第63話 役に立つと思ったがやっぱり迷惑だったジャーナリスト



 「誰だ?!」

 

 ヨネスは顔を上げた。声の主を見つけるためだろうが、しかし、その人物の発見にはなかなか至らないようだ。周囲を見回すばかりで、一向にこちらへ目を向けてくれない。


 仕方ないので、再度、声を掛けることにする。

 

 「ずいぶんと楽しそうじゃねえか、爺さんよぉ。女の子を泣かせて喜ぶなんて、見た目と違って若い趣味を持ってんだなぁ」

 「……! 貴様ぁ……!」

 

 二度目の声掛けでようやくヨネスは、契りの木の大きくうねった露根の上で胡坐をかいているアリスを見つける。未だ満開を誇る桜の影に紛れていたせいで、老眼では視認しづらかったのだろう。

 契りの木の根元まで急いで近寄り、ヨネスはアリスに喚く。

 

 「どこに座っている?! 汚らわしい足で契りの木に登るな! おのれぇ! いつ、どうやって入ってきた?!」

 「おいおい。今はそんなこと気にしている場合か? ああ? 爺さんよぉ。俺がいないのを良い事に、ずいぶんとチョーシぶっこいたこと言ってくれてんじゃねえの。なんだっけ? エルフィリアが生み落とす果実に群がる害虫? 欲に塗れたクズ共?」

 「知るかぁ! いいから早くそこから降りろ!」

 「知らない? 今さっきのことだぜ? はぁ、どうやらもうボケが始まったようで。だけど安心しな。こんなこともあろうかと、ちゃんと手は打ってあるんだから」

 

 アリスはそう言い、頭上を仰いで「おーい」と呼びかけた。

 

 「はーい」

 

 その声に応じて桜の樹冠から現れたのは、マホークス社の記者、アオマ=チュチュリー。大きな翼で空気を掻き、ふわりとアリスの隣に彼女は舞い降りた。

 アリスは根の上で器用に立ち上がり、アオマを見上げて問いかける。

 

 「どうだ? 手筈どおり行ったか?」

 「もちろん。これまでの会話および映像は全て記録できました」

 「………………は?」

 

 アオマはカメラを持って胸を張り、そんな彼女の発言に、ヨネスは怒りの形相を唖然と白けさせた。

 

 「上々だ。確認も兼ねて、少し再生してくれ」

 「分かりました。映像はここでは無理なので音声だけでいいですね?」

 

 「ああ」とアリスは答え、カメラの操作に入ったアオマの前を通り、滑らかな勾配に足を踏み出した。そのまま露根の上を跳ねるように下り、地面に立ってヨネスと向き合う。

 

 「さて、ヨネス大導師。アンタはさっきこう言ったよな? 外の連中がいくら群れたところで、所詮は烏合の衆。誰も信じてくれない、と。まあ、それは確かだろう。そもそも、聖都の連中は壁外地域の人間を煙たがっている。そんなヤツらの証言なんぞ、聖都の連中は受け入れようとはしない。だがな――」

 

 アリスは僅かに顔を傾け、アオマに目で合図を送る。アオマは頷いてカメラのスイッチを入れ、それを胸の前に差し出した。

 

 静寂の中、カメラから流れる音声が響く。

 

 《――契りの木の声を聞き、レインローズの花を持ってきて、それを植えることを提案した。貴様らのおかげでタマムシサクラはここまで成長したのだ。それは認めよう――》

 

 ヨネス大導師本人の証言。リオナの主張の正当性を決定付ける、他ならぬ証拠。

 

 「俺たちの声が無力でも、アンタの証言が加わるとなれば話は別だぜ?」

 「う、うああ、ぅあ……」

 

 それを突きつけられたヨネスは、もはやまともに言葉すら返せないほど狼狽していた。予想だにしないどんでん返しの展開が脳の処理能力を完全に上回ってしまったのだろう。追い討ちをかけるには絶好のタイミングだ。

 

 「安心しろよ爺さん。俺たちは別にアンタを訴える気はねえよ」

 「え? ほ、本当、か?」

 「ああ。アンタの人生を台無しにしたいワケじゃない。ただ……約束を破ったことの償いはしてもらう。今さら、インタビューで言ったことはウソでした、なんて世間には言えねえよな?」

 「そ、それは、ううむ……い、致し方ない……」

 

 不請ふしょうとしながらもヨネスはアリスの意見に納得を示す。絶望の中で、たった一筋の糸でも目の前に垂らされれば、掴みたくなるのが人のさがだ。

 

 もしかしたら彼は、自分は助かるかもしれない、という一抹の期待を寄せているのかもしれない。そうだとしたら、お目出度いヤツだ。

 込み上げてくる笑気を堪え、アリスはヨネスに厳然と告げた。

 

 「俺たちを裏切り、全ての手柄を独り占めした罪。諸々の事情を考慮して300万リドルで手を打ってやるよ」

 「さっ、300万リドル?!」

 

 暗澹としていたヨネスの表情が、驚愕で一気に弾けた。


 「ばっ、馬鹿な! そんな法外な請求があるか!」

 「払えないと? だったらこっちも出るトコ出るしかねえわな」

 「そ、れは……っ。貴様ぁ、この私を恐喝するつもりか?!」

 「恐喝ぅ? それこそ馬鹿な話だ。これは示談金。こっちはお前の裏切りを許す。その代わりそっちは俺たちの要求を呑む。双方合意の上で成り立つ取引。そもそも先に約束を破ったのは誰だ? 自分で招いた結果なのに被害者ヅラしてんじゃねえぞ」

 「うぅ、っく……し、しかし、300万はいくらなんでも……」

 「払えるはずだ。アンタはかなりの資産家らしいからな。それに、さっき自分で言ってたじゃねえか。地位を守ることがなによりも優先されるんだろ? たった300万でそれが買えると思えば安いモンじゃねえか」

 「安い……これで、安泰なら。だが、しかし…………」

 「……はっきりしねえジジイだな。てめえが仕出かした不始末だろうが。人を裏切り、その上さんざん侮辱しておいて、その責任すらも負いたくねえってか? アンタも人の上に立つ人間なら、てめえのケツくらいてめえで拭けや!!」

 「……っ! ……、っ、……」

 

 アリスの怒号を受けたヨネスは、反論するつもりなのか口を開くが、しかし結局、言葉は生まれず、がくりと膝から崩れ落ちて地面に蹲ってしまった。

 

 そこに、国の威信を背負う大導師としての姿は無く。

 みすぼらしく丸まった背中に、反抗の意思が無い、と見受けたアリスは、気張っていた体の力を抜いて、鼻から緩やかに息を吐き出す。


 「アリス……」

 

 その時、リオナから話しかけられた。未だ呆然とした顔つきは、事態が把握できない混乱の表れだろう。

 

 「おう。やったな。これでついに金が調達できた。リリィを取り戻せるぞ」

 「どういうこと? 全てアンタの手の平の上だったってこと? これがアンタの計画だったの?」

 「あー、まあ。そうなる、かな」

 「ヨネス大導師の弟子になるってのは? 後ろ盾の話は?」

 「あー……なんというか、話を納得させるための方便、と言いましょうか……」

 「……つまり、私を騙してたのね? ずっと2人で頑張ってきたのに。その私にすら本当のことを言ってくれなかったのね?」

 「いや、騙してたとかそんなっ。これは計画に必要なことであって、決してお前を蔑ろにしてたワケじゃ……」

 「………………」

 

 懸命な弁解は最後まで続かなかった。譴責の視線を送ってくる彼女の双眸が今、溢れ出る涙に溺れたからだ。

 リオナは飛び掛るように距離を詰めてきて、アリスの体をポカポカと子どものように叩き始める。

 

 「バカ! バカバカバカバカ! どうして教えてくれなかったの?! あんな突き放すような言い方までして! 私がっ、私がどれだけ心細かったか!」

 「あいてっ! 痛い痛いって! ごめん! 悪かったよ! 悪かったって!」

 「ううっ、ううぅぅぅ~~~~……」

 

 終いにはアリスの腰を抱き締め、腹に顔を押し付けてくぐもった泣き声を上げる。ヒステリックのような反応だが、それだけ不安が大きかったのだろう。そこまで追い詰めたのは自分なのだから、甘んじて受け入れるしかない。

 

 「マジで悪かったよ。でもな、リリィを絶対に取り戻す。その気持ちだけは本当だから。そこだけはウソじゃないから」

 「ホント? ホントにもうウソつかない? 騙したりしない?」

 「しないしない。神に……いや、この場合はエルフィリアか? ああ、とにかく誓うから」

 「…………分かった。じゃあ、信じる」

 

 頭を優しく撫でながら宥めることで、リオナはやっと泣き止んでくれた。

 

 「もぉ痴話喧嘩は終わりましたぁ?」

 

 すると、上からすっとんきょうな言葉が下りてくる。誰が言ったのかは言うまでも無い。

 

 「何が痴話喧嘩だ」

 

 露根に足を組んで座っているアオマを見上げる。彼女は小さく笑った後、徐にそこから飛び降り、翼で滑空してアリスの前に降り立った。

 その際、地面に座り込んでいたリオナは急いで立ち上がり、後ろに大きく退く。痴話喧嘩と指摘された気恥ずかしさもあるのだろうが、アオマを忌々しく睨み付けている辺り、彼女を警戒しているのだろう。考えれば、こいつが新聞にリオナの写真を掲載したことが全ての始まりなのだ。

 

 だが、今はそのことを蒸し返してもどうにもならない。アオマは自分たちに力を貸してくれている立場なのだから。彼女のカメラは写真だけではなく、映像まで記録できる。そのカメラで証拠を押さえるため、電話で呼び出したのは他でもない自分だ。

 

 「今回はありがとな。じゃあ、例のブツを」

 

 アリスはアオマに右手を出す。カメラで現場を記録した後、その映像データを渡してもらう、と事前に交わした取り決めのために。

 アオマは首肯し、カメラから細い宝石を取り出す。おそらくそれが記憶媒体なのだろう。そしてそれをアリスの手の平に置く――振りをして、腕を自身に引き寄せた。

 

 「申し訳ありませんが、これをお渡しすることはできません」

 「な?!」

 

 驚いたのはリオナである。状況を見て、映像データがこちらに渡ると踏んでいたようだ。これがなければヨネスとの取引も成り立たないので、そりゃ焦るだろう。

 だが、そのような事態になってもアリスは冷静だった。

 

 「お前も約束を破るのか?」

 「んふふ。すみませんねぇ。こんな美味しいスクープを手に入れて、おいそれと手放すワケにはいかないんですよ。こっちも仕事ですからねぇ」

 「ふっ、ふざけんな! 元はと言えばアンタが勝手に私の写真を使ったせいでリリィは連れていかれたのに!」

 

 叫ぶリオナに、されどアオマは平然と答える。

 

 「アリスさんから事の次第はお伺いしました。私の書いた記事が原因で、リオナさんたちには大層、ご迷惑をお掛けしていると。深く反省し、これを今後の糧として、精進していく所存です」

 「そんな形式的な謝罪文なんていらないわ! 少しでも悪いと思っているならそれを渡してよ! アンタには良心の欠片もないの?!」

 「良心? ああ、そんなクソの役にも立たないものはとっくの昔に捨てました。なぜって? 人々が求めるのはたくさんの善意ではなく、一つひとつの悪事なのですよ。特に、その対象が社会的地位のある人なら尚更」

 「……最低よ。やっぱりアンタたちって最低の人種だわ!」

 「そのサイテーな記事に飢えているのがお前たちだろうが。どんな些細な間違いも許さず、寄って集って攻撃して。権力者が零落おちぶれたところで自分たちの生活の足しにもなりはしないのに。そんな無様な生き物が、偉そうに説教してんなよ?」

 

 翼を大きく広げ、人獣はその猛禽類のような鋭利な瞳を輝かせた。

 それも一瞬、瞬きの暇も無いほどの合間にアオマは表情を一変させ、普段の人懐こい笑みを携えて言う。

 

 「というワケで、この映像データはこちらの方で美味しくいただきます。ヴェネロッテ最古参の樹導師、ヨネス=フィットガルドの隠された本性と真実。さぞかし世間は驚かれることでしょう。貴重な情報の提供、どうもありがとうございました」

 「そんな……あ、アリス」

 「んー……まあ、別にいいんじゃねえか?」

 

 リオナから向けられる切羽詰った感情。それに対してアリスは、全く緊張感の無い声で応えた。

 目を剥くリオナ。その一方、アオマは勝ち誇った笑みをますます増長させる。

 

 「アリスさんはリオナさんより幼いのに物分りが良くてお利口さんですね。では、私はこれにて――」

 「ただ、訴える先があの爺さんからお前んトコの会社に変わるだけだがな」

 

 飛翔の構えを取っていたアオマは、続くアリスの言葉に、広げた羽を止めた。

 ゆっくりとアオマは顔を下ろす。再び目にする彼女の表情は、怪訝の様相に満ちていた。

 

 「私の会社を、訴える?」

 「ああ。お前はそのデータを元に記事を書き、世間に公開するんだろ? そうしたら俺はお前とその会社を相手に訴訟を起こす。あの爺さんと一緒にな」

 

 未だ地面に蹲ったままのヨネスを指し示して、アリスは続ける。

 

 「罪状は名誉毀損、ってところか。ヨネス大導師に対する事実無根のデマを流したことへの訴訟。そん時はもちろん、俺たちは爺さん側の証人として出廷するからそのつもりでな」

 「……! なるほど、そういうことか……」

 

 アオマは目付きを歪めて唇を噛む。どうやら言葉の意図が見えてきたようだ。

 

 アオマが記事を書き、ヨネスの不正を暴いた場合、アリスたちは彼を原告に立てて裁判を起こす。自分の地位を守るためには、ヨネスはアリスたちに従うしかない。

 アオマ側は当然、記事の根拠としてカメラの映像データを提示するだろうが、当事者であるアリスとリオナがそれを否定し、ヨネスと意見を同調させれば、証拠能力は著しく損なわれることになる。むしろ、事実の歪曲と見做されて悪い心象を与えかねない。そうすれば、こちら側の勝訴はより確実のものとなる。

 

 「当然、その時は賠償金として300万リドルを要求する。さて、国から認められた大導師様と、デタラメな記事ばかり書くと評判の零細新聞社の三流記者。果たして世間はどちらの味方をするかな?」

 「………………」

 「別にどっちでもいいんだぜ俺は? 金さえ手に入るなら、爺さんでもお前でも。ただ、裁判を起こすのは何かと面倒で時間も掛かるから、できるならやりたくない。アンタもそうだろ? ここは一つ、平和的な解決を願いたいものだがな」

 「………………ふぅ」

 

 しばらく無言でアリスを見つめ続けていたアオマは、小さく嘆息して肩を落とし、苦笑しながら頭を掻いた。

 

 「いやはや、参りました。そんなことされたら私に勝ち目なんて無いじゃないですか。ここは潔く兜を脱いだ方が懸命のようだ。全く、とんだタダ働きです」

 「おう。悪いな」

 「いえいえ。所詮はさんりゅーきしゃの分不相応な夢なのですから。お気になさらず。さあ、映像データをお渡ししましょう」

 

 そう言ってアオマは宝石を持つ手を差し出す。

 それを取ろうとアリスは手を伸ばし、しかし、宝石に触れる寸前に腕を取られ、アオマの眼前へと引き寄せられた。

 

 「最後に一つ。もしや、私を電話で呼び出した時にはすでに、この展開を思い描いていましたか?」

 「……さぁ。どうだろうな」

 「ふふふ……本当に食えない人だ」

 

 しらばっくれるアリスに喜色を浮かべ、アオマは彼女の手を放して翼を広げる。取られた腕の手には、いつの間にか宝石が握らされていて。

 

 「今回のギャラは、あなた方にかけた迷惑料でチャラとしておきます。次回はちゃんと私にも利のある話をお願いしますよ? それではっ」

 

 高く跳躍した後、翼の力でアオマは瞬く間に上昇していき、黄昏色に染まりつつある空の彼方へ溶け込んでいった。







 

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