そんなんずるいわ
瀬呂梨
リコリス
◆
空港は多くの人で混雑していた。
入国ゲートの近くにいるカップルは久々の再会なのかお互い涙ぐんでいるし、その他にも旅行帰りの大学生や、初めて日本に降りたった観光客など、年齢性別国籍もバラバラな人達でごった返している。
ここだけ聞くと何ら変わりのない空港の日常だが、実際そこには普段とは違う空気が漂っていた。なぜならそこに居る誰もがさりげなく瞳を動かし、ある一人の人物に盗み見るような視線を送っているからだ。
視線の先にいるのは、一人の女だった。年の頃は二十歳前後。可愛らしいベビーフェイスに濡羽色のベリーショートヘアがよく似合う彼女は、黒のレザーコートに足元はハイブランドのパンプスと、年の割に貫禄のある格好をしている。ガラガラと音を立てて転がるキャリーバックの赤と、ルブタンのレッドソールが印象的だ。まっすぐに姿勢を正して歩くその女には、特別美人というわけではないが、どこか人の目を引く色香のようなものがあった。
周囲の恍惚とした視線をもろともせず__というか、気付いてすらないのかもしれない__女は空港のロビーを通り抜け、出口へと向かった。
空港を出てすぐの道路には、一台の黒い車が止まっており、女はそれに迷いなく近付く。もちろんその車も高級車だ。彼女は一度運転席をのぞき込み、深々とため息をもらした。そして大きく息を吸い込み、
「ちょっと凌!なに寝てんの?!」
コッコッとサイドウインドウを叩き、そこに座っているであろう人物に向かって叫んだ。若干低めだが、よく通る声だ。女に注目していた周囲の人間は、今の今までウットリと熱視線を送っていた女の口から、結構な声量のベタベタの関西弁が飛び出したせいか、何となく気まずそうに目を逸らした。
ゆっくりと車のドアが開く。顔を出したのは、高級車に不釣合いなボサボサ頭の長身の男だった。まるで鳥の巣のような髪の毛は目元に影を作るほど伸び、見ているこちらが鬱陶しく思うほど。
しかし不釣合いなのは髪の毛ではなく__もちろん髪の毛もだが__男の服装だった。小豆色に白の縦ラインが入ったジャージのズボンを七分丈まで折り上げ、その上には目の覚めるような蛍光緑のTシャツを着ている。ダサいとかいうレベルではない。
そんなダサ男がクールな高級車の運転席から降りてきたのだから、周囲が驚かないはずがない。ポルシェの前で向かい合うイイ女とダサ男。アンバランスが過ぎる。
「おかえり、華夜」
久しく聞いていなかった彼の肉声に、懐かしくなって顔を上げる。
「ただいま、凌」
りょう、と呼ばれたダサ男、基い
そして彼は流れるような所作で華夜のキャリーバッグを掻っ攫い、車のラゲッジに乗せた。その動きには無駄がなく、気品が漂っている。
...服装で台無しにしている感は否めないが。
「さっすが凌。ホテルマンっぽいやん」
「当たり前。一流ホテルで何年働いてる思てんの」
「嘘つけ。働き始めて二年目の新人のくせに」
「気持ちはベテランや」
「気持ち“だけ”はな」
「あほ、うっさいわ」
あぁこの感じ、なんか安心するわ、と車に乗り込みながら思う。二年前に会った時は明るかった髪色も、ホテルに就職したからか黒くなっている。凌也は凌也で、華夜がベリーショートになっていることに若干驚いているようだ。
「てゆうかあんた、まだそのTシャツ着てんの?」
そう、凌也が着ている眩しい蛍光緑のTシャツは、高校二年の時に華夜が面白半分でプレゼントした代物だ。物持ちが良いにも程がある。
「ああ、このTシャツ?これパジャマ」
凌也の口から爆弾発言が飛び出した。どうやら華夜のプレゼントは、寝間着へと進化を遂げたらしい。しかしそれは良しとして、
「いやいや親友と再会するんにパジャマ着て来るてどーよ?!」
「しゃーないやん。寝坊で遅刻しそうやってんもん」
そうだ、こいつはそういう奴だった。何か大事な日は必ずと言っていいほど遅刻する。高校の時もそうだった。
「遅刻魔でボーっとしてた凌が、こんなええ車乗って迎え来てくれるなんて、思ってなかった」
「こっちこそ、華夜がベリショにして、ピンヒールコツコツ言わして帰ってくるとは思わんかったわ」
左側から伸びてきた右手が、華夜の髪を撫でる。無骨に、でも心地のいい触り方。それは華夜が高校時代、何度も経験したものだった。
「日本での仕事のためにバッサリいったった」
「まあ、似合ってるんちゃう?」
「・・・ツンデレ?」
「ちゃうわハゲ」
そう言いながら慣れたように、ダルそうに、片手でハンドルを握る凌也を見て、華夜はハッとした。スッと前を向く横顔は記憶しているそれよりもずっと大人びて、顎のラインから喉仏にかけて伸びる曲線は惚れ惚れするほど美しい。例の蛍光緑のTシャツは腕捲りされ、細いがしっかりと筋肉のついた腕が覗いている。横に座っているのは華夜がよく知る男だというのに、なんだか少し別人に見えた。
__あんた、いつの間にこんな色気出せるようになったん?
ドキドキ、というよりも、親戚のおばさんが大人になった甥っ子を見るような、そんな心境だ。
「こんな高い車、いつ買うたんよ?」
「就職祝いに、貯めた金でな」
「イキった車乗ってる言われて職場で陰口叩かれんで」
「大丈夫。俺、電車通勤やから」
疑問が顔に出ていたのだろう。ちら、と華夜の方を向くと、また目線を前に戻して口を開き、何か言いかけて、それから戸惑うように閉じた。
「今何か言いかけたやろ、言うてみ。笑わへんから」
「いや、ポルシェ乗せたるって約束したから」
「へぇ、誰と?」
聞くと途端に歯切れが悪くなる。
「家族、みたいに大事な、人」
「好きな人、とかやったりして」
「違う違う!そんなんちゃうから!」
「ふぅーん?」
「その腹立つ顔やめえ!」
言いながらグイグイと顔面を押してくる凌也に笑いが洩れる。約束した相手はきっと恋人か想い人なのだろう。“大事な人”という奴の耳は確かに赤かったから。
脇坂凌也という男は華夜の知る限り、恋人が絶えたことがなかった。かといって一人一人のスパンが極端に短いわけでもなく、付き合った相手のことは大切にするし、浮気をすることもない。そして華夜の知る限り、彼の場合想いを伝えるのはいつも女の子からで、別れを告げるのも相手から。そのため、華夜は凌也のことを「来るもの拒まず去る者追わずの真面目バージョン」と称している。決して褒めているわけではないが、女遊びに走らないだけ幾分かマシだ。なんせ無闇矢鱈とおモテになるのだ、彼女の一人や二人や三人、いても驚かない。
華夜が顔も知らぬ凌也の恋人に思いを馳せていると、赤信号でゆっくりとブレーキを踏んだ凌也が目線をこちらに向けた。
「華夜さ、家どーすんの?」
「しばらくはホテル泊まって、そっから家さがすわ。安いとこ」
高校を卒業してから上海の大学に進学した華夜。四年間一度も帰ることなく向こうで暮らす彼女に、彼女の両親は何をトチ狂ったか「ヨーロッパに引っ越すわ」と言って勝手に移住。大学卒業後に一時帰国した時は、短期間の滞在だったためホテルを取ったのだが、今回は完全にこちらへ戻ってきたのだ。しばらく上海に戻る予定もない。おかげで日本に帰ってきたのに、家ナシの保護者ナシ。自分の両親の夫婦仲が良いのは嬉しいことだが、奇想天外な言動は控えてもらいたいものだ。
「やから凌、この近くのホテルまで乗せてって~」
「俺の家おいでや」
今何とおっしゃいましたか。
「チョーっと落ち付こか。あんた何言うてんの」
「だから、俺の家・・・」
「聞こえてるわあほ!私が言いたいんはそういうことちゃうねん」
「ほら、よく考えてみ?俺の家来れば華夜のホテル代は浮くし、華夜が家事手伝ってくれたら効率上がって俺もハッピー。最高やん」
あーアカン。こいつ本気や。
こっそり運転席を盗み見ると、なんとも思っていないようなポーっとした間抜け面で「ナイス俺」とかなんとか呟いている。なんかむかつくなそのツラ。こちらばかりあわあわしているというのも癪なので、ここはお言葉に甘えておくことにする。
「んじゃあ、部屋が見つかるまでお邪魔しよかな」
「おう。ちゃんと鍵付いてるし、居心地は良いと思うで」
「そう?じゃあお世話になりまーす!」
テンション高くお辞儀すると、凌也はフッと鼻で笑って車のスピードを上げる。その横顔が、高3の夏にチャリで二人乗りした時と全くおんなじで。
懐かしくてあったかい気持ちがじんわりと胸に広がった。
「着いたで~」
「はーい、っと・・・ぅおおお!」
「華夜、うるさい」
しぃーっと人差し指を唇まで持ってきて言った凌也に、肩をすくめる。
「いやこれはしゃーない。だって凌の家・・・めっちゃキレイ!」
到着したのはスタイリッシュな外観のマンション。驚く華夜をよそに、真っ黒なポルシェは滑らかに地下の駐車場に滑り込み、切り返しなしでピタリと停車した。
凌、お前そんなこともできんのか。
どうやら地下から直接部屋に行けるようになっているらしい。停まっている車もほとんどが高級車だ。華夜だったらこんな所に余裕顔で駐車なんぞできないし、万が一ぶつけたらと思うと血の気が引く。
記憶に残っている彼の姿は、ママチャリをギコギコ漕ぐ制服姿の男子高校生だ。そんな凌也が高級車を運転するようになったというだけで、自分たちが会っていなかった時間がとてつもなく長いもののように思えた。
車を降りると見えたのは、無機質な鉄のドア。ボタンを押してすぐ、音もなく開いた扉に、どこか現実味が持てない。凌に続いてエレベーターに乗り込むと、彼は30あるボタンのうち『18』の数字を押した。
ところで、マンションのエレベーターというのはここまで奇麗だっただろうか。ここはホテルですか。それともオフィス?
驚きが顔に出ていたのだろう、隣の小豆ジャージ野郎__みなさんお忘れではないだろうか。こんな高級マンションに住み、スマートな運転技術を持っていたとしても、彼の今の服装は小豆色に蛍光緑である。世も末だ。__は、クスリと笑ってから得意げな顔でこう言い放った。
「俺の部屋、角部屋ちゃうから。」
いやそれ、ドヤ顔で言うことちゃうから。
「どうぞ」
「おじゃましまーす」
凌也の家はマンションの外見同様、広くて洗練されたデザインだった。モデルルームと言われても信じてしまうほど。先ほど「角部屋ではない」と言っていたが、角部屋でなくとも十分広いではないか。
天井が高く、窓が大きい開放的なリビングに、掃除が行き届いたバスタブ。料理好きの主婦が喜びそうなキッチン。とても男の一人暮らしとは思えない。
「もしかして、ご結婚されてますか?」
「してへんわあほ。独身彼女なしや。因みに最近引っ越してきたから、この家に入ったんは華夜とオカンだけ」
なるほど、言われてみれば、リビングにはまだ開けられていない段ボールがあるし、キッチンも使った形跡があまりない。というか、そもそも調理器具がない。そしてどことなく生活感がない気もする。
「凌、ちゃんとご飯とか食べてる?」
「いやぁ、忙しくて・・・ここにも寝に帰ってくるようなもんかな」
途端に気まずそうに笑う凌也に、ため息が漏れる。
「あほか。体壊すで、そんなんやったら」
「ごめん」
「・・・で?何食べたい?」
「え?」
「今日の晩御飯」
「え!いいん?じゃあ鰈の煮付け!」
ぱぁ、と満面の笑みで答える凌也は子供の様で。
そういうところは昔から何も変わっていない。部屋を貸してくれる代わりと言っては何だが、食事は自分が担当しよう。幸い、華夜は料理が得意だ。そうと決まればスーパーにでも行こうか。凌也に提案すると、「その前に」と肩を掴まれてソファーに座らされた。
「華夜、疲れてるやろ?あったかいもんでも飲んで、とりあえずゆっくりしやん?」
そう言い置いて、自分はさっさとキッチンに行ってしまった。コーヒーか何か淹れてくれるのだろうか。凌也は忘れているかもしれないが、華夜はコーヒーが飲めないのだ。学生のころから、カフェオレもあまり好きではなかった。
しばらくしてマグカップを手に戻ってきた凌也。なみなみに注がれた金色が揺れている。
「はちみつレモン?」
「そ」
やはり華夜の好みはお見通しだったようだ。コーヒーをいまだに飲めないということも。
「ありがと」
「いいえ」
差し出されたマグカップの色は、昔とおんなじ。華夜が赤で、凌也が緑。
口をつけると昔とおんなじ、甘酸っぱい味がした。
そんなんずるいわ 瀬呂梨 @Apiin
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