初陣


―――


 京都、二条城



「信玄からの協力要請、ですか。」

 謙信はそう言って顎に手を当てた。対する義昭はゆっくり頷く。


「はい。武田と上杉は確か和睦したのですよね。でしたら貴方も私達に力を貸しては頂けませんか。」

「あの信長を討つ為なら協力は惜しみませんが……何か策はおありでしょうか。」

「いえ、信玄から文がきてすぐに貴方を呼んだのでまだ何も。」

「そうですか。それではすぐにこの二条城の周りを堀で囲んで下さい。そして武器や弾薬を越後から運ばせるので、義昭様は籠城の準備をして下さい。」

「籠城?」

「えぇ。何処かに隠れるという案もありますが、もし見つかって攻撃されたら大変です。ここなら兵を増やせば迎え討つ事も可能。如何でしょうか?」

「……わかりました。貴方の言う通りにします。」

 義昭が微笑む。謙信はホッと息を吐くと座り直した。


「私は一旦越後に戻って武器や弾薬を手配します。更に朝倉と浅井に声をかけて人員を集めてこちらに送ります。恐らく信玄の方からも援軍がくるでしょう。」

「しかし今はどこも信長対策で忙しいのでは?」

「本願寺の僧兵がいます。彼らには朝倉や浅井につくよう私から言っておくので、その分の兵を義昭様に寄越します。」

「なるほど。この短い間にそこまで考えられるとは、流石軍神・上杉謙信ですね。」

 義昭のその言葉に謙信は謙遜したように首を振ると、徐に立ち上がった。


「義昭様はこの京都から、私は北から、朝倉・浅井は西から、そして武田が東から囲めば、あの織田信長も網にかかるかと思います。」

「そうですね。頼りにしていますよ。」

「はい。」

「では、失礼します。」

 謙遜は深く頭を下げると大広間から出ていった。


「頼りに、していますよ。皆さん。」

 義昭はそう呟くと、真剣な顔で開け放たれた障子越しに外を見つめた。




―――


 岐阜城



 信長は自分の部屋で光秀と対面していた。


「そうか。謙信がついに動くか。」

「はい。警備の事で義昭様に相談があって二条城に行ったのですが、謙信が入っていくのが見えまして……私は何も聞いていなかったので後をつけて様子を窺っていたら、部屋の外から会話を聞いたという訳です。」

「俺の出した殿中御掟には、城に出入りする際は誰であろうとお前を通じて俺に許可を得ないといけない。とある。それを堂々と破るという事は、本格的に織田に対して反旗を翻した事になるな。今まで遠慮していたが、向こうがその気ならこちらも無視は出来ない。」

「で、ではどうするのですか?」

「そうだな……」

 信長は腕を組んでしばらく眉間に皺を寄せていたが、ふと顔を上げると言った。


「お前はこの話を知らなかった事にしろ。」

「え?」

「隠す気はなかったようだが、お前が今まで通り御所を警護していれば義昭と謙信の話は漏れていないと思うだろう。」

「それはそうですが……」

「謙信が言っていたな。越後から武器や弾薬を運ばせると。本願寺にも声をかけ、朝倉や浅井の兵も寄越すと。」

「えぇ。」

「それら全てが整うまでどんなに急いでも半月はかかるだろう。それに対してこちらの兵は準備万端。」

 信長はそこまで言うと、にやりと口端を緩めた。


「五日後には近江に向けて出陣する。光秀、お前は今すぐ京都に戻って将軍様の警護を頼むぞ。」




―――


 宇佐山城、蝶子の部屋



「そう。毒要り味噌を信玄に……」

「ごめんな。手は汚さないって決めてたのに……結局人殺しの片棒を担いちまって。」

 蘭が肩を落とすと、蝶子は笑いながらその背中を思い切り叩いた。


「何言ってんの、今さら。見て見ぬフリすんのも犯罪でしょ。それに私だって同じよ。」

「同じって?」

「だってきーちゃんをこんなに立派に育てちゃったのよ?」

 そう言って隣にいる信忠を見る。信忠は苦笑いで蘭の方を向いた。


「さっきね、文が届いたの。……五日後に近江に向けて出陣するって。それにきーちゃんも参加しろってさ。初陣っていうんだっけ。」

 蝶子がその瞳に涙を溜めながら、それでも笑顔で信忠を見つめる。それを見た蘭は胸がきゅっとなった。


「……お父様のお役に立てるように、頑張るのよ。そして生きて帰ってくるのよ。」

「はい、母上。」

 そのやり取りが余りにも自然で、これから戦場に身を投げるなどとはとても思えなかった。


「それでは僕はこれから戦の準備をしてきます。蘭丸はゆっくりしていって下さいね。」

「お、おう。」

「また後でね、きーちゃん。」

 蝶子と蘭に向かって小さく手を振ると、信忠は部屋を出ていった。


「ついにこの日がきたんだな。」

「うん。覚悟はしてたけどやっぱりいざとなったら複雑な気分だわ。真っ当な人間になるように育てたかったけど、結局は戦で勝つ為に勉強させて、訓練させて……あんたが毒要り味噌を運んだのと同じ。間接的に人を殺す事になるのよ。」

「蝶子……」

 俯く蝶子の肩に恐る恐る手を伸ばすが、あと少しというところで蝶子が顔を上げた。


「でも負けて欲しくないから、私は後悔しないわ。だからあんたもこんなところでメソメソしてないで、早く岐阜に帰ったら?」

「えぇっ?せっかく遊びに来たっていうのに……」

「馬鹿ね。出陣って事は当然あんたも行く事になるんでしょ?さっさと戻らないとあいつに大目玉くらうわよ。」

「げっ……!そうだった!じゃ、じゃあな蝶子。また時間あったら遊びに来るから!」

「はいはい、じゃあね。」

 面倒くさそうに手を振る蝶子に別れを告げると、蘭は待たせていた仁助を伴って大急ぎで岐阜に帰った。




―――


 永禄11年(1568年)11月、信長率いる織田軍は近江へ向け出陣した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る