新入り
―――
音痴解消宣言をした日から数週間が経っていた。
その間俺は毎日毎日氷月の特訓を受け続け、もはや立っているのもやっとなくらいにやつれていた。
「俺はもうダメだ……これ以上出来ない。助けてくれ、風音……」
「あらら……大丈夫?」
「だいじょうぶじゃない……し、ぬ……」
「あーあ。ねぇ、氷月。ちょっと休ませてあげたら?こんな状態じゃ上手くなるものもならないよ?」
「ふぅ……仕方ないね。じゃあ一時間休憩。僕は隣で自主練してるから時間になったら呼んで。」
「わかった。」
「風音。嵐の事宜しくね。君には素直になるみたいだから。このバカは。」
「バ、バカとはなんだ!バカとは!」
「あれ?元気だね。そんなに大きい声が出るならもう一回……」
「……ごめんなさい、ごめんなさい!余計な事言わないからお願い、休ませて……!」
「冗談だよ、冗談。……じゃあ風音、宜しく。」
「はーい。」
不敵な笑みを残して去って行く氷月の後ろ姿を、俺は軽く震えながら見送った。
「たくっ……!あいつが言うと冗談に聞こえないから怖いんだよな~……」
「氷月に聞こえるよ。意外とあの人、地獄耳だから。」
「お前って……たまに毒吐くよな……」
「そう?」
しれっとした顔の風音を見て、一番敵に回しちゃいけないのはこいつだと心底実感した……
「それにしても頑張ってるね。僕初めて見たよ。嵐がこんなに練習してるところ。うん、見直した。」
「サンキュー……」
誉められてるのかディスられてるのかよくわからなかったが、一応お礼を言っといた。
「でもさ~氷月ってば鬼だよな。散々発声させた挙げ句、『うーん……君は音痴の前に耳が悪いのかもね。耳鼻科に行った方がいい。』って流石に酷くね?」
「そ、それは確かに酷いね……でもきっと冗談だよ。うん。」
「だといいけど。」
若干投げやり気味に言うと、座っていたパイプ椅子からソファーに移動した。勢いよく沈むとギシッと音が鳴る。俺はそのまま目を閉じた。
俺達がいつも、というか毎日のように使っているこの貸しスタジオは実は氷月の父親がオーナーのビルに入っていて、息子がメンバーという事に免じて格安で借りている。
とまぁ、そんな訳だから氷月には俺達全員が頭が上がらないのだが、当の本人はそれに引け目を感じているのか、早く売れて今まで免除されてた金額を一括で返すんだと密かに思っているらしい。
(この間雷と誰もいないスタジオでそう話してたのを聞いてしまったのだ。)
そんな事を思い出しているとガチャッとドアが開く音がして、賑やかな声が聞こえてきた。
「あれれ~?嵐サボってるよ、竜樹ぃ~」
「あ、ホントだ。おい、嵐!音痴解消するんじゃなかったのかよ?」
「うるせぇな、お前らは!いいんだよ。休憩中なんだから。ちゃんと氷月の了解とってんだから文句を言われる筋合いはない。」
「けっ!なんだかんだ言って氷月も甘いな。」
「そうだ、そうだ!もっときつい拷問でもしないといつまで経っても吐かないぞ、嵐は。」
「俺は囚人か!」
雷のボケ(?)に突っ込む俺と隣で『おー!』と何故か拍手する風音。
「雷、お前ボケの腕磨いたな。流石だぜ。」
「ふっふっふ……そりゃ毎晩徹夜で吉本新喜劇見てっからな。」
「おー!!」
そしてそれに乗っかってくる竜樹にますます悪ノリする雷……
……おいおい、何だこれ?新手のコントか?っていうか、羨望の眼差しで拍手をするな、風音!そんな奴らに憧れるなんてお前の為にならねぇぞ!
「おい、お前ら……そんな無駄話してないで練習……」
「大阪に行って新喜劇の舞台見に行きてぇな~……あ!でもスカウトされたらどうしよう!俺不器用だからバンドと芸人の掛け持ちなんて出来ねぇ~!!」
「高倉健か!つぅか、誰もお前なんかスカウトするか!」
「いやいや、こいつには笑いの才能がある。わかる人にはわかるもんだぜ?」
「おー!!」
「はぁ~……」
いい加減疲れてきた……っていうかこんな事ばっかやってっから俺の声が掠れるんじゃん!
膝に手を当てて息をつきながら三人の方を睨むが、未だにコントを続けている。俺は宙を見上げてお手上げのポーズをとった。
俺には無理だ。誰か止めてくれ……
神様、仏様、氷月様!
「ねぇ、皆。ちょっと話があるんだけど……って何してるの?」
ちょうどその時、思い描いていた人物が顔を覗かせる。俺は思わずガッツポーズをした。
天の助け!流石氷月、俺の救世主……!
「嵐……僕は確かに休憩してもいいとは言ったけど、こんなバカな事をさせる為に君を解放したんじゃないんだよ。」
俺と竜樹達三人を交互に見てため息を吐く氷月。
くそっ……前言撤回!
「あれ?氷月。隣で自主練してたんじゃなかったの?」
雷が不思議そうな顔で聞くと氷月は『あ、そうそう。皆に用事があったんだ。』と手を打った。
「ってか、もうコント終わったのかよ……」
「何だぁ?そのガラガラ声は。さては嵐、お前氷月に鍛えられ過ぎて喉やられたな?バカだなぁ~!」
「ちげぇよ!これはお前らのせいだっつーの!」
「いくらこいつが本気で音痴解消しようと頑張っても、無駄だと思うぜ、俺は。それよりもこの俺がボーカルになった方が話は早いと思うけど。」
「な・ん・だ・とぉ~!!てめぇ、竜樹!マジで調子こいてんじゃねぇぞ!」
「あわわ……嵐、落ち着いて!」
「そうだぞ。ますます声枯れちゃうよ~」
「あ、あの~……」
「何だ!邪魔すんな!こいつを一発殴らねぇと気が済まねぇ……っていってぇ~!」
拳を振るっていざ殴ろうとした瞬間、後ろから何かで叩かれた。
「何すんだよ、氷月!……ってあれ?」
てっきり氷月かと思って噛みつきそうな顔で振り向いたら、予想に反してそこにいたのはいかにも勝ち気そうな女の子だった。その手には楽譜が握られている。
あ!それ俺のじゃん!
「さっきから終わるの待ってたんだけど、中々終わんないから。」
「え?え?」
「ちょっと
「いいのよ、
もう一人、こっちはいかにも気弱そうな女の子が青い顔で嗜めるが、吹雪って呼ばれた娘はあっけらかんと言い放った。
「ごめんね、吹雪ちゃん。止めてもらっちゃって。助かったよ。この人達いつもこんなだから大変なんだよ。」
「お察しします、氷月さん。」
「氷月でいいよ。同い年なんだし。」
「じゃあ氷月で。私も吹雪でいいよ。」
「わかった。」
「あのー……つかぬ事をお聞きしますが、お二人はどういった……?」
二人の世界に浸っている氷月達に向かって風音が控えめに聞く。俺は目の端で竜樹と雷が力強く頷いているのを捉えた。
「あぁ、紹介がまだだったね。こちら高森吹雪ちゃんと林崎南海ちゃん。スタジオを使いたいって来たんだけど、今は他のスタジオが全部埋まってて使えるとしたらここしかないんだ。ほら、ここは僕達が使うにはちょっと広すぎるだろ?特別にボーカル専用のレッスン室と自主練用の部屋と全部で三部屋もあるし。当番制とかにして効率よく使えば七人でも十分だと思ってるんだけど、どうかな?」
嫌みなくらい爽やかな笑顔で首を傾げる。
『どうかな?』ってもう決定事項なんだろうが。
有無を言わさぬその悪魔の微笑みに心の中で毒づいた。
っていうかこのままじゃマズイ!何故なら俺は……
「初めまして。私は高森吹雪。ボーカル担当よ。あ、ユニット名はまだないの。趣味の延長みたいな感じで始めたから。でも夢はあるわ。いつか私の歌と南海のピアノでライブハウスをいっぱいにしたいって。」
グッと拳を握って近づいてくる吹雪ちゃん?に俺は思わず後ずさる。
「わ、私はピアノ担当の林崎南海です……人見知りで吹雪みたいに上手く喋れないけど、よ、よろしくお願いします。」
更に南海ちゃん?も俺達の前に進み出て、頭を下げる。
可愛い娘二人に近寄られて鼻の下を伸ばす雷と竜樹を横目に見ながら、汗が止まらない額を押さえた。
「あれ?どうしたの?凄い汗だよ、大丈夫?」
「ひっ!」
「ひ?」
伸びてくる手を条件反射で交わしながら俺は叫んだ。
「ト、トイレ!」
「は?」
「に、行ってくる!」
呆気に取られている二人を尻目にダッシュでドアを目指す。そしてバタンッと大きな音を響かせて廊下に出た。
「あー!逃げた!」
「まだ治ってなかったのかよ、あいつ……」
微かに聞こえた竜樹と雷の声にがっくりと肩を落としながら声にならない声を上げた。
仕方ねぇだろ!俺は女が苦手なんだ!!
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