恋愛経験ゼロだけど一目惚れしてみた
大川黒目
side.彼
一生の不覚、一目惚れ
恋に落ちてしまった。
何ということだ。一生の不覚。このどんな円満カップルの仲であろうとも必ず切り裂く、別れ話請負人と評される私が、どうしようも無く恋に落ちてしまったのだ。
この学び舎に入ってからというもの、別れさせたカップル・アベックは数知れず。初々しい新入生カップルから教授同士の老々交際までをも破局へと追いやった私は、一部の汚らしい青春に微睡む男連中から英雄的扱いを受け、毎晩誰かの部屋へ上がり込んでタダ飯を食らって生きている。
今や私の体の殆どは、烏賊臭い男の指で作られた、何やら得体のしれないもので構成されているといっても過言ではない。
一方、恋に恋する乙女達からの評判はすこぶる悪い。彼女らの間では、私は愛用の赤い糸を断ち切る鋏をジョキジョキ鳴らしながら、先が二股に分かれた舌をチロチロと振り、次なる獲物を探して学舎を闊歩する半妖人というのが通説になっているそうな。
ウム、半妖人、大いに結構!何とでも言え!
「なにが愛だ!なにが恋だ!学生の本分、学舎の目的は学問と心得よ‼」
自らの学業に対する極めて反抗的な態度を棚に上げて続ける。
「恋愛などは破廉恥だ!その正体は獣欲だ!貴様ら、一目惚れなどは発情に過ぎぬと知れ!」
そんなことを常日頃から喧伝する私が、恋に落ちてしまった。その上情けないことに、完璧な一目惚れだった。オーマイゴッド。
ほぼ幽霊だったサークルの新歓に駆り出され、やって来た彼女を一目見た瞬間に世界が変わった。彼女のやけにふわふわとした髪の毛先、不思議なステップを踏む踵、そしてカプカプと笑う笑顔を見た瞬間、胸がきゅんきゅんとしてしまった。チクショウこれが恋か!
嗚呼、恋とはかくも温かいものであったのか。ごめんよ、恋心。「愛は真心、恋は下心」なぞとしたり顔で嘯いていた過去の自分を一緒に殴ろう。怯えなくていいんだよ、こっちへおいで。抱きしめてあげちゃう。
かくなる上は、恥を忍んで型にはまった幸せを追い求める衆愚に名を連ねるか。
いいや、そうは行かない。私が愛の道に目覚めたことが知れたら、あの烏賊臭い連中は、米粒一粒たりともタダ飯を私に寄越しはしなくなるだろう。それは不味い。非常に不味い。
我が善良なる両親より受け賜わった仕送り半年分は、地方自治体より特別に有害認定された保健体育の参考書を蒐集するために名誉の戦死を遂げた。残りの2ヶ月、私は何とかして残りの諭吉1人と野口2人で食い繫がねばならぬ。
我はコンクリートジャングルに生きる現代のターザンなり。ほうぼうの汚部屋を回り、兵糧を食い荒らして生きている。
最低でもあと2ヶ月は、彼奴らから我が恋路を隠し通さねば。
いや、真に危険なのは、私が今まで毒牙にかけてきた老若を問わぬ男女どもであろう。
一部は当事者に依頼されて行ったものもあるが、殆どは自らの主義主張とほんの少しの趣味の為に自主的に行ったことだ。「貴様らの間に愛は無い」「天誅、天誅」と呟きながら、満面の笑みで行ったことだ。
過去の発言や写真を漁り、必要とあらば何処からでも探し出して、いざとなれば作りだして、二人の行く先に自然にばらまく。
何事にも動じない強い男ぶりに惚れたと聞けば、蜘蛛を投げつけ、鼠をけしかける。
庇護欲を掻き立てられる儚さに心酔していると読めば、スケ番時代のプリクラを突きつける。
彼らに真実の愛があれば、その程度の障害は助走なしの片足垂直とびで乗り越えて見せるだろう。しかし悲しいかな、私が目をつけたアベック・カップルにそのようなものは無い。あるのは打算、下心、性欲、そしてほんの少しのときめきと、大量の熱狂だけだ。
鬼?悪魔?冷血動物?何とでも言え!愛なき交際に慈悲など無い!恨むがいい、悔しがるがいい!
彼ら彼女らは心のどこかで私に感謝しているに違いない。だが、彼奴らはそれを認める訳にはいかないのだ。誰だって自分のヘソが曲がらないように押さえつけるので精一杯、型通りの幸せを逃した責任を、誰かに投げつけねばやっていけないのだろう。
さて、そんな愛の奴隷こと私が今何をしているのかというと、それはもうひたすらに待ち伏せであった。
彼女に会いたい、会わねばならぬという思いと、しかしどこか気恥ずかしいという気持ち、そして下手に徘徊して仇どもに恋路がばれた時のことを憂いる気持ちがごちゃごちゃに混ざりあい、結果として「ひとつの場所に留まるが必死に彼女を探す」状態に落ち着いたのだ。
今は食堂で血眼になって彼女を探している。
「おぉ…なんと神々しい…」
彼女が現れた。彼女は髪の毛をふわふわと揺らしながらショーウィンドウに駆け寄ると、眼をめいっぱい開いて食品サンプルを物色し始めた。
あぁ、その瞳のなんと美しいこと!まるで紫水晶のよう。吸い込まれちまいそうだぜ。
私はよろよろと彼女の方へ引き寄せられ始めた。蛾が電燈に引き寄せられるようなものだ。あぁ、我が光よ。今向かおうぞ。
「くせえ!甘ったるい恋心のにおいがプンプンするぜ!」
私はあわてて柱の陰に隠れた。マスカラを塗りたくった見覚えのある蛮族どもが、鼻をひくつかせてあたりを舐めまわすように見ていた。
何という嗅覚だ。らんらんと目をぎらつかせ、その鋭い付け爪で私の喉笛を掻き切らんと静かに殺気を高めている。
近くのカップルが怯えて手を繋ぐ。蛮族が睨む。手を振りほどいてカレシが逃げる。カノジョが幻滅する。
半妖人と戦う者は、その過程で自分自身も半妖人になることのないように気をつけなくてはならない。
くわばらくわばらと蛮族をやり過ごしてからふたたび彼女を探すが、見つからない。蛮族に連れ去られたのではあるまいなとキョロキョロあたりを窺っていると、真後ろから「せーんぱい」という声がした。心臓が跳ねた。
おそるおそる振り返ると、私のすぐ後ろに彼女が立っていた。
天使だ。昇天もとい仰天した。
「せんぱい、こんなところでさっきから何をしているんですか?まるで不審者ですよ」
そうです不審者なんです。
彼女が背側で腕を組み、例の不思議なステップを踏んだ。
髪がふわりと踊る。
「あ、せんぱい、昨日の講義、またサボりましたね。また落としちゃっても知りませんからね」
彼女が悪戯っぽく上目遣いで笑う。
ああ、すまない。わたしはその講義にいたのだよ。ただ、どうしても君を見ていたくて、わざと遅刻して一番後ろに座ったのだ。そして逃げるように帰ったのだ。
「頼んだってノートは見せてあげないんですからね」
ノートだなんて恐れ多い。僕は君と同じ空気を吸っていられるだけで、その髪が風に踊る姿を見ているだけで、その瞳の燐光を眼に入れられるだけで、感謝しきれないほどに胸がいっぱいなのだよ。
彼女にこの泥臭い土砂降りの雨のような甘言を余さず伝えたかった。滾々と胸の内から湧きだす言の葉ひとつひとつに感情を縫い付けて渡したかった。
だが実際は、紫水晶の瞳の魔力にあてられて、心臓が今にも破裂しそうな32ビートを刻み、「ウム、ウム」と相槌を打って先輩の威厳を保つので精一杯だった。
何が愛の言の葉だ。あとで落ち葉焚きにしてやる。
「それじゃあせんぱい、また」
「ウム」
髪をふよふよ揺らし、不思議なステップを踏んで彼女が去って、体の異変に気が付いた。
あれ、息苦しくない?
「ぶわっはああぁぁぁ‼‼」
ずっと息するの忘れてた。昇天。
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