第31話 発案者?
「ゲームは指先を使いますからね。特に、あの腕前ですから、頭の健康にも相当良いと思いますよ」
緑川は、心の底から絹子をほめたたえているらしい。
「なんと言っても、クリパレは奥が深い。敵と闘う楽しみもあれば、探索の楽しみもある。謎解きの要素もある。それを日常的にプレイしているんだから、お母様はますますお元気でいられるはずです。特に、今作は素晴らしいです、有村さん」
「うん、ありがとう。お陰さまで評判もいいよ」
「主人公チェンジは驚きました! あそこのあれ、結び目をのところは、どういった経緯で思いついたんですか?」
「何、君、開発秘話を聞き出そうとしてるの?」
司と由美子が、一言も聞き漏らすまいと身構えていることも知らないはずの有村は、冗談めかして箸を振り回した。
しかしそのとき、司は見た。有村のもう一方の手が机の下で、陸斗に何らかの合図を送っているのを。
そして、受けた陸人が、明らかに緊張しているのを。
この場で、裏の感情を発動していないのは、絹子と緑川だけなのかもしれない。
「あれ、そう言えば君たち。緑川君と白男川。色の川コンビだね」
有村は、いきなり関係のないことを言い始めた。
「そうなんですよ。前からご縁を感じていたんです」
緑川は喜んでしまったが、由美子はいらっとしたようだ。
「これで彼女が赤山川とか、青山川とかいう名前だったら、最高のトリオだっただろうにな」
有村はそんなことまで言った。
「三文字の名前が出てくるあたり、鹿児島っぽいんですね」
司は変なところに感心したらしい。
「そういう名前が一般的だったりしますか?」
「いやいや、これは俺の即興だよ。鹿児島に三文字苗字が多いのは事実だけどさ。この家のおむかいさんが下堂薗さんだろ。その先に、竹之内さんもいる。竹内じゃなくて之が入るあたりがいかにもだろう」
空中に箸で字を書いて、有村が説明した。
「なるほど。私も、もう少し特徴のある苗字だったらよかったのにって、よく思います」
「ははっ、山田は珍しくないってか。でも、鹿児島には山田はあまりいないよ」
「そうなんですか」
「田んぼが少なかったからかな?」
「じゃっどん、前田さんっちゅう家は多かど」
絹子が口をはさむ。
「本当だ。何人か思い当たる」
「全国の前田さん、山田さんたちも、何人もがクリパレをプレイしていると思うと、感無量ですねえ」
「おう。君、いやにきれいにまとめてきたもんだな」
有村は、緑川に呆れたような目を向けた。
「だって、何百万本も売り上げるって、そういうことでしょう。私たちには思いも及ばない世界ですよ。素晴らしいお仕事です」
「緑川君、お昼だから酔いが回るのが早いんじゃない?」
由美子が顔をしかめた。
「大丈夫です。だから有村さん。せっかくの機会だから引き下がりませんよ。あの複雑な結び目の謎を教えてください」
緑川は、そう言い終わると由美子にどや顔を向けた。
「もったいぶるつもりじゃなかったんだが。ほら、これをもらったのがきっかけだ」
有村は、ポケットから鍵の束を引っ張り出して示した。
そう言ってはなんだが、安っぽいブローチのような飾りがキーリングに紐で付けられている。
緑川と共に、司と由美子も彼の手元をのぞき込んだ。
「マリア様のメダイですか?」
「メダイ。そう、そう言ってたな」
司の問いと有村の答えに、由美子は更に身を乗り出した。
「由美ちゃん、老眼でよく見えないんだろう」
有村が半笑いで言う。
「こんなに小さかったら、どのみち見えません」
由美子はつんけんしていた。
二センチちょっとのメダイには、中央に聖母マリア、その両脇に二人の天使が描かれている。
マリアの左側の天使は、たくさんの結び目がある白いリボンの固まりを差し出し、マリアがその結び目を解き、右側の天使が、真っ直ぐにされた部分を受け取っている構図だ。
「見たことがある絵だわ」
「そりゃあ、カトリック系の大学に勤めてるんだから、そういう機会もあるだろう」
「やだ、私の勤め先まで知っているの?」
「武志からも、おばちゃんからも聞いてるさ」
「…これって、有希が持ってたかも。バッグに付けてたのと同じ絵だわ」
「沖縄ん、連れ子か」
絹子の言葉に、司と緑川はびくっと反応した。
単に事実を述べたまでで、冷たい声音ではなかったが、温かみも皆無だったのだ。
「有希も、もう母親になったのよ。三歳の女の子がいるの。私の初孫」
由美子の声もまた、事実だけを音にしている。
「血の一滴もつながらん孫じゃっどが」
「孫であることに変わりはありません」
ぴりぴりしたやり取りを打ち破るように「結び目を解くマリアっていうんだ」と有村が言った。
司たちだけではなく、由美子もはっとした。
「これをくれた奴は、キリスト教なんて信じるものかって言ってた。捨てる代わりに、俺に寄越したんだ」
「罰が当たるのは怖かったんじゃないの?」
「そうかもなあ。そいつ、泥沼の離婚協議の真っ最中でよ。誰かからこれを渡されたらしいんだ。吐き捨てるようにそう言ってたが、内容は教えてくれなかった。だから俺が勝手に調べたんだ。人生のもつれ、特に家庭内のを、マリア様が解いてくれるって意味があるんだな。そもそもが、昔の貴族の離婚問題を解決したとかで。まあ、クリパレに家庭内のもつれは関係ないが、もつれた白いリボンっていうアイデアだけ、いただいたんだ」
有村が説明している間に、絹子は席を立って行った。おそらくはトイレだろう。
その場にいたら、それを持っているという由美子の義理の娘について、更に余計なことを付け加えたかもしれないが、いなくて幸いだった。
その場の全員が、そう考えたような顔をしていた。
「思いがけないところに、アイデアは転がっているものなんですねえ」
ややあって明るい声を張り上げた緑川を、全員がちょっと驚いたように見つめた。
「お前、良い奴だな」
有村が、ぽんぽんと彼の肩を叩く。
「あれだよ、昔を思い出す。うちで飼ってた犬。ポニーって名前だったんだ。親父とお袋がけんかしてたり、姉貴が泣いてたりすると、間に割って入ったり、慰めるように顔をなめたりしてたなあ」
「私が犬を思い出させたんですか」
「おいおい、がっかりするなよ。本当に良い犬だったんだから」
「しかも、犬なのにポニーって」
「しょうがないだろ。姉貴が付けた名前なんだから」
有村は、緑川の肩を両手でつかんだ。
「お前、今夜、一緒に飲まないか」
「ほ、本当ですか?」
「今だって飲んでるでしょうよ」
感激する緑川をよそに、由美子が言った。しかし、その目は様子をうかがっている。
「三人とも、今日は帰る予定だったのか? 明日は土曜じゃないか。泊まっても大丈夫だろう? みんなで飲みに行こう」
「店に行かんでん、ここで飲んだらよかが」
戻ってきた絹子がそう言ったが、有村は大きな身振りで否定した。
「いーや、昼にこれだけごちそうになったんだから、夜まで手間をかけさせるわけにはいかん。それに、よその人には天文館でも見せんとな。今夜は、リクも連れて行っど」
「まさか、酒を飲ますっとじゃなかか?」
「そんなことはしないよ。ここに先生様がいるだろう」
指さされた由美子は、ふんっと鼻息を荒くしたが、母に対しては穏やかに言った。
「リクが行くと言ったら、私がちゃんと見ておくから。どう、リク? 一緒に行く?」
陸斗は「行く」と短く答えた。
「はい、決まりー。じゃあ、どうするかな。今からじゃ早いな」
時計を見た有村に、由美子がすかさず言う。
「この方たちは鹿児島が初めてだから、夜までどこか案内するわ」
「そうか? じゃあ、六時に待ち合わせるか」
有村は、由美子に店の名前を告げた。
「それまで、俺はここでゲームでもしとくかな」
「あのう」
緑川が遠慮がちに手を挙げた。
「私も、その、ここでご一緒させていただいては、いけませんか」
「ああ、俺とゲームがしたい?」
有村は面白そうに万歳をした。
「歓迎するよ。いいだろ、由美ちゃん」
「どうぞ」
由美子はすまし顔で応えた。
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