1秒後の中峰さん。

紫乃

前編

 1秒、その影響力は絶大だ。

1秒経つだけで時計の針が示す位置が変わり、電車は出発し、レポート提出は締め切られ、会議は開始する。つまり、1秒は実生活において多大な影響を及ぼす。ならば、1秒が人の気持ちにもたらす影響力はどのくらいあるのだろうか。



 高校2年生になって、僕は初めて噂の中峰さんとクラスが同じになった。中峰摩耶ーーー皆に裏で「にーちゃん」と呼ばれている、スクールカースト上位に身を置く何でも2番手の美少女だ。成績も運動も学年で2番目。にーちゃん、というあだ名は2番目の「に」から取られている。2番手と聞くと劣っているような気がするが、彼女を見ているとそんな気はしない。寧ろ「頑張って」1番手にならないようにしているように思える。



 目簿順で並べられた席は彼女と隣同士だった。初対面の僕たちは何を話せばいいかわからず、お互いに後ろの席の知り合いとばかり言葉を交わしていた。やがて、授業が開始し、ペアワークや聞きそびれたことを質問していくうちになんとなく打ち解けていった。授業中、中峰さんを観察しているとやはりわざと2番になっているようにしか思えなかった。例えば小テストの時。10問出題され、解き終われば隣の席同士で交換し丸付けをする。僕は当然中峰さんと交換し、彼女の回答を丸つけてから返却した。確実に彼女は満点だった。しかし、返却してから暫くして彼女が僕に身を寄せて言うのだ。「私、ここ間違ってたから点数を引いてね」と正解をわざわざ誤答へ書き直した回答を見せながら。ずるをして点数を上げろと言う人は見たことがあっても下げろと主張する人は初めて見た僕は圧倒されてしまい、つい点数を1点引いてしまった。だが、彼女は満点だった。

また、授業中にあてられたりすると4分の1の確率で「わかりません」と回答する。必ず4分の1の確率だ。ここまで来ると徹底しているようにしか思えない。そこまでして彼女を2番目に押し止めようとするものは何なのか、僕は気になって仕方がなかった。



 授業終わりに決められた班ごとに指定の場所を掃除する掃除の時間。そこでたまたま二人で話す機会があった。


「中峰さん、なぜ2番目に甘んじているんだ?」

「……関心を持たれたくないから。甘んじているんじゃない、そうなるように仕向けてるの。気づいてるんでしょう?」


そう言われると僕は何も言えなかった。



 ある日噂が流れた。中峰さんの両親は離婚していて、父親との二人暮らしという噂だ。中峰さんの家の近所をたまたま通ったという生徒が言い触らしたらしい。どのように離婚だとか二人暮らしだとかがわかったのかは謎だが。掃除の時間に今度は中峰さんから話し掛けてきた。


「噂の真偽を確かめたくて仕様がないって顔ね」

「そんなことは……」

「別にいいよ、隠してることでもないし。両親の離婚も父親と二人暮らしなのも本当。母親がいないことでバカにされたくなくて、かといって優秀と言われて目をつけられるのも嫌だからこの位置に徹していたのに無駄だったみたいね。とにかく無関心が一番の平和をもたらしてくれる。あなた、もしかして私に関心あるの?」

「君の顔がいいから、そもそも話題にならない日なんてなかったよ。僕が関心を持っているというよりは噂が君に関心を持っているんじゃないか?」

「あら、面白いことを言うのね。同級生にこんな人がいたなんて。ラッキーだわ」



 これ以来、僕たちは掃除の時間に会話するようになり、僕の楽しみとなった。彼女はポツポツと自分のことを話してくれた。母親が突如として消えた朝。親友だと思っていた友人に濡れ衣を着せられて職員室に呼び出された昼休み。彼氏の浮気現場に遭遇した放課後。郵便で届けられた離婚届に舌打ちしながら判を押す父の姿を見た夜。どれも幸せとは思えない。しかし、彼女は淡々と語る。満足がいくところまで話終えると彼女は「いつも」の日常へと帰っていく。スクールカースト上位の一点の憂いもない世界へと。



 この頃からだろうか。僕が中峰さんを気になり始めたのは。ただの完璧な女子高生だと思っていた。しかし、本来の彼女はなんの変哲もない女子高生だった。自分の不幸話にただ耳を傾けて頷いてくれる相手を欲するほどにはなんの変哲もないのだ。そのギャップが胸に刺さったのだろうか。いや、本当のところはわからない。何もかも後付けの理由にも思える。恋に落ちるのに、理由などないのだろう。



 事は唐突に動き出した。掃除の班は席替えと共に変わっていく。席替えが行われる頻度はクラスによって違うが、僕のクラスは3ヶ月に1度ほど行われていた。そして、僕と中峰さんは今回の席替えで見事に離れた。僕が教卓に一番近い前になり、中峰さんは一番後ろという具合に。少し残念に思った僕だが、元々授業中のペアワーク以外で教室内で喋ることがなかったのでそれほどショックはうけなかった。寧ろ掃除の時間は確保されたことに喜んでいた。というのも、嬉しい誤算で掃除場所が僕の班は廊下で彼女の班は教室と近かったからだ。こうして僕の楽しみは相変わらず掃除時間に彼女と話すことになった。彼女の暗い話が好物なわけではない。普段は明るく振る舞っている完璧な彼女が自分にだけは弱味を見せてくれるようで、それが堪らなく心揺さぶられるのだった。だが、神は甘くなかった。僕だけが美味しい思いをできるはずもなかったのだ。

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