熱暑やみじふ

伏潮朱遺

第1話 不死身屋・真っ黄色

      0


 なんでも願いが叶んます

 但

 一個だけ不幸になります

 使用回数無制限

 そんだけ不幸になるだけ

        やみじふ


 じゃないか。反対から読むんだ。

 ふじみや

 藤宮?

 日焼けして黄色くなった紙。筆ペンかなんかで書きなぐってある。よく見たら新聞広告の裏だ。新台入荷とかなんとかの。

 チャイムが見当たらないので勝手に開ける。ごめんくださーい。

 ひんやりした風が。涼しい。外はかんかん照りなのに。クーラが効いてるわけじゃない。クーラなんかなさそうだった。扇風機すらあるかどうか。あった。首振ってる。

 誰もいないのかな。留守?

「ごめんくださーい」

 そいえば鍵かかってなかった。居留守?

「あのおー」

 薄暗い。奥の障子から仄明かりが。あっちかな。靴を脱ぎ捨てると足音。

 近づいて。

 止まる。影絵みたいに。

「ガキに用はあらへんよ」

 居た。

「あ、はじめまして、俺」

「ええから帰り」

「フジミヤさん?こないだ偶然見掛けて、なんつーかとにかく好きです」

 そっちが来ないからこっちが。

 行くまで。障子を開ける。

 和服の。

「帰り」

「んで事のついでに俺に」

 やみじゅー

「売ってくれると」

「惚れさすつもりなん?」

 鼻で笑われた。

「効かへんよ。俺には」

「それでももしかしたらってこともあるかも。ってのを期待して」

「ないな。早う帰り」

「いくら?」

「いくらもなんも。気に入らんと売らんの」

「気に入ってもらえる自信」

「ガキは厭やな」

 扇風機が止まる。

 ビックリした。タイマ?

 確認しようと眼を逸らしたらもう。

 いなくなってた。突撃訪問はダメか。

 でもそんなことで諦める俺じゃないし。振られるのも慣れてる。いつも突然すぎるからいけない。らしいけど、突然のほうが面白い。予想もしないことを突然やられるとどきどきするし楽しくなる。だから突然やってるってのに。段階踏むなんてつまらない。

「フジミヤさーん」

 閉められた障子を開け放って。縁側。左手に庭が。草ぼーぼーだけど。池も底なし沼みたいに気味悪い。よく見たら、池から川になってて。橋が二つ架かってる。手前のほうがボロい。暴れたら壊れそう。もう一つのほう。

 フジミヤさんがこっち睨んで。いや、見てないかも。

 なんて、弱気になってちゃダメだ。

「張り紙マジなんでしょ?」

 髪の色が黒じゃない。染めたみたいに人工的な色でもない。

 つまんなそうな眼。

 俺だったらつまんなくさせない。楽しくさせてみせる。

「疲れとるの。すまんけど」

「昨日の人だよね?」

 もっとつまんなそうな眼になった。

「せやからガキは」

「その人も」

 やみじゅー

「使ったんじゃないの?でも死んじゃったから効果が」

 フジミヤさんは俺が喋ってる途中で橋を渡り切って。無言で戸を閉めた。

 無理矢理追い駆けて追及することもできる。いつもの俺ならそうしてるんだけど。

 疲れとるの。の理由がわかったからやめることにした。

 疲れると思う。

 あれだけ声出せば。





 第1章 不死身屋・真っ黄色


      1


 久々に妹が帰ってくる。外泊なのに友だちを連れてくるとかで。まさか男じゃないだろうね。まさかまさか。

 はらはらしながら待ってたけど取り越し苦労で。だよね。そだよ。

 ふしぎな女の子だった。眼がぱっちり大きくてかわいい子なんだけど、目付きの悪いウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めて。妹がちょっとでっかめなせいかなんだかすごくちっさく見える。ほんとに同い年?

 俺があいさつするとぴょこんと頭を下げた。のぞきに来るな、と散々妹に釘を刺されたけどなんか気になる。なんで? なんだろう。わかんない。

 母さんが持ってけって言ったから。ぶつぶつ唱えながら。

 案の定、妹が階段上がりきったところに立ってた。

「来ないでって」

「これ」

「そこ置いてって」

「邪魔しないよ」

「いることが邪魔」

 昔はかわいかったのに。にー、にー、て。遠くの学校なんか行ったから。

 二度と口利かないとすごまれたので、すごすご。母さんは勉強勉強うるさいので出掛けることにする。いらいらしたときはこれに限る。チャリ。

 部活なんかとっくに引退だけど通りかかったのでのぞく。いい音。誰なのか当てる。この音は。ちらり。

 当たり。的に。

 真面目な顔でやってるから声掛けられなかった。顧問に見つかって勉強だのぶつくさどやされるのもヤだし。

 居場所ないな。

 みんなバカみたいに勉強してるし。勉強してるからバカじゃないんだろうけど。バカは俺かな。バカだから勉強したってわからない。勉強の仕方がわからない。勉強したくない。つまらない。

 知らない道を走ってたらどこにいるのかわかんなくなった。どうしよ。聞いたことない地名が電信柱に貼ってある。右に行っても左に行っても戻れない気が。いっそ上に行こうか。

 曲がり角から小柄な男が飛び出して。チャリ降りてなかったら轢いてた。危ない危ない。でもその人は俺のことなんか気づいてないみたいで。汗だく。足が縺れてるのに走る。面白そう。付いてく。

 狭い道に入ってすぐ男が消えた。見るからに金持ちが住んでそうな。平屋。揉めてる? 門のとこにいるのに何喋ってるのかはっきり。

 やみじゅー

 てのを寄越せだの渡せだの。怒鳴ってるのがさっきの男かな。

「カネなら」

「なんぼ積まれても」

「もうカネしか残ってないんだ。使わせてくれ。頼む。全財産がここに」

「帰り。カネあるんやろ。ほんならまだ」

「カネしかないんだ。カネだけだ。地位も名誉も、妻も娘も。何も残ってないんだ。私とカネ以外。だから最期の望みをこのカネで買って何が悪い。失うものは私の命くらいの」

「往ぬえ?」

「遺して死ぬのだけは嫌なんだ。こいつは墓場に持っていけない。わかるだろ?私の最期の」

「わからへんね。往んだらなんもかも」

「いいからさっさと渡せばいいんだ。満足だろ。私が不幸になるのを間近で」

 静かになった。

 やみじゅー

 て、なんだろ?漢字が浮かばない。やみは闇なんだろうけど、じゅー?銃。

 死ぬだの最期だのってゆってるからそうかも。闇銃。

 銃声を期待したけど全然そんな音しない。何が起こってるんだろ。門。飛び石。玄関の戸がちょっとだけ開いてた。そこからこっそり。

 声。

 銃じゃなくて人の。怒鳴ってた男の声じゃなくて。

 広い玄関。百人お客さんが来ても余裕で靴を並べられそうな。男が履いてたっぽい革靴がひっくり返って。靴はそれだけ。一段高くなってるところに丸い座布団。ちゃぶ台。肘掛付の座椅子。畳が擦れる音。

 声。

 声。声声声声声。

 練乳みたいな白い。

 夢中でチャリ飛ばした。見ちゃいけないものを見た。面白くなくはなかったけどつまんなくなくなくなく。どっちかな。銃声で命中して畳の上で血まみれ。のほうがよかったかもしれない。

 何も見なかったことにして家に帰る。それで本日の気晴らしは終わり。のはずだったんだけど。闇雲に走ったはずなのに見覚えのある道に。

 よかった。

 のかな。あの人は。

 妹の友だちは泊まっていくそうで。母さんと三人で夕食を作ってた。赤いエプロンがよく似合う。退場命令が下ったのでそそくさと。これ以上見てるとご飯もらえなそうだった。

 することがなかったので問題集を開いてしまった。ようやくわかる。

 動揺してる。

 いつもなら絶対そんなことしない。思いつかない。

 ベッドに倒れこんでも眼を瞑るとあの。

 声と練乳の。

 白い肩。抹茶の布。

 宇治金時練乳掛け。

 カキ氷が食べたくなった。

 次の日早起きして。単に眠れなかっただけなんだけど。記憶を頼りに。なんてならないから憶えてる限り同じルートを辿って、途切れた辺りから適当に。

 狭い道。そこを曲がれば。

「何をしている?」

 びくった。黒塗りのとにかく長い車が停まっててそこから怖そうなサングラスの人が。

「すんません、道に迷って」

「退いてくれ」

「あ、はい」

 チャリが道塞いで邪魔だっただけみたい。よかった。殺されるのかと。

 てゆうかこんな狭い道をそんなでかい車で。傷も凹みもないぴかぴかの。この辺住んでるお金持ちの人かな。世の中にはいろんなお金持ちがいるから。

 てゆうか俺も何しに来たんだろ。鶏だって起きてない。

 帰るにもどうやって帰ればいいやら。門が閉じられてる。さすがに声は。

 しても困るんだけど。

 ぐるりと塀が取り囲んで。中は全然見えない。一周した。特に面白くもない。よじ登れなくもないんだけどそれやったらいろいろまずいだろうし。

 帰るか。鶏も鳴いたし。

 朝食に間に合った。なんか食欲がない。気持ち悪い。妹の友だちが盛ってくれたから残せなかった。巧妙に仕組まれた嫌がらせだったのかも。バレてるのかな。でも辿り着いたのだって見ちゃったのだって何もかも偶然だし。そんなの責められても。

 何泊するんだろ。まあいいか。

「あんれ?」

 出掛けたんじゃ。妹の友だちが妹の部屋から出てきた。朝ごはんのとき今日どこ行く?みたいな話で盛り上がってたからてっきり。

「うーちゃん知らない?」

「ウサギの?んー」

 きょろきょろしてみる。捜すのを手伝ったわけじゃない。眼を合わせたくなかった。

 どこで妹が見てるかわかったもんじゃ。

「ご飯のときはあったっけ」

 膝の上に。

「すぐいなくなる」

 妹が呼んでる。なるほど。ぬいぐるみが見当たらないから出掛けられないのか。

「お腹すいたら出てくると思う」

 ん?

 妹が俺に向かって怒鳴りつける。離れろ、と。ちょっと喋っただけじゃんか。

「見掛けたらご飯あげてほしい」

「おう。見掛けたら」

「ありがと」

 はい?

 そら、やっぱふしぎな。ぬいぐるみだと思うんだけど。

 母さんも出掛けるそうで。そうしてくれるとありがたい。

 あの家について。

 たぶんそうゆうことをしてる建物なんだろうけど。気になるのは。

 やみじゅー

 闇銃?

 ベッドに。なんか。

 やわらかいもんが。踏んだ。もぞもぞ動く。

 タオルケット。

 はいだら。いた。

 ぬいぐるみだと思うんだけど。はずなんだけど。

 疲れてるのかな。

 見掛けたら。そうゆう約束だった。

「おいで」

 ぐったりしてた。俺が踏んだからだったりして。

 やたらと耳が長い。手も足も長い。そして壊滅的に目付きが悪い。毛は白とピンクの中間。鳴くのかな。ウサギって。

「なに食べんの?」

 とりあえず朝ごはんの残りを並べてみた。椅子に座らせ。ると届かないからテーブル。

 さっきまで行き倒れ寸前だったってのに。

 すごい勢いで食べ始めた。食べて。るんだよね?皿がからになってるから。

 疲れてるよ、やっぱ。

 つんつん。ウサギにつつかれる。

 お礼を言ってるみたいだった。皿を指して耳を垂れる。

「いや、どーも」

 約束だっただけだし。

 ぴょん。と、テーブルから降りて。もっとウサギっぽく走ってくれ。二足歩行。付いて来い、みたいな顔で振り返るから。玄関。俺の靴。

「外出ろって?」

 そうだ、とばかりに胸を張る。なんだこのぬいぐるみ。

 生きてる?んじゃなくて最新のおもちゃかも。よくできてる。

 ドア開けたら真っ先に飛び出していって。チャリのハンドルに座る。マウンテンバイクだから二人乗りはできないし。あ、そっか。

「ちょい待ってな」

 リュックの中に入ってもらって背負う。器用に顔だけぽんと出した。

「道案内しろよ」

 右に曲がってほしいときは右の肩を叩く。左も同様。直進のときは首をさわる。だいぶむずかゆい。聞いた答えが合ってるときは頭のてっぺん。間違ってるときは。

「痛いいたい。こっちは運転してんだから」

 頬を叩かれる。これ、ぜんぶ耳でやってる。さすがはウサギ。

 海だ。

 赤い旗は見当たらない。リュックから抜け出して砂浜を駆ける。こけないといいけど。て、言わんこっちゃない。顔から盛大に転んだ。

「だいじょー?」

 前面に万遍なく砂がついてる。払ってあげたらまたあれ。耳を垂れる。

「海来たかったんだ?」

 頭のてっぺん。

「あの子は連れてきてくんないの?」

 砂に耳で。

 うしろ。後ろ?

 字、書けるんだ。さすがは最近のハイテクおもちゃ。

 うしろ?

 練乳の羽織。抹茶の着物。帯は黒蜜。小豆は。

 隠れるところなんかないけど必死で隠れるところを探してるのはなんで?

 幽霊みたいな人だ。幽霊なんか見たことないけど。俺プラス一匹なんか視界に入ってない。入ってるかもしれないけど気にしてない。ここでもし俺が声を掛けても聞こえないんじゃないかと思う。頭の中がそれどころじゃなくて声なんか出なかったけど。

 なにしてるんだろ?

 海見に?

 あの家から近いんだろうか。わからない。頭が混乱してて地図が描けない。

 何分経ったかわからない。何秒かもしれないし何時間かもしれない。何日じゃないことを祈りつつ。その人は向きを変えて。後を尾行けたいような気が掠めたけど、ぬいぐるみが海に浸かってたので救出に向かった。

 壊れてないよね?

 海水だよ、これ。


      2


 黒塗りのやたら長い車とすれ違う。正しくは、怖かったので俺が道の隅っこでよけてただけなんだけど。やっぱこの近くの人なのかも。いちいち心臓が止まりそうな。

「ごめんくださーい」

 鍵閉まってる。門は開いてたのに。がちゃがちゃやってたら戸が開いて。

 俺見て顔をしかめた。メタボバーコード。大事そうに風呂敷包みを抱えてる。

「最後やさかいにな」

 あの人の声がして、逃げるみたいに俺にタックルして走っていった。退いてくれって言えば退いたのに。

「またおまか」

「ね、やみじゅーってなに?」

 指さす。門柱に貼ってあるあれ。

「わかんないよ。どんな願いでもって」

「ガキは好かん」

「下の名前教えて」

 眉を寄せる。

「ゆったら帰るか」

「フジミヤなにさん?」

「やみじゅーゆうんはな」

 誤魔化した。でもそっちも知りたいから遮らなかった。

「毒やね。せやけど致死量ん達するまでちょお時間かかるさかいに。毒回ったって気ぃついたときには」

「不幸になるってのは?」

「よりけりやね。願い事ん比例してぎょーさん不幸んなるんやったら早う毒やて気づくんやろけど。ばっちり犯罪やのに深爪するくらいで済むんもおるしな。逆もまた。彼女と復縁しおっただけで会社倒産したりとかな。しかーもぎょーさん負債抱えて。彼女と復縁、が願いやったさかいに、そっこは壊れへんの。つらいやろな。復縁しおったばっかりに彼女まで不幸のどん底やわ」

「んじゃフジミヤさん好きになってもらったとしても」

 どう不幸になるかは。

「せやから俺には」

「最期に使われるんじゃないの?なんにもなくなって自棄になって」

 あの小柄な男はそうしたんだと思う。とするとメタボバーコードも?ヤだな。

 ヤだからやっぱ俺が。

「助けよ思うてやってへんか」

「フジミヤなにさん?」

「ふじみ屋三代目主人」

「ふじみ、屋さん?」

「そ、ふじみなん。俺」

 不死身?

「なにされても往ねへんの。やみじゅー飲んで願い叶うたったけど不幸にも不死身んなってもうたしょーもない三十路」

「なに願ったの?」

「忘れたわ。しょーもなさすぎて」

「不死身になったからやじみゅー売ってるって」

 ちょっと待って。さっき、飲むって。

「やみじゅーって」

「やみじふ、て書いて闇汁。くそまっずい粘液」

 闇銃じゃなかったんだ。じふ。で、じゅう、て。読むの?

「見せて」

「帰り」

「見たら帰る。ぜったい」

「二度と来んか?」

「ね、おねがい」

「拝まれてもな。それにな、見せたら飲むやろ」

「んじゃ名前」

 追い出された。

 俺も抵抗しようとしたんだけどフジミヤさんの白くて細い腕を見て戦闘意欲が殺げた。代わりに違う意欲がもたげてきたけど必死に押し留めた。ここがそうゆうところなら、やみじふ使わなくてもお金払えばもしかして。そんなお金持ってないけど。

 やみじふなんてものは存在してなくて、ただそうゆうところなんだとしたら。そうかもしれない。不死身だとかウソついて。不死身な人間がいるわけない。門の張り紙だってなんかの暗号だ。

 騙されてる、俺。

 妹の友だちが帰るらしい。今日が最終日だったとかで。それならそうと言ってくれれば何か用意したのに。お金なんかないけど。

「ありがと」

 妹がいないのを確認して。

「なんもしてないよ」

「うーちゃんの伝言」

 バレてる?まあ、字も書けるくらいだし。

「元は海にいた」

「そなんだ」

「ウサギのふりしてる」

「魚?」

「ウミウシ」

 ダメだ。頭ぐるぐるしてきた。

「また会う日に」

 会うの?誰と誰が。

 妹の仕度ができたようで。邪魔なお兄ちゃんはお見送りも不許可。窓からのぞいてた云々言われるのがヤだったのでカーテン閉めといた。

 メール。知らないアドレス。誰だろ。

 

  やみじふ

  飲むな

  親切なうーちゃんより


 これは。妹の友だちが送ってきたんだと解釈していいんだろか。でもメアド教えた憶えないし。そんなことしたら俺の命がない。勝手に?あり得る。家にいるときケータイ身に付けてないし。机の上に置きっぱとかざらに。機会は山ほどあった。

 メアド知られた件は置いとくとしてもだ。

 やみじふ飲むな、てのは?

 なんであの子やみじふ知ってんの?ふしぎな子だし、まあ。ぬいぐるみがリークしたのかもしれないし。それも変な話だけど。

 飲むななんて。不幸になるのはヤだけど大したことない不幸かもしれないし。ささくれできるとか爪が死ぬとか。

 でも俺、ただフジミヤさんとそうゆうことしたいだけだったりして。男なのに。綺麗な顔してるから。そんだけ溜まってるんだろう。三十路のおっさんだってのに。身長は俺のが高い。童顔だし。俺と同い年ってゆっても充分通じる。

 俺が妹に嫌われてる理由。

 妹の友だちと付き合ったから。カラダ目当てで。


      3


 夕飯食べてからこっそり抜け出す。

 夜は涼しい。花火のにおいがする。公園かな。わいわい騒ぐ声もするし。

 いいなあ。花火。

「火気厳禁」

「んなことゆわずに。ね?」

 フジミヤさんのうなじが濡れてる。汗か風呂かシャワーか。

 はたまた。いーや。

 それは置いといて。

「ほらほら、バケツもかんぺき」

「燃え移ったったらどないするん?」

「消す」

「間に合わへんて。やめやめ」

 口ではきついこと言ってるけど本気でやめさせる気はないっぽい。勝手にしろ、が近いかな。縁側に腰掛けて何か飲んでる。湯呑み。

「やみじゅー?」

「アホお。あんなんぐいぐい飲むもんと違うの。茶や茶」

「お酒かと思った」

「下戸やさかいに。これ終わるまでやさかいにな」

「えー」

「ぶーたれとる前に早う火ィ付け」

「あげよーか?」

「いらんいらん。そんなんガキの遊び」

「ガキじゃないよ」

「未成年と違うん?」

「高校」

「同じや。変わらへん」笑った。口の端だけ上げて。

 変な笑い方。

 でも笑った。初めて見たかも。

「なんやの?あと半分もあらへんよ」

「不死身ってほんと?」

 飲む。

「四分の一」

「ほんとに死なないの?」

 飲む。

「終わりね。ほら見ぃ。ぼさっとしとるからやわ」湯呑みを持って立ち上がる。

 火も消える。灰の塊が落ちる。

「試そか?」

 花火を一本。火力が強そうなのを。わざわざ選んで。

 蝋燭の火が消えそう。マッチを擦って。

 火が。

 手に。

 熱そう。花火を持ってないほうの手で。火を。

 やめ

「むっちゃいたい」

 火が消えるまでずっと。消えてもそのまま。

 夜でよかった。手のひらがどうなったのか見なくて済む。

 バケツに放る。

 しゅう。とは言わない。もう完全に消えて。

「種も仕掛けもありゃしません。よう見て。火傷爛れのひっどい左手。閉じて開いて」

 ぐーぱーぐーぱー。

 なにも。

「俺が痛いだけ」

「治るんじゃ」

「すまへんね。からかお思うて。むっちゃくちゃ真剣な眼ェしよるんやもんな。騙し甲斐もあるわ」

 笑われた。鼻と口以外で。

 うれしいはずなんだけど。

「だま、し?」

「すぐは無理やね。一晩寝るとあら不思議。ぜーんぶ元通り、ゆう仕掛け。わーったか?クソガキ」

 ビックリした。火とか花火とか火傷とかじゃなくて。

 試そか?

「シっモいこと考えたんやろ。伸びとる」

 鼻の下。

 指される。右手で。火傷してない指で。

「せやからガキなん。日ぃの変わらんうちにガキは早う」

「痛くないの?」

「むっちゃ痛いゆうたやん。ひりひりじんじんしよる」

「なんで」

「信じてへんかったさかいに」

 そうじゃなくて。

「ほんまやって見せれば訪ねてこんかな、思うて」

 そうでもなくて。

「なんで」

「俺に関わると不幸んなるえ」

 片付けよろしゅうな。そう言い残してフジミヤさんは障子の向こうに消えた。

 そこが、

 寝室なのかもしれない。片付けをする気が起きなかったので立ち尽くす。座る気が起きなかったのでそのまま立ってただけだけど。フジミヤさんの寝息が聞こえないかと耳を澄ませた。すぐに無意味だとわかる。俺が帰るまで眠るはずない。俺が帰ったのを確かめてから眼を瞑るんだ。だからフジミヤさんは起きてる。俺が帰るまで。

 俺が帰らなかったら。

 火傷は治らない。早く寝ればいいのに。眠ったら寝顔が見れる。

「邪なこと企んどってもあかんえ」

 障子は閉まってる。

「せやったね。おまの願い」

「そっち行ってもいい?」

「満足するん?二度とここ」

「ねえ、やみじゅーってホントは」

「端っから俺が目当てやったん、おまが初めてかもしれへんな。大抵ほかーの願いがあってやみじふ目当てで来るんやけど」

 きっとおんなじ。

 フジミヤさんも、やみじふも。

 結果も過程も原因も願望も。

 左手にさわらないように注意した。あとは飲まないように。親切なうーちゃんがせっかく忠告してくれたんだから。我慢できるうちはがんばってみようと思う。時間の問題のような気もするけど。

 フジミヤさんの左手を捜す。布団の中。もぐる。

「なーにやっとるの?」

 治ってる。

 ほんとのほんとに。朝だ。

「疾う帰り」

 さっき気づいた。

 明日で夏休み終わる。


      4


 休み明けの模試なんて聞いてない。当日の朝に知ったから文字通りぶっつけ本番。

 俺って結構運がいいほうなんだけどこればっかりはどうもこうも。

 マークだったらまだ。

 どうせ将来は決まってるんだから。どこ行こうと何しようと、思い描くだけ無駄。卒業したら絶対使わない知識。在学中だってテスト以外で役に立たないんだから、どうして日常生活で生かせるだろう。無理だ。ムリムリ。

 フジミヤさんの白さばっか考えてる。スゴかった。キモチよかった。毎日毎朝毎晩毎夜あんなことできればいいのに。

 やみじふ。飲みたくてたまんない。

 またも黒塗りのやたら長い車とすれ違う。なんでこんなにタイミングがカブるのか。気味悪いなあ。やれやれ、やり過ごしたも束の間、バックしてきた。ちょ、轢く気?

 すれすれの横を通り過ぎて。停止。直進。何がしたいのかこの車。俺を煽ってるのかなあ。しがない平凡な高校生でしかないってのに。もしや車擦った?

 げ、どうしよ。それで怒って威圧感を与えてるんだ。まずい。売るもんなんか臓器くらいしか。逃げようにもすれすれのところを直進したりバックしたりを繰り返されてるわけで。チャリ置いて車飛び越えるとか、そうゆうスタント的なことを。できなくはないだろうけど、これ以上キズを増やしたくはないし。ああもう、言いたいことがあるんならはっきり。

 闇黒色のウィンドウが降りる。もうダメだ、てゆうより、やっと終わる。てゆう安堵感のほうが。

「乗りたまえ」

 あのとき俺に退け、てゆった人かどうかは憶えてない。白髪交じりなのか最初からそうゆう色なのか、灰色。丸メガネ。顔全体でヤな笑みを浮かべてる。あれだ。悪の研究施設で指揮を執ってるマッドサイエンティストによく似て。いやに白い白衣。白。違うものがちらちらする。

 胸ポケットに挟んである身分証明書みたいなのを見せ付けながら、俺を上から下、下から上にじろじろと。ヤなにおいの車内。ヤな座り心地のシート。乗るんじゃなかった。さっきの口調は、乗るか死ぬかみたいな感じだったから。

 死んだらできない。生きてないとフジミヤさんとは。いくらフジミヤさんが幽霊っぽいとしても。

「大学の?」先生?

「肩書きはこれだけではないんだが、これが一番説得力がある。一発で信用したろ? そういうことだ」

 なんか、してやられたみたいな。

 悔しい。から、うなずかなかった。

「僕の実験に協力する気はないかな」

 なにを藪から棒に。

「胡散臭そうな顔をしないでくれ。きみも見たろ。フジミヤ君の」

「やみじゅー?」

「服用は」

「それ、言わなきゃいけないすか?」

「していないみたいだね」

 こいつは。

「したんすか?」

「きみに言う必要があるかな」

「ふーん」

 してない。

「しかし希望はある。違うか」

「あったらなんすか」

「研究に協力してほしい」

 なんの?

「興味深いとは思わないか。本当は僕が身を持って体験したいところだが、それでは客観的なデータとして扱えない。どうかな?報酬も惜しまない」

 まさか。

 俺みたいな単純バカが引っ掛かるのを待ってたのか。道理で毎度すれ違うわけだ。

 この人、張ってたんだから。

 でも、知ってるってことは。フジミヤさんとは。

「正式に依頼を受けている。この異常な体質、つまりは不死身になってしまった身体をなんとかしてほしい、と。きみも彼のことを想うなら協力して然るべきだと、僕はこう考えるわけだけれどね。どうかな。返事は早いほうがいい。きみに断られたら新たな被験体を捜さなければいけないから」

「当てはあるんすか」

「ないことはない。さあ、決めてくれ」

 返事を渋るとキャンセルと取られそうだ。実験だの研究だの被験体だの、物騒な言葉がぽんぽん。大学名を見せ付けられたら信用するほかない。けど、俺は権力とか名声とかでどうこうするタイプじゃないし。

 超有名大学がなんだ。むしろいかがわしくて警戒する。

 妹の通う高校とおんなじ名前。

「僕に協力するということは必然的にフジミヤ君ともっと近しくなるということだ。それは解るかな? 繰り返すようだが、僕は正式に依頼を受けている。彼が不死身でなくなるために、ありとあらゆることを試すつもりだよ」

「例えば?」

 フジミヤさんとのありとあらゆることが駆け巡る。

 掻き消す。頭の中のぞかれてる気がした。

「きみの返事次第ではこちらの返答も変わる。参考までに一週間当たりの報酬だ」

 クリアファイルを手渡される。なんたら代、なんとか代、とわけのわからない名目が付いていて、合計した金額が。

 眼が飛び出る。てゆう大袈裟な比喩の意味がわかった気がした。

 一週間で、これ? じゃあ一ヶ月だと。いくらだ?かける三十。

 騙されてる。

「家を出たいのではないのかな」

 調べられてる。

「これだけあれば、まあいつまで続くかだがその希望も可能に」

 お金積んだくらいで何とかなるような運命だろうか。そんなもんなの?

 なんか、

 バカみたいだな世の中って。

「フジミヤさんの下の名前なんすけど」

 クリアファイルにもう一つ。印鑑なんか持ってないから。

 親指が朱い。

 先生は俺のサインを見て世界七不思議だと呟いた。

「宇宙飛行士が魅力的だ」

「あのお、マジで」

「まずはそうだな。家出から試すといい」

 敷地横付け。

 鳥居をくぐる。石段駆け下りたときには。


      5


 二度とここ。そこまで言ってフジミヤさんは口を噤んだ。車の音が遠ざかる。

 扇風機を止める。白い足。

 無音になる。

 ケータイの電源を切ったかどうか無性に気になって。

「ずあほお」

「アホでもなんでも俺は」

「おまやない。あの如何わしマッディ」

「まっでぃ?」

「ガッコは」

「行ってるよ。そうゆうことに決まったんだもん」

「行くだけか」

「行くだけいいじゃん」

 不登校になるわけでも不良になるんでもない。ただ家に帰らなくていいってゆうことになっただけだってのに。

「なんかいけない?」

「行くだけなんやろ。そんなんやっとるさかいにガキやて」

 ガキじゃない。俺はガキじゃないってゆってるのに。

「ちょーだい」

「なんやの。毛ェでも生やすん?」

 畳に押し付ける。つまんなそうな顔。

 こっち向け。こっちだけ向いてれば。

「いいの?ぜんぶ聞いたよ。どこにあるのか」

「勝手にし。一個不幸んなるだけ」

 拍子抜けするくらい簡単に飲めた。感じてないみたいだったから願い事を唱えてから白いところを探る。

 過程には興味がないと言っていたけれど。結果がすべてだとも言っていたけれど。過程を踏まえてこその結果だ。どこでのぞいてるんだろう。

「気ぃの多いやつやな」

「ちがうよ。あの先生が」

「なに願うたの?」

 一個しかない。

「願掛け損やわ。俺には」

「そんなのやってみなきゃ」

 生類憐れみの令みたいな嗤い。

「魔法の三大禁忌、知らへんやろ。ヒト殺ったらあかん。ヒト生き返らせたったらあかん。ヒト惚れさせたらあかん。おまはどれ破ったん?」

 答える代わりに突き上げる。

 わかってるくせに。だって俺はそのために。

 フジミヤさんが部屋を出て行く音がした。寝たふり。外は夜だから。眠らないといけない。明日は学校だし。わくわくして眼が冴える。遠足でもないってのに。

 先生によれば。叶うのは、フジミヤさんが朝起きた瞬間。

 石鹸的なにおい。シャワーを浴びてきたのかも。べたべたして気持ち悪かったけど、フジミヤさんからいいにおいがしてて腰が重くなる。

「先すまんね」

「なんで先」

「行きたかったん?」

「なんで起こしてくれなかったのかってこと」

「安眠妨害やん」

「誘ってくれたら起きたよ」

「強気やね」

 やみじふ。

「叶った願いはな、やみじふでは戻せへんよ。殺っといて、あとであかんことに気ぃついても生き返らせてくださいゆうても無理なん。副作用の不幸もおんなじね。思いもよらんかった不幸をなんとか修復しとうてずぶずぶ。あのマッディがこないなことするの、初めてやないよ。おまがもろうた報酬はな、ただの前払い死亡保険。おまのためやない。おまの家族やら親族やらにたらたら言い訳するための」

 さいご。

 フジミヤさんの膝枕で死ねるなら別に。

 ゆったら、ずあほお。てゆわれた。

 願いが叶う瞬間が見たくてずっと起きてようと思ったけど結局寝ちゃったらしい。ケータイで時間確認。て、なにこれ。この着信数とメールの数。ぜんぶ親。一個だけ。

 違うのがあった。


 だから飲むなって

 ゆったのに

 うーちゃん


 不幸なんて。

 運がいいはずなのに。今回たまたまついてなかったなんて思えない。

 不幸。身内の。

 不幸って。

 そうゆう意味?

 フジミヤさんはまだ目覚めない。このまま目覚めないでほしい。もしこれでフジミヤさんに効果がなかったら、眠る前のまんまだったら得たのは不幸だけに。

 不幸ってゆうのはランダムじゃないの?

 これって、まんま不幸。

「死んだってどーゆー」

 妹が。

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