第五章 消える人々

第1話 消える人々(1)

 四月早々に行われた学力テストの結果が発表された。科目別と総合得点の上位五十名の名前が新校舎二階の階段踊り場にある掲示板に貼り出され、生徒たちが群がって自分の名前があるかどうかを確かめていた。三日もすると生徒たちの姿は掲示板の前からすっかり消えてしまった。どんなに眺めても順位は決して変わらないからだ。しかし、掲示板の前から決して立ち去ろうとはしない生徒が一人いた。高等部一年、寺内篤史である。


 寺内篤史の名前は総合得点一位に燦然と記されてあった。科目別でも海と争って一位か二位にあった。総合得点の二位は海だった。海は意識していないが、篤史の方では勝手に海をライバル視している。一位を海にゆずった科目があるにしても、総合では海を蹴落として一位を獲得して悦に入っているのだろう。


 長い首をさらに長くし、ギョロリとした目をめいいっぱいにむいて掲示板の前に佇む篤史の後ろ姿を、空は一週間もの間、見続けた。初めて海を負かして総合一位を獲得したものだからよほど嬉しいのだろう。満面の笑みを浮かべながら順位表を眺めているのだろうと思っていたが、掲示板から聖歌の葬儀案内を取り外そうとしてちらりと見やった篤史の表情は険しかった。喜ぶどころか順位表を睨みつけるようにして怒っているようにすら見えた。


「星野。海は学力テストの結果を知っているのか?」


 篤史の声音には凄みがあり、空は思わず背筋を伸ばした。


「どうかな。点数とか順位とか、海は興味ないみたいだし」


 他人の評価を海はまるで気にかけない。評価と称賛とが好物の篤史とはまるで正反対の性格である。自分が最も価値置くものを全く無価値なものとみなす海の態度が篤史のライバル心をますます煽るらしく、篤史は時々、海につっかかる。しかし、当の海は無関心で相手にしない。それがまた篤史を苛立たせるようだった。


「社会の得点がひどく悪い。そんなに難しい問題はなかった。ほとんど暗記問題だったじゃないか。まさか、わざと間違えて僕に総合一位の座を譲ったっていうんじゃないだろうな」


 空は科目別の順位表に目をやった。国語、英語、数学、理科と、ほとんどの科目で満点か満点に近い得点を獲得している海だったが、政治・経済の分野の問いが出題された社会では七割の正解率しかなかった。他の科目での得点が抜きん出ているのでそれでも総合では二位を獲得することができたのだろう。


「わざと間違えるとか、どうだろう」


「いいか、星野。零点というのは狙わないと獲得できない点数なんだ。わかるか? 全部の問題の正解がわかっていればこそ、正解をわざと外して解答することで零点となるんだ。バカに零点は獲れない点数なんだ」


 赤点なら何度かあるが零点は取ったことのない空は、篤史にバカだと言われた気がして、むっとした。


「社会は、記述問題は七問、あとは暗記問題だった。暗記問題さえ全問正解できれば最低でも三十点は取れる。記述問題は海なら楽に解ける問題だった。なのに、なんで社会の点数だけ他と比べて低いんだ? これはもう、わざと間違えたとしか考えられないだろう? 海としては僕に情けをかけたつもりなんだ。そんなことで総合一位になったって嬉しいもんか。互いに実力を出し切ったうえの勝負じゃないと意味がないんだ。海にはそれがわかっていない」


 勝負事だとか、対決だとか海の方では篤史を相手にしていないのだがと空は思いながら、篤史の演説を右から左へと聞き流していた。


「津田沼校長を殺した犯人が誰か、海には見当がついているのか?」


 唐突な質問に隙をつかれた格好で空はとっさに首を横に振って否定してみせた。ニヤリと笑みを浮かべた篤史の反応に、空はひっかけられたと気づかされた。津田沼校長は殺されたのかという質問だったなら、事故死だったと答えてごまかせたのに、犯人は誰か知っているのかと訊かれたものだから、つい正直に否定してしまった。


「震度三程度の地震で石膏像が倒れるはずがないとは海ならすぐに気づいたはずだからな。殺人事件だってことはすぐにわかったはずなんだ。誰かが事故に見せかけて津田沼校長を殺した。相馬と山下の件も殺人事件だ。これはれっきとした連続殺人事件さ。誰かが学園の怪談に見立てて次々に人を殺しているんだ」


「何で、連続殺人事件だと?」


 篤史は一体何をどこまで知っているのだろうと空は尋ねた。


「そう思わない方が不自然だろ」


 見下すかのような視線を篤史は投げかけた。


「一か月もたたないうちに、学園内で人が立て続けに死んでいくなんて偶然で片づけられるか? さっきも言ったけど、津田沼校長の事故は事故とは到底考えられないし、相馬は授業中という学園内から人の目がなくなる時間帯を狙って襲われている。突発的に起きた事件というより計画性が感じられる。トイレに行かせてくれっていって教室を出たそうだけど、トイレなら昼休み中に行ってそうなもんだろうが。それを、授業が始まってすぐにまたトイレに行かせてくれって不自然すぎる。たぶん誰かに呼び出されたんだろう」


「聖歌は? 自殺ってことだけど」


「親友を殺されて悲しみのあまり自殺。よく出来たシナリオだと思う。だけど、自殺するのにわざわざ学園まで出向くか? 山下のやつ、相馬が殺されてから学園には来たがらなかったじゃないか。自殺するなら家でも構わないだろ」


 聖歌が空になりすました何者かから送られたメッセージにつられて学園までやってきたことを知る空はごくりと生唾をのんだ。


「連続殺人事件ということは寺内くんは犯人は同一人物と考えているんだ」


「当然だ。最初の津田沼校長の事故を殺人事件と考えれば、おのずとそう考えざるを得ないね。相馬も山下も茶道部だった。茶道室は校長の死んだ美術室の隣にある。そう考えると、二人は校長の死に関して何かを知っていた可能性がある。犯人にしてみれば脅威だった、だから二人を殺した――」


 聖歌が津田沼校長が殺されたまさにその時間に美術室近くにいたと篤史は知っているのだろうかと、空は再びごくりと生唾をのんだ。


「海も、僕と同じ考えでいるんじゃないのか?」


 嘘をつくことでもないし、ついたところで篤史には見破られるだろうと、空は素直にうなずいてみせた。


「海なら連続殺人事件だと気づいて当然だな」


 天才を理解するのは天才のみとでも言わんばかりに、篤史は満足げな笑みを浮かべた。


「警察は相馬の事件だけを捜査しているけど、犯人の目星もついていないんじゃないか。まあ、それも、僕と海とが事件だと気づいた以上は犯人逮捕も時間の問題だろうけど。それに相馬の事件に関しては目撃者がいることだし」


「目撃者?!」


 素っ頓狂な声をあげ、空は慌てて口を覆った。高まる動悸を抑えて空は尋ねた。


「犯人は誰か、寺内くんは知ってるんだ?」


「ああ。幽霊さ」


 高まった気持ちが一気にしぼんでいった。


 八角の間には霊が出る。創立者の霊だったり、日本軍の兵士だったり、出没するものに一貫性はないが、とにかく何かが出る、それが八角の間にまつわる怪談だ。八角形という形の珍しさ、昼間でも薄暗い場所であることなどから“何か”が潜んでいそうだと思われるのも不思議ではない。


 その八角の間で幽霊を見たと言い出す人間が現れた。七美が襲われたその日、八角の間に吸い込まれるようにして消えていく幽霊を目撃したというのである。


 ちょうど七美が襲われたくらいの時間だったことから、七美を殺したのは八角の間に現れた幽霊だったのではないかという噂がたち始めた。津田沼校長の事故、聖歌の自殺も実は八角の間の幽霊の仕業ではないか、そんな話もちらほら聞かれた。


「幽霊が人を殺すわけないじゃない」


「確かに、幽霊は人を殺さないさ。相馬が襲われたその時間に目撃された幽霊というのは実は相馬を襲った犯人だったってこと。ただし、目撃者本人は自分が犯人を見たとは思っていないんだけどね」


「どういうこと?」


「八角の間には霊が出るという怪談がある。人外のものが存在しているという先入観と、八角の間の薄暗さとで、犯人を目撃したことが幽霊を目撃したという事実にすり替わってしまったんだろうな」


「その、幽霊、つまり七美を襲った犯人の目撃者は誰か、知ってる?」


「当然」


 顎をあげた篤史の視線は自然と空を見下すような角度になった。


「誰?」


「マスメディア部員だろ、それくらい自力で調べろよな」


 それ以上何も話すことはないとばかりに篤史は掲示板の前を離れた。


 踊り場を立ち去ろうとする寸前で空を振り返り、篤史は叫んだ。


「海に伝えておいてくれ。どっちが先に事件を解決するか、勝負だってな」

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