第2話 闇自負・抹茶色

     1


 紹介したのはそっちじゃんか。そっちが連れてきさえしなければ。

 て、

 いまさら。

 母さんはずっと泣いてた。父さんはずっとこらえてる。

 妹のクラスメイトとか友だちとか部活の人たちとかぞろぞろと。眼を合わせたくなかったからずっと下向いてた。突然すぎる妹の他界に遣り切れなくなってる兄に見えてるんじゃないかと思う。半分はそうだけど、残りの半分であさってのことを考えてる。

 やみじふじゃなくて。フジミヤさんのこと。靴見てればわかる。和装の男が参列しないかどうか。男はみんな黒い靴。

 聞き憶えのあるようなないような。ないか。

「なんで死んだの?」

「心臓止まったから」

 お経。

「なによそれ」

「なんだろね」

 お経。

「真面目に答えなさいよ。未遂じゃ済まなかったってことでしょ?」

 お経。

 聞こえなくなった一瞬。耳は空いてるのに。

「不謹慎?」

 そっちが迫ってきたくせに。

 すぐ向こうですすり泣きってゆうシチュエーションなのか久しぶりに会った感動なのかとっくにお互いどうでもよくなってるってのにてゆうか最初からそんなに好きでもなかったし嫌いでもなかったから単なる処理として。女に性欲があるなんてそんときまで知らなかったけど。

「見てるかも」

「ゆーれいとか信じてんの?」

「四十九日まではこっちにいるみたいよ」

 見てたら見てたで。あんときだって見てたのか見てないのか。

「デカくなったね」

 態度が。

「ありがと」

 胸なんかそもそもデカイ。

 もやもやしてるもんが何とかなるかなと思ったけどやっぱ無理か。よけいごちゃごちゃしてきた。デカくでもなんでもないむしろちっさいフジミヤさんのことばっかよぎる。

 お経とかすすり泣きの現場へ女が戻ったあと、フジミヤさんのこと考えながら抜いた。そっちのほうが格段にキモチよかった。

 どうしよ。本気かも。

 白とピンクの中間。耳が。

 まさか。

 追い駆ける。すすり泣きの列を掻き分けて。

 もうちょい。

 お経。

 下向いたせいで眠ってたらしい。どっからどこまで夢だったんだか。

 お経。

 聞こえるからそうゆう場面なんだろう。妹は。

 笑ってる。

 俺が殺したとも知らずに。

「だから」

 飲むなってゆったのに。

 振り返る。人間のてっぺんと眼が合う。

 気のせいか。

 妹と同じ制服。壊滅的に目付きの悪いウサギを抱えた。

 気のせいじゃない。

 妹が地球の中心に近づく。ここにいる誰より。

 気のせいじゃないことを確かめる。

「行かないほうがいい」妹の友だちが言う。

「飲まなきゃいいんだろ」

「絶対飲む」

 予言みたいに鋭かった。

「叶わない」

「わかってるよ、でも」

「うーちゃんがきみを死なせたくないってゆってる」

 耳を。

 頭のてっぺんに置くときは。

「ヨシツネはやめたほうがいい」

「なんで」

「知ってるよ。うーちゃんはウサギの振りができた」

 ウミウシから。

 ウサギになれたのは。

「ウソだあ。そんなバカな」

「わたしの不幸は」

「飲んだの?」

「知りたい?」

 父さんに呼ばれたからそこでうやむやに。車の中で家に帰らない云々についてくどくど追及された。お金で解決したんじゃないの?

 黙ってた。なにもゆうことないし。帰る気もないし継ぐ気もないし。

 これもやみじふの不幸だとしたら。

 なんで俺だけ二つ?

 ヨシツネ。

 フジミヤさんの下の名前だろうか。フジミヤヨシツネ。

「ヨシツネってゆうんだね」

 フジミヤさんは頬杖ついて居眠りのふりをしてた。ちゃぶ台に湯呑みが二つ。

 二つ?

「新規がごろっごろおって敵んわ」

「新しい人?」

「宣伝しとるずあほおがいてるさかいにな」

 カモは俺だけじゃない。

 フジミヤさんから遠いほうの湯呑みは空っぽだった。

「残念やったね」

「一個じゃないの?」

「欲張りすぎなんおま。しょーもない願いの報いや」

「一個だってゆったじゃん。外にもそうやって」

 フジミヤさんに近いほうの湯呑みは。

 いま、空っぽになった。

「誰でもええのと違う?言い換えるわ。なんでも、キモチええんやったら」

 見てたのかもしれない。妹が。

 幽霊になってフジミヤさんにチクって。なにせこの人不死身だから。

 ないない。何考えてんの俺。いろいろありすぎて混乱してんだきっと。

「顔色悪いえ?」

「ヨシツネさん」

「フジミヤさん」

 だいめしゅじん。

「ヨシツネさん」

「茶ぁ、淹れるわ」

「ヨシツネさん」

 盆に湯呑み。俺の分もある。二つ。

 羊羹は一つしかなかった。

「ガキの喰うもんと違うやろ」

 フジミヤさんがくれれば食べたのに。

「ヨシツネさん」

 そろそろ。

 本性引っぺがせる。そんな頃合いだった。

「禁忌破ったったさかいに。まだまだこんなもんやないえ」

「ヨシツネさんも?」

 ヒト惚れさせたらあかん。

「ぜんぶ」

 ヒト殺ったらあかん。ヒト生き返らせたったらあかん。

「ぜーんぶ一気に破ったん。ほんまずあほお」

「死んだんだ」

 好きな人。

「生かしたせいで好きんなってそんで」

 死んだ。

「ゆうたやん。俺に関わると」

 ぜんぜん。

 本性引っぺがせない。そんな間合いだった。

「ウサギ抱いとるやつの不幸。教えよか。聞いてへんやろ、あいつ、ゆうたないさかいにだーれにもニンゲンが嫌いやて」

 わざと聞かなかった。フジミヤさんの白い首元を見てた。

 日が陰るまでにお客さんが四人来た。助手のふりしてその場にいたかったけど。本当は家自体から追い出されそうになったんだけど帰りたくないし帰る必要もないので隣の部屋で聞き耳立ててた。どいつもこいつも金だ名誉だ地位だ女だつまんない願いを。フジミヤさんはほとんど無言だった。聞き役。聞いてなかったかもしれない。やみじふ飲ませるとき以外は。

 新規かどうかはすぐわかる。躊躇うかがっつくか。襖の隙間から。もうちょいで顔が見えるのに。鼻先とか耳たぶとか唇とか。眼は一回も見えなかった。座って脚開いて。その間に客の頭が埋まる。どうやって飲んでるのかも見えない。見たくもない。

 最後の客だけフジミヤさんに背を向けた。飲み方がおかしかった。やみじふ飲みすぎてアタマおかしなってる、とフジミヤさんがぼやいてた。

「後ろっから掘りながら扱いて手ぇについたやみじふ舐めるんもおるよ。しゃぶるん抵抗あるらしわ。せやけどおま、とちゅーで手ぇ洗いに行きおったやろ」

「しょーがないじゃん」

 カネ次第でどんな飲み方もさせてくれるらしい。

 中に出して外に流れてきたのを指で掬ったりする客もいるとか。

「経口摂取やないと効かへんの。坐薬と違うさかいになあ」

「ねえ、女の」

「来いひん。来おっても白切る」

「なんで?」

 なんの考えもなしに反射的に聞いちゃったけど。

 聞いちゃいけなかった感じ? あーイカくさ、とか呟きながらフジミヤさんが障子を開け放つ。無風。

 あの顔だ。海で見た。

「なあ、今晩腰立たななるまでヤったるさかいに。明日」

 留守番。

 ここの。

「頼めへん?」

 情欲には勝てない。


      2


 眼が覚めたときにもうフジミヤさんはいなかった。まだ暗いうちに出てったのかも。どこ行くのか聞きそびれた。ホントはヤるだけヤらせてもらってこっそり尾行いてく算段だったんだけど。寝坊した。

 書置きもなんもない。台所のテーブルの上にカップラーメンが三つ。醤油と味噌と塩。味が違うけどメーカは同じ。ぜんぶ同じよりはマシか。冷蔵庫漁ったら夕食の残りを見つけた。煮物とサラダ。

 家から一歩も出ちゃいけないのが留守番だとかで。コンビニにも行けない。飢え死にする。何時に帰ってくるかわかんないってのに。成長期の高校生の食欲を甘く見てる。

 はあ。溜息。

 あれだけヤったからかなりだるいと思うんだけど。昨日だって連続で四人も。俺入れて五人だけど。あ、そうか。一人以外は単に座ってただけだった。でもあれだけ声出せば。フジミヤさんは声を押し殺したり耐えたりとかまったくしない。もうちょい恥ずかしがったり嫌がったりしてくれたほうが違う面白さが出るんだろうけど。

 足腰立たなくなるまで、の主語は俺?

 やみじふは飲まないようにした。蓋カブせといた。フジミヤさんとヤれればいまんとこ特に願いはない。

 車の音。垣根があって家の中からは見えない。いやな予感。居留守使っても勝手に上がりこんでくるだろう。それなら門前払いするまで。

「留守だろうと思ってね」こないだの先生。

 なんで知ってんの?

 今日は白衣じゃなかった。喪服みたいな白黒。

「ご焼香に行かせてもらった」

「そいつはどーも」

「きみに用がある。上がらせてくれないか」

「ヤダってゆったら?」

「この家のスポンサは僕だ。文句があるかな」

「うそつけ」

「この状況で嘘を吐いて僕に何の利益がある?大方留守番でも頼まれたんだろう。筋肉痛のところ悪いが」

 なにからなにまで。

 イライラする。知りすぎ。

 何度もここ来てるんだろうか。スポンサって。

「そうあからさまに敵意を向けないでくれるか。僕はきみを被験体としか見ていない」

 よけー腹立つんだけど。

「茶ぁでも」

「気を遣わなくて結構だ。手短に済ませる」

「ご用とやらは?」

「期待通りに動いてくれて礼を言う」

 モルモット。

 そんなことはわかってる。

「三大タブーは聞いたかな。内どれでも一つ、どれか一つでも犯せば不幸は連鎖する。頻度も程度もランダムだが確実に不幸を味わい続ける。願いを取り消さない限り」

「取り消す?ったって、やみじゅーで叶った願いは」

 やみじふでは取り消せないんじゃ。

 上着のポケットから手帳を取り出して。写真をちゃぶ台に。

 裏返し。

「見たまえ」

「なんですか」

「見てわからないか」

「俺にどうしろって」

「まずは見てくれないか。話はそれからで」

「だって見たら」

 やらざるを得ない。なにをやらされるんだろう。なんかもうこれ以上巻き込まれたくない。いまのまま。不幸は降りかかるかもしれないけどフジミヤさんの傍に。

「きみの選択肢はひとつしかない。僕の期待通りに動く。できないなら価値を失う」

「用済みってことすか」

「捨てないさ。データが流出する恐れがある」

 処分。

「ご両親には諒解を得てある。他でもないきみが申し入れに行っただろう」

「そんなの」

「無効だとでも言いたいのかな。手遅れだ。きみが目下すべきことは、眼の前の写真を裏返し写っている人物をよく確認することだ。すぐに回収する」

「データが流出するから」

「解っているなら早くしてくれないか。下らない事で時間を無駄にしたくない」

 たぶん、

 写ってるのは。

「面識があるね?」

 ウサギの振りした。

「彼女はやみじふで叶えた願い、並びに副作用で被った不幸をキャンセルすることが可能だ」

「俺にどうしろと?」

「実際に確めた者がいない。仮説に過ぎないのだ。検証してきて欲しい」

 そんな、

 バカな。騙されてる。

「期日は遅くとも」

「なんで誰も確めないんすか?」

「知らないからだ。まさかやみじふをキャンセル出来る方法があるなどと思い至らない。フジミヤ君に説明されそこで思考を停止してしまう」

 ちがう。

 これは、

 裏がある。確認した人がいない理由。

「失敗するんすね?うまくやらないと」

「そう難しいことは要求しない。誰にでも出来る。無論きみにも」

「やらないとどうなるんすか?」

「二度も同じことを繰り返させないでくれ。きみの選択肢は常に一つだ。受験しないとはいえ学校に通っている以上は勉学に励む義務がある。三ヶ月あげよう。その間に彼女に接触し僕の仮説を検証し見事支持して欲しい」

 先生が高々と笑う。何もしないうちに勝った気でいる。

 なんで成功しなかったのか。あの子が見つからなかった? いや、無理矢理にでも引き合わせる。目的のためには手段を選ばないタイプだ。俺はたまたま面識があったから。たまたま? これが偶然じゃないとしたら。

「期日までにうまいこといかないときは」

 処分。

「連絡をくれれば調整する」

 ん?なんか。

 おかしい。

「僕はそこまで非道ではない。時には忍耐も」

「メアド知ってるんすけど」

「期日に変更はない。延長も考慮する」

「でも急ぎじゃないんすか?留守番終わったらそっこーで」

 先生がケータイを耳に当てる。着信があったらしい。

 そうじゃなきゃ滅茶苦茶失礼だ。

「予測通りのことで時間を奪らないでくれとあれほど」

 ほら、時間を無駄にすると怒るじゃん。

 なのに。なんで?

 三ヶ月先って、秋も終わっちゃうよ?

「余計なことはするな。きみは僕の命令通りに」

 確実に機嫌が悪い。

 と、思ったけど顔はそうでもない。笑ってる。勝利の笑みにはちょいと場違い。

「手足と雖も無限ではないんだ。第一僕はそんなこと望んで」

 口調と表情が噛み合ってない。

 使い捨て。

 そうか。やっぱりこの人は。

「戻れやめろ」

 命をなんとも思ってない。

 通話終了。

「彼らはその程度の価値しか有していなかった。残念だよ」

「死んだんですか」

「彼女が所有しているウサギのぬいぐるみがいるだろう。あれに喰われた」

 じょーだん。

「跡形も残らない。蓄積されたデータが一瞬で消える。無駄死にだよ、まったく」

 悔やんでるのか怒ってるのか哀しんでるのか。

 笑ってるのか。

 喜んでるんだ、この人は。

「仮説が支持された暁には是非あれを研究したい。あれは無傷で連れ帰れ」

「彼女は?」

「殺せ。それがやみじふの」

 じょーだん。

 できるわけない。道理で。

 誰もうまくいかなかったわけだ。

「生き返らせたいんだろう、妹を」

 俺もうまくいきそうにない。


      3


 帰宅後フジミヤさんの開口一番が予想通りで嬉しいやら哀しいやら。

 先生じゃないんだから。

「ずあほお」

「ゆうと思った。おかえりー」

「眠れんかったんか」

「フジミヤさんがまっぱで添い寝してくれれば眠れるかも」

「くそ暑いわ」

 みやげ、て放り投げられたのは。

 ずっしりと。

「よーかん?」

「喰いたかったんやろ」

「どこ行ってきたの?」

「盆地」

「それじゃわかんない」

 お疲れなん、とフジミヤさんは横になってそのまま。

 寝息。

 そんな無防備だと襲っちゃうよ?

 俺も疲れたからやらないけど。

 全然寝付けない。返事が返ってこない。

 殺せ。

 だなんて。

 あの子殺して妹を生き返らせる。意味は。

 どっちをとるかとかそうゆう問題でもなくて。命は平等だとかそうゆう道徳の時間みたいな話でもなくて。

 たぶん、先生はウサギのほうが目当てなんだろう。入り口はやみじふだったかもしれないけど、取り消しの方法とかいろいろわかってくうちに。

 三ヶ月プラスアルファ。俺の命はそれまで。

 ぶるぶる。


  殺したいなら

  殺しにおいで返り討ち

  うーちゃん


 なんつー物騒な。

 でも返事待った甲斐あった。これで安心して。

 飲める。

「今度はなに?」

「ありゃー起きちゃった?」

「ふつー起きるわ。済んだ?」

 安眠妨害だから早く終わらせてくれ、てゆうより。

「心配してくれてるんだ」

「いまどき赤紙やないんやから」

「帰ってくるよ。死ねって言われてないもん」

「マグロですまへんね」

「いーよ。勝手にやってるだけだし」

 抹茶の味がする。

 とうとう味覚もイカれてきた。

「帰るゆうて帰ってきた奴いてへんけどな」

 眼が合う。のがイヤで隣に寝る。

「クソ暑い」

「よっしー」

「はあ?」

「よっしーて呼んでもいい?」

「あかんあかん。三十路に向かうて」

「俺はよいっちでいいから」

「地上絵て呼ばれたったことあるのと違う?」

「ハチドリとかクモとかサルとかいろいろ」

「あれ、なんのためにあるんやと思う?」

「わかんない。なに?」

「考えもせんで振るな。説はなんやかやあるけど、俺は」

 その先を待ってたのに代わりに。

 顔が。

 フジミヤさんからしてくれたのは。

「ええよ。やらんで」

 嬉しいはずなんだけど苦かった。さっきまで口の中にあったやみじふのせい。

「言いなりにならんでも」

「実はやりたくない」

「せやろ。無視無視」

「なんか優しいね」

「泣きつく相手間違うたわ」

 どうせごり押しの無理矢理。依頼を受けたなんてウソに決まってる。正式ってなんだ。

 ぜんぶ研究とやらのため。

 白い腕が這ってくる。俺やっぱ死ぬ間際かも。

「酔ってんじゃ」

「下戸やゆうたやろ。惚れてほしいて願うたったくせにな」

「なんかあった?」

 どこ行ってきたんだろう。様子が。

 それとももしやして。

 やみじふ。でもフジミヤさんには効かないんじゃ。だけどもし。

 フジミヤさんの説明で思考が止まっただけだったら。

 恐る恐る。

 白い頬に触れる。振り払われない。とは思ったけど。なんでそんな。

 とろんとした眼で俺の手に。

「ねえ、違うよね?だってフジミヤさんには」

「従うことあらへんよ。ほんまにな」

 ヤったときよりどきどきしてんのはなんで?

 眠れなかった理由がいつの間にかすり替わってた。フジミヤさんは俺にみっしり貼り付いたまま眼を瞑る。暑いとか言ってたのはどこの。熱いのは俺のほうだよ。全体的に局地的に。暴発しそう。

 長い長い夜がやっと。よく考えたら一昨日もあんまり寝てないや。

 あの日も。

 長い長い夜だった。思い出したくないから思い出さなかったけど。

 真っ暗なのにやたら眼がちかちかして。

 真っ蒼なのにやたら真っ赤で。真っ白だった。

 俺のせい。

 でも誰も俺のせいだって言わなかった。わかりきったことは言う必要ないからだ。

 俺が見つけなければ死んでた。

 俺が見つけなくても死んだじゃないか。結局は。

 ちょっと遅くなっただけで。

 ああそれで。

 妹が死んだってわかったときそんなに哀しくなかったのか。

 俺の知ってる妹はあの日、あの夜死んでたんだから。なんとか一命は取り留めた。妹の希望で妹は遠くの学校に通うことになった。俺から離れるため。兄なんか最初からいなかったみたいに平和に暮らすため。寮に入った。

 妹の知ってる兄も死んだ。会わないなら死んでるも同じ。

 俺も。

 ちょっと遅くなっただけで。

 せっかくやみじふが効いてきたってのに。三ヶ月プラスアルファまで待てない。期限ぎりぎりまで精一杯生きようとは思わない。もう充分だ。

「アポなしは認められないが」先生が言う。

 飲んだこと。

「ないんすよね」


      4


 イヤだったらやめろと言えばいい。見たくないなら立ち去ればいい。交ざりたいなら襖を開ければいい。なんでそのどれもしない。

 親が留守のときに聞いてみた。妹は。

 嫌われたくなかった。

 それだけ言って部屋に戻ろうとするから。

「わけわかんねえ。嫌いんなる?だれが?」

 無視して部屋に戻ろうとするから。

「俺に嫌われたたくなくてどっかから便利な女連れてきたってのか。どうなんだよ」

 眼を合わせないように下を向いて部屋に戻ろうと。

 するからいけない。俺は。

 引き止めただけ。

 その三日後、妹は首にタオルを巻いて倒れてた。

 そんだけ。

 一週間後ならよかったとかなんで次の日じゃないのかとか二ヶ月先くらいがフツーじゃないかとか。血が出てなかった。助かると思った。

 見舞いには来るなと言われた。妹がそう言うなら行ってやらない。

 顔も存在も忘れた頃に、帰ってきた。

 ちょっとどころかだいぶふしぎな友だちを連れて。

「うーちゃんはきみを殺したくない」友だちが言う。

「名前聞いてなかった」

「さめう」

「さめうちゃん。んで、そっちがうーちゃん。よろしく」

 フジミヤさんとおんなじ気配がする。

 こっちにいるんだけど確実にあっちのほうが近い。

「会いたかったから?」

 妹と友だちになったのか。

「ぐーぜん」

「ウソっぽいな」

「殺したってやみじふは取り消せない」

 かわいそうに。

「死ねば取り消せる。どう?合ってる」

「試してない」

 試そか。

「殺したらうーちゃんがきみを食べる」

「で、君は生き返る。君の不幸も不死身?」

 海に浸かってたウサギが体を起こす。

 壊滅的な目付き。

 砂浜に穴が空く。増えて消える。

 波がさらう。

「どうでもいいんだ。妹が死んだとか。そうじゃなくて俺は」

「やめたほうがいい」友だちが言う。

「不死身だから?」

「不死身だから」

「その不死身を取り消したいんだけど」

「うーちゃんに食べられる」

「食べられずにやみじゅーをどうにかできない?できるよね。それをお願いに来た」

「また飲んだ」

 飲むなってゆったのに。

「ここじゃやだ」

「あっち?」

 まだ俺は、

 渡る気ないけど。

 先生の高笑いでこっちに呼び戻される。あっち逝ったりこっち帰ったり。

「そうか。それは考えなかった。それなら三ヶ月も要らない。きみを侮っていたようだ。失礼した」

 相変わらず、言ってることとやってることが噛み合わない。上から目線で謝られても。

 よけー腹立つ。

「フジミヤ君を不死身から解放できたのかな」

「試してないので」

 試そか。

「参ったな。つくづくきみを過小評価していた」

 試せない。フジミヤさんにはまだ使い道がある。

 やみじふ製造。

「手土産はそれだけかな」

「先生ともあろう方がただのぬいぐるみに興味が湧くんすか」

「きみというやつは」

「研究は頓挫っすね」

 チャイム。

 始まりか終わりかはわからない。

「アポなしですんませんした。じゃ」

「待ちたまえ」

「やだってゆったら」

 先生が席を立つ。肩が震えてる。両手を机に。項垂れる。

 笑ってるのかもしれない。

 そうゆう人だから。

「何度飲んだ」

「忘れました。バカなんで」

「一回目はフジミヤ君を惚れさせたね。その副作用が妹の死だ。二回目は彼女に不定期をやめさせた。その副作用はまだ。三回目がウサギを」

「先生もどうすか?」

 飲んだこと。

「ないんすよね」

 飲んだら。

「なんでも願いが叶うんすよ?」

「結構だ。主観が混じる」

 負け惜しみにしか聞こえない。

 やった。

 ふっフフふふフふふふふふふうはっはははっははっはははあっはははははあっはっはっはっははっはハハっははいひひうヒヒヒヒひいいいいいひひひひヒひひひい。

 先生はひとしきり笑ったあと、どかりとソファに座って天井を仰いだ。

 立ち去るタイミングを見失う。なんか、

 言いたいことあるんならさっさと。

「三大タブーは叶わない」

 ぐるりと。先生の眼球がこっち。

「叶わないんだよ生憎だが。きみはこれからやみじふ三回分の不幸を、いや、一つはタブーだから連鎖があるね。実に楽しみだよ。この瞬間が堪らない。いつもそうだ。きみたち被験体は僕に勝った気でいる。大いに結構だ。天狗に有頂天になればいい。落ちたときの衝撃が大きくなるだけのことなんだよ。全身打撲か即死か。きみの精神力がどこまで持つか。観させてもらうよ。最高の特等席で」

 飲んだこと。

「あるんじゃないすか」

「それがなんだ」

 飲んで。

 なにを。

「僕は産まれた瞬間から不幸の底辺にいる。何を恐れる?何に怯える?僕には何もない。何も持っていないんだ。不幸とは何だ?幸せの対義語だとしたら僕が受ける不幸は予定された未来となんら変わらない。飲んださ。飲んで飲んで飲んだ。しばらくの間やみじふが出なくなったよ唯の一滴たりともね。願いの大きい小さいは飲んだ量に比例しない。どれだけ大量に飲んだところで一回は一回。叶う願いは一つ。何度飲んだかな。忘れたよ。莫迦になるくらい」

 教授の肩書きも。黒塗りの車も。フジミヤさんの家のスポンサも。

 研究とやらも。

 ぜんぶ。やみじふ。

 先生がフジミヤさんの咥えて空っぽになるまで吸い尽くしてる情景が。

 高笑い。

 おかげで消滅。

「もう一度言ってやろう。叶わないよ。きみの願いは」

「叶えさせないように願ったんすか」

「莫迦だねきみは。これだけ言っているのにまだ解らないのか。三大タブーを唱えてみるといい。莫迦だから忘れたかな。一、人を殺してはいけない。一、人を生き返らせてはいけない。一、人を」

「叶ったんすけど。つい昨日」

「それはフジミヤ君の優しさだ。愚かだね。手に負えない。留守番をしただろう。フジミヤ君がどこに行ったのか、聞いていないのか。聞いていないようだね。聞いていたら察しも付くだろう。いくらきみが手に負えないほどの莫迦だろうと」

 先生のところ。

 だけはやめてほしい。

「訊く勇気はあるかな」

「よけーなお世話す」

「お大事に」

 叶わない?叶ってるよとっくに。

 優しさ?叶ってるんだから優しくたってなにもおかしくない。

 留守番。

 曖昧にしとくべきなんだろうけど先生にあれだけバカバカ言われたら。

「ええやん。気にせんといて」

「言えないようなとこ?」

「なんやのその浮気チェック。ねちこいなあ」

「よっしーは」

「フジミヤさん」

「俺のこと」

 好きだよね?

 だって、やみじふが。

「かあいそなガキやね」

 効いたんじゃ。

 叶ったんじゃ。

「かわいそう?俺が」

「シナリオ通りやん。ほんま不幸のずんどこ独走中やわ」

 効いてない。叶ってない。

 じゃあ、

 あれは。

「優しくしてくれたじゃん。死ぬなって、帰って来いって。ちゅーも。あれは」

「めでたいやっちゃな。あんなんカネさえもろたら誰とでもするえ」

 だれとでも。

「先生とも?」

「アタマおかしなってるやつの。憶えとるか。ケツん中出して外ん流れてきたの掬って。あれな」

 ウソだ。

「ほんまイカレとるよ、あんのずあほお」

 叶わない。

 本当の意味は。三大タブーだからとかじゃなくて。

「ごくろーさんやったね。不死身はどうともできひんよ。センセの研究は俺を不死身やなくすことやない。やみじふハマって不幸んなるかあいそな被験体をにやにや観賞することなん。早う気ぃついてよ」

 ずあほ。フジミヤさんが笑う。

 口の端だけ上げて。

「騙された?」

「せやね。どないする?飲むか」

 不幸を取り繕うために。

 何度も足運んで。客の必死な顔がよぎる。

 俺も慌てるべきなんだろうか。

「不幸ってなにが起こるかわかんないんだよね?」

「過去に絶望して死ぬんやない。未来が怖いさかいに」

 不安。

「想像力で死ぬえ?」

 こわくない。

 バカだからだ。


      5


「また来たの?」

 またそうじ。

 いつ来てもそうじしてる。

 そうじ屋さんじゃないのに。前にそうじ屋さん?てきいたときに笑われたからもう言わないけど。

「来たらあかんの?」

「そうじゃないよ。よく来てくれる割に来てくれるだけだからさ。ここ、何するとこか知ってる?」

 ちらりと看板を見る。

「読める?」

「ひらがなやん」

 でも何をしてるとこなのかわからない。

「店?」

「うん」

「食べもん?」

「そうだね。お客さんはそのために来る」

 いいにおい。

 これに釣られてる。ともいう。

「食べてってよ」

「あかん」

「なんで?お客さんはみんな」

「あらへんの」

 笑われた。

 ぷ、と吹き出して。

「お金ないから食べれないと思ってたの?」

「カネ払うんがふつーと」

「ここはね、ちょっと変わってて。お金は要らないんだ」

「へ?」

 カネが要らない店?食べ物なのに?

「ありえへん。なんや騙して」

「用心深いなあ。ほんとに要らないんだよ?どう?それでも食べてけない」

 カネ払わなくていいなら。腹も減ってるし。

 て、あかんあかん。

「サギやサギ。食べへんよ俺は。いらんいらん」

 でも、いいにおいが。

 きゅうと。

「お腹鳴ったね」

「やかまし。ええの俺は」

「頑固だなあ。じゃあ、こうゆうのはどう?僕とゲームして勝ったらあげるってのは」

「ゲーム?」

「簡単だよ。誰にでもできる。勿論きみにも」

 やらなきゃよかったのだ。びんぼーだったから。碌に食いもんも買えなくて。いつも腹が減ってた。簡単な誰にでもできるゲームなら勝てると思った。勝てたのだ。

 勝たなきゃよかった。目先のことしか考えてない。莫迦で愚かな。

 想像力が足りない。

「きみの勝ちだ」

 時間内にどっちが沢山食べれるかなんて。極限まで腹空かせてた俺のほうが有利に決まってる。勝たせたかったのだ。勝たせて食べさせる必要があったのだ。

 やみじふを。

 たらふく。

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