第28話 邂逅
アリスたちがロイス・マリーで働き始めてから早くも一週間が経過していた。
最初は慣れない業務に手を焼いていた3人もそれなりに適応してきた頃で、アリスはミスの回数を劇的に減らしているし、リオナとリリィは効率化に意識を向けられる余裕すら持てるようになった。
そんな3人が本日、課せられた業務はテルミナへの買出しである。買出し自体は何度もこなしていることだが、今回がこれまでと異なるのは、引率役であったチェロットがついてきていない点だ。
「もうお三方ともこの街には慣れたでしょう? なので今回はテルミナ商店街に皆さんだけで行ってもらいますっ。メモにある食材と備品を買って、ディナータイム前には帰ってくること! あたしがいないからってサボっちゃダメですからねっ」
――とのことである。
「俺たちがこのまま逃げたらどーするつもりなんだろーねぇ、あいつは」
人で溢れる通りを歩きながら、組んだ両手を後頭部に当ててアリスは独白した。
前を歩くリオナとリリィが同時に振り返る。
「逃げられるワケないでしょ、荷物全部ホテルにあるのに」
「信頼されてる証拠だよ。そんなこと言わずにお仕事がんばろ?」
姉妹だが、全く違う反応につい苦笑してしまった。
テルミナ街区。多くの店舗や露店で区画を形成しているこの街を、人はテルミナ商店街と呼ぶ。実際に多種多様な商品を扱う店が縁日のように果てしなく続き、チェロットが謳う「無いものは無い」の言葉が真実であることが分かる。ちなみに、アリスがカイルと出会ったのもこの街だ。
「前にも来たけど……相変わらず賑やかなトコだな」
「ここに来たことあるの?」
「ああ。お前と出会う前にな」
足を遅くして隣に並んでくるリリィに答える。「あの時か……」と呟く彼女の顔は、周囲の活気に似合わない渋面だった。
しかし、次の瞬間には、リリィはいつもの柔和な笑みを貼り付けていた。
「ところで、何しにここに来てたの? お買い物?」
「いいや。お前も知ってるだろ、あの時の俺が何も知らない状態だったの。買い物なんかできるかよ」
「あ、ああー。そうだったねそうだった」
取り繕うような質問をし、そのことを指摘すると、リリィは明後日の方角を見ながら御茶を濁す。明らかに様子がおかしい。
「あんたたちー。喋ってないでちゃんとついてきなさい。少しでも離れるとすぐ逸れちゃうわよー」
「はーい。いこっ、アリスちゃん」
「お、おお……」
リオナの注意をこれ幸いとばかりに返事し、有無を言わせずアリスの手を引っ張っていくリリィ。
(どうしたんだこいつ?)
見上げる横顔があまりに作られ過ぎていて、それ以上追求することはできなかった。
人混みはただ歩くだけでも体力をひどく消耗する。その上、呼び込みの店員や人気店の行列に足止めを喰らえば、時間は矢の如く過ぎ去っていった。
買出しはただ不足品を補うだけではなく、3人にリドラルドでの生活に必須であるテルミナ街区という拠点を知ってもらう名目もある。なので購入品の数は少ないのだが、やはり慣れない土地での活動は滞り無くとはいかなかった。
買い物リストに書かれたのはたったの六種類。しかし、昼過ぎにこの街を訪れてから、全てを買い揃えた頃にはもう、空には黄昏月が昇っていた。
「えー。グリンの実とマゴマの実の混合スパイスにランプを三個と魔力補充用の魔核石が五個。造花の装飾品と風呂用のアメニティ……も買ったわね。うん、全部あるわ」
「はぁ……ようやく終わったか」
テルミナ街区のほぼ中央に位置する、簡易テントが並んだ一帯。歩き疲れた人が一休みしたり、屋台で買った食品を食べたりするための場所で、無数の長椅子と長テーブルが設置されているその一画に、3人は腰を落ち着けていた。
商品を収めた巾着袋を閉じ、リオナはここに来る途中で購入した黄色い肉まんのようなまん丸とした蒸し物に齧り付く。ついでに軽く腹を満たして、ディナータイムに備えたらいい、というチェロットの助言ゆえだ。
ちなみにアリスは豚バラ肉のようなでかくて黒い肉と野菜の串焼きを頬張っている。一見すれば焦げたような焼き具合だが、食べてみると噛みごたえのある弾力の中に肉汁が溢れてかなり美味しい。
一方のチェロットは、食欲があまりないらしく、ホタテのような大きな二枚貝の網焼きだけを購入していた。もちろん彼女は、それが具材たっぷりの海鮮弁当だと知る由も無く。購入時に渡された使い捨ての加熱器具でそれを温め、食べ頃になると自動的に開いたその内部には、貝のエキスを吸った白米のリゾットの上に豊富な魚介類の切り身が美しく添えられた洋風ちらし寿司的なものが存在していて、しばらく唖然となっていた。
というワケで、早々に食事を終えたリオナとアリスは、涙目のリリィがそれを食べ切るまで待つしかない。
「うぅ~。おねぇちゃ~ん……」
「自分で選んだものだからちゃんと自分で食べなさい。残したらダメよ、ロイス・マリーのお金なんだから」
妹の哀願にもリオナは峻厳だった。彼女は金が絡むと非常にシビアになる。
「そういや不思議に思ってたんだけど、今日の買い物って全部リオナが支払ってたよな? それがなんでロイス・マリーの金になるんだ?」
手持ち無沙汰なので、コップに入った水をちびちび飲みながらアリスはリオナに訊ねた。
リオナは煩わしそうであったが、結局、彼女も退屈だったのだろう。空になった容器を近くのゴミ箱に捨ててからアリスに応じる。
「簡単な話よ、私とアーヴィング家で共有の口座を作ったの。『リパレート』って言って、ある個人の持つ資産の一部を独立させ、その部分だけを他者と共有する一時的な口座。開設した個人と、その人が認可した相手しか使えず、決められた時間を過ぎると自動的に解約され、余った残高は元の個人へと返還されるわ」
「へえ、そりゃあ便利だな。リドルってのはそんなこともできんのか」
「この利便性がリドルの最大の強みなのよ。実体の無い数字による価値観だから融通が利いて、しかもリパレートのようなやり取りを大本であるトリアスティを介さずに
「ステーブルコイン?」
「価格が変動しない通貨のこと。リドルはトリアスティという大企業の後ろ盾があって、価値が安定しているの。トリアスティにはリドルの他に『トリアスティポイント』という、トリアスティとその傘下グループ内で使用できる電子マネーがあって、それはリドルと交換できるのよ。要するに、仮にリドルに問題が発生してもそのポイントに換算すれば、それでトリアスティが運営する巨大な通信販売システム内で、ほとんど価値が変わらずに買い物できるってワケ」
「なるほど。価値が保証されてるから安心して使えるってことか。しっかし、そのサービスってトリアスティに得があんのか? 手数料くらいだろ、利益」
「とんでもない。リドルでの決済は全て記録されるのよ? それは人類ほぼ全ての売買情報というビッグデータ、つまりは個人の趣味嗜好から地域の消費傾向、企業や団体の経営状況、各国の景気指数などのあらゆる情報をトリアスティが牛耳ることになる。それで効果的なマーケティングをしたり、データ自体を商品として他国や企業に売りつけることもできる。このアドバンテージは凄まじいわよ?」
「へぇー。まあ、よく分からんが。なんかすごいことはよく分かったよ」
話を切り出した側だが、予想以上に難解な回答が返ってきたので、適当な台詞を述べてまた水を飲み干す。リオナも期待してなかったのか、少しだけ眉を落とすだけで特に非難してくることはなかった。
「さぁて、リリィが食べ終わるまでまだ時間がかかりそうだし。ちょっと行ってくるかな」
テーブルの食べかすを地面に落とし、自分のスペースの片付けたリオナは、巾着袋を正面の2人に放り投げて席を立つ。
「どっか行くのか?」
「ええ。向こうに
一方的に言いつけたリオナは、手をヒラヒラと振りながら雑踏の中に消えていった。
「えうぅ……もぉおなかいっぱいだよぅ……」
話す相手がいなくなると、隣に座る少女の泣き言が余計に聞こえるようになって。
それほど大きくない弁当を、半分くらい食べた程度で音をあげているリリィ。
どんだけ小食なんだこいつは。
そんな眼差しを向けたところで、彼女の食欲が増強されるワケもない。
「しゃーねーな。それこっちに寄越せ。残りはおいちゃんが食ってやらあ」
「うぅ……ごめんねおいちゃん」
アリスが左手を差し出して提案すると、リリィは申し訳なさそうな顔で弁当をこちら側に寄せた。それを右手で自分の前まで動かし、依然として左手を彼女に伸ばし続ける。
「……?」
アリスがなぜ左手を下ろさないのか、リリィは理解できないように小首を傾げた。
「スプーンだよ。素手で食えってのか」
「あっ、ごめ、いやでもっ。これ、わたしが使ったのだし……」
「俺は気にしねーからとっとと寄越せ。時間がもったいねえだろ」
「で、でも。ああっ」
渋るリリィから強引にスプーンを奪い取り、それでアリスはリゾットを一気に掻き込む。近くでリリィの小さな悲鳴が聞こえたが、気にしない。
「アリスちゃんは女の子。少なくとも体は。だからセーフ。それもとても可愛い。うん、セーフ。女の子同士だからセーフ」
なんかよく分からない言い訳を念仏のようにぶつぶつ唱えているのも、とにかく今はスルー。
「わ、わたし、飲み物もらってくるねっ。アリスちゃんのももらってきてあげるからっ」
そして、頬を仄かに赤らめるリリィは腰を上げ、アリスと自分のコップを持って走り出していった。
「……なーに慌ててるんだろうねぇ。あの子は」
恥ずかしい。その気持ちは、彼女の様子からなんとなく見て取れた。
が、どうして恥じらいを覚えたのかが理解できない。たかが同じスプーンを使っただけ。直接、キスをしたワケでもあるまいし、異性でもない。反応が過敏だ。
年頃の女の子だから? そんな情緒など男には把握できないし、ほとんど触れ合ったことがないから生態が知れない。
「まぁ、いいか」
結局、思案を放棄して、アリスは食事を再開する。分からないことは考えない――それが自分の生き方だ。
「ちょっといいかな、そこのお嬢ちゃん」
そんな時だった。
ラフな格好で行き交う人々の中で一際目立つ、背広を着た男性から声を掛けられたのは。
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