかもしれない。
「…………リオナさん……と言ったかね?」
散々、泣き笑い、やがて力尽きたように俯いたヨネスは、間も無くしゃがれた声でリオナに呼びかける。ゆっくりと上げた顔には、色濃い悲壮感だけが残っていた。
そうしてリオナの方に体を向けたヨネスは、地面を頭に擦り付けんばかりの勢いで深く平伏した。
「今まであなたに放った数々の暴言、無礼……心よりお詫びする。本当に申し訳なかった……!!」
「そっ、そんなっ。頭を上げてください!」
痩身の老人が無様に許しを請う姿を見て居た堪れなくなったのだろう。リオナは慌ててヨネスに駆け寄り、彼の体を起こした。しかし、ヨネスは構わず、彼女の腕を掴んで言葉を急ぐ。
「妹を取り戻すためにお金が必要なのだろう? 300万でいいのだな? すぐに入金しよう。口座を教えてくれ」
「あ? は、はい……」
そうしてリオナから口座番号を聞き受けたヨネスはすぐさま立ち上がり、仕切りの出入り口に向かっていく。どことなくふらついた足取りは、まるで今にも消えてしまいそうな陽炎のようで。
「分かってはいると思うが、もし約束を破ったら……」
「ああ。その時は告訴でもなんでもしてくれ。私はもう逃げはしない。私は、もう……」
念のため、と思った釘刺しにも、彼は振り返ることなく即答し、
ヨネスはそのまま、仕切りの外に消えていったのだった。
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