越前侵攻


―――


 永禄13年(1570年)2月、長篠城を挟んで勃発した織田軍と武田軍との戦いは、突然起きた山火事によって逃げ惑う武田軍を織田軍が鉄砲で集中砲火。それによって武田軍は自慢の騎馬隊の出番もなく、ほとんどの兵が無残にも撃ち殺された。

 更に後方からは酒井忠次率いる別動隊が容赦なく攻め立て、逃げ遅れて砦に残っていた兵も一人残らず討死した。


 大将の武田勝頼は運良くその攻撃を免れ、少数の家来を連れて甲斐へ逃げ帰った。この戦いで武田軍は壊滅、織田軍はほとんど被害を受ける事なく終わった。




―――


 岐阜城、信長の部屋



「どうして吉継の力を使ったんですか!光秀さんが疑っているのに……」

「まぁ、落ち着け。」

 鼻息を荒くする蘭を信長が軽くあしらう。その場にいた家康はどうすればいいのかわからず、二人を交互に見た。

 吉継の力の事は家康には話していた。昨日の光秀の話を聞いていたし、能力者同士という事で知っておいた方がいいだろうという信長の判断だ。最初は驚いていたものの、蔦ヶ巣山が燃えたところを直に見ていた家康はすんなり納得した。


「折角『放火』の力を手に入れたのだ。使ってみたくなるのは当然だろう。」

「だからって……」

「別に酒井を信じていなかった訳ではなかったが、もし作戦が失敗したら元も子もないからな。家康にとって酒井は失いたくない家臣だろう?武田に反撃されて討死するようなことになれば俺としても困る。助けになればと思ってやった事だ。そう怒るな、蘭丸。光秀の事はサルに任せてある。心配ないさ。」

「……はい。」

 まだ言いたい事はあったが、蘭は引き下がった。


「ところで酒井には褒美をやらんとな。砦に残っていた武田勢を全員討ち取ってくれたのだから。」

「本当ですか!」

「あぁ。そうだな、この岐阜城を与えよう。」

「えぇっ!?」

 驚きの余り、家康が立ち上がる。蘭もビックリして顔を上げた。信長はそんな二人に構わず一人冷静に言った。


「近々新しい城を建てる計画がある。俺はそちらに移るが城主を誰にするか頭を悩ませていたのだ。信雄か信孝に任せようかと思っていたが、あいつらはまだ若い。その点、酒井になら任せられると今回の事で確信した。まぁ、信雄らがもっと成長して城主を任せられるようになるまでの繋ぎ、という条件付きだがな。どうだ?お前の方から話を通してくれないか。」

「は、はい!しかし良いのですか?岐阜城の城主など、そのような大役をうちの酒井に……」

「おいおい、お前が言ったのだぞ。あいつは人柄も良く統率力があると。最適な人材ではないか。」

 信長が半笑いで言うと、家康もふっと表情を崩した。


「そうでした。それでは早速伝えて参ります。」

 家康は浮足立った様子で部屋を後にした。


「信長様、新しい城って?」

「前々から思っていたのだ。一から築いた自分だけの城を建てたいとな。清洲城もこの岐阜城も敵から奪った、所詮他人の物。完全に自分だけの城を作りたいと思ったという訳さ。」

「成程……」


(そう言えば織田信長の城と言ったら安土城。天守を初めて持った城で、確か地下1階地上6階建てで豪華絢爛な見た目だったってテキストに載ってた。焼失して今はないけど当時としては凄い規模の城だったって。出来たのは1570年代半ばだったはずだけど、今から考えてたんだ……)


 蘭が考え込んでいると、信長は静かに帯から扇子を抜いて左手で弄び始めた。しばらくそうしていたがニヤリと笑うと唐突に立ち上がる。


「武田の滅亡はすぐ目の前。今の勝頼には戦をする力はあるまい。さっさと片を付けて、義昭と謙信の方を何とかしないとな。」

「動くでしょうか。」

「さぁな。しかしこちらとしてもこれ以上は待てない。早く何とかして、一番の高みからこの世を見てみたいものだ。」


 信長はそう言うと、またあの黒い瞳で空を見据えた。




―――


 元亀元年(1570年)8月、中々動かない上杉に業を煮やした信長は、国内で混乱を極めている越前への侵攻を決めた。

 この頃越前では、顕如が派遣した守護らが敷いた悪政に対抗して天台宗や真言宗らが反発し、更に国人衆や民衆、ついには越前の一向門徒までもが反発。本願寺が焼き討ちにあった事も含めて、一向一揆衆は内部から崩壊しつつあった。


 前々から前田利家を小谷城跡地に築いた砦に詰めさせていた信長は、8月20日に岐阜城を出発。翌日にはその砦に着いた。そこで一泊し、22日には敦賀城に入った。


 織田軍は約3万。武将は柴田勝家を始め、羽柴秀吉・明智光秀・佐久間信盛・滝川一益・丹羽長秀・佐々成政・前田利家・細川藤孝・織田信包・織田信雄・織田信孝などであった。

 最前線には越前衆の中で織田方に寝返った者達、海上からは水軍が数百艘進んだ。




―――


 敦賀城



「吉継、頑張ってるみたいですね。」

「あぁ。港から始まり、海岸沿いの城全てに火を点けて回ったそうだからな。そこから逃げ出した者どもをサルや光秀が討ち取った、と。」

 不敵な笑みを浮かべる信長を引き攣った顔で見た蘭は、居住まいを正した。


「それにしてもそんなに力を使わせていいんでしょうか。使い過ぎていつか無くなっちゃうんじゃ……」

「問題ない。現に俺の力もこの年になるまで衰える事はなかった。サルや家康だとて同じ事。死ぬまで宿命を背負う運命なのだろう。」

「そっか……」

 それを背負わせているのは自分なのにまるで他人事のように言う信長だった。蘭はまだ10歳でその宿命とやらを背負っている吉継の事を思って、複雑な表情をした。


 生きる為に人の家に火を点けていた吉継。信長の家来になる為にあちこちの城に火を点けて回った吉継。自分で望んだ事とはいえ、傍から見ているととても危なっかしく思えた。


 その力が今の信長にとって随分助けになっている事は蘭にも痛いくらいわかっているけれど、吉継の心情を思うと切ないような苦しいような気持ちになるのだった。

 まぁ、今の吉継がそこまでの感情を抱いているとは限らないのだけど……


「とにかくこれで今回の越前侵攻は大成功に終わるだろうな。大方の国衆や民衆はこちらに降伏したし、燃えた城跡にはまた新しい城を建てて誰かしらを城番として置く事にする。越後を攻める足掛かりは出来たという事だな。」

 信長はそう言うと、ふっと微笑んだ。




―――


 8月25日、信長は約1万の兵を率いて敦賀城を出発。府中竜門寺に布陣した。この頃には既に勝家や光秀の活躍で一揆衆の主な城が陥落していた。一揆衆は完全に崩壊し、攻撃をかわした者は慌てて山林へと逃げ込んだ。



―――


 府中竜門寺


「ふんっ!逃げても無駄だというのに懲りない連中だ。勝家、光秀。」

「はい。」

「逃げた者全員を討ち取れ。男も女も子どもも関係ない。いいな。」

「「はっ!!」」


 二人が頭を下げる。信長はそれを満足そうに見つめると、輝きを宿した黒い瞳で開け放たれた障子の向こうの無数の星たちに視線を移した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る