カラレス=プラファテス
伏潮朱遺
第1話 アカんたれアんカ≪錨れる最終走者≫
0無
逃げて逃げて。逃げなさい。
あなたの心臓は止まる価値がある。
止めて差し上げましょう。わたくしの、
「止まりなさいな」
振り向きもしない。
振り向く勇気もございません。強欲なまでの威勢のよさは一体、
「どちらに仕舞われたの?」
来るな。だの。やめろ。だの。
聞き入れるわけがありません。
聞き入れなかったのですから。同じことをするまで。
しきりに壁に手をつける。
開くわけがございません。あなたは、
「部外者ですもの。それともいまここで入会されて?」
誰が。そのような顔で。
わたくしを睨みつけて。
距離は。
ゼロより大きく。イチより小さい。
そうやって、そうやるしか。
「あなたが上位になる手立てがない」
「うるさい」
そんなことをされましても。
先ほどとどう違いますの?
駄目だったではありませんか。そのような方法では。
「わらうな」
笑ってあげる。
かわいそうなあなたに。
「わらうなと言っている」
「そうやってすぐに声を荒げる。すべてあなたの思い通りになるとでも?」
なってきたのでしょう。
前妻も。
長男も。
次男も。
カネ。かねかねかねかねかねかねかねかね。
「一生働かなくとも。素敵な搾取先がありますものね」
「黙れ」
その方法が通じないと。ようやくわかったようですけれど。
首を。
呼吸を。
遅くてよ。わたくしはすでに、
「止まりなさい」
「だまれ」
「止まりなさいな。あなたの心臓は」
止まります。
開放ののち。
「止まりますわ。さようなら」
胸に耳を当てて。
ああ、止まる。止まります。
とくん。
どくん。
とく、と。
く。
引き抜くまでもなく萎れ果てて。
さあ、お手紙を書かなくては。
ご招待。
華やかな式になりますわね。
あなたの笑顔がまた見れるかしら。そのためならばわたくしは、
予言致しましょう。
あとふたり。
あなたがたの心臓は止まります。止まりましたでしょう?
止まりますのよ。
わたくしの。
0
死んだ?
いつものあれだ。嘘と出鱈目と。
それにしたって。今回のは格別に。
ひどい。
「死んだの?」
「ええ。死にました」
わたくしが、
「殺しましたのよ」
秘書がドアをノックする。速達で。
親展。
親展?差出人は。
「ねえ、うすほ」
正気?
式に出席するかしないか。それを確める封書だった。
三人。
あの男と。
離婚したあれと。あたしの、
「予告状の間違いじゃない?」
息子の名前が。
「あのときのご恩をお返しするときがやってきましたの」
もとえさん、
「あなたが幸せでないのが耐えられない」
電話はそこで切れた。
招待状。
出席 する
しない
どちらかに丸を付けろという。
どう見ても葬式の書式じゃない。
あれに似ていた。あたしがうすほに出せなかった。
出したくなかった、あの。
第1章 アカんたれアんカ≪錨れる最終走者≫
1
寝覚めも髪型も化粧の乗りも何もかもがよくない。
本当なのだろうか。
本当に死んだのだろうか。
本当に殺したのだろうか。
確めたくなんかない。確めてもし生きてたら?
確めてもし、死んでたら?
どうすればいい。
「お顔の色がよろしくないですね」秘書が要らぬ気を遣う。
「色変えただけよ。合ってないって言いたいの?」
そうではない。言いたげだったが、秘書は黙る。
あたしが黙れと言ったからだ。無言で。「出して」
車が発進する。
食事も会合も無駄だ。
要はカネを出す意思があるか否か。
あるなら出せばいい。なければそこまで。
「ご心配ですか」秘書が余計な気を回す。
「封筒の表になんて書いてあった」
「首を覚悟で申し上げますと」
「じゃあクビ」
秘書が心配しているのは、社長のあたしでも息子の安否でもない。
次期社長てことになってるから。あたしの息子が心配なのだ。
「クビよクビ」
「私の首如きで解決されるのであればいくらでも」
なにその忠誠心。愛するわが社と心中も厭わない。
誰よ。雇ったの。
あたしのはずない。あたしは。
男なんか見たくもない。
かといって、ほかにすぐ代わりも。
「代わりはいないのですよ。社長も、ご子息も」
「それ本気で言ってる?」
社長なんかあたしじゃなくたっていい。
次期社長もあの子じゃなくたっていい。
誰だっていい。あたしじゃなくたって。あたしじゃないほうが。
眩暈がした。
座ってるってのに。酔った?
なにに?
馬鹿馬鹿しい。出題自体がバカらしい。
「止めて」
「ですが」
「止めなさい」
止まった。これ以上の抵抗は事故になる。
ほら、常に安全策を採る。最善の最良の。
誰の秘書よ。
「先に戻って」
「社長」
ドアを閉める。絶対追ってくるだろうから走った。
適当に自動ドアをくぐる。
エスカレータを駆け上がる。息が上がる前にやめる。
馬鹿馬鹿しい。こんなことしてなにが。
変わらない。
なんにも変わらない。変わろうとしてない。変えようだなんて思いつかない。
でも、うすほは。
変えたのだ。変わった。変わってしまった。
あたしのせい?
そう思いたいだけ。自分のせいにすれば丸く収まる。
うすほを。
変えてしまったのはあたしだ。
やめよう。時間の無駄だ。次の予定はすでに遅刻。
損失なんか大したことない。
初めからなかったものとすれば。
「社長」やっぱり追ってきた。
違う。声が。もっと神経質な。
これは。
この声は。もっと。
止まりそうだった。心臓も。
いっそ止まればよかった。
つる。と言いそうになって慌てて立て直す。
違うのだ。
ちがう。これは。
「よかった。人違いでなくて」
人違いだ。
お前が人違いなのだ。あたしじゃなくて。
大丈夫。大丈夫。
なにも、やましいことは。やましい?
どこがどうゆうふうに?
「奇遇ね」
「社長こそ。いつも世話になりっぱなしで」
やましいのはあたしだった。
「衣裳の新調だろうか」
ここはそうゆうフロアだった。フォーマルな。
結婚式ならあっち。
葬式ならそっち。分岐点。
「近々何か」
「特に目的もなくフラフラしてちゃいけないかしら」
彼は笑う。あたしの顔がおかしかったのだ。
「なによ」
「いや。社長ともあろう人が特に目的もなくフラフラするのだなと思って。気に障ったならすまない」
見上げるくらい大きい。けどすこぶる腰が低い。脚は長いほうだが。悪くない趣味のスーツ。ネクタイの柄もなかなか及第点。センスは昔からよかったほうだ。
比べている対象の存在を赤で塗りたくる。
彼の連れを血眼で探している自分がすごく嫌だった。
いたらどうだというのだ。しかし、このフロアは。男が踏み入る理由は。
「ああ、娘がね」
「付き添い?」すごくホッとしている自分がいる反面。
「おかしいな。さっきまでそこに」
娘の買い物に付き添う父親像にすごく腹が立つ。
荷物持ちと財布係と。
駄目だ。何をそんなにムキに。
単なる家族の買い物じゃないか。
家族。
ダメだ駄目だ、だめだ。駄目なのがわかってて駄目だと唱える時点でもう。
家族。娘。父親。
「邪魔をしたね。これからもどうか末永く」ここで握手を求めるのだ。
この鈍い切っ先は。
あたしを。仕事上の付き合いに過ぎないとみなしている証。
対等に。利用し合う。
応じてなんかやらない。「セクハラよ」
「それはすまなかった。重ね重ね」手を引っ込める。大きな手。
握ったことは。
あった。忘れてない。
忘れられてる。
それがなんだ?
「娘によろしくね」
「ありがとう。社長が贔屓にしているとなれば決定の後押しにもなろう」
なにその。
奥歯に物が挟まったような。とびきり大きな食べかすが。
慣れている。何度も足を運んでいる振りをして。エレベータに乗り込む。
着信。秘書からだ。
「悪かったわ。先方に謝罪の」
「それが。つい今しがたキャンセルの連絡が入りまして」
「そう。手間かけたわね」キャンセル?
誰だった?これから会わなきゃなんなかった相手は。
「怒ってる?」
「いいえ。先方も突然の変更だということで」
「そっちじゃないわ」箱を降りる。えっと、出口は。「ごめんなさい」
「今後このようなことをされる場合には、せめて目下の予定を確認してからに」あたしが降りたその位置に。
停車していた。停車だ。運転手は乗ってるわけだし。
わざわざ降りて後部座席のドアを開けるなと言ってある。その時間が無駄。
「無事に戻られて何よりです」速やかに発進。
「ねえ、誰だったの?ドタキャンなんかかましてくれた」
秘書がバックミラーであたしを。本当に乗っているのか見たかっただけかもしれない。
「なによ。あんたが優秀だからいいでしょ?」
「
うっかり振り返ってしまう。これは、
奇遇?偶然?必然?
なんでもいい。説明してくれるんなら。あたしにわかるように。
あたしだけが納得できるように。
「どうかされましたか?」秘書が速度を緩めるので。
「いいの。飛ばして」
バックミラーに映らないように。
窓を開けた。
「雨かしらね」
秘書はカーナビで天気を確認しようとした。なんて優秀。
あの鈍感なら。
そんな的外れなこと思いつかないでしょうけど。
1赤
「傘も欲しいのかい?」
雨だと言ったらこんな始末。始末に終えない。
「本当に降ってますのよ」わざわざ連れて行った。2階から屋外に出られる。
ベンチに座っていた二人連れが我先に屋内に引き返す。
石畳の色が変わる。斑に。
「傘が必要だね」
「帰りますわ」目的も果たしたことだし。これ以上一緒にいたって仕方のない。
「送ろう」タクシーを呼ぼうとしている。
「どうして嘘をつきましたの?」娘だなんて。
りつるがは用件を伝えてから電話を切る。「咄嗟のことだ。許してほしい」
「咄嗟でなかったらほんとのことを言いましたのね?」
仕事でなくてプライヴェイトで。
すれ違えば。なにかよぎるかと。
助言して。せっかくのアポを断らせ。
予言して。ここで待たせていた。わたくしには、
もとえさんの取られる行動などお見通し。
よく視える。思いも寄らぬ小さな幸せにほくそ笑むあなたが。
よくわかる。
あなたのことならなんでも。
前世から来世まで。過去も未来も。
「次の道を」示してほしい。「どうか、私に」
何もかも失くしてゼロになったあなたを。
位置にも似にもできるのは、わたくしをおいてほかにいない。
あなたの心臓を動かしているのは、
「呼び寄せましょう」
心と身体を。
こちら側へ。
「魂ごと」
メールを送らせた。送信先は。
2
メールが来た。送信元を。
見て。
息を吸いなおす。
ちっとも肺に入らない。穴が空いているみたいで。全然膨らまない。
もう一度。仕切りなおす。
本文をスクロール。
長い長い。長すぎる。要点を掻い摘んで言えば。
さっきの遭遇が嬉しかった。
a
ta
shi
mo
とキーを叩いている自分に気づけない。
デリート。
何やってるんだあたしは。仕事仕事。
「何しに行く気?」ケータイを持ち替える。秘書が持ちたそうにしているから。
間に合ってる。と塞がっていないほうの手で追い払う。
「何しに行くわけ?そんなとこ」あたしが行きたい。なんて本音は握り潰して。
液体が飛び散る。
赤い赤い。血とは思えない。
「依頼です」それ以外にない。当たり前のことを訊くな。息子はそういう口調で吐き捨てて。
「切りやがった」
「社長。お口が」秘書は席を立っていた。あたしが電話を受けたときから立ちっぱなしだったような気もするけど。
「誰もいないわ」
「私がいます」
ああいえばこうゆう。「じゃあいなかったことにしなさい。あんたはいまここにいなかった。それでいい?」
よくない。と顔に書いてあったけど。そんな顔に構ってる暇なんか。「社長」
どうゆうこと?
依頼?白竜胆会が、KRE社長のあたしのとこじゃなくて。
さねあつのとこに。息子のやってる支部に。
ドタキャンはそうゆう意味?
社長じゃ用が足らないから。
息子はあたしが嫌いだ。あたしが息子を嫌いなのよりずっと嫌いなのかもしれない。
あたしは息子を捨てちゃえるけど。息子はあたしを捨てるわけにいかない。
捨てたら、あたしの後釜になれないから。
息子は、なにがなんでも社長になりたがっている。あたしを追い出すために。とかだったらまだ救われるんだけど。救われる?
救われたいのだろうか。あたしは。この期に及んで。
依頼。てことは、連絡があったということ。絶対メールだ。基本的に依頼はメールで受け付けている。
電話とメールとの決定的な違いは、即時性。その一点において、電話はメールより隔絶的な有利さを見せつける。しかし、もし、
メールが即時性を獲得したとしたら。
電話番号を掲げる必要がなくなる。緊急、いますぐ、にも対応できる。
終日メールボックスを見張っている。伊舞(イマイ)の有能さによるものだ。
支部が常勤二人で成り立っているのは。
あと、非常勤と臨時と派遣と日雇いと。いろんなのが出入りしているらしいが。あたしの知ったことじゃない。成果を出しさえすれば。
アフタサービスの一環なので、経理に直で影響しないが。利益には結びつく。
契約してからが勝負だ。
よければ続けるし追加するし。よくなければ、はいさよなら。
わかりやすい。数字になって現れる。
さねあつは、文句なしで利益を上げている。前社長の、引退の際の寝言も現実味を帯びてくる。後継者の任命。あたしの次の代の。
そうじゃない。そうじゃないのだ。
さねあつが、次期社長に任命されるに至ったのは。
あたしのせいだ。
あたしを守るために。前社長、つまり現会長は。
それはいい。最優先事項がすり替わってる。
「今いいかしら?」電話をかけた。
「いいも悪いもないでしょう。貴女様の都合ならば」伊舞は苦笑いする。キーを叩く音。仕事熱心でよろしい。「ついいましがた出掛けられましたが」
「用はあなたよ。転送なさい」
「お断りします」即答だった。「依頼主の秘密は守らなければなりませんので」
「あなたは誰に雇われてるの?支部長?」面倒だが次の手を。
本社の甥に。
「無理だと思いますよ」さすが。読まれてる。「これ組んだのは僕ですので」
「無理でも何でもやらせるわ」あたしの命令よ。無理とか不可能とか通用させない。
「返り討ちに遭って、そちらが損害を被るだけかと」
「できるわけ?」可能不可能は問うてない。社長のあたしに対してそうゆう態度を取るのか。それを訊いている。「やってみなさいよ。どうなるか、わかってんでしょうね?」
「顧客データも何もかもが吹っ飛びますが。それでもよろしいですか?」
「最悪」性格が。
「わかっていただけて光栄です。それでは」
「あ、ちょっと」切られた。
どうゆうこと?社員教育がなってないんじゃない?
苛々する。駄目元でもなんでも。やらせないわけにいかない。
「今いい?」
「嫌な予感しかしないんすけど」甥はすぐに電話に出た。ツーコール以内に出ろと言い聞かせてある。
「支部のメールを読める?」
「読みなさい、てことすね。できないことはないすけどね」
「なによ。やれるんなら」何もかもが吹っ飛ぶ?
「シロウさん敵に回さないほうが。今後のKREのためにも」
息子が社長になれば。
伊舞は社長秘書だ。揺らがない。「それがなによ。やりなさい」
「できたら本人たちに訊いていただけますと」
「やりたくないだけでしょ。わかったわよ」切る。
ムキになってるのは。白竜胆会が絡んでるから。
散々放任しておいて。私情が絡めば口を出す。
つくづく嫌な社長だ。
どんな依頼をしたのか。
どうして依頼をしたのか。その一端だけでも知れれば。
考えろ。思いつかない。
なんであたしをドタキャンしておいてさねあつなんかに。
「神像が盗まれたそうです」秘書がミルクティを淹れてきてくれた。
「心臓?どうやって」
「神の像ですよ。これ」胸を指す。「ではなくて」
甘たるくておいしくないが。糖分を採って落ち着けということだろう。
なんて優秀。
誰の秘書?「優秀すぎるわね」
白竜胆会に関する最新かつ最重要な情報を探り当てた。あたしが方々に無駄で徒労な電話をかけてる間に。
「上の空では仕事になりませんから」
やるじゃない。
とするなら、支部への依頼は。
3
心の臓を。
「くれる?」要らんわ、と言わんばかりに。ツネは眉を寄せる。
「神の像だ。そんなの俺だって」要らない。くれるものはもらっておけ。という信条だって掲げてない。
ツネはそうかもしれないが。そんなツネもさすがに要らないと言う。
だろうと思う。なにせ神の像だ。
「しょーきなん?しゅーきょの、なんやったけな」
「白竜胆会だ。うちから土地を買ってそこに総本山を構えた」
「売らはったん?」なんで売った?と言わんばかりに。
「俺じゃない」俺にそんな権限はない。まだ。
半信半疑どころじゃない。無信全疑で。何が悲しくて総本山なんかに。
用があるならそっちから出向け。という具合にツネが文句たらたらなお蔭か、そこまで腹は立たなかった。来いと言われたからしょうがない。
行くしかない。大切な顧客だ。
社長の過剰な反応が引っ掛かるが。いつもの定期連絡。ああそう。と、自分で連絡させておいてどうでもよさそうな返事。
いつもなら。そうなのに。
おかしい。どうでもいいだろ。どこで何をしようが。
死んでようが生きてようが。KREが利益を上げさえすれば。
最寄り駅まであとちょっと、という頃になって場所変更の連絡が入った。
「すみませんね。総裁が戻っていないので。僕が対応しろとのことで」非通知の電話が。「ところでよく出られましたね」非通知。
ツネは無視しろと言ったが。
「失礼ですがどなたですか」信者?しかも総裁に代わって支部長に連絡を入れられる立場の。幹部?
それにしては声が若い。喋り慣れている。臆した様子はまったくない。相当の場慣れ。或いは、
喋ることに対し絶対的な自信がある。
どこぞの総裁を髣髴とさせる。
「いちお、次期総裁候補です」
トモヨリアズマ。総裁と名字が同一だが。
息子もいたのか。娘は聞いたことがあったが。
「お向かいの学ランの方に代わっていただけませんか」
ツネに眼を遣る前に。
周囲を。近くにいる?いや、電話をかけてるマナー違反は俺くらいの。
「そんなに警戒しないでくださいよ。僕だって、支部長のご活躍くらい」
「継がれるわけですね?」総裁を。そのためにKREの、つまりは次期社長の俺の。
弱みを握ろうとしている。
現社長と現総裁の関係が持続するならば、
次期社長と次期総裁の関係も引き続くということ。
「彼はうちのだいじな」
「うち、じゃないですよね?支部長個人の」
「のちほど」切る。
「なんやの?次やさかいに」
ツネに聞かれなかったことを期待して。「降りるぞ」
最寄り駅は変わらない。そこから直通バスに乗る手間が省けた。
改札を抜けると、満面の嘘くさい笑顔を貼り付けた小柄な青年に呼び止められた。これまた嘘くさい金髪が根こそぎ重力に反発している。よれたパーカに、擦り切れたジーンズ。それにしても。
「小さい。ですか」奴が総裁の息子だろう。
電話口の声はよく憶えていないが、存在そのものが父親によく似ていた。
ただ一つ、身長だけは遺伝しなかったようだが。
俺だって大きいほうじゃない。奴は、成長途上のツネよりも小さい。
俺を一瞥したあと、隣のツネに。「どうもはじめまして。KREの秘密兵器の方」握手なんか求める。
ツネは鼻で笑って。「ちっさいな」
「これでも気にしてるんですよ? こう見えてそちらの支部長より年上なんですが」
「はあ?」ツネが、俺と見比べる。「嘘やろ。存在が虚偽やさかいに」
「存在が虚偽ですか。酷い言われようですね」朝頼アズマは、観光ツアよろしく手を。単に握手を断られた手のやり場に困った突破ジェスチュアだったのかもしれないが。「少し歩きますが、よろしいですか」
両側に商店街が展開する。かれこれ何代も続いているような。酒屋。仏具。食事処。
ツネが煎餅屋の前で立ち止まった。あとにしろ、と言おうとする俺を遮って。
朝頼アズマが財布を取り出す。「お好きなのを」
「気前のええのと、財のあるんは好きやな」ツネが俺を見る。
どうゆう意味だ。
大事な顧客の息子の手前、耐えた。「荷物になる」
「ここに」腹部。「入れたったらええのと違う?」ツネは店の奥から出てきた初老の男を見つけて。「ああ、おっさん。こっからここまで」
「誰が食べるんだ」
「あげへんよ」
店の名前入りの買い物袋に。ぎゅうぎゅうに詰めて三袋。
それを全部、朝頼アズマが受け取った。カネと引き換えに。「このまま持ちますよ」
「ほんまに気ぃの利くええぼんやわ」だから俺を見るな。「爪の垢もろたら?」
大きな鳥居が見えた。
石畳の参道を。参拝客はまばら。
ほぼ、いないに等しい。
「おまの家と違うやろな」ツネが訝しげに言う。
朝頼アズマはその通りとばかりに嘘くさく微笑んで。「容疑者はわかってます。ですがケーサツ沙汰にしたくない。あくまで内密に取り戻し、事なきを得たいわけです。というわけで支部長ならびにその秘密兵器の出番というわけで」
門外不出の神像とやらを白昼堂々盗んだのは。
「誰なんですか」さっさと本題に入ってくれるならそれに越したことはない。
これ以上晒していたくない。
次期社長の唯一の弱点を。
「母です」
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