第二話「王女と干物と岩砕き」
……おはようございます。
王女です。生まれて初めての単独野宿を成功させました。
寝不足です。というか全身まだ怠いです。
あれからほぼ夜通し走って、とても疲れました。
おまけにようやく寝付こうと思ったら、うっかり魔剣を手放してしまいました。
地面に突き刺したつもりでしたがまるで谷底に落としたかのように沈みました。
危ういところで柄頭の飾り紐を掴めなければ二度と戻って来なかったでしょう。
……このやたら長くて邪魔くさいの、こういう時のための物だったのか。
もう二度と手放さない。ずっと手首に巻いとくわ。
そんなわけでよく眠れなかったのですが、そろそろ動かねばなりません。
いつ追っ手が向かってくるか判らないからね。早く「闇の大山脈」入らないと。
と言うかその前に着替えないと。実はまだ寝間着のままだよ。これじゃ死ぬよ。
幸い、侍女と執事長が最低限の衣服は持たせてくれました。
こういう時用の非常着です。普段着と違って豪勢じゃないけど頑丈です。
でも意匠は結構可愛いです。非常着なのに。こういう無駄な頑張り好きです。
ところで非常着って一般用語なのかな? まあいいいや。
というわけで着替え開始!
肌着良し! 詰め物良し!
安全靴良し! 手袋良し! 背嚢良し! 外套良し! 帽子良し!
完璧!!
……なんか変なのが混ざってなかったかって?
いいんだよ。王族なんだから。人に見られるのも仕事なんだから。
見た目だけでも夢で"胸いっぱい"にするのが義務だ。
尤も、その事実を彼にうっかり教えたときには膝ついて泣かれたけど……
まさかあそこまで悲しまれるとは思わなかった。あの時だけは悪いことした。
いずれちゃんと育つので許して欲しい。母様がそうだったらしいし。
でまあ、いずれ実る果実を収穫されるためには前に進まねばならないのだが……
どう渡ったもんかね、この大荒野。
私が今居る場所は、城外の森と「闇の大山脈」の丁度境界に当たるところだ。
本来ならここに明確な境はない。互いの木々が入れ混じってるだけの筈だった。
だが今、目の前にはハッキリと"切れ目"のように荒れ地が広がっていた。
緑豊かな城外の森。漆黒に染まった「闇の大山脈」の森。
その二つの間に国境線のごとく、灰色の岩盤が伸びていたのだ。
"線"と言ってもその幅は広い。昨晩までの我が家をそのまま収められそうだ。
そんな太い"線"が山脈の麓を取り囲むようにぐるっと広がっているのである。
迂回して通るのは多分無理。それやるくらいなら普通の道行く方がまだマシだ。
……うん、これ間違いなく「岩砕き」の縄張りだわ。最悪だ。
「岩砕き」とはオオサンショウウオによく似た魔物の一種だ。
その大きさは私を飴玉のように口内で転がせるほどとても大きい。
当然、肉食であり人間に限らず口に入る生物は何でも食べてしまう。
だが、この魔物の最大の特徴は固い岩盤の下に潜んで獲物を待つ生態にある。
どうやれば潜めるんだよ! と思うだろうが魔物なのでそういうことも出来る。
ただ、具体的には"土と水を操り地面を自在に操作する力"を持ってるらしい。
その力によって、自分の周りだけ泥のようにして動き回れるようにしてるとか。
周囲が荒野と化してるのも同じ力だ。水分を調節しつつ押し固めてるらしい。
その硬さは"ドワーフが振るう鶴嘴でも砕けぬ"と言うから驚きである。
要するに自分にとっては泥地。他の生き物にとっては枯れ果てた岩場。
そんな都合のいい縄張りを作る。そういう力を彼らは持っているわけだ。
んで、この縄張りだが元々動物の往来が激しい場所を選んで作られている。
それも広く横断する形で、だ。目の前の光景は意図的にそうしているのである。
例え急に荒野になっても元が獣道。通らねばならぬ用事がある動物は多い。
だが、この岩盤は足音が非常に良く響く。わざとそうなるようにしてあるのだ。
彼らはこの足音を感知して獲物の居場所を正解に把握することが出来るから。
そして、獲物が縄張りを通ると地面の下から突撃して獲物に食いつくのである。
その時に表面の岩盤をバキバキ砕きつつ突っ込んでくる。故に「岩砕き」だ。
つまり、その上を渡らなきゃならん私は獲物以外の何物でもないわけだよ。
なんてこった! こんなの許されていいのか!? この恩知らず!!
……いや憤ってても仕方ない。どうやって通過するか考えないと。
前に渡るときの対処法も習ってたよね? いや習ってた習ってた。思い出した。
えーと確か「静寂の魔法をかければ絶対気付かれない」って……アホか!!
それお前いないと意味無いじゃねーか!! 今、お前いないじゃねーか!!!
魔術師はすぐ魔法ありきのこと教えるから困るわ!! 当然なんだろうけど!!
……まあ、要するに足音立てなければいいんだろう。つまり忍び足か。
相手がどのくらい耳がいいのかよく判らないのが不安ではある。
でも、やるしかないのだからやるしかない。そう決めた。今決めた。
決めたのなら躊躇無しだ。私はゆっくりと縄張りへと足を踏み入れた。
そ~っと。そ~っと。そ~っと。
そ~っと。そ~っと。
そ~っと……
イカン、駄目だ。もうバレた。
縄張りの中腹まで進んだら、即突っ込んで来やがった。
アイツ、気付いてなかったんじゃなくて近付くの待ってただけだわ此畜生。
だが私は慌てない。慌ててない。慌てないったら慌てない。慌ててないはずだ。
実はバレた時の対処法も習っていた。だから問題はまだ無いのだ。まだ。
私は敢えてその場でじっと動かず、相手の様子を窺った。
……よし、奴の動きが止まったぞ。
さっきまで盛大に轟音立てて近付いてきてた土煙がピタッと止まったのだ。
やはり教わったことは正しかったようだ。
この派手な突進で獲物を驚かし、走って逃げさせる。それこそが奴の真の狙い。
派手に足音立てて逃げさせることで、居場所を正確に把握して仕留めるのだ。
そこで敢えて動かなければ、獲物がどこか判らなくなってしまう……らしい。
流石は宮廷魔術師。言ってたことがそっくりそのまま目の前で起きてるわ。
いや本当に凄い凄い。でもこれからどうしよう。
奴はその場でじっとしていて動いていない。土煙が起きてないので間違いない。
そりゃそうだよね? 獲物が居るのは判明済みだもの。そりゃ見に徹するわ。
忍び足でバレた以上はこっからちょっとでも動けばすぐバレるだろうね。
そしてバレたら逃げ切れずに即ぱくんと……ひょっとして詰んだのでは?
いや待て待て。よくよく考えたら奴は轟音立てながら突っ込んで来ている。
そこが付け入る隙になるのではないか?
奴が動いてる時は走るとバレる。でも忍び足なら轟音に紛れられるのでは?
つまり、他の物に興味を移させて奴が追ってる隙に逃げればいいのでは?
方法は簡単である。足下に転がる小石を遠くに投げればいいだけだ。
私の忍び足に反応するなら小石が転がる音にも反応するはずである。
不幸中の幸いだが、奴自身が巻き上げた小石がそこら中に転がっている。
おっなんか行ける気がしてきた。
早速とばかりに足下の石をそっと拾うと、遙か遠くへ向けて腕を振るった。
こう見えて私は球技が得意だ! 上半身のバネだけでもグイグイ飛ぶぞ!
―――よし、かかった!!
私とは無関係の場所に、コツンと落ちた石へ向かって土煙が驀進する。
今こそ好機! 私は大急ぎで縄張り横断を再開した。
勿論、走るとバレるから早足程度の忍び足でね?
………………
…………
……
……よし、多分成功だ。
奴が小石の着地点に辿り着くまで無事前進することが出来た。そのはずだ。
止まるのがちょっと早かったようにも見えたけど、誤差の範疇だろう。恐らく。
あとはもう同じことの繰り返しで突破できそうだ! やったぜ!
所詮、奴も両生類。知恵比べに持ち込めばこっちのモンだったのだ!
フハハハ! さあて、希望に満ちた第二投! 食らえ!!
……何でこっち来るの????
いや待って待って待って。やったじゃん。ちゃんとやったじゃん!!
ちゃんと奴が動いて、轟音立ててから動いたじゃん! 抜かりなかったじゃん!
何で直ぐさまUターンするの!? 何で私の居場所に気付いてるの!?
まるで最初から判ってたみたい、な……?
あっ、実際そうなの?
元々気付いてたの? 自分が立てた音と、私の足音聞き分けてたの?
それで最後の確証得るため、フェイントかけて私が動くの誘った……
って待て待て待て待て!! こっち来るな! 来るな! 来るな!!!!
おそら、きれい。
「岩砕き」の鼻先に弾かれ、私は宙を舞っていた。それはもうキリキリと。
近付いてきたなら魔剣で迎え撃てって? 無理無理。アイツ、めっちゃ速い。
オオサンショウウオの瞬発力って半端じゃないから。目にも写らぬ早業だから。
……いや、目にも写らぬは言い過ぎだった。
世界がゆっくり動いて見える中で、私の目には写っていたのだから。
大口開けて私を飲み込まんとする、奴の姿が。
父様。母様。ごめんなさい。私はもうここまでです。
王家最後の血は大半が魔物の血肉となり、残りは糞尿となって土を肥やします。
―――って、そんなの認められるか!!!
私は奴の口の中で、最後の足掻きを行った。
手首に巻き付けていた魔剣の飾り紐。それを解いたのだ。
いざという時に備えていつでも解けるようにしておいた私、偉い。
束縛を解かれた魔剣は、私の肉体に引っ張られず素直に大地へ向かう。
オリハルコンでゼリー。森の地面で無の如く。では、大型魔物の肉体は?
当然、抵抗の"て"の字も果たさない。メリメリという音すら立てず突き抜けた。
しかも魔剣は腹を下にして落としたため、私が通れる大穴を開けている。
私は必死に肉を掻き分け、魔剣を追った。追いつけなければ助からない。
再び飾り紐をその手に掴んだとき、私の身体は冷たい外気に包まれた。
「岩砕き」の後頭部を突き破り、抜け出られていたのだ。
………………
…………
……
……気持ち、悪い。
「岩砕き」の肉体を緩衝材に、無事着地できた私は地べたに寝そべっていた。
私は今、全身がベタベタだ。涎と血肉に塗れてたのだから当然だ。
周囲にまき散らされた砂埃も浴びたので、折角の服もすっかり汚れてしまった。
だが、私が気落ちしている理由はそれだけではない。
怠い身体を緩やかに動かし「岩砕き」を見る。
サンショウウオの仲間は生命力が高いと言うが……既に息絶えていた。
私は思わず溜め息をついた。深く、深く、深く。
実のところ「岩砕き」は討伐すべき魔物ではない。
寧ろその逆。益獣として国で保護している魔物ですらあった。
彼らは動物の通り道を縄張りで塞ぎ、通る者を襲う習性を持つ。
そしてそれは、魔力が高く、食いでがある獲物が通る場所を優先的に狙う。
即ち、強くて凶悪な魔物。その通り道に居着く傾向があるのだ。
……今殺した個体が「闇の大山脈」周辺に棲み着いていたように。
当然のことだが、彼らが道をふさげば魔物は"その先"に進めない。
そして、魔物が向かう"その先"とは大抵の場合……人里である。
要するに、山から魔物が下りて来るのを防ぐ守り神。
それが本来の彼らなのだ。
だからこの辺の人はみんな「岩砕き」に好意を抱いている。
一応人も襲う魔物だが、そんなの"縄張りに近付かなきゃ良い"だけの話だ。
普通の人はそれを徹底するし、出来ない方がおかしい。
ましてや王族が近付いて、襲われて、撃退するなんて……
本来ならば今すぐにでも前に進まねばならない状況。
それでも私はほんの少しだけ、立ち上がることが出来なかった。
ほんの少し、ほんの少しの間だけ。
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