アリスのための物語

@uruu

第一章 花から生まれた少女

第1話 プロローグ



 ざあざあと木の葉が揺れていた。


 星を間近に控えた空の中、吹く風は強く、横殴りの陽光を木の葉の内部へと導いていく。中へ中へと、その先に息づく、誰も知らない蕾の色を世界に暴いて。


 淡い桃色の、何かを守るようにしっかりと花冠を閉じる、大きな蕾。

 けれど、日の光を浴びて花弁は一枚いちまいと、音も無く開いていく。


 「すぅ……すぅ……」

 

 やがて咲き誇る花には花柱もやくも無く、代わりに敷かれた絨毯のような綿毛の上に、1人の少女が丸くなって横たわっていた。歳は十代前半だろうか、規則正しい寝息を零す寝顔は、あどけなくも神秘的な美しさを備えている。丸まる背中を沿うように流れる金糸のようなブロンドの長髪は、彼女が身に着けるレースの刺繍を施した純白のワンピースによく映えていた。

 

 「ふあぁ……」


 冷たい風が頬を撫で、少女の寝息が終わる。ゆっくりと開かれていく瞼。闇と、所々に差し込む斑の光が見えた。

 綿毛の絨毯に手を置き、煩わしそうに上体を起こした少女は、寝ぼけ眼を擦りながらきょろきょろと辺りを見回す。

 

 「どこだここ……? ん? あ?」

 

 呟く少女は、すぐに目を見開いた。

 

 「んだコレ? 声が……、ああっ? なんだこの手」

 

 喉仏を押さえてふためく少女は、次に喉を触れる感覚に違和を覚えて、自身の両手を見つめる。

 少女特有の小さく白い掌と、細い指。それを視認して、その手で今度は顔を触る。頬は柔らかく、間違っても手の平を苛む硬い毛は存在しない。輪郭は全体的に小さく、目は大きく鼻は高い。指を滑る肌質はまさしく絹のよう。


 今まで慣れ親しんできたものとは、かけ離れた全て。

 

 「なんじゃこりゃあ! 俺いまどんな姿をして――――ちべたぁっ!」

 

 狼狽が動揺に変わった時、突然、水の塊が少女の頭を襲った。

 すぐさま頭上を仰ぐ。真上に位置する場所で大きな木の葉が揺れていた。そこから落ちた雨水なのだろう、頭で弾けたそれの一片が大きな球体状になって綿毛の上でふるふると揺れている。期せずしてそれは鏡のように周囲を映し、その時になってようやく自身の姿を目にした少女は、もう一度おずおずと右手を頬に寄せた。

 

 「誰だこいつ…………俺、なのか? じゃあ……そうか、あいつの言ってた新しい自分ってこういう……」

 

 呆然と、水滴の中にいる自分と見つめ合う少女。

 


 ――突如、猛烈な風が木の葉の密集を突き抜ける!


 

 「うあっ、うおぁぁああああああああああああっっっ!!!」

 

 狂風が太い枝を激しく揺らす。激しく舞い狂う木の葉によって視界を遮られ、少女は目を閉じて花弁にしがみつき、浮遊感を覚えるほどの衝撃に必死に耐えた。

 


 やがて風は治まり、上も下も分からなくなる振動は消える。

 

 しかし、何故か浮遊感だけは途切れず。

 

 「……え? はぁ?!」

 

 恐る恐る少女が目を開けば、そこは夜と暁が鬩ぎ合う空の上。どう見積もっても数百キロは下らない大きな花が、風に導かれるまま優雅に空を泳いでいる。

 振り返れば自分を覆っていた木の葉の群はすでに彼方。打って変わって優しい風に吹かれる枝が、別れを惜しむように大きく揺れていた。そう、少女は今まで巨大な樹木のてっぺんにいたのだ。

 

 空駆ける花の船から見下ろして分かる、天を穿つほどの大樹。その根元付近はもはや霞んで、宮殿のような大規模な施設がおぼろげに見えるのみである。

 

 そして、大樹を中心に広がる大都市。緑と西洋建築が整然と並んだ都心を囲む石壁の外には、雑多な商業地帯。さらにその外側には草原が広がり、果樹園らしき林が無数に点在している。

 世界の果てに瞳を向けると、大地を隔てる広大な川の向こうに、また別の都市群がいくつも窺えた。

 

 下から微かに聞こえてくる澄んだ鐘声。都市に備わる鐘楼が、朝の到来を人々に告げている。

 

 羽ばたきの音に顔を上げれば、朝焼けの空を渡る鳥の群れが、高く漂う花の船のさらに上空を占めていた。



 高く、遠くへ飛んでいく。

 ここではないどこかを目指して飛んでいく。


 

 「そうか……始まるんだ。これから、俺の新しい人生が」

 

 胸が高鳴り、体に熱が帯びてくる。自然と握った拳に、血液が集まっていくジンとしたむず痒い痺れ。

 暁光に照らされる世界は、まるで宝石のように眩くて。

 きっと、これからの日々もまた、鮮やかに彩られていくのだろう。

 

 「やってやるぜーーー!!! だーぁっはっはっはーーーぁ!!!」

 

 感情のままに少女は雄たけびを上げる。驚いた妙に首の長い鳥たちが隊列を崩して四方へ散らばり、ぶつかってはバランスを失って錐もみ状態で落下していく。

 

 

 さらに高まる笑い声は、されど徐々に遠ざかり、そして空の白に溶け込んでいった。







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