第3話 もしも〇〇な靴があったら



 その後、帰ってきた男の先導で一行は大通りを逸れ、人通りの少ない路地を進んでいく。やがて辿り着いたのは、辺鄙な場所にある一軒の小さな靴屋。

 

 「これはこれは、カイル卿! ああ、まさかあなた様のような方が拙店を訪れてくださるとは……!」

 「そんなに畏まらないでください御店主。本日は公務でも職務でもありません。完全なる私用です。どうか他の方々と同じように扱っていただきたい」

 

 頻りに低頭する中年の男性店主をやや困った様子で宥め、カイルは隣の少女を手で示した。

  

 「こちらのお嬢さんに合う靴を見繕っていただきたい」

 「で、でもお金が……」

 「ご心配なく、ここは私が持ちますから。気兼ねせず好きなものをお選びください。御店主、後はよろしくお願いします」

 「かしこまりました。さあ、お嬢さんこちらへ。ああ、その前にその痛々しい御御足を綺麗にいたしましょう。おい、桶に水を注いでこい。裏にあるあの大きいヤツだ、早くだぞ!」

 

 傍にいた息子らしき少年に急いた口調で言い、店主は少女を店内へ誘う。

 自分の頭上で話を進められるのは癪に障るし、少々の気後れもある。しかし、せっかくの好意を無碍にするのもそれはそれで気が重く、ぐいぐいと背中を押す店主の積極性もあって、少女は重い足取りで店内を進んでいった。

 

 店奥に設置された正方形のシングルソファに少女は腰を落ち着けた。間も無く、裏口から現れた少年から水の張られた桶を受け取り、店主は腕まくりしながら彼女の前に跪く。

 

 「それで、何かご希望の靴はおありで?」と、店主は少女の足を丁寧に洗いながら訊ねた。


 「ご希望、と言われても……」

 

 泥が落ちて白さを取り戻していく自身の足から、少女は店内へと視線を動かす。

 

 大人が10人も入れないような狭い店内には、所狭しと木箱が積まれていた。恐らく、中に靴が納まっているのだろう。壁にも一面を埋め尽くさんばかりの靴が展示されており、シンプルなサンダルから光沢が美しい革靴まで、まるで統一性を感じられない。故に合うものも見つかりやすそうだが、忘れてはいけないのがここは魔法の世界ということだ。

 

 「当店、店構えこそみすぼらしいですが商品の豊富さは壁内のそれに引けを取らないと自負しております。日の目を見ずにここらで燻っている新進気鋭の靴職人たちが作った魔法の靴の数々、どうかご覧になってください」

 (だからあんま選びたくねえんだよ)

 

 少女の心中の愚痴を知らず、彼女の足を布で拭き終えた店主は意気揚々と近くの木箱を手に取った。中に入っていたのは一組のフラットシューズである。

 

 「例えばこれなどどうでしょう? 女性用に作られた超軽量の靴です。履き心地はまるで素足のよう! 全く足に負担を掛けず、運動を阻害しません!」

 「へえ、そりゃすごいな」

 「そうでしょう? ただ、本当に軽いのでしっかり抑えてないと――ああっ!」

 

 開けっ放しの裏口から一陣の風が舞い込み、店内を疾走していく。目下の靴は、その流動にあれよあれよと攫われ、店頭の商品を物色するカイルたちの脇を通り過ぎ、そのまま空の彼方に消えていった。

 

 「………………」

 「こらあ! 扉は開けたらちゃんと閉めろといつも言ってるだろ!」

 「………………」

 「………………ごほん。では、次に参りましょう」

 

 慌てて裏口へ駆けていった少年を尻目に、今の騒動を無かったかのような素振りで店主は次の木箱を手に取った。

 

 「これもすごいですよ。傷を自ら修復し、汚れも落とす手入れいらずの靴です!」

 「はあ、まあ便利そうだけど……」

 「ただ、傷の具合によっては靴のサイズが変わってしまうこともありますし、汚れにも限度があります。なので極力、傷つけないようにしてもらいたいですね」

 「本末転倒じゃねえか」

 

 「やはり丈夫なのが一番! お客様の足を守るのも靴の大事な役割ですから! 鉄で作られたこの靴さえあれば、何人たりともあなたの足を傷つけることは叶いません!」

 「確かに鉄ならそうだろうが……」

 「そうでしょう! お客様の外での安全は保障されたも同然です、片足大人2人分の重量があることに目を瞑っていただければ!」

 「まず外に出られねえだろうが!」

 

 「ゴージャス! 気品! 女性がお求めになられるのは華やかさ! 見てください、宝石を余すことなく散りばめたこのハイヒールを! これを履いて社交の場に出れば、全員の視線はあなたのものです!」

 「目ぇ痛っ! めっちゃチカチカしてる! 直視できない!」

 「そうでしょうそうでしょう! ほら、外だけでなく内側や靴底にまで宝石を埋め込んでるものだから履いたらまあ痛いこと痛いこと!」

 「売る気あんのかテメェ!」

 

 手当たり次第に商品を提示する店主と、その悉くを切って捨てる少女。

 応戦は十分ほど続き、大量に散らかった靴の海の中、店主がいよいよ最後の木箱を力無く開ける。

 ローヒールの白いパンプス。足首に固定するストラップ部分には可愛らしいリボンが装飾されている。サイズも少女の足に釣り合う大きさだ。

 

 「ぜえ……ぜえ……こ、これは、ああ、これこそお嬢さんにお誂え向きかもしれません。女性にとって自衛は何よりも大切。この靴のつま先で相手を蹴れば、どんなに弱い力でも、遠くへ吹っ飛ばすことができるのです。美しいお嬢さんには必要なものだと思いますが……」

 「吹っ飛ばす、ってのはいくらなんでも物騒だろうが……」

 「ではこれもお気に召しませんで……?」

 「……もぉいいよそれで。他のポンコツよりまだマシだ……」

 「お買い上げありがとうございました~……」

 

 色々と言いたいことはあったが、なにしろ疲れた。エサをねだる子犬のような瞳を傾けてくる店主に手を振って応え、少女は大きく嘆息する。

 店主は疲弊感に満ちた笑顔を作り、それから傍に控えていた少年に耳打ちして店先にいるカイルたちを指し示した。会計を済ませて来い、ということだろう。少年は頷き、店主から渡された木箱を持って小走りで離れていく。

 

 その後姿を眺めていた少女は、自分の足にパンプスを取り付けている店主の耳元に口を寄せた。

 

 「なあなあ、おっちゃん。ちょっと聞きてーんだが、あそこにいる金髪の兄ちゃん。あいつは誰なんだ?」

 「はい? カイル卿をご存知でない? はあ、年頃の乙女であるあなたのようなお嬢さんが、珍しい」

 「俺のような? どういう意味だ?」

 

 少女の〝俺〟という発言に目をしばたかせる店主だったが、特に言及することなく答えた。

 

 「あの方はカイル=フィリップス卿。『ヴェネロッテの剣』と称されるフィリップス家の嫡男であらせられる人ですよ。若くして『ルミエステ騎士団』の第三師団長を務める、才に恵まれた素晴らしいお方だ」

 「騎士団……? それは、軍隊か? それとも警察組織みたいなもんか?」

 「いえいえ、ルミエステ大聖堂の象徴のようなモノですが、確かに仕事柄、都心の警察組織と関係はあるでしょうな。もちろんこの領の自警団も。カイル=フィリップス卿とくれば、その器量と家柄から国中の女性たちの意中の的。そんな方に気を掛けてもらっているんですから、あなたは非常に幸運な人だお嬢さん」

 「……マジかよ。顔が利くって、そういう……」

 

 気安く笑う店主とは対照的に顔を曇らせる少女。

 

 パンプスのリボンを結び終え、店主はそそくさと受付へ向かう。カイルはちょうど支払いを済ませたところで、手を揉みながら近づいてくる彼に体を直した。

 

 「ご苦労様でした、御店主。ずいぶんと時間が掛かりましたね」

 「ええ、お連れ様にお似合いの品をじっくりと見極めさせていただきました。その甲斐あって素晴らしい一品をご提供できたと存じます」

 「それは重畳。さて、どのような…………あれ?」

 「どうなさいました?」

 

 店内の奥へ目を向けたカイルは眉間に皺を寄せた。その様を真正面から見受けた店主は振り返り、彼と同じように顔を顰める。

 

 狭い店内の中に、少女の姿はどこにも無い。

 

 靴が散らばる試着の間の向こう、細い通路の最奥にある裏口の扉が小さく揺れていた。





 

 


 

 

 

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