単行本『ブロードキャスト』

湊かなえ/KADOKAWA文芸

序章①

 中学三年生、最後の全国大会へと繋がる駅伝の県大会で、一位のチームに一八秒差で負けたことが、その時点での僕の、人生において一番悔しい経験となった。

 三区を走った僕は、一位でタスキを受け取り、その順位をキープしたまま、四区の選手に繋いだ。タスキを渡したと同時に、役割を果たせた達成感が込み上げてきたのに、最終走者が二位でゴールした瞬間から、もしも、もしも、の後悔が始まった。

 コースは三キロメートル×六区間。一人があと三秒ずつタイムを縮めていれば、とまず悔やんだ。無謀な「もしも」ではない。全員が自己ベストを更新した地区大会の記録を出せていたら、一八秒の差を縮めるどころか、一分以上の差をつけて優勝できていた。

 僕のタイムは、自己ベストを五秒下回っていた。だけどそれは、自己ベストに次ぐ好記録で、自分としては、走り慣れないコースでなかなかいいタイムを出せたと、満足さえしていたのだ。

 多分、他のメンバーも僕と同じようなものだったはずだ。誰かが特別、不調だったわけではない。言いかえれば、皆がそれぞれあと三秒速く走るということは、決して不可能ではなかった、ということだ。僕を含め、走ったあとに、倒れ込み、自力で起き上れなかったヤツもいない。

 そういうことを、自分の頭の中では、何周も思いめぐらせているのに、顧問やチームのメンバー以外のヤツから言われると、はらわたが煮えくり返るような気分になる。

 帰りのバスの中で、座席から後頭部だけ見えているおっさんが、同様のことを言っているのを聞いたとき、ギュッと胸の中心を掴まれたように息苦しくなり、嫌な味のつばが込み上げてきた。

 応援に来ただけのおっさんがわかったような口を利くな。秒単位の差など、誤差の範囲のようなもので、ゴール手前で死ぬ気でダッシュすれば巻き返せたかもしれないのではないか。などという台詞は、自分が走ったあとの口で言ってみろ。

 そう誰かが言ってくれるといいのに、と周りを見ると、通路を挟んでおっさんの隣に座っていた、山岸良太と目が合った。

 酷いよな、というように、おっさんの方に顎をしゃくってみせると、良太は僕に、ゴメン、というふうに片手を上げて、おっさんの方を向いた。

「父さん、やめてよ」

 良太のお父さん? 息子に注意されたおっさんは、バツが悪そうに咳払いすると、腕を伸ばしてわざとらしく欠伸をしてから、静かになった。寝たふりをしたのだろう。

 良太はもう一度、ゴメン、というふうに僕の方を見たけれど、僕は首を小さく横に二、三回振るしかなかった。

 良太のお父さんなら、先の言葉を口にする権利がある。今日の結果を悔しがる権利が、充分にあるからだ。

 そこで、別の「もしも」が浮かぶ。

 首を伸ばして、最前列の席に座っている陸上部顧問の村岡先生に目を遣った。だけど、帽子をかぶった後頭部だけでは、どんな表情なのか想像することができなかった。

 先生の頭の中に「もしも」はないのだろうか。後悔していないのだろうか。

 もしも、山岸良太を出していたら、と。

 

 良太は一年生のときから、陸上部で、長距離部門のエースだった。

 僕と良太は、小学校は別だったけれど、市の陸上大会で何度か一緒になることがあった。三〇〇メートルのトラックを五周する一五〇〇メートル走で、二位の選手に、周回差をつけて優勝するヤツ。

 ハンディビデオを片手に、いつも大会を見に来ていた僕の母さんは、良太のことを「カモシカくん」と呼び、彼が出る種目も、毎回録画していた。息子だけでいいだろ、とあきれながらも、再生動画に引き込まれるのは、僕の方だった。

 良太の走る姿を見ていると、なぜか「サバンナの風」という言葉が浮かんでくる。アフリカに行ったこともないし、どんな風が吹くのかも知らない。ただ、こんなふうに走ることができたら気持ちいいだろうな、と僕は良太のフォームを頭の中に焼き付けていった。

 一〇〇メートル走で調子がよければ三位の賞状をもらえる程度の僕など、良太の視界の端にも入っていないはずだと思っていた。

 市立三崎中学に入学し、先に声をかけてきたのは、良太の方だった。

 ――町田圭祐くんだよね。陸上やってた。放課後、一緒に部活見学行こうよ。

 驚いた僕は、「ああ」だか、「うん」だか、歯切れの悪い返事をしただけだ。

 いや、僕の足の速さだったら、陸上部でそれほど活躍できそうにないから、テニス部かバスケ部に入ろうと思ってるんだけど……、などと脳と口が直結していないタイプの僕は、突然の出来事に対して、思ったことを口にできたためしがない。

 そのうえ、憧れている相手から声をかけられたのだから、しばらく考えたあとでだって、否定の言葉など返せるはずがない。

 そう、僕は良太に憧れていたんだ。

 だから、誘われるまま陸上部の見学に行き、その日のうちに入部を決めた。普段、学校での出来事を母さんに報告することは、あまりなかったけれど、このことだけは、夕飯時に自分から話した。

 ――そういう出会いは大切にしなきゃね。

 母さんは、まるで僕が芸能人と知り合いになったかのように喜んだ。

 ――でもさ、陸上部って、他の部活に比べて保護者会が多かったり、試合の送迎なんかもしなきゃならないらしいよ。

 我が家は母子家庭だ。父さんは僕が小学校に上がる前に病死した。それ以来、看護師をしながら一人で僕を育ててくれている母さんに、部活のことで負担はかけたくなかった。

 ――大丈夫、そういうところに顔出して、知り合いをたくさん作っておいた方が、受験のときとかに、いろいろ教えてもらえて助かるでしょう。

 それまで、母さんの口から、ママ友やランチ会の話題が出たことはなかった。

 ――じゃあ、入部届を出すよ。まあ、うちの学校が強いのは、駅伝とかの長距離部門らしいから、僕が遠征に行くことはほとんどないだろうし、車は大丈夫なんじゃないかな。

 僕は短距離をするつもりでいたのだ。

 得意、不得意、というのは自分で判断するものではないのだと、僕はこのあとで知る。

 陸上部に入った最初の半月は、専門種目を定めるため、男子一二名、女子一〇名の新入部員は、短距離、長距離、跳躍、投擲、すべての種目の測定を行った。

 新入部員の中には、自分はこの種目がやりたい、と顧問に自己申告するヤツもいたけれど、僕はしなかった。一〇〇メートル走のタイムが新入生の男子の中では一番よかったため、短距離部門に選ばれることを、信じて疑わなかったのだ。

 だから、顧問の村岡先生が「長距離部門……」と、まず、三〇〇〇メートル走の測定で圧倒的に一位だった良太の名前を挙げ、次に二位だったヤツの名前を、そして、三番目に僕の名前を挙げたときには、同姓同名のヤツでもいただろうか、と左右に首を振り、確認してしまった。

 しかし、町田圭祐は僕一人だけだった。

 長距離部門に選ばれた男子は四人。村岡先生が他の部門を発表しているあいだも、何かの間違いではないかと考え続けていた。僕は三〇〇〇メートルの測定で四位だった。三位だったヤツは、一〇〇メートルのタイムが僕より遅い二位だったのに、短距離部門で名前を呼ばれた。

 そもそも僕は長距離走が苦手だと自分で思っていた。小学校のマラソン大会でも、前半は上位につけていても、後半になると、ガクッと順位を落としていたものだ。

 スタミナ不足、と母さんに言われたことがある。これは、看護師として何か根拠をもって言ったのではなく、単に、牛乳嫌いの僕に、毎日飲ませるための口実にしていただけのはずだ。けれど、確かに、小学校の陸上教室で、僕は誰よりも先にへばっていた。

 測定は二年生の先輩がしてくれていた。記録票に記入ミスがあったのではないか。その結論に達し、部活終了後、村岡先生を追いかけた。自分から教師に話しかけたのは、このときが初めてだったのではないか。

 ――先生、僕、短距離の記録の方がよかったですよね。

 おそるおそる、そう訊ねた。

 ――確かに、今回の記録は短距離の方がよかったけど、町田の走り方は長距離ランナー向きなんだよな。

 村岡先生は一歩下がると、僕の頭の先からつま先までをサッと眺めて、そう言った。記録ミスではなかったようだ。だけど、とすぐに思った。

 僕が長距離向きに見えたのは、三〇〇〇メートル走をする際、僕の走り方が良太を真似たものになっていたからではないか。故意にではない。母さんが撮った良太のビデオを見ながら、こんなふうに走りたい、と頭に焼き付けた姿は、本人の背中を追ううちに、自然と自分の姿と重なり、再現できてしまったのではないだろうか。

 しかし、そんな説明をする前に、村岡先生はこう続けた。

 ――町田がどうしても短距離をやりたいっていうなら、そっちでもいいけど。山岸良太も入部して、うちの部で全国を目指せる団体種目は長距離、駅伝だけだと思うし、おまえなら、その中心メンバーになれると……、俺は信じてる。

 全国なんて大袈裟だな、と白けた気分になった。普通の公立中学なのに、と。

 熱血教師は小学生のころから苦手だった。がんばってお母さんを喜ばせてあげようね、などと、ひとり親だからというだけで、他のヤツらよりもがんばることを強要され続けてきたのだから。

 だけど、心の片隅で、全国大会に出られたら、母さん、ものすごく喜んでくれるだろうな、とも思った。それがひとり親だからということに由来するのか、僕にはわからない。

 結局のところ、「じゃあ」とか、「はい」といった曖昧な返事をして、僕は陸上部の長距離部門の選手となった。

 皆に遅れて自転車置き場に行くと、良太が一人で待っていてくれた。

 ――短距離に変えてもらったの?

 良太には、僕が先生のところに行った理由がわかっていたようだ。僕は首を横に振った。

 ――よかった。村岡先生に選ばれたんだから、間違いないはずなのに、もったいないよって、説得しようと思ってたんだ。

 良太が言うには、村岡先生は三崎中学の陸上部OBで、大学生のときにはあの正月駅伝にも出場したことがある、長距離ランナーだったらしい。体育ではなく、社会科の先生が、そんなにすごい人だったとは思いもしなかった。

 赴任したての昨年の駅伝大会では、それまで地区予選を突破するのもやっとだったチームを、県で一〇位にまで押し上げたという。

 ――全国、行きたいよな。

 良太のそのひと言は、僕の中の全国というイメージを、遠くにふわふわと浮いているものから、しっかりと形を成し、手を伸ばせば届きそうなところにあるものへと変えた。

 中学生活、どこを切り取っても、走らなかった日は一日たりともない。

 そして、僕たちは三年生になり、後輩部員にも恵まれ、全国がいよいよ夢で終わらないところにまで漕ぎつけた矢先に……。

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