第2話 I埋蒙古

 第2章 あいまいもこ



      1


 肩を揺すられる振動で気がついた。眠っていたようだ。

 寒い。

「だいじょーなん?大騒ぎ村出身のでっかいヒト」彼が至近距離で覗き込んでいた。

 名前も知らない。

 表札はかかっていなかった。郵便物でも拝借しようかと思ったが、ドアポストなので不可能だった。その切れ目に手を入れるのにはさすがに抵抗があった。

 オオサワギ村?

 彼は、真っ赤なマフラを巻いていた。黒い学ランの下に空色のセータを着込み。使い込まれたずた袋を肩から提げている。

 鼻が僅かに紅潮して。

 この寒空の下、たったいま歩いて帰ってきたばかりの。

 オオサワギ村ってどこだ?

 彼の吐いた白い息が俺の顔にかかる。

「どないしたん?なんやら忘れもん?」

 ぼお、と見てしまう。

 どうも調子が狂う。この寒い中、ドアの前で待ち伏せしながらうたた寝してたせいだろう。おかしいとしか思えない。

 何をしていたんだろう。

 俺は。「悪い、邪魔した」

 階段を下りようとしたとこで呼び止められる。

「なんや用があったのと違うん?」

「何時だ」

「えーとな、ちょお待っといてな」彼がポケットからケータイを出して。「夜やね。むっちゃ夜。あかん、夜やさかいに」

「何時なんだ」高度な冗談なのか、暗に帰れとほのめかしているのか。

 彼は鍵でドアを開ける。

「せーだい夜やさかいに。またな」無慈悲までに躊躇いなく閉まった。ドアを。

 しばらく呆然と見つめていた。しばらくしないと。

 いま眼の前で起こったことの状況整理がつきそうになかった。

 なんだったんだ?

 俺がやったことは。

 寒い。

 とにかく寒くて。寒い以外に説明できないくらいに。

 寒すぎるだろ。

 なんだってそんなストーカみたいな。ストーカ?悪い冗談だ。

 帰って即行シャワーを浴びた。いつもより熱めにして。

 でも身体の表面だけしか温まらなかった。タオルで身体を吹いて髪からとめどなく滴り落ちる雫を拭っている段階ですでに。寒さがぶり返していた。

 よくわからない。思いつきで行動しているからこうなるのだと。

 スサにもよく指摘される。

 ベッドに倒れ込む。小さい悲鳴が。

 なにか。

 いる。布団の中に。

 布団を捲り上げる。

 細っこくて白い。モロギリの奴もそっちの素質がある。んじゃねえかと俺が勝手に思ってるだけなんだが、俺とかスサとは別の造りをしてる。男らしくないが、かといって女とも言えない。脱げば一目瞭然のもんがくっついてる。

 クウだった。

 俺の顔が見えないとか言いやがるから買ってやった眼鏡を。外そうとしてやがるから。

 何も見なかったことにして静かに布団を戻す。

 布団が吹っ飛んだ。

 いや、ギャグとかじゃなくて。

「なんで戻すの?」

「なんとなく」

 たぶんクウは怒っていた。怒ってなければ人の布団の中で待ち伏せするだなんてそんなストーカみたいな。

 ストーカみたいな?

「悪かった。気が乗らなくてよ」ベッドに腰を下ろす。

 クウが膝立ちしてのそのそ近寄ってくる。「だったらそう言ってよね?待ってた僕がバカみたいじゃん」太ももごと露出している脚を、勿体つけて組んだ。「気分が乗らなくてもさ、顔だけでも見せにきてよ。お酒だって飲めるんだし」

「別に俺と酒飲みてぇわけじゃねえんだろ」

 クウが前面を押し付けてくる。

 構わずに髪を拭いた。ぞくぞくと寒気がする。

 湯冷めしたか。

「カラダだけじゃん」クウが背中に抱き付いてくる。

「それ以外なんかあるのか」

「ないね」

「だろ?」タオルを床に放り投げる。背中に貼りついているクウを剥がして。

 ベッドに押し倒す。

 顔を横に向けた。「電気」消せと言っている。

「いまさら恥ずかしがるようなもんもぶら下がってねえだろうが」

 みぞおちを蹴られた。

 入ってないが。

「やるじゃねえの」割かし暴力的なとこが気に入ってる。

「あのね、そうゆうとこが嫌なわけ。わかる?」

「てめえで誘っといて」

 服なんかほとんど着てないに等しい。脚の間に手やなんかも入れ放題だし、胸元も肌蹴ている。隠れてるのは皮の下の臓器くらいの。

 ちょっと弄ってやったらすぐに流されてくれた。そもそもそのつもりで押しかけている。呼んでもないのに。約束だってしてない。

 行くときに行くし、行かないときは行かないのだ。二重の意味合いで。

 クウじゃイけなさそうだと思ったから。今日は行かなかったのだが。

 クウ以外のことを考えていたから。

「ねえ、誰とヤってるの?僕じゃないよね」早速バレた。

「気のせいだろ」

 だからヤりたくなかったのだ。

 クウには嘘を吐けない。嘘?とは。

 なにが嘘なんだ?

 自分で考えててよくわからなかった。クウ以外のことを考えてて。

 誰の?

 誰だ。

「だれ?噂の子?」

「もうそっち行ってんのか」早すぎる。

 だれだ言いふらしてる奴は。

 クウが眉を寄せる。「やっぱそうなんだ。ふーん。へーえ」

「カマ掛けかよ」

「いいよ。どうせ僕なんかカラダだけじゃん」

「だからそんなんじゃ」だったら、

 どんなだというのだ。

 クウは朝早くに帰った。起きたら横が蛻の殻だった。念のため床とかベッドの下も確認したが人影らしきものはなかった。

 人影がないうちに。

 事務所を蛻の殻にする。もちろん鍵は掛けて。

 俺の記憶が確かだったら今日は。

 昨日が土曜だったから。

 今日が休みでない学生がいたら俺の前に連れてこい。

 ぶん殴って強制的に休みにしてやる。日曜だ。

 名前を聞きたい。

 モロギリの野郎にチキン呼ばわりされたのが癪でしょうがない。

 七時半。

 出かけるなら出かけてみろ。ドアの前に居座る。

 鍵が開いた音がしたのは、

 正午を回った時分だった。


      2


 夜遊びにもほどがある。毎晩じゃないか。

 塾かとも思ったが、行き先がどうもおかしい。

 オフィスビルが立ち並ぶ一等地。

 こんな時間にこんな場所で一体何をしようと。

 よっしーが入って行ったのは、とある某大手不動産会社の本社ビル。

 アポがどうだとかうるさそうだったし、その騒ぎをよっしーに感づかれでもしたら本末転倒なので。この場は一旦引いて。明日、再度訪問することにした。

 正々堂々と国家権力を笠に着て。

 それでもやっぱりアポがどうとかうるさがられたし、多少なりとも騒ぎにはなった。

 なによりもクリーンさが売りの会社に、白昼堂々国家権力が乗り込んできたものなら。

「誠に申し訳ありませんが、社長は席を外していまして」受付は、受話器を置くと鉄壁な笑顔で答える。

 僕も、鉄壁とはいかないが笑顔になら心得がある。「毎晩決まった時間に学ランを来た少年が訪ねてきてませんか」初対面の人をまず釘付けにすることができる。

 おでこにある大きなほくろで。

「わたくしではお答えでき兼ねます」

「じゃあお答えできそうな人を呼んできてください」変だ。

 受付は一切僕のほくろに気が散ってない。

 真っ直ぐに僕の鼻の頭を凝視している。「それもでき兼ねます。ご了承下さい」

 エントランスホール中央の人工滝がざあざあいってて気が散る。むしろ僕のほうが気を散らされてる。

 人工滝から流れ落ちた水が人工池に溜まる。暖房が効いているはずなのに、妙に冷えるのはそのせいかもしれない。

「どうかお引取りを」

 そのほうがよさそうだった。


      3


 日曜だというのに学ラン。どこぞへ出掛けるところか。塾とか。

「なにやってはるん?聞いてもええ」

「塾か」見上げる。

「答えてくれへんの?」

「どこか行くのか」

 彼はドアチェーンを外そうか迷っているみたいだった。指で弄る。「けーさつ呼んでもええ?いとこのにーやんがお巡りさんやさかいに」

「そんな脅しには乗らない」いとこがお巡りだからなんだというのだ。

 いとこのにーやんがお巡り?

「本当なのか」

「デタラメゆうてどないするん?呼んでまうえ」彼がケータイをちらつかせる。

「どっか行くのか」

「行くんやったらなんやの?行ったらあかんの?」

「行くんだな?」それは阻止したい。

 ドアの前に座り込むとかして。

「退かはってよ。たいがい」彼はケータイを耳に当てる。

 ブラフだ。振り。

「今日は一人なんやね。あ、ケーサツですか。いまストーカに」

 ケータイを取り上げて。

 半分にへし折った。山折のラインを無視して谷折に。

「あー」彼がチェーンを外して。

 通路に出てくる。これだけで、折った甲斐はあった。

 やっぱ小さい。

 俺がでっかいだけかもだが。

 その髪の色が陽に透けるところが見たい。

「余計なことすんじゃねえよ」お巡りなんざ。

「どないしてくれはるん?あー、ちょお。真っ二つ」

「弁償してやる」

 彼はケータイの残骸を持ってドアを。思いっきり閉める。

 間に合わなかった。

 指かなんかを挟んでもバカみたいなのでつい。

 引っ込めてしまった。

「弁償しなくていいのかよ」

「帰ってや」

「弁償してやるって」ドアを叩く。やっぱ壊すか。

「大騒ぎ村とは付き合いきれへんわ。そんちょーサン」

「だからオオサワギ村ってのはなんだ」

 返答はなかった。

 ドアを壊そうとドアノブに手をかけたところで。

「破壊活動はやめてください」モロギリが顔を引き攣らせながら近づいてくる。「つい昨日のことではないんですか?菓子折りをもって謝りとやらに来たのは」

「何しに来た」

「この物件の管理がどこなのかご存じないのかと思って」手で後ろを示す。

 そこに看板でもあるのか。

「どこだっていいだろ。それが」

「これ以上いざこざを増やさないでほしいものですね」

 わかった。

 全然わかった。「なんだってんなとこ」住んでやがるんだ。

 あのペド社長の。

 KREだ。

「おい、聞いてるかお前」ドアの向こうに言う。「ケータイ弁償ついでに引っ越せ。もっと広いとこ紹介してやるから」

「そんちょーサンとは口ききたないです」

 モロギリが肩を竦める。「行きましょうか。村長さん」

「だれが村長だ」オオサワギ村とか。

 知るかよ。

「てめえで帰れ」

「先代と三代目が連れてこいだそうで。どっちにします?」

 どっち、て。

「どっちもだろうが」あいつらいつの間に結託するように。

 仲悪かっただろうが。

 俺を三代目にするかどうかのあれで散々っぱら手駒減らして殺り合ってた奴らが。

 俺が邪魔になった。

 三代目になるために生まれてきたお嬢が、三代目になったから。


      4


 社長との面会は出直そうかと思ったその瞬間叶った。鉄壁なのは受付だけのようだ。

 それとも単に、後ろめたいようなことは何もしていない。ということをアピールしたいだけか。国家権力のアポなし訪問でさえ自社のイメージ向上に最大限利用する。

 現社長は三代目だが、初代のときからまったくと言っていいほどスキャンダルらしいスキャンダルがない。全部揉み消しているか。或いは、本当に清廉潔白公明正大な会社なのか。いや、そんな会社があったら僕らは存在価値がなくなる。

 エントランスロビィ。座ったが最後、大福ばりの柔らかさに一飲みのソファで待っていると、社長の秘書と名乗る男が迎えに来た。びしばし鍛え上げ抜かれた好感度の塊みたいな笑顔を寄越す。

「先ほどは失礼致しました。マニュアルにない場合すぐに連絡しろと言ってあるのですが。厳重注意しておきます」

「そんなマニュアルがあるんですか」国家権力の犬対処マニュアル。

「まったくの想定外でした」想定なんかしないだろう。

 クリーンまっさらで通ってる某大手不動産会社なんだから。

「どうぞ、こちらです」秘書はエレベータを素通りしようとする。

「社員の方は足腰が鍛えられますね」てっきり階段を延々上らされるのかと思ったが。

 奥まったところに幹部専用エレベータがあるとのこと。それでないと社長専用フロアには行けないのだと。

「関係者でない方の利用はあなたが初めてです」

「それはうれしいですね」ドアが閉まった瞬間に毒ガス噴射とかないだろうか。そうやって不都合な訪問客を次々と消して。

 いや、その手の映画の観すぎだろう。現実と混同するのが一番いけない。が、あらゆる可能性を想定しておくという意味で突飛な発想もときには役に立つ。ような立たないような。立った試しがないが。

「どうぞ、こちらです」秘書は廊下で待機しようとする。

「見てないと何をするかわかりませんよ」反射的にそう切り返したが、正直なところついてこないでほしい。本当に、

 何をするかわからない。僕のだいじなよっしーに、

 夜な夜なお前のとこの社長がしているであろうことを思うと。

「後ろめたいようなことは何もありません。弊社も社長も然りです」秘書は自信満々にそう言い放って下がった。

 天下のKREの社長室だ。もっとごてごてと装飾的なものを想像していたのだが、むしろその真逆で。

 限りなく装飾的なものを剥ぎ取った簡素な部屋だった。手前にソファセットが一つ。社長のデスクとその後ろの窓が一直線状に並ぶ。

 ドアを少しだけ開けてそこから狙撃されたら確実に。社長に大当たりだ。

 暗殺されるような怨みなんか生まれてこの方買ったことなどないという。過剰なまでの宣伝。誇大広告。

「ノックと失礼しますがなかったようだが」いきなりこれだ。挑発。

 飛ぶ鳥落とす勢いの貴社の命運を象徴するかのごとく明るい色の髪を。これまた貴社の未来永続を表すかのように伸ばして、後ろで束ねる。そのせいかなんなのか、筋肉を育てる意思を早々に放棄したせいも多分にあるのだろうが。

 身体存在に威圧感がない。

 が、纏っている上下スーツが。僕の薄給何カ月分かという威圧感を見せつける。

 社長はパソコンのモニタから眼を離そうとしない。

「すいませんね。やり直しましょうかお望みなら」

「そんな時間はない。なんだ。善人気取りがしゃしゃり出て」

 やっぱ。

 お見通しか。

「答え方に気をつけたほうがいいすよ。ここで嘘言ったら」手帳を印籠よろしく突きつけようかと思ったが。

 意味がないことに気づく。

 社長は僕なんか見ていない。

「虚偽で装備してる奴相手に嘘を言うなというほうが無理だな」眼にかかる長い前髪をかき上げる。「あいつに一体、幾つ隠し事をしてるんだ」

 長話をする気もなかったが。立ったままなのもあれなので。

 ソファに腰を落とす。横目で社長が捉えられる位置に。

 直視なんか御免だ。

「少年ってのはなにやらせても犯罪なんすよ。大々的に慈善活動とやらをやりまくってらっしゃるお宅のとことは関係ないんすけどね」

「お前が捕まえたいのは俺か?黒鬼か?」社長が顔を上げる。

 億劫そうに。

「答え方に気をつけろ。嘘なんか吐けると思うな」

「悪いことすれば捕まえる。それが俺んとこの方針すね。そんだけすよ」まずいな。

 まさか初対面で見破られるとは。

 やっぱ。慣れないことはすんじゃなかった。

 元来正直者なんだ僕は。

「そんじゃ失礼します」ドアを閉めてから。入るときにわざとやらなかったノックをしてやった。

 呼び止めたり食い下がらなかったのは。結論が出ていたからだろう。

 社長が社を上げて隠蔽にかかってきたら僕は。国家権力を振りかざしても太刀打ちできる自信がない。

 よっしーの両親は自殺した。

 んじゃないかもしれない。のだ。

 自殺だという裏づけをしようとすればするほどに。皮肉なこって。

 神の存在を証明しようと躍起になった神学者の絶望を追体験できる。

 動機は充分。アリバイもないに等しい。

 両親がぶら下がってた部屋に。よっしーしかいなかった。

 僕が駆けつけたとき。

 鍵がかかってた。玄関に。

 もし。もしも、だ。

 両親を殺した何者かが再び戻ってきた場合。戻って来れないように。

 よっしーが内側から鍵をかけた。としたら。

 ますますわけがわからない。

 よっしーが鍵をかける理由が不明。どうしてかける必要がある?

 よっしー自ら僕を呼んでおいて。

 僕が来るまで両親がぶら下がってる部屋で待っていることはない。

 ショックで動けなかった?違う。僕に電話ができている。冷静じゃないか。

 両親は多額の借金を抱えてた。それこそ世間一般の中産階級が一生あくせく働いたところで利子分がせいぜい。

 動機は。

 そこ。そのせいでよっしーは、過去から現在、そして未来に至るまでの一生を。

 親が作った借金でがんじがらめにされることが内定していた。

 よっしーの両親は、およそ親という概念から隔絶していた。これを詳しく語りたくはないが。僕だって思い出したくない。本人なんかなおさらだ。

 殺してしまいたい。と思うには充分すぎる。

 僕だって。

 こんな職に就いてなかったら殺してたかもしれない。よっしーのために。

 社長が言っていた、黒鬼。というのは。

 よっしーの両親が金を借りていた悪徳非合法高利貸しの。

 当時は三代目に内定していたのだが。どういうわけか。そういうわけなのだが。

 三代目補佐という歯ぎしり必須ポジションに収まっている。

 とかく巨大な男の通称。

 よっしーを不毛な復讐に駆り立てる張本人でもあったりなかったり。


      5


 一段高いとこにもってきてムダに分厚い座布団敷いて。センジュカンノンは、バカでかい態度であぐらをかく。まるっきしアホの見本市。

 まずその真っ黄黄の頭が末期だ。眼付きなんざひでえなんてもんじゃない。

 俺よりひでえ。

 観音は嫌がらせだ。名前がセンジュだから。生家が寺だとかなんとか。

 どうでもいいこったが。

「引退したとか言ってなかったか」俺が口火を切るのを我慢比べされてたので。

 お望み通り。切ってやったわけだが。

「いねえじゃねえか。てめえで呼んどいて」お嬢。

「先に俺んとこと話つけてえだろ?どういうわけだって?あ?」

 センジュカンノンの鞘、イカはいつもどおり定位置で控えてるが。

 その障子とか襖の向こうにいたりしないか。

 気配はいまんとこ感じないが。お嬢も、その世話係も。

「耳の穴開いてっか?」センジュカンノンがほざく。

「てめえに言わなきゃなんねえ理由がない」

 地鳴り。

 センジュカンノンが震源地。「悪ィな。耳の穴開けんの忘れてたの俺だわ。なんだって?もっかい言ってみろや」

「俺が何しようが俺の勝手だろ。てめえの延長じゃねんだ」てめえで切り捨てたくせに。

 センジュカンノンはお嬢を取った。

 血。ただそいつだけで。

「俺は俺でやる。文句なんざ言えた義理かよ」

 センジュカンノンが殴りかかろうとした。よりも早く。

 反応して庇った。

 イカが、刃を睨みつける。「話を聞くだけだと伺ってますが」普段鈍そうな奴が急激に鋭くなると。

 威力が半端ねえ。

 俺は、威張り腐ってるセンジュカンノンなんかより。こいつのほうが怖い。

 本名はカイだが、本名をまんま呼び捨てすると。センジュカンノンが半端なくキレるから仕方なく、反対にして。烏賊以下。

「殺らねえよ。価値もねえ」

「その手を引っ込めてくれますね。信じましょう」

「やれやれ」しぶしぶ従う。センジュカンノンは鞘に頭が上がらない。

 実質、舵を取っているのは鞘のほうだ。刃はそれに便乗して威張り散らしてるだけ。逆らったら海に落とすと脅して。船の所有権だってすでにない。

「そのガキをどうしてえんだ?惚れてんのか」

 惚れてる?

「わからない」

「わかりたくねえだけじゃねえのか。妨害しようってんじゃない。はっきりしろっつってんだよ」なあ、とセンジュカンノンが身を乗り出す。「惚れてんなら手も貸すし、そうじゃねえってんなら」

 二度と会うな。

 センジュカンノンらしい単純明快な二者択一だが。

 それがわかれば苦労しない。

「てめえに手伝ってもらうことなんか」

「そっち、つーこったな?」

 惚れてるわけじゃない。

「わからない」

「早いこと手ェ打っときてえんだ。こっち側じゃねえなら尚んこと。こいつも」鞘も。「俺が強引に引きずり込んだ。どうしても欲しかったんでな。怨まれてても仕方ねえわな。俺が死んだらたぶんこいつだろうよ」死因は。

「そうですね。そう思ってくださって結構です」

「そこは否定しろよ」

「怨まなくてどうするんですか?」イカはしれっと答える。生真面目そうなツラで。「まったく、あなたのせいで私の人生は粉々です。殺してやろうと思いましたよ、何百回も何千回も。でも何万回も思ったら案外どうでもよくなりました。それに、この人の役職柄、まともな死に方なんかできないでしょう。そう思ったら意外と哀れになってきて」

「同情かよ」

「可哀相ですね、とても」

 センジュカンノンがイカに頭が上がらない理由。

 本気だから。

「どうなんですか?私が訊くのもなんですが」

 わかるわけがない。本気になんか。

 なったことがない。

 どういうのが本気なんだ?

「わからない」

「わかんねえわかんねえって、さっきから」センジュカンノンが息を吐く。「はっきりしねえのが一番腹立つ。まあ、俺には言えねえってんなら」

 こいつらが心配してるのは。俺じゃない。

 俺が使い物にならなくなったときの損失。

 面倒な厄介ごとを根こそぎ押し付けてた報いだ。自業自得という。

 内線が鳴ったが、イカは受話器を一旦外し、耳に当てずに戻した。

 わざわざ出る必要はない。

 鳴らすことこそが用件。

 呼んでる。お嬢が。

 いや、もう。

 三代目だったか。

「選手交代だ。せいぜい嫌われてこいや」センジュカンノンは最初から追及する気なんかなかった。さっさと消えろ、とばかりに追い払う動作。

「心配なんですよ、これでも」イカがフォローするが。

 てめえらは前座ですらない。

 拷問か。よくて拷問。お嬢の世話係の特技だとか。

 小雨が降っていた。傘立てにあるのを適当にパクってもよかったのだが、垣根の向こうにお嬢の姿が見えたので。

「濡れっぞ」

 小せえ。女。

 身長は俺の半分くらいか。もうちょいあるか。

 ひらひらする服を着て。ふわふわする髪を頭の両側で二つにまとめてる。

 小こい。眼。

 お嬢の頭上だけ瞬間的に雨粒が凍って、つららに化けてるように見えた。

 世話係のリクマが差してる傘なんか。とっくに穴開きで。

 相変わらず短い丈で。歩いただけで中見える。指摘した部下が何人も踵落としの刑に遭ってるとか。髪が蛇みたいにあっちこっち。足癖の悪い女。

 でも見たとこどこも濡れてないので、やっぱしつららは。

 気のせいだと。

 まぶたとまつげに滴る雨水を拭う。

 やっと見える。

「そっちまで行ったんだが」

「聞かれてると話せない」盗聴役がいる。ことを暗に言ってる。お嬢はリクマから傘を引っ手繰って。芝生から突き出る飛び石の上をゆっくりと歩く。

 芝生の向こうに離れがある。

 そこの軒下に、しぶしぶリクマが引っ込む。傘を取られたので、濡れないためには、かつ命より大切なお嬢を見守るにはそうするほかない。

「お嬢さま」

「報告はわたしにだけ。クマちゃんは、誰のお世話してるの?」

「ですが」濡れることよりも、お嬢の傍で監視と盗聴を務めることを選ぼうとしたが。

 お嬢の眼で射られる。

 氷山かなにかになる。

「言いたいことある?」氷山を通過する。

 ひょうだかあられだか。

 肌をひっかく。

「ありがとな。ぜんぶ背負ってくれて」

「ボスはダメ。あったかすぎる」

 そうなんだよ俺には。

 相応しくない。

 取立てとか取立てとか。眼に氷が入っておかしくなった奴。

 あいつ、

 最期どーなったんだっけか。

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