第41話 お迎え作戦
新しくチームとなった一行は、地元の駅に無事に帰り着いた。
「じゃあ、数日内には、森脇さんにご挨拶に伺うわ。打ち合わせ通り、よろしくね」
緑川と司は、並んで白男川由美子を見送った。
「それでは、私もこれで。いろいろありがとうございました」
挨拶をして去ろうとした司を、緑川は慌てて引き留めた。
「そんなにさっさと帰らなくてもいいじゃないか」
「いえ、ここで立ち話をしているところを、誰かに見られたら困ります」
「えっ、そんなぁ。打ち合わせ通りの対応すればいいだろ」
「それでも、この格好ですよ? とりあえず、失礼します」
普段持つには大きすぎるバッグを掲げて見せてから、司は自分の乗るバスの乗り場方向へ足を向けた。
取り残された緑川も、どこから見ても泊まりでしたというトラベルバッグ持ちである。二人きりでいたら、一緒に旅行してきましたとしか見えないだろうに、そんなことは気にも留めないらしかった。
司は翌日から出勤したが、森脇所長は休みだった。
更にその翌日の月曜日、彼は予想通り鹿児島での報告を求めた。
日ごろ出張などない司だが、あらかじめ聞かされたとおりの書式で作った報告書は提出済みである。それを踏まえての話になった。
「内科で睡眠障害の対応をしてくれる病院も、無いではないんだね?」
「そのようでした。ただ、先生が調べて伝えていらっしゃったんですが、病院でそういうことを相談するのは、ご本人には敷居が高かったようです。軽めの睡眠導入剤でも、抵抗があるようでしたし」
いつもの固定した笑顔で、司はすらすらと嘘の報告をした。
白男川からも、朝一番でお礼の電話があったという。
「先生は、うちから何も買わないことを、気にしておられましたが」
「うん、今朝もそのことをおっしゃったよ。でも、近くで買えるものがあるなら、わざわざ送料を払って取り寄せる必要はない。出張カウンセリングの設定を明文化してなかったのはまずかったけど、まあ、うちの取り分もゼロじゃなし、今回はいいだろう」
司は、白男川が払った金額に関しては、まったく知らされていなかった。本人は笑って教えてくれなかったし、所長にも聞きにくかった。
「ところで、本当に出張手当をいただいてもいいんでしょうか」
「何言ってんだよ。正当な報酬だろ? 遠いところまで行ったんだから」
森脇は大笑いした。
「営業職じゃない者には出さないなんて、馬鹿な話はないぞ」
「すみません」
「それに、土産を買ってきてくれたろ? 手当ぐらい出してないと、もらい辛いって」
司は、鹿児島土産の菓子を、休憩室に置いていた。所長夫妻の分は、別に持ってきたのだ。
「まあ、出張カウンセリングに関しては、おいおい会議でも詰めていこう」
そう言ってご機嫌の森脇から解放されて、司はほっと息をついた。
鹿児島から帰って二、三日、司は土産の礼を言われたり、遠方への出張をねぎらわれたりして、仕事仲間に声をかけられることが多かった。
しかしながら、いつもはいろいろ訊いてくるはずの時任は「お土産ありがとう」の一言だった。しかも、妙に元気がなかったり、明らかな空元気を出していたりと不安定に見えた。
こういうとき、司は誰かに訊ねたりしない。それくらいなら、本人に直接訊くと決めている。しかし、なかなか話す機会がなかった。
そして、数日後。
来店した白男川が、杖をついているのを見て、司は慌てて駆けつけた。
「先生、どうなさったんですか?!」
「ああ、こんにちは。ちょっと、腰を、ね」
彼女は、他の誰にも気づかれないように、こっそりとウインクをした。
「え?」
「後で、ね。森脇さんはいらっしゃるわね? 電話しておいたんだけど」
ささやきに続いて、ぱっと声を大きくした彼女を、司は事務室に案内した。
「おや、先生! どうなさったんですか?!」
つきさっきの司と同じく、森脇も、そして夫人も驚きの声を上げた。
「腰を痛めてしまって。でも、大丈夫、たまにやるから慣れているの」
「とはいえ、そんな状態でわざわざお越しいただいて。いや、腰だけに」
「馬鹿なこと言ってるんじゃありません! 先生、申し訳ありませんねえ」
夫人に叱られた森脇は、しゅんとした。
その姿を見ながら、司は静かに退室した。しかし、通常通り仕事をしていると、またすぐに事務所に呼ばれた。
「ああ、山田さん。これから先生に抱き枕のご案内を頼む。お買い上げいただいたら、それをお車に運んで差し上げてくれ。腰痛には抱き枕がいいだろう。お勧めしたんだ」
森脇は自慢げに胸を張った。
「でも先生、今夜はお一人だっておっしゃったでしょう? 運び込むのは大丈夫かしら。他のお荷物もあるでしょうに」
夫人は心配そうだ。
「何往復かすればすむことですよ」
白男川は、妙に力を入れて言う。
「まあ、先生。杖をついていらっしゃるのに、そんな。そうだわ、山田さんがご一緒したらいいじゃないの。帰りはバスで大丈夫でしょう? ねえ?」
夫人は夫の顔を見た。
「うんうん。山田なら、先生も気兼ねなく使えるでしょう」
「あら。でも今日は、これから孫のお迎えにも行かなくちゃならないから、遅くなってしまうわ。保育園の。今夜は娘が仕事で遅くなるって言うから、それまで家で預かることになっているの」
白男川は、申し訳なさそうに肩を落とした。
「それじゃあ、ますます大変じゃないですか。もしも車で寝てしまったりしたら。おいくつですか?」
森脇は大層な表情になった。
「三つなのよ。女の子」
「かわいい盛りですわね」
夫人はにこにこと姿を想像しているようだ。
「そうね、山田さんはこのまま上がったらいいじゃないの。ね、先生。お嫌じゃなければ、そうしてくださいな」
「山田さんは、家までついてきたとしても、超過勤務にはならないのかしら?」
「今日は遅番ですから、かえって早く終わることになります」
司が生真面目な表情で答えると、白男川はにっこりとうなずいた。
「だったら、気兼ねしなくていいわね。お願いしようかしら」
「よし、決まった。山田さん、先生に商品をお見せして。選んでいただいたら、会計は他に頼んで、すぐに帰り支度をしなさい。じゃ、先生。そういうことで」
森脇は、これで解決と言わんばかりに満面の笑みだった。
杖をつく白男川に合わせてゆっくりと廊下に出た司は、微笑んだ表情のまま「先生、策士ですね」とささやいた。
「嘘をつくと地獄に落ちると言うけれど。策と言ってもらえば、かえって自慢できる気がするわ」
「罪だと言うなら、それは私のせいです。先生のせいではありません」
「そんなことないわ。でも、何しろ策ですからね」
白男川は気に入った抱き枕を選び、司は帰り支度を整えて、二人一緒に店を出た。
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