第57話 とある花屋の仰天
ベン=カルビンの人生はひどく平坦なものだった。
裕福でも貧乏でもない平凡な出身。優れているワケでも劣っているワケでもない平凡な才能。美しくも醜くもない平凡な容姿。
そんなに大成しなくてもいいから、できるだけ楽な暮らしがしたい。そういった平凡な志。
夢も希望もなく、持とうともせず、ただ流されるように毎日を送っていた。
そんなベンを改心させようと、両親は彼に見合いを勧めた。家庭を持てば無責任な性格が少しは矯正されるんじゃないかと思って。そして、ベンはその人と結婚し、二年後には子宝にも恵まれた。
だが、それでも向上心を持たないベンに嫌気が差したのか。それとも、凡俗なベンを見限ったのか。理由は定かではないが、妻は産まれたばかりの息子を置いて、若い男と駆け落ちしてしまった。
それが、今から五年前のこと。
たった1人で乳飲み子を育てなければならない状況に置かれて、さすがにベンはこのままではいけないと考えを改めた。そして一念発起し、自国の植物を商品とする小売業に着手した。
ベンの母国、レインローズは魔力によって人間同等の肉体と知能を獲得した植物たちが支配する国。それ故に植物は人間よりも地位が高く、たとえ野花であろうと傷つければ刑罰を科される。その反面、魔力によって様々な特性を得た植物たちはこの国の重要観光資源であり、観光客の欲心の対象になっていることも事実だった。ベンの勝算は、そこにある。
レインローズの不思議な花を海外で売れば、きっと大儲けできるはずだ。
まさしく凡人が思い浮かべそうな青写真を抱いて、事業許認可を得るために役所で協議することおよそ三年。自生したものではなく、ベンが種子段階から育成した特定の花のみである、という条件で他国での販売を認可された。
一念発起から約八年。幾多の困難を乗り越え、ついにベンは息子のウェイクと共にヴェネロッテに乗り込んだ。が。
それからおよそ一ヶ月後。2人は、闇路を歩くポニーが引っ張る小さなワゴンに揺られることになっていた。
「…………はぁ。考えが甘かったなぁ……」
御者台で項垂れるベンは、溜息と一緒に反省の
花の販売事業が成功すると確信していたベンは、その出発点にリドラルド領のテルミナを選んだ。世界中のバイヤーが集まるヴェネロッテの壁外地域、その中でも最大の市場を誇るリドラルドで成功を収めれば、続く海外展開に箔が付くと踏んだからだ。
しかし、それは虚しい皮算用でしかなかった。競争率が非常に高い激戦区で、小売業の経験がほとんどない男の声など誰が聞くというのだろう。その上、様々な店が現れては消える事業の墓場だ。珍しい植物の販売、それだけの一本槍では顧客は長続きせず、ベンの店はたちまち赤字に追い込まれていった。
結局、たったの二週間でベンは廃業を決意する。大量に残った商品をワゴンに詰め込み、一途レインローズへと。僅かな儲けは借地料に消え、店を持つために借りた融資や卸売業者への違約金なども考えると、負債は莫大だ。
「……はぁ。どうすればいいんだろう。このまま帰ったところでなぁ」
「おっとう。さっきからため息ばっかりだな」
「ん? ああ……そうだな。ごめんなぁ、ウェイク」
顔を上げ、ベンはワゴンの屋根の上にいるウェイクに返す。彼は「いいよ」と言い、今まで進んできた道へと振り返った。
「でも、ヴェネロッテはもうさよならか。おもしろかったのになー」
いろんな魔法具があるヴェネロッテを、ウェイクは大層、気に入っていたようだった。父親を想って言葉にはしないが、きっと色々と思うところがあるのだろう。ワガママを言いたい年頃なのに、無理をさせてしまっている。
「ごめんなぁ。お父さんがもう少し商売上手だったらなぁ」
「いいよ。おっとう、がんばってたもん。しょーがないよ」
「……お前は本当に優しい子だなぁ。ありがとなぁ、ウェイク」
挙句、ウェイクから慰められて、思わず目頭が熱くなってくる。
この子だけでもどうにか幸せにできないものか。自分はどうなっても構わない。だが、自分が作ってしまった負債のせいで、彼が不自由な思いをすることだけはなんとしても防ぎたかった。
だけど、負債を全て返す算段など思いつかなくて。
いっそのこと、この子と一緒に死んでしまった方が楽かもしれない。
と、この期に及んでまだ楽な道を探している自分が、つくづく情けなかった。
目元を指で拭い、何度か瞬いた後、ベンは目を開く。そうして見据える世界の果てに、長い行列が月光の下で蠢いていた。それは湖畔沿いの建物まで伸びている。国境検問所だ。
「はぁ。ようやく着いたか。長かったな……」
金が無く、足の遅いポニーしか用意できなかったため、日没まで掛かってしまった。さらにこれからあの行列に並ばなくてはならないのだから、レインローズに到着するのは明日の朝になってしまうだろう。
はぁ、とベンはまた溜息を零し、緩んだ手綱を改めて握り締める。
<あっ、おい! 前になんかないか? あれじゃねえのか?
<ああ? どこだ? 暗くてよく見えねえよ。
<とにかく進め! 近づいたら分かる!
「……ん?」
微かに声が聞こえた。ワゴンの後方から、複数の男たちの声。
だが、ベンは大して気に留めなかった。自分と同じ、夢破れて故郷に帰る人たちだろう。そう思い、通行の邪魔にならないように街道の端にポニーを誘導していく。
そんな時、「おっとう」と、ウェイクから再び話しかけられた。
「どうやったらもっとヴェネロッテにいられたー?」
「んん? そうだなぁ……」
ヴェネロッテを去ることがよっぽど未練なのだろうか。ウェイクの気持ちを
「お花がいっぱい売れてお金を稼ぐことができたらなー」
「お金かー」
<急げ急げ! ああっ、なんでもっとスピードがでねえんだよ!
<重量オーバーなんだよ! 無駄に乗り込んできやがって! てめえら車から飛び降りやがれ!
<そんなご無体な!
「それには毎日お花を買ってくれる常連さんができないとなー」
「じょーれんさんかー」
<なあ! あの車の中! なんか光ってねえか?!
<え? あっ、ホントだ! 火とかも出てるぞ!
<一瞬、花っぽいのが見えたような……ああっ、ほら! ほら今!
「そのためにはまず、たくさんの人たちが来てくれないとなー」
「たくさんの人かー」
<あっ。ポニーだ! あれ引いてるのポニーだ!
<マジか! じゃあやっぱりアレが従業員が言ってた……!
<大当たりだ! よっしゃあ! 間に合ったぞ!
「ああ。たくさんの人が来て、ここにあるお花をぜんぶ買ってくれたらヴェネロッテにまだいられたんだけどなぁ。……まぁ、そんな都合の良いことあるワケないか」
「んー……おっとう」
自虐的にケラケラと笑っていると、ワゴンの屋根から顔を出したウェイクに呼びかけられる。後ろを指差し、彼は告げた。
「たくさんの人がこっちに来てるぞ」
「はい?」
ウェイクの言葉に小首を傾げたまさにその時、後方からいきなり現れた竜車が目の前で急停止する。そして、オープンキャリッジに乗っていた男たちが一斉に降りてきて、ワゴンを取り囲んだ。
「ひぇぇっ! 何事?! 何事?!」
驚いているベンを尻目に、彼らはワゴンの中を覗き込み、そして快哉を上げている。どうやら荷物が目的のようだ。
まさか、盗賊?! 創世樹、エルフィリアのお膝元であるヴェネロッテにも盗賊がいるのか?!
「おい! おっちゃん!」
すると、集団の中から金髪の女の子が飛び出してきて、ベンに声を掛けてくる。ずいぶんと可愛らしい盗賊もいたもんだ、と思ったが、悠長にしている暇は無い。
「に、荷物は全てお渡しします! だからどうかっ、どうか息子だけはお見逃しください~っ!」
ベンは御者台から降りて、地面に平伏しながら女の子に懇願した。今さら自分に守るべきプライドなど無い。息子が無事ならどうなってもよかった。
「は? なに言ってんだよおっちゃん」
金髪の女の子は、怪訝な顔をしてベンを見下ろしてくる。やはり、目撃者は全員、皆殺しなのだろうか。それとも労働力として売り飛ばされてしまうのだろうか。
などと思っていると、女の子はさらにベンに歩み寄り、そしてしゃがみ込んだ。恐る恐る顔を上げる彼に、勝気な笑みを見せ付ける。
「おっちゃん! ここにある花! ぜんぶ俺たちに売ってくれ!」
「…………え?」
戸惑うこと一瞬、
「えええええええええええええええ?!?!?!」
一拍の間を置いて女の子の言葉を認知したベンは、唖然となって絶叫する。
「やったー。おっとう、これでまだヴェネロッテにいれるなー」
状況をよく理解していないウェイクは、周りの大人たちと一緒に楽しそうにぴょんぴょんと跳ね回っており。
かくして、カルビン家のヴェネロッテ生活は辛うじて継続されることになったのであった。
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