第48話 解眠薬よ

 薬の入った瓶を叩き割ると、周囲に針で刺される様な刺激臭が一気に広がった。


「うっ……」


 間近に居る俺は咄嗟に息を止めるが、やはりこの匂いはキツい。

 男達が訝しげな表情を見せるが、次第に鼻を押さえ始める。


「うわくっさ!」

「この強烈な匂い……解眠薬アンチスリープ・ポーションか?」


 ゴロつきだが、腐っても冒険者か。

 相手の一人が言った通り、叩き割った薬は解眠薬アンチスリープ・ポーションだ。

 凄まじい匂いを発生させるが、空気に触れるとすぐに気化して服に付いても残らない冒険者アイテムの一つ。

 効能は名の通り、匂いが鼻に行き渡った瞬間どんな眠気も無理矢理覚ます薬品だ。しかし、これはその為に買った訳では無い。


「う!? うえ~!」


 コハルの赤らめていた顔が一気に青ざめ、鼻を押さえだした。

 そう、俺はこの為に解眠薬アンチスリープ・ポーションを買ったのだ。

 薬屋のお姉さんに、コハルの事を打ち明け発情した彼女をどうにか出来ないか相談した所、なるだけ安く納める対処法でこれを進められた。

 コハルは匂いに敏感故、強烈な刺激臭を嗅げば発情も一時的に収まるだろうとのことだった。

 本来、瓶を叩きつけ眠りに落ちそうな仲間達を無理矢理目覚めさせる物なのだと聞いた。だが、瓶の蓋を開け匂いを少し嗅がせるだけでも起きるので割るのは本当の緊急時のみ。そして、今がそうだった。

 躊躇せず叩き割った俺の30Gを無駄にする訳にはいかない。


「コハル! 変身だ!」

「うう……うん!」


 涙目のコハルはみるみる内に柴犬へと変身する。


「うお!? な、なんだ!?」


 拘束していた男は、服から抜け落ちていく獣型になったコハルに慌てふためいた。

 コハルの服は脱げ、頭に付けた赤いバンダナはスカーフのように首へと引っかかる。


「絶対許さないんだから!!」

「ぎゃああああああ!?」


 犬歯を剥き出し、男に襲い掛かるコハル。

 発情が収まったコハルは本来の怪力を取り戻し、男は為す術無く噛みつかれていた。


「く、くそ! あの雌ガキ、ワーウルフだったのか!」

「皮剥いで憲兵に突き出してやらあ!」


 男達は武器を構える。

 それを見た俺は手を空に向けて掲げた。


「憲兵に突き出されるのはお前等だ!」


 俺は手から魔法元素キューブを呼び出しすぐさま魔法を発動させた。


「な、何!? あのガキ魔法を!? しかも早!?」

「ふ、ふざけんな! 何で小便臭いガキそんなことを!?」

「構えろ! 魔法に当たらないよう回避に専念だ!」


 子供が魔法を使う光景が珍しかったのか、男等は足を止めた。都合が良い、安全に魔法が発動出来そうだ。


雷柱サンダー・ピラー!」


 手から稲妻が放出される。

 青い電気の柱が、轟音と共に地面を轟かせしばらく放出され続けた。

 そして徐々に収まっていく。

 しばらく、構えていた男達は自分達が無事であることを確認し周りをキョロキョロ伺っていた。


「……何も起きねぇぞ?」

「ケッ、見かけ倒しかよ!」


 安堵した男二人が改めて武器を構え直す。

 だが仲間内の一人が焦った表情を見せた。


「……違う」

「どうしたんだよ? とっととやっちまおうぜ!」

「あのガキ……人を呼びやがったんだ!」


 その通りだ。

 男達の中には察しの良い者がいるらしい。

 柱が出来るだけの魔法が、街の中央が放たれれば気付かない人間は少ない。

 憲兵が来てくれれば最高だ。

 そして、この場を見て貰えば大人達が子供を強姦し襲っている状況にしか見えないはずだ。この世界で子供があんな巨大な魔法を使えるという認識はない。

 あの巨大な魔法も、この男達が子供に向けて放った物だと思わせるのも容易く、子供へ無理矢理不埒な真似をした冒険者……といった虚偽のバックグラウンドが完成する。


「や、やべぇぞ! 人がきたらこの状況!」

「に、逃げようぜ!」

「と、とにかくそこで伸びてる奴を――」


 コハルが倒したモヒカンを回収しに行こうとする輩がいるが……


「ガルルルルルル!!」


 毛が先立った獣型のコハルが、モヒカンを踏みつけながら威嚇をする。


「ちくしょう! アイツを回収できねぇ!」

「どうする! どうするんだよ、おい!」


 男達の顔には動揺が浮かんでいた。

 あとは、誰かが来るまで待てば……


「……あの犬を殺すぞ!」

「……え」


 予想外だった。

 俺はコイツらが、そのまま逃げていくものだと予想していた……

 勘の良かった男は、武器をコハルに差し向けた。

 その指示に俺を含めた男達が困惑する。


「ど、どうしてだ? 逃げねぇのかよ!」

「逃げたところでだな。一人回収できず、しかも俺達の顔を覚えられてちゃあ、いずれ捕まっちまう。ならここは、あのワーウルフが民間人を襲っていたのを俺達が救った形にしたてあげるんだよ」

「な、なるほどな! だ、だけどよ。ワーウルフって高位の魔物だろ? 俺達にやれるのか?」

「なーに、相手はガキだ。それにこっちも媚薬香は残ってるんだぜ!」


 男は懐から袋を取り出し、先ほどの俺と同じように地面へと叩きつけた。

 今度は先ほどと同じ甘酸っぱい匂いが濃く香ってくる。


「うう……また変な匂い」


 コハルが少し蹌踉よろける。

 それを見た男二人はコハルに向かって武器を振り下ろしに行く。


「うらああああああ!」

「死ねええええええ!」


 ためらいの無い武器の刃は、動きの鈍ったコハルを捕らえに行く。


「コハル!!」

「てめぇの相手は俺だ坊主!」

「うわっ!?」


 いつの間にかもう一人が、俺の間近に男の一人が立っていた。

 この時俺は、ようやく自身にある慢心に気付いた。

 戦闘力があまりにも無い。

 魔法が常人より使え、不意打ちをすることは出来る。

 だが……対面で戦うやり方を知らない。

 ゴロつき達は腐っても冒険者、圧倒的な威力の差を見せれば反撃されずに戦意を喪失するだろうと、俺は心の何処かで甘く見ていたのかもしれない。

 激甘は俺の方だった。

 魔法を迂闊に撃てない距離まで近づかれ、俺の支援を受けられなくなり弱ったコハルを二人で追い込んでいく。攻撃をされていないのにも関わらず、一気に最悪な状況へと持ち込まれてしまった。

 圧倒的な戦闘経験の差を感じるしか無い。

 負ける。

 本当に、コハルが殺されてしまう。

 俺の浅はかな考えのせいで……

 こんな所で……コハルが死ぬのか?


・どうしたのイット?


・ありがとう! イット!


・イット……たすけ……


 嫌だ……

 こんな所で、コハルを失いたくない!


「コハル!」


 俺の声は虚しく響く。

 必死に抗おうとする犬の姿のコハルに、二人の男の刃が振り下ろされた。


「コハル!!」


 お願いだ止めてくれ!

 俺は届くはずもない腕を伸ばすが、不条理にも目の前の男に掴まれる。


「大人しくしてろ!」

「うっ!?」


 男の膝が、鳩尾へと叩き込まれる。

 俺は胸を押さえ、息をお整え様とするがその場で崩れ落ちてしまう。

 最悪だ……

 こんなことしなければ良かった。

 自分が選ばれた人間だと思わなければ良かった。

 アンジュやコハルの言っていた通り関わらなければ良かった……


「コハ……ル」


 視界が歪む。

 後悔が俺の心を覆い尽くす。

 国の中は平和だと思っていた根拠のない確信と、自分は普通の人間より能力が高いというどうしようもない慢心と……子供だから許されるだろうという甘ったれた認識が、今までの俺の中にあったことを今更自覚した。


・自分の心の弱さに気付いたのならそれで良い。次から気をつけい。


 ガンテツさんの言葉が胸に突き刺さる。

 俺は自分の弱さを分かったつもりだった。

 しかし、それは頭の中だけだったのだ。

 こうして、一人になった俺は何も出来ない。いつも誰かが、俺のことを守っていてくれたんだ。


 ガンテツさんにアンジュ。


 それにベノム。


 マチルダや……魔物の皆。


 そして……コハルも……



 俺は……大切な何か失って……

 ようやく、自分の弱さに……


「コハル……ごめん……俺のせいで……」

















「させるものか!!」


 どこからともなく声が響いた。

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