第27話 誰も知らない幕開け
静まり返った薄暗いオフィスに、カタカタという単調な音が転がっていた。タイプライターが文字を打つ動作がその正体であり、使用しているのはアオマである。
マホークス新聞社社会部オフィス。決して大手ではない企業の一部署であるここは、常に人員が不足している状況であり、社員の時間外労働、会社宿泊が常態化していた。とにかく記事を完成させるのが最優先事項で、業績を上げるためなら労働者の権利など省みない精神は、発展著しい地域にありがちな忌事である。
スクープは鮮度が大事。どこよりも早く記事にした者が勝つ。それが、マホークス社の社訓だ。
それ故に、本日もアオマは隈を従える目を擦りながら、原稿の完成だけを目指して一心不乱にキーを打つのだ。
そして今、ターン! と最後のキーを打ち鳴らして、記事の作成を終えた。
「ふぅー。原稿はとりあえずこれでいっかなぁ。ちょっと仮眠してー、明日の朝にもう一回推敲してーぁ……ふぁあぁ……ん。ああ、その前に……」
欠伸ついでに食べかけのミートパイを頬張り、机上に散らばっている写真の束を手に取る。写っているのはステージに立つ魔工技術士と、それに群がる大勢の人々。今回の記事内容は、昼過ぎにロイス・マリー前で行われた見本市の紹介だ。
「ふぉーれーにーひーまーひょーかにぇー」
行儀悪くデスクに素足を乗っけて、もぐもぐと咀嚼しながら記事に掲載する写真を選定する。その手が、とある一枚に至った時、止まった。
写っているのはリオナ。顔を隠しながら、必死に自分を追いかけてきた時のものである。
「そーいやなぁんか言ってましたねー。載せたら訴えるぞーとかなんとか」
呟き、咀嚼した口内のパイをごくりと飲み込む。
そしてアオマは、数あるリオナの写真の中でも、特にはっきりと写ってるものを原稿の上に放った。
「はっ、訴えられて上等。道徳とか正義感で記事なんか書けるかっつーの」
嗜虐的に嗤い、それからアオマはさらに二枚の写真を選ぶと、それらを纏めて引き出しに仕舞ってから席を立つ。スタンドの明かりを消してパイの欠片を口に押し込み、背伸びしてすっかり丸くなってしまった背骨を矯正しつつ、ゆっくりと歩き出した。
「てか、さすがに人員増やしてもらわんとそろそろ死ぬわー。もう何日家に帰ってないかなー?」
「クァー、ようやく帰ってこれたー」
廊下に出るために手を掛けた戸は、しかし、力を込める前に勝手に開いた。そして視界を占拠する真っ白な羽毛。
突然、現れたその人物は、同じ社会部の先輩、コッコ=カンクルーだった。短い嘴や頭頂部にある立派な鶏冠、全身のほとんどを羽毛で包まれた体質はまさしく獣人族の特徴で、ずんぐりむっくりの体を無理やりスーツに納めている格好は、いつ見ても吹き出しそうになる。
「おっ、アオマ。お前、今日はあがりか?」
小さな瞳でアオマを視認したコッコは、雄の割に甲高い声で言った。
「お疲れっすー。いえいえ、まだ終わってません。ちょっと一眠りっす。コッコさんは?」
「おれはこれからだよ。被害者家族の取材にケッコー時間がかかってさー」
「ああ。コッコさんが追ってるの、巷で話題の少女連続失踪事件でしたっけ。どうです? なんか進展ありました?」
「クァ? えーっとなぁ……」
アオマに訊ねられて、コッコは脇に抱えていた茶封筒の中を探り始める。長い時間をかけて掻き集めた
記者として、易々と情報を公開するのはいかがなものか。分かった上で訊ねた身ではあるものの、彼の無用心さが少し心配になってしまう。利用価値が高いので、下手に苦言など呈さないが。
そんなアオマの憐憫など知らずに、コッコは翼の手で茶封筒から書類の束を器用に取り出し、それを捲りながら語り出した。
「約一月前に起こった少女の失踪事件。最初の被害者と思われたのはローレン=ウィスコニーという16歳の少女。当時、ウィスコニー家は三日前に越してきたばかりの新規自営業者で、ローレンは散歩のために夕方頃にふらっと出ていった。両親は慣れない大都市で迷子になったのだろうと、その日の夜に自警団に通報。そして捜査が開始されると、似たような失踪事例が他にもあることが分かった」
「確か、全員が浮浪児だから発覚が遅れたんですよね?」
「そうだ。リドラルドにはたくさんの人が夢を持ってやってくるが、その大半が夢半ばで諦めて去っていく。その時、両親が自殺したり、養えなくなって捨てられる子どももいて、その子たちは大抵、風俗街の外れにあるスラム地域に流れ着く。消息を経ったのは全員、そういった子たちばかりだった」
「で、調査した結果、ローレン=ウィスコニーは12人目の失踪者だった……と」
「最初の失踪者は、確認できる限りでおよそ二ヶ月前。失踪した子たちには共通点があり、まず少女であり、1人で行動していたこと。いなくなったのは夕方から夜の時間帯。そして、アリレウス近辺で目撃情報が途切れていることだ。これら関連性から自警団は一連の事件だと断定し、捜査に当たっている……が、今のところほとんど進展が無いらしい」
「ローレン=ウィスコニーの件が公に報道されてから失踪事件はぱったり途絶えましたもんねー。まあ、ただ発露してないだけで、どこかで今も続いてるのかもしれませんが。このヴェネロッテでもブラックマーケットの存在が噂されてますし」
「ああ。おっ、ブラックマーケットで思い出したけどお前聞いたぞー、ミリアのこと」
コッコから肩を叩かれて、アオマは露骨に表情を歪めた。
「うわぁ……疲れた時にいっちばん聞きたくない名前」
「コケッコケッコケッ。まあ、気持ちは分かるがな。『土地色を失う地方商店街とブラックマーケットの関係』だっけ? あいつが書いたの」
コッコから話を振られるも、顔を背けて応じようとしないアオマ。
土地色を失う商店街とブラックマーケットの関係。それは確かに同期の記者、ミリア=リッツが手掛け、そして月間優秀賞を授与されることになった因縁の記事だ。
元来、地方の市町村の経済は地産池消が基本である。つまり、その地域のコミュニティー内で生産と消費を回し、生活を営んでいる。
しかし近年、そのサイクルに変化が生じてきた。企業が資本を武器に市場を乗っ取り、地域一体を経済翼下に置く事案が多発しているのである。店はその企業関連の商品しか取り扱うことができず、それにより生産者側も廃業に追い込まれ、その土地の名産品や工芸品などが絶えてしまう事態になった。
そして、失われた商品や技術は、ブラックマーケットで取引されているとの噂だ。三族同一宣言で根絶されたはずの
それら事案を具に書き記し、世界通貨リドルによる決済法の簡略化が招いた経済侵略だ、と厳しく糾弾する内容の同記事は読者から大きな反響を呼び、ミリアはその月で最も読者から支持を受けた者に贈られる月間優秀賞を獲得するに相成ったのである。
「ケッコーなことじゃないか。世に蔓延る悪行を白日の下に晒すのが我々ジャーナリストの使命なんだから、ケッコーケッコーコケコッコー。同期が活躍してんだから、お前も負けずに頑張れよー」
そっぽを向くアオマの背中を叩いて、コッコは笑いながらオフィスの中へ入っていく。その大柄な後姿を恨みがましく睨んでいたアオマは、後ろ手で戸を閉めて、天井の非常灯のみが色を持つ世界を進んでいった。
「分かってるっつーの、そんなこと。私だっていつまでもチンケなトピックスを脚色して満足してる場合じゃないってこと分かってる。でも、大層な事件なんてそうそう起こるはずがないじゃんか」
ぶつぶつと文句を垂れ流し、階段の踊り場で足を止める。高い窓から月が自分を見下ろしていた。寄り添うようなその儚さに、つい、唇が動く。
「あーあ。どっかででっかい事件でも起こったりしないかなー」
それは心からの願いか。それとも、やけっぱちの口ずさみか。
いずれにせよ、この時のアオマは知る由も無かった。
自分の何気ない選択が、後に世界を揺るがす大事件を引き起こす呼び水になることなど。
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