第6話 怪談のタネ(6)

「まさか、、本当に何かが出たって話が核になっているなんて言わないよね?」

「そのまさかさ、空。トイレには何かが出たんだ」

 さらっと言ってのけられる方がかえって恐怖をかきたてられる。空はごくりと唾をのみこんで海を睨みつけんばかりに見据えた。

「昔のトイレは和式が主だった。実際に、便器に隠れていた男が女性に乱暴するという事件もあったくらいだ。トイレという場所はひとりきりになれて無防備になる空間だ。もともと恐怖心がわきやすい場だというのに、実際に事件があったとなったら、恐怖心を抑えるためにさまざまな話が創られただろう。恐怖は伝染する。すぐに全国にひろまり、トイレの様式が変わっても無防備になる空間には変わりないから、世代を超えてトイレの怪談が語り継がれているというわけだ」

「怪談は面白く聞けたけど、実際にあった事件を核にしているっていう海の話の方がずっと怖いんだけど」

 陸のいたずらなんかではなく、本当に背筋に寒気を感じ、空は我知らずのうちに両腕をさすっていた。

「そう。怪談そのものは実は怖くない。本当に怖いものを覆い隠そうとして創った話だからだ。たとえば、学園に伝わる“紙さま”の怪談にしたって、トイレットペーパーを渡したら助かるというふうに、命が助かる逃げ道がちゃんと用意されている。こうすれば災難から逃れられるという安心材料があたえられているのが怪談なんだ」

「でも、本当に起きてしまった事件には救いがない――」

 恐ろしい考えを振り払うかのように陸は首を振り、長い両足をダイニングテーブルの上に投げ出した。

「礼拝堂の血を流すマリア像とか美術室の動く石膏像とか、確かに怪談というより奇談として面白く読めてしまうからなあ――待てよ」

 両足をおろし、陸は椅子の上でかがみこんだ。膝の上で両手を組んで海を見据え、

「生物室の骨格標本は本物の人骨っていう怪談はどうなんだ? 海のいうオブラートに包まれていない、そのものずばりって話だな」

「陸の言う通り、生物室の怪談は核そのものが露出している」

「ということは、本当に本物の人骨ってこと?」

 恐怖より好奇心が勝って空は身を乗り出した。

 海は顔色ひとつ変えずに頷いてみせた。

「昔は骨格標本には本物の人骨が使われていた。どうやって死んだかわからない、事故か病死か、もしかしたら殺されたのかもしれない。そんな人間の骨なら怨念がこもっていそうだと気味悪がったんだろう。怪談というよりも、気味の悪い話として伝わっていったんだろう」

「もちろん、今はプラスチック製だったりするんだよね?」

「わかんねえぜ。うちの学園、歴史があるから、今だに本物の人骨の標本だったりするかもよ?」

 いきなり立ち上がったかと思うと、陸は手足をくねらせ、空の背中にからみついた。

「ちょっと、やめてってば」

 引きはがそうとすればするほど、肩に乗った陸の顎が強くのしかかってくる。

 死体のつもりなのか、陸は両腕を空の肩から胸元にだらりとさげ、肘の関節から先をぶらぶらと揺らしている。

 陸の力の抜けた両腕をマフラーのようにして空が弄んでいると、勢いよく立ち上がった海が陸の体を空から引きはがした。

「他の怪談の核は何か見当がついているのか、海?」

 陸は今度は海の背中にへばりついて、両腕を力なく揺らしている。

「煙はよくみえているけど、火種の部分は遠すぎてわからない、というのが正直なところだ」

「海にもわからないこと、あるんだな」

「知ったところで面白い話ではないだろうし」

 コートでも脱ぎ捨てるように、海は陸の両腕を乱暴にふりほどいた。

「七つ知ると死ぬという怪談――怪談とはいえないけど、この話は? 海は呪いなんてもちろん信じてねえよな」

「呪いで死ぬわけがない」

 海はぴしゃりと言い放った。

「何かをしたら死ぬという話は、その何かをさせないための脅かし、子供だましの創り話にすぎない」

 呪いを半分信じていたとは知られたくなくて、空は海の視線を避けてうつむいた。

「恐怖の抑止力は絶大だ。死への恐怖心をかきたてるものならば効果は最大限に発揮される。誰も死にたくはないからね。さっき、怪談にはこれをすれば死なないという逃げ道が用意されていると言ったけど、それは言われたことをしなければ死ぬという脅かしと表裏一体の仕掛けになっているんだ」

「トイレットペーパーを渡さなければ死ぬ、か」と陸。

「学校の怪談と言われるものにはこの仕掛けが施されているものが多い。これは学校という教育施設としての場の特殊性のせいだろう。これをしろ、あれをしろといってもきかない生徒たちに言うことをきかせるには恐怖の力を利用するのが一番効率的だからね」

「悪い子にしているとサンタクロースが来ないって親が言うのに似てんのな」

「恐怖心を利用したものではないけれど、仕組みは同じだ。逆に、良い子にしていればサンタクロースがプレゼントをくれる。クリスマスが近づくと陸はおとなしくなったもんだ」

 そう言われて、毎年十二月になると陸のいたずらがピタリとやんだなと空は思い当たった。十二月以外は年柄年中いたずらしてばかりで、それは高校生になった今も変わらない。

「私のお弁当を盗むと死ぬっていえば止めてくれるのかな」

 空はちらっと陸をみた。陸はニヤリと笑ってみせ

「やめないねー。呪いなんか信じてねえし!」

「わかんないよ。呪いで人が死ぬとはあり得ないかもしれないけど、死なないとは証明されていないんだから!」

「呪い殺されなくたって、空に殺されそうだから、もう弁当を盗んだりしないって」

「本当に?」

 空は疑うような視線をむけた。

 陸は上目遣いで無邪気さを気取っているが、そんな時の陸ほど信用ならないものはない。

「気をつけるんだな、空。陸は盗まないって言ったんだ。弁当のつまみ食いぐらい平気でしかねない」

 海に考えをみすかされた陸は肩をすくめて舌を出してみせた。

「ったく、陸は……」

 呆れかえって、空は次の言葉が続かなかった。

「ある行為を禁止するための呪いっていうけどさ、怪談を七つ知ってもどうってことなくね?」

 陸は海をうかがった。

「怪談を七つ全部知られるとまずいことでもあんのか?」

「怪談を七つ全部調べ上げるエネルギーを他のこと、つまり勉強にむけろっていう戒めだろう。そんな暇あるなら英単語の一つでも覚えろってことじゃないのかな。空も陸も今年から高校生なんだから、少しはまじめに勉強に取り組んだ方がいい。いくらエスカレータ式に大学までいけるっていったって、授業についていけなくなったら留年もあり得るんだからな」

 汚れた食器を持って海はキッチンへと引っ込んでいった。

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