初めてのデュエット


―――


「歌う曲はこれ。吹雪も歌った事あるよね。」

 氷月に渡された楽譜を見た俺は、懐かしさに頬を緩めた。


『この空を飛びたい』


 この曲は氷月の父親が若い時に作った歌だ。

 このスタジオを使うにはまずこの曲を歌って録音したものをオーナーである氷月の父親に提出してOKが出ないと貸してくれない仕組みになっていて、ここにいるバンドは全員この曲を知っている。

 前に氷月が言っていた吹雪のデモテープというのも、この曲が録音されていたものだろう。

 所謂、登竜門的な曲なのだ。


「もちろん!夢に出てくるくらい練習したもん。ね、南海?」

「うん。」

 楽譜を受け取りながら吹雪が言うと、南海ちゃんが氷月の隣で笑って答えた。目の前には彼女のキーボードがある。吹雪と一緒に歌うんだから是非とも南海ちゃんも参加するようにと全員一致で決まったのだ。俺としても心強い。


「さぁ、準備はいい?」

 氷月の言葉に定位置に着いた皆が一斉に頷く。その場が一瞬で緊張感に包まれた。

 この感覚はいつまで経っても慣れない。でも今日はいつもとは違って隣に確かな存在を感じる。顔を向けると吹雪が少し心配そうな表情でこっちを見ていた。


 大丈夫。今までの練習の成果を出せるように頑張る。


 そういう意味を込めて頷くと、いつもの笑顔を見せてくれた。


「じゃあ雷、よろしく。」

「ほーい。」

 氷月に振られた雷はスティックを回しながら返事をした。

 軽快なリズムが空気を震わせる。


「ワン・ツー・スリー・フォー!」


「……うわっ!久しぶり…」

 演奏が始まった瞬間、俺は思わずそう呟いていた。考えてみれば自主練やボイトレばかりで最近は全然合わせていなかった。懐かしいけれどまったく変わらない音色がいつものように背中から聞こえる。

 俺は一人笑った。これが、この事こそが俺だけの特権。


 雷の力強いリズム。風音のさりげない低音。氷月の完璧なメロディー。竜樹の情熱的なコード。

 俺が一番好きな音。俺だけが一人じめできる音色。俺だけが……


 もう一度抱きしめて

 それは叶わない夢

 まさかこんなに早く別れがくるなんて



 歌詞なんて見なくてもわかる。吹雪が言ったように、俺も夢でうなされる程練習した。これが俺達の原点なんだ。


 俺は歌いながら隣の吹雪を見た。どうしたのか歌っていない。歌詞を忘れたのか?いや、そんな訳はない。じゃあどうして?


 見つめているとふと目が合った。すると吹雪は口をパクパクさせる。首を傾げると、そのまま歌えっていうジェスチャーをした。

 OK!っていう仕草をして歌い続ける。



 あなたの愛が欲しかった

 ただそれだけで

 嘘の涙を流した私を

 誰が許すと言うのだろうか



 そこまで歌った時、吹雪に動きがあった。足を肩幅まで開き、両手を組んで腹の上にそっと乗せる。そしてそこにある空気が全て無くなるんじゃないかと思うくらい息を大きく吸い込んだ。


「……っ!」

 時が止まる。俺だけじゃない、吹雪以外の全員の時間が止まった。

 でもそれは一瞬で、気づいた時には既に曲が終わっていた。どうやって歌ったのかちゃんと歌えたのか、それすらもわからなかった。

 茫然としていると吹雪の渇が飛ぶ。


「ちょっとちょっと!皆して何固まってんの?私達の歌何か変だった?嵐だって上手になったんだよ?これでも。今の良かったよね?ねぇ、氷月?」

 問われた氷月はたった今夢から覚めたかのような顔になって瞬きを繰り返している。

 っていうか氷月のこんな顔、初めて見たかも。


「あ、あぁ……ちゃんと聴いてたよ。うん、上手く言えないけど凄く良かった。嵐、随分上達したね。見直したよ。ね?風音?」

「……うん。ビックリして一瞬意識が飛んだよ。嵐と吹雪ちゃんの声って合うんだね。」

「最初嵐だけが歌ってたから吹雪ちゃんどうしたのかなって心配したけど、サビでハモる為に溜めてたんだね~。スティック落としそうになっちゃったよ、あはは!」

「……ふんっ!初めてにしてはまぁまぁなんじゃねぇ?でも嵐!ちょいちょい音外してたぞ。吹雪に迷惑かけんなよな!」

「嵐君も吹雪も二人共良かったよ!」

 五者五様の感想も右から左に流れていく。未だに立ち直れていない俺を見かねた吹雪が思いっ切り頭を叩いてきた。


「いってぇ~~!!」

 殴られた所を押さえて振り向くと、吹雪がバットのように丸めた楽譜を持って仁王立ちしていた。顔が…怖い……

 っていうか、これと同じシチュエーションが前にもあった気が……


「しゃんとしなさい!」

「はいぃぃ!!」

「で?嵐は?」

「と、言いますと……?」

「感想よ。私と歌った感想。」

「感想……」

 う~ん……と唸る。感想って言われてもほとんど覚えてないんだけどな。でもこれだけは言える。

 俺は顔を上げて言った。


「俺、また吹雪と歌いたい。この曲だけじゃなくてもっと色んな歌を歌いたい。」

「……っ!」


 みるみる真っ赤に染まる吹雪の白い顔を見ながら俺は笑った。


 自分ではどこがどう上達したかはわからないけど、わかった事が一つあった。

 吹雪が隣で歌ってくれるなら、俺は自信が持てるという事。


 それは吹雪が上手いから引っ張ってもらってるって感じているのか、ただ一緒に歌うだけで心強く思うのか、自分の気持ちながらまだ良く説明できないんだけど……


 俺は何やら盛り上がっている皆を遠くで見ながら変わり始めた自分の心に向き合っていた。



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