信長の目論み
―――
朝倉軍、本陣
「義景様、これからどうなさるおつもりですか?」
「うむ……」
家臣からの問いかけに、朝倉義景は腕を組んだ。眼前に見えるのは織田軍が陣を構えている山だ。義景はそこをじっと見つめたまま動かない。
じれた家臣が口を開きかけた時、義景がぼそっと呟いた。
「上杉殿に宛てた文の返事が来るまで待とう。援軍を寄越してくれるかも知れない。」
「……承知いたしました。皆にもそう伝えておきます。」
「あぁ。」
義景が真顔で頷くのを見たその家臣、前波吉継は気づかれないように小さくため息を吐いた。
朝倉義景という人物に仕えてもう何十年になるが、最近の義景の行動には首を傾げざるを得ない。
昔はもっと精力的だった。自ら先頭に立って戦に向かっていたし、家臣には的確な指示を与えていた。その手腕で越前を統一したのは間違いない。
だが、数年前。信玄に呼ばれて武田邸を訪れた日から変わってしまった。
信玄が何やら恐ろしい異能力を持っているという噂はあったので、義景様はきっと信玄に操られてしまったのだと家臣全員が思っていた。
あんなに温厚で無用な争いは嫌っていた義景が、打倒信長を掲げて日々厳しい稽古を自分にも他人にも課し、信長の名前を出そうものなら酷い処罰を与える始末。
吉継を始め、何人もの家臣が行き過ぎた行為を諫めても、信長を葬る事が使命であると言って聞く耳を持たない。しかしその反面、いざ戦になると及び腰になってしまうのだ。
他からの援軍を求めたり、先日の姉川の戦いで活躍したのは浅井や本願寺の僧兵だ。
そんな主の不甲斐なさに人知れず出奔する者や、他の武将に内通して裏切る者が後をたたない。
この前波吉継もさっさと見切りをつけて、頼れる新しい主君を見つけねばと思っていた。その矢先にこの織田との戦。
「この好機、逃さないという手はない……か。」
吉継は信長がいるであろう場所を眺めながら一人呟いた……
―――
京都、二条城
「明智殿、そろそろ申の刻になります。暗くならない内に動かないと。」
二条城の庭に潜みながら、細川藤孝は隣の光秀に小声で話しかけた。しかしいくら待っても返事がない。藤孝は不信に思って隣を見て驚いた。光秀が城の中に入って行こうとしているのだ。慌てて止めに入る。
「明智殿!どうしたのですか!」
「今回の襲撃は中止します。これから義昭様に会って謝ってきますので、貴方は他の人達を連れて戻って下さい。」
「し、しかし……信長様が許さないのでは……?」
「大丈夫です。あの方の事ですから、私が怖じ気付いて未遂に終わる事も予想してらっしゃるでしょう。もし処罰されるような事になったら、それは私一人の責任として下さい。」
「そんな……」
笑顔でとんでもない事を言う光秀に藤孝が呆然とする。その隙をついて光秀はさっさと城の中へ入っていってしまった。
「……大丈夫なのだろうか。」
藤孝の呟きは冷たい風にさらわれて、すぐにかき消された。
―――
「義景はまだ動かんか。」
「まだのようですね。もしかしたら謙信の援軍を待ってるのかも……」
「ふんっ!来ないと思うがな。」
蘭が不安気に言うと、信長は鼻で笑った。
織田軍と朝倉軍が対陣してから丸一日が経過していた。その間、どちらからも大きな動きはなく膠着状態であった。
しかしこれまでも朝倉軍と対決する時はいつも長期戦なので、こちらとしては余裕があった。
「ところで光秀さんの方はどうなったんでしょうか……」
蘭がそわそわしながら問いかけると、信長はあっけらかんと言い放った。
「まぁあいつの事だ。今回は中止だろうな。」
「えっ!?ど、ど、どうしてそんな事が言えるんですか?……っていうか、中止って?」
「あの律儀で馬鹿正直な光秀が、つい昨日まで仕えていた奴の首を取れると思うか?」
「それは……無理だと、思いますけど……」
「そうだろう?あいつなら何日も前から入念に下調べをして、完璧な計画を練ってからでないと行動に移せない。」
「じゃあ何で急に義昭様を攻めろだなんて言ったんですか?」
「いつかは義昭を潰さないといけないのに、今のあいつは俺への忠誠心より将軍様のお世話の方に心が動いている。ここで現実を見せてやらないと殺られるのは俺の方、という結果になりかねないからな。」
「…………」
信長の不適な笑みに、蘭は何も言えなかった。まるで近い将来に光秀が謀反を起こす可能性がある事を知っているような気がして……
「俺の予想に反して今日この日に光秀が将軍を殺したとしても、俺にとって不足はないがな。」
「信長様。ご報告があります。」
その時、秀吉が背後から現れて信長と蘭の間に割って入った。
「何だ。」
「昨日から明智殿に張りついて様子を見ていたのですが、襲撃は中止という事になりました。」
「やはりな。それで他の者は納得したか。」
「細川殿は納得した模様でしたが、他の者はどうでしょうか。中には反発する者や脱退する者があるかも知れません。」
「そうか……」
信長がにやりと笑ったのを見た蘭は、つい想像してしまった。
もしかしたら信長の狙いはこれだったのではないのか?
光秀を孤立させるのが本当の目的だったのでは……?
(いけねぇ、いけねぇ!こんな事考えてたらバレてしまう……)
そっと信長を盗み見る。幸いな事に信長は秀吉と会話していて蘭の事など気にしていなかった。
(はぁ~……きっと考え過ぎだ。取り敢えず今は朝倉との戦の事だけに集中しよう!)
握り拳を作って気合いを入れた蘭だった。
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