第5話 考え知らず
(午前中に七千ピニーの塊肉を仕上げてしまうか……それとも、やはり新人のためにも、三千ピニーの袋詰め肉やった方がいいのか?)
魔界に押され農地を減らしたこの世界では、肉というものがそもそも希少である。だから、百パーセントの純度の肉というものは王族や貴族しか食べられない。
そんな世界では、庶民の食べる塊肉とはミンチ状にした肉に粉末を混ぜ、圧縮させて本来の肉らしい模様をつけた模造肉だった。
肉をミンチ状にする際にはなにより衛生面に慎重にならなければいけない。うっかり骨や脊髄などが混ざってしまおうものなら、髄に多く含まれる毒が食品として流通してしまう。それは何としても避けなくてはいけないことだった。
この国にはかつて南に水源があった。この国はその水源に多くの飲料水や家庭用水を頼っており、それが魔界に奪われたいま、北にある水源だけでは家畜に与える水は確保できない。
(魔界の水源の水からの毒は神経系に蓄積される――あの新人の子は、それを知っているのかな?)
納期は今日中だ。早めに仕上げようと思えば、注意深くやるべき仕事は思考が明晰なうちに終わらせておいた方がいい。疲れた頭でミスをしても致命的だ。
しかし、新人の教育がまだなのなら、無理に難しい仕事をさせてもミスが増えるだろう。
「――うし、午前中は二班に分かれよう」
たかが派遣といえばそうだが、なにせ派遣の玄人――
「ミナ、カレン、二人はこっからここまでの子たちを率いて、塊肉の仕込みだけしといて。そう、ミンチにする機械の前に五ゴンザに切り分けた肉を三つづつ並べといて。君たちに任せたよ。――で、俺たちは袋詰め肉をやろう。ぶっちゃけ切り分けられた肉を麻袋に入れるだけだから簡単だ」
「「了解いたしましたッ」」
茶色の防止の派遣バイトの仕事配分に、正社員さえ従うありさまである。しかし、それで結局うまくいくからそれでいいのである。
「では行ってきますねっ」
「は~いいってらっしゃ~い」
ミナとカレンはベテランのパートであるが、それでも派遣の玄人には及ばない。そして、二人とも勇者アーサーに好意を抱いている。それには少なからず勇者という職業が影響しており、マーリンに言わせれば単なる職業補正である。
『あんなヘタレに惚れるなんてわけわっかんない!』
「――ん? なんかマーリンの声が聞こえたような……?」
アーサーは頭を振った。
「いや、幻聴だよな。幻聴――もう出てきたのか」
「〝生体等価交換〟って
「……うん」
マーリンは職場の同僚の二人に真っ青な顔して問い詰められていた。
「それは――王国法二十七条に規定されている禁忌魔法の一つ――」
「――そう。そうとしか考えられないの」
マーリンは顔を下に向け、持っていたマカロンを皿に置いた。
「もし――もしあのへっぽこアーサーが、自分の――自分の魂と肉体を神王に差し出して、魔王の生体消滅を図ろうとしているなら――」
「それはー、さすがに考えすぎじゃないですかー?」
「そうなの。私もそう思ったんだよ。だけどね。今朝あいつの保有魔力を測ったら、同じだったの――
同僚二人は黙り込んでしまった。
ラッセンはネズミのなかで、一番保有魔力が高い動物とされている。
しかし世界創世のときに、それを使いこなす知性を神王はネズミに与えなかった。だからこそ、知性の高く魔力の低いヒューマンが術式を展開するときの生贄とされることが多い。
ヒューマンが術式を展開する際に、ヒューマンはネズミから魔力を得る代わりに、自身の肉体を質量として捧げなければいけなかった。
「アーサーの持つ魔力とラッセンの持つ魔力が魔王のと等しかったって、まさかアーサーの肉体が全部なくなったりしないよねっ」
簡単な魔法なら、ヒューマンでもドブネズミを使って展開させることができる。それでも、よくて片腕は失うのだ。その消滅は時に、酷い痛みを伴う。膿んだ切断部から病気にかかり、そのまま死んだ者も多い。
「違うよねっ――ねえ、マーリン!?」
マーリンは力なく頭を横に振った。
「魔王を倒そうと思えば、ラッセンから全ての魔力を差し出さなければいけない。そして、その魔力の代償になるのは――アーサーの肉体すべて。むしろ、少し足りないくらいよ……」
「どうして――どうしてアーサーが――?」
勇者業に興味を持たず、むしろ逃げ回るようにどこからか借金をこさえ、いそいそと派遣バイトに勤しみ、最弱とも言われるラッパスライムにビビるほどの男が、それほどのことをしでかすとは思えない。だけれども、ラッセンを買ったという事実が、その話に一抹の
勇者アーサーは、堅実だった。女や博打の借金は作ったことがない。彼が借金を作るのは、食糧難の末に大量発生した貧民への施しであった。
そんなアーサーが、何の考えもなしに、王族しか買えぬとさえ言われる貴種ラッセンを買おうとは、三人にはどうしても思えないのだった。
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