10.『クマ』を探して

 よくよく考えたらカラスの話はどれも最後は酷い目に遭う話だ。

 怒った神様に黒くされたり、鳩にも仲間のカラスにも追い出されたり。

 ユキさんはなんでカラスの話なんか……

 確かハナちゃんを守った後どうするのかと訊いた答えがカラスの話だった。

 白かったカラスがズルしてそれがバレて黒くなった話。

 ハナちゃんをどうするつもりなんだろう?

 純真無垢なハナちゃんを騙して悪の道に引き入れる、とか?

 じゃ、やっぱりユキさんは悪者?


 部屋に戻った俺達をハナちゃんはじっと見つめ、それからユキさんに抱き着いて甘えていた。

 俺は店からピアスをずっとオンにしていた。

 本当にこれでハナちゃんには頭の中を覗かれないのか半信半疑な部分もあったが、ハナちゃんは何も言わなかったし、頭の中でハナちゃんに問いかけてみても答えが返って来ないところを見ると、ピアスは機能しているようだった。


 ゴリは俺達が戻ると別の仕事があるとかで出掛けて行き、ユキさんは仮眠を取ると言い出したので、ハナちゃんは寝れないけど目を閉じて休むと言い、俺は二人を邪魔しないように久し振りにスマホを取り出した。


 潜入捜査中は個人のスマホは持たない。

 それがきっかけでバレる可能性があるからだ。

 だからずっと潜入中の偽名、秋山太郎名義のスマホを持ち歩いていたが、ここに来る前にそのスマホは捨てた。

 強引な引越しの際、自分の荷物をこの部屋に入れた時、自分のスマホを見つけたが、スマホを見る暇がなく、電源さえ入れていなかった。


 電源を入れ、懐かしい待ち受けが画面が表示される。

 ああ、そういえば癒しを求めてクマのキャラクターの待ち受けにしていたな、と思い出す。

 さすがにこの待ち受けをユキさんやハナちゃんに見られるのは恥ずかしく思い、変えようと思った瞬間、ふとメールが届いているのに気づく。

 誰からだろう? と開くとメールは数十件以上あった。

 どれも同じ相手からで、何事かと一番新しいメールを開く。


『至急返信求む』


 それだけだった。

 相手は俺の一つ上の先輩で俺が潜入捜査中だと知っていた。

 元は彼が潜入する予定だったが、別件で怪我をして俺はいわばその代役だったのだ。

 だから彼は俺の任務の内容も全て知っていた。

 それで俺は彼が連絡を取ろうとしている理由に気づいた。


 俺が逮捕された組員の中にいなかったから不審に思っているんだ。

 俺がどこにいるか安否を気にしているのか?

 いや、組が逮捕されたことで俺の任務は終わったはずなのに俺が戻らない理由を知りたいのか?


 他のメールを開いてみる。 

 だが内容は全て同じだった。

 用件が何か分からないがすぐに連絡するのは躊躇われた。

 なので送った日付を確認する。

 今朝からつい五分前まであった。

 着信が数十件なら分かる。

 同じ内容のメールが数十件あるのは理解できない。

 どういう意図があるのか。


 そう怪訝に思っているとスマホが鳴った。

 メールじゃない。電話だ。

 相手はその先輩からだった。

 少し迷って出てみる。


「……秋山か?」

 何も言わずにいると少し間があって偽名で問われた。

 声は先輩のものだと思う。

「……はい」

 迷ったが肯定する。

「どこにいる?」

「……すいません、言えません」

 そう答えるとまた間が空いた。

「……組員が一人明後日釈放される。下っ端の奴だが何か裏がある。ヤスと呼ばれていたが名前は偽名だ。本名は分からん。だがラオヤーかユェングーという別名があるらしい。中国人かもしれん。何か知ってるか?」

「いえ。俺がいた時は中国人は見てません。ヤスという人も憶えがないです」

「そうか……こっちもなんかこのヤマから手を引くようにってお達しが来た。何かおかしい。お前も関わってるなら気をつけろ」

 そこで電話は切れた。

 会話は一分にも満たなかったが久し振りに聞いた先輩の声は僅かに掠れていて、どこか疲れた印象を受けた。


 盗聴や逆探知の可能性がある為、『通話は短く』が鉄則だ。

 でも隠語も何も使わず普通に会話をして来た。

 固有名詞も幾つか出た。

 それに潜入捜査中だと知っていて連絡コンタクトを取ろうとするのは御法度だ。

 これは先輩らしからぬ言動に思えた。

 が、裏を返せばそれだけ切羽詰まった状況とも取れる。

 同じ内容のメールを大量に送り付けて来ているのがどうも引っかかる。


 再度受信メール一覧画面に戻る。

 何か暗号でも隠されているのでは、と思ったからだ。

 時間か?

 そう思ってみたが座標でもないしアルファベットか何かに置き換えられないかとも思ったが、俺の頭では何も思いつかなかった。

 ので、素直に通話の内容を反芻する。


 手掛かりは『ヤス』という人物だ。

『ラオヤー』や『ユェングー』とも呼ばれているという。

 発音からして中国語だろう。

 中国語といえば墨守か?

 単純にそこに結び付けていいのか分からないが、仮にそうだとすれば『ヤス』なる人物はその一員だということになる。

 だが、俺が潜入していた時にそんな人物は幹部の中にはいなかった。

 下っ端にいたのかもしれないが、墨守と組が繋がっているとすればそんな下っ端に連絡係を置くだろうか。

 とりあえずその中国語が何を指しているのか分かれば何か糸口が見つかるかもしれない。

 そう考えてスマホで調べようとした時、ユキさんのスマホが鳴った。


シー

 ソファで仮眠していたユキさんが眠そうな声で出る。

「ラオヤー……」

 その単語に俺はユキさんを見た。

 気怠そうに起き上がって隣の部屋へ移動する。

 俺に会話を聞かせないようにする為だろう。

 小声だったがユキさんは中国語を話していた。

 中国語はさっぱりだがそれでも少しは単語を知っている。

 隣の部屋に入る前、ユキさんは確かに「シィォン」と言った。

 それは「熊」を意味する。

 他の単語は聞き取れなかったがそこだけは聞き取れた。


 でっかいクマのぬいぐるみを大事にしているハナちゃんのことだろうか。

 それとも昨夜会った警察庁次長の熊谷さんのことだろうか。

 いずれにせよ中国語で会話する相手が誰だか気になるところだ。

 情報通の怪しい中華料理店のヤンさんだろうか。

 それともまさか墨守……?


 いや、違う。

 ユキさんが「ラオヤー」と言ったのだ。

 電話の相手はラオヤーことヤスだ。

 墨守と繋がっているヤスと連絡を取るってことはユキさんもまた墨守と繋がっているってことだ。

 だとしたらハナちゃんを守るどころか利用しようとしているってことだ。

 初めからユキさんは怪しかった。

 男なのに女装したりして、情報屋で殺し屋ってだけで充分怪しいのに俺はなんでユキさんを信用してるんだ?


 俺はピアスのスイッチをオフにした。


 ハナちゃん、ユキさんは墨守だ!


 心の中で思い切り叫んだ。

 ハナちゃんが驚いて上体を起こし、目を見開いて俺を見た。


 今、ユキさんは中国語で墨守の人とスマホで話してる。

 ユキさんの頭の中覗ける?


 問うとハナちゃんは首を横に振った。


 だろ? ユキさんは覗けないようにするピアスを付けてる。

 俺も付けさせられたけど、スイッチを切った。

 ハナちゃん、ここから逃げよう。

 ここにいたらユキさんに利用されて悪い奴らに捕まる。

 一緒に逃げよう!


 困惑するハナちゃんに俺はそう繰り返し心の中で叫んだ。

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