第13話 追憶4 もう戻れない



 7月も半分過ぎたある金曜日。季節は春を過ぎて夏になっている。私は高校3年生になっていた。


 制服のリボンは緑色に。

 教室は4階に。

 クラスはまたユリと同じ5組に。


 コージ君と玲奈ちゃんは理系国立の1組。


 その日の放課後、私はわざと遠回りして1組の教室の前を通って下校口に向かっていた。4月からたまにやっている行動。もしかしたらタイミングよくコージ君と一緒になれるかな、と思って。


 ただ、その成功確率が著しく低いことは分かっていた。首尾よくコージ君と遭遇できたのは2回だけ。しかもそのうち1回は玲奈ちゃんと一緒にいたコージ君に話しかけることもできず、会釈しただけで通り過ぎた。何がしたかったのかいまだに自分でも分からない。


 ……うん、知ってるよ。

 こういうの、世の中ではストーカーって言うことくらい知ってる。

 ホント、私ってバカだよね。

 何やってるんだろうね。


 3年生になってから、コージ君は5組の教室にたまに顔を出していた。軽音部部長になった広瀬君のところに用事があるみたいだった。おかげで1日おきくらいにはコージ君の顔を見ることはできた。

 しかし私は、5組の教室でコージ君を見かけても、2年生の時のように気軽に話しかけるなんてとてもできなかった。

 たまに廊下ですれ違うこともあったが、会釈するのがやっと。玲奈ちゃんとにこやかに語りながら歩いているのを見てしまうと、反射的に顔を背けてしまう。一緒に歩いているユリが驚くぐらいの勢いで回れ右したりすることもあった。

 私ってどんだけ純情なんだよ、と自分で自分にあきれ返ってしまった。


 顔を見てもツラい。

 顔を見なくてもツラい。

 恋は苦行とは良く言ったものだ。


 当然のことながら私の成績はダダ落ち。前期の中間試験は過去最悪の出来で先生にも心配されたほどだった。


 逆にコージ君は予備校に通い出して成績を地道に少しずつ上げてきているようだった。玲奈ちゃんももともと成績のいい子だったけど、3年生になってさらに成績を伸ばし、今は学年ベスト10に顔を出すくらいになっている。コージ君と同じ予備校に通っているらしい。


 このあたりは全部2年生の時に同じクラスだった女子たちが教えてくれた話だった。


「トモちゃん、国広君、予備校行き始めたんだって?」

「トモコちゃん、国広君ってさ、こないだの模試学年25位だったんだってね。大したもんだよね」


 こんな感じで。もちろん彼女たちに悪気は一切ない。当然私は知ってるものだと思って話題にしている。しかし私の答えは決まって 「 …… そうなの?私、知らなかった 」 だった。

 彼女たちは怪訝な顔で私を見つめ、やがて何かに気がついて、判で押したように 「 国広君と別れちゃったの?」 と付け加える。ある子は悪いこと聞いちゃった、って感じで。ある子は興味津々に。


 彼女たちは、私たちがそもそも付き合っていないという一番基本的な部分で勘違いをしている。しかし、それ以外の現状認識としてはおおむね間違っていない。いちいち説明する気もないので、私はなんとなくあいまいに目を伏せる。すると彼女たちは、勘違いをしたまま事態を察してくれた。結論は同じなのでそれでもいいや、と思った。今の私には、……それでいいのかもしれない。


 ノリだけで二人でラーメン食べに行ったり、ハンズに寄り道したのは遠い昔のこと。私にとってコージ君といた時間がいかに大きかったのか、改めて思い知らされた。


 もう、戻れない。

 クラスメートにも。

 友達のトモにも。



 後悔なのかなんなのか、よく分からない感情を抱えたまま、私は下校口へ歩みを進める。4組の教室を過ぎると階段。その階段を素通りしてさらに進むと1組の教室だ。


 1組の教室の前まで来ると、女子二人だけが談笑してる様子が目に入った。ま、今日も空振りだよねー、と私はかえって安心すらした。仮にコージ君がいたら、それはそれでまた不審な行動を取ってしまいそうだった。


 そのまま通り過ぎようとしたら、1組の教室に残って談笑している二人の女子の会話が聞こえてしまった。


「国広君、先崎さんと付き合いだしたんだってねー。私、この前中央駅で二人でいるの見ちゃった」

「えー、まじでー?5組のトモコちゃんと付き合ってるんじゃなかったの?」

「春に別れたらしいよ」

「へえ。それで最近国広君成績上がったのかー。こないだの模試ごぼう抜きだったもんねー」


―――― ついに来てしまった。

 なんとなく予想はしていた。

 それなりに覚悟もしていた。

 できるだけ心の準備もしていた、…… はずだった。

 …… それでも、…… それでも、…… だめだった。


 現実は厳しく私を責め立てていた。これは、コージ君の隣に居ることができた2年間という時間を、あまりにも無為に過ごした私に対する罰だと思った。

 私は、そのまま平静を装って教室の前を通り過ぎ、一目散に学校を後にした。赤い電車の中で泣いていたと思う。

 家までの道のりはよく覚えていない。


 その日、夜もだいぶ更けてからユリに電話をした。


「トモ、珍しいね。どうしたの、こんな時間に?」

「ユリ……。あの話、…… 聞いた?」

「ん?なんのこと?」


 どうもユリの耳には噂はまだ届いていないようだった。


「コージ君ね …… ぐすっ」

 名前を出した途端また涙があふれる。


「玲奈ちゃんと …… ぐすっ」

 それだけ言うのが限界だった。しばらく私の嗚咽だけが部屋に響いた。


「次に二人見かけたら ……、祝福して …… あげなきゃね」

 やっとのことで声を絞り出した。


 ところが。


 ユリはこう言い切った。

「あり得ない。絶対その話、間違い!」


 あまりにも確固たる声色で断言するので、怒られた気分になってしまった。

「ユリ、気を遣ってくれるの嬉しいけど……、私、もう諦めるから……」

「トモ、泣かなくていい。その話なんかの間違いだから」

「無理だよ……。これはバカな私への罰だもん……」

「諦めちゃだめだよ。噂話なんか本気にしてどうするの!」


 ユリは頑強に噂は間違いだと言いはった。どうしてそこまで断言できるのか不思議。とにかくユリは不思議なぐらい必死だった。あまりの必死さに私の涙が吹き飛ぶくらいだった。実際に私の悲しくて切ない気分は霧散していた。


「トモ、一度コージ君に直接聞いてみて」

「……」

「トモじゃないとだめだから。だからトモがコージ君に聞いてみて」


 そこまで言われたら仕方がない。むしろユリの断定調の言葉を聞いて、私は冷静になっていた。


「……うん。分かった。聞いてみる」

「トモ、絶対聞くんだよ?絶対に一人で諦めちゃだめだよ?」

「……」

「分かった?トモじゃないとだめなんだから!」


 ユリは何度も念を押した。あくまでユリは、私から直接コージ君に確かめろと言っている。


「ユリ……。ありがと」


 私は電話を切った。


 そして深呼吸を一つ。意を決してコージ君にシンプルにメッセージを打った。


『お話したいです。時間もらえませんか』


『 いいよ。じゃ明日でいい? 』 と場違いなまでに軽い感じの返信がすぐに返ってきた。


 

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