第2話

階段を滑る人、手すりを頼りに私は降りる。階段は湾曲する。都度曲率は変わる。ふらつく地面の上を彼らと共に進む。手すりを握る手のひらを押し返す赤色の冷感、地面を捉える足の裏の空域。息苦しくなる砂混じりの海の吐息は、私を包み、彼らを包み、地面を包み、私に包まれる。地面は私の眼前に迫る。腐った生活の匂いが顔面に取り巻く。燃えるゴミの破れた袋が電信柱の脇に隠れているが、あれを私はどこから見ているのだろう?どろどろになった自意識は、蒸散し、見えなくなり、汗になった。まだ出生の是非を決めかねている赤ん坊のように、丸くうずくまり、熱い地面と抱擁を交わした……。


……散らばった霧が窓ガラスで集結する。お互いを抱き合い、一つになり、地面へ垂れ、水溜りとなる。半身風にさらされた私の身体は、地面から引きはがされ、立ち上がる。膝に手をつき上半身を支えていたが、矩形の期待は真っ暗な、背景に隠れた底の底から突き上げ、側溝に向かって吐き出された。

老人が一人。私の隣に来て、背中に手を当て、話しかける。その顔は、さっきまで乗っていた列車に充溢していた顔たちと同じもの。老人の肩越しに歩く人々を見るが、この老人と同じに見える。何か同じ調子で鳴いているが、嬉しいのか怒っているのか、悲しんでいるのか喜んでいるのかわからない。私には。

老人の手を乱暴に払い、うあうあとよだれの垂れる口で吠え、歩き出す。交差点の白に着色されたところだけに足を運び、鼻につくカレー屋の脇を通り抜ける。小エビがコンクリートの上に散乱し、踏み固められ、乾燥している。深い緑の目眩は収まらず、下向きの矢印は、指し示す方向が安定しない。高架下には飲みかけの缶ビールが供えられていた。

苦いトンネルを抜ける、階段になる。一歩ごとに黄色と橙色の列車の走行に接近し、街灯が明るく点滅しているのを、視界の端の方で捉えた。直角に方向転換する、中間のひらけたところで、水の無い用水路にまた嘔吐する。ひび割れたコンクリートと、敷き詰められた直方の石はにやつきながら私の吐瀉物を受け止め、下方へ流した。ずっと街灯は、ずっとこっちを見ている。笑いもせず、眉間にしわを寄せるでもなく、見て見ぬ振りをするのでもなく、じっと、見て、捉えている。

所々塗装の剥げたガードレールが肩を持ち、また立ち上がり、流しきれなかった胃液を掴んで投げつけたが、彼は私の立つ地面を水色や桃色に染め、影と白目は紫に沈んでゆく。

私は泣いた。理由はないが。情けなくなったのだろうか?だとしたら何に対して?悲しくなったのだろうか?だとしたら何に対して?心が震えたのだろうか?だとしたら何に対して?怒りがあふれたのだろうか?だとしたら何に対して?ただ涙は、ただ地面へ落ち、ただひび割れた隙間に染み込み、ただ用水路を駆けてゆく。ただ涙は、ただここにいる私を、過去に引き戻してしまう、ただここにいることができなくなってしまう。情けなくなってきた、悲しくなってきた、心が震えてきた、怒りがあふれてきた。

二つ、こちらに向けられる縦長の視線、街灯のような厳しいものではなく、それは私を包む。視線は、黒の背景から輪郭を得、しなる無数の線は私の身体に寄り添った。溶けるような温もり、剪断力が流速に反比例する。

彼女は声をかけた、私もそれに応えた。

滑らかな半円をした背中を撫でると、彼女はまた一声私にかけ、階段を駆け下り、風に消える。

私は立ち上がった。街灯の方はもうこちらを見ていなかった。階段を登った。

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