黒のターン
7.黒スーツ
ハナちゃんに覆い被さったまま、俺は様子を探ろうと少しだけ頭を上げた。
「頭を下げててください」
店長の声がピシャリと入り口付近からした。
まだ終わっていないということか。
言われた通り再び頭を下げた。
何が起こってるんだ?
状況が分からないのは辛い。
「怖い人が来た」
ハナちゃんが震えている。
そうか、ハナちゃんは見えなくても聞こえるんだ。
小さい声で俺にだけ状況を教えて、と声に出さずにハナちゃんに伝える。
「……あのね、教祖様が来たの」
教祖って……ユキさんに殺されたはずじゃ……?
「逃げてたの。ヤクザの人と繋がってたの」
ヤクザって俺が潜入してたとこか?
繋がってたってことは、つまり金か? 捕まったから資金源が絶たれた訳か。
それで怒って乗り込んで来たのか。
「違うの。ユキが見つかったから、私を取り戻しに来たの」
そうか。ハナちゃんはあの教団の『お告げ様』だったんだもんな。
「ユキ、怪我した。店長さんは助けに行きたいけど、私がここにいるから行けないの。このお店から出られないから……」
さっき、ユキさんの声がした。
短く上げた悲鳴はやはり怪我をした為か。
「じゃあ部屋に戻ろうか。あそこまで走るよ」
俺達がここから離れれば店長がユキさんの加勢に行ける。
今、武器を持たない俺には彼らの足枷でしかない。
だから、ここから守るべきものを遠ざけることしかできない。
「ダメ」
え?
「動いちゃダメ。ユキが何とかしてくれるからここにいなきゃダメ」
でも。
「ダメ。ユキの為に私はここにいなきゃダメなの」
それってどういう……?
「少しだけ眠る」
は? 今?
てか、眠れないって言ってたのに?
この状況で眠れるのか?
「うるさい」
ハナちゃんはそう言って静かになった。
一瞬で眠ってしまったのか?
疑問はいろいろあるが、うるさいと言われてしまったからには頭を空っぽにするよう努めた。
が、いろいろ気になって空っぽにしようとすればするほど何か考えてしまう。
と、その時だった。
急に瞼が重くなって目を閉じると、俺は外にいた。
正確に言うと、公園を見下ろしていた。
まるでドローンで撮影したように人の視点じゃない、あり得ない高さからだ。
ユキさんは革ジャンを着ていなくて、黒いタンクトップになっていた。
その左肩は赤く染まっており、店の入り口を背に肩で息をしながら両手で拳銃を握り締めている。
その銃口は前方に向けられていたが、五人の黒いスーツの男達が公園から出て、それぞれ銃を手に彼女に迫っていた。
間合いは五メートル程度か。
絶体絶命のピンチだ。
だが。
刹那彼女の銃口の先が変わる。
一発目は相手が撃つより速く眉間に撃ち込み、二発目は心臓に撃ち込みながら右側へ走り、手近な電柱に身を隠した。
その間に三発の銃弾が彼女に向かって発砲されたが、いずれも彼女には被弾しなかった。
圧倒的不利な状況に思われたが、それを見事ユキさんはクリアしたのだ。
映画やドラマで見る動きとは違う。
彼女の動きはそれよりも速く、それよりも正確で、全てにおいて効率が良く無駄がなかった。
それはプロの殺し屋だからだろうか。
残る三人がゆっくりと銃を構えながら電柱に近づく。
息を整えたユキさんは電柱から銃を持つ手だけ出し低い体勢から一発、一番手前にいた男の足に撃ち込み、男が体制を崩した瞬間、転がり出て倒れた男を盾にして二発撃ち込んだ。
と同時に男達は地面に崩れ落ち、盾にした男をその場に捨て、ユキさんが立ち上がった。
その間、数秒。
盾にした男に二発被弾し、ユキさんが撃った二発は相手の眉間に着弾したのだ。
ユキさんは肩の怪我の痛みなど感じていないかのように、まるでランウェイを歩くモデルのように公園の中へと戻って行く。
公園にはジャングルジムと滑り台などが一緒になった遊具がある。
そこに隠れるように教祖がいた。
俺が潜入していた頃より少し痩せて人相が変わって見えた。
例えるなら以前が狡猾なキツネならば、今はどこか陰湿な爬虫類に似ている。
教祖らしい白い服ではなく、ヤクザを思わせる黒いスーツに身を包み、すっかり貫禄や威厳といったものを失っていた。
「わ、私を殺したらお前なんかすぐに殺されるぞ! あの御方が……」
頼りの手下が全て殺されると、やはり小悪党というのはこういう言動になるのか。
「あの御方って組長のこと? 彼なら刑務所よ?」
「違う。あれはただの財布だ。あんなチンピラなんかどうでもいい。あの御方はなぁ……ボク……ッ!」
言いかけた教祖はそのまま仰向けに倒れた。
その一瞬前、あ、と声がした。
反射的にユキさんは滑り台の下へ滑り込んだ。
教祖だって遊具の影になっていたにも関わらず、その僅かな隙間から弾を正確に右目に撃ち込まれていた。
どこから?
「私達の家から。でももう片付けてる。さっきまで頭、空っぽだった」
そう言った後、違う、と声は否定した。
「本当は空っぽじゃなかった……ごめんなさい」
謝らなくていいよ、ハナちゃん。
たくさんの声の中からその声にだけ反応するのは難しいよね。
「ずっと食べ物の名前が聞こえてたの。だから……違うと思ってたの」
ハナちゃんが泣いているのが分かる。
眠るとハナちゃんは言ったけど、本当はこういうことをする為に目を閉じただけだ。
それは眠るのとは違う。
ハナちゃんは頭の中の声を聞く力だけじゃない。
それを人に伝えることもできる。
過去の映像を見せることもできる。
彼女を悪用しようと考える人間は多いだろう。
だから、護衛が必要なのだ。
でも、俺は本当に適任だろうか。
ただ、一度チラッと会っただけの人間だ。
彼女を悪用しようとは思わない。
ただちょっと好きな人の頭の中を覗きたいという気持ちが薄っすらあるのは否定できないけれども。
そこを買われたのかもしれないが、それだけなら俺である必要もない。
善意で彼女を助けたいと思う人間で俺より優秀な人材は幾らでもいる。
なんで俺?
ああ、こんなこと考えたらハナちゃんには分かってしまう。
そう思うと情けなくて思わず目を閉じてしまった。
そして、再び目を開けると、目の前にハナちゃんがいた。
ハナちゃんがどう反応するかドキドキしたが。
「あれ?」
寝息が聞こえた。
まだユキさんと一緒にいるのか。
そう思ったが。
ドンドン、とシャッターの上から叩く音がし、終わったわよ、とユキさんの声がした。
「怪我の手当てしますから裏から入って来てください」
店長が声を掛けるが、「いい。ちゃんとした医者に行くから」そう断られていた。
「この街にはヤブしかいませんよ?」
店長は尚も食い下がったが「いい」とやはり断られ、修理はオーナーに頼んで、と言って去って行った。
「お二人ともお怪我はありませんか?」
大丈夫です、と言って起き上がりながら、ハナちゃんが、とお姫様抱っこして店長に見せた。
「眠っているようですが?」
「眠らないって聞いてたんです」
「余程疲れたんでしょう。疲れている時はいくら周囲がうるさくても爆睡するでしょう?」
確かに、と納得しつつ、ふと三発の銃声が何だったのか訊いてみた。
「防弾だと説明した直後に穴を開けられてしまったので、ついスイッチが入ってしまって……お恥ずかしい」
「え? スイッチって……?」
「私も昔は銃を扱うお仕事をしていましたので。開いた穴から三発程撃たせて頂きました。腕は少々鈍りましたが、一応、きちんと仕留めました」
さらりと凄いことを言った、この人?
銃を扱うお仕事ってなんだ?
殺し屋か? 武器商人か?
「お食事、途中のようですが残りはお包みしましょうか?」
にっこりと微笑まれ、俺は「はい」以外の言葉を言えなかった。
本当にこのバーは一体どんなバーなんだ?
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